第6話 受け継がれし心

 俺の父は、警察官だった。

 十年前くらいに川口署に勤めている時、銃の発砲事件に巻き込まれて死んだ。

 埼玉の人を守りたい――機動隊員だった父は、いつもそう語っていた。

 警察の仕事をしているお陰で、父は遠出をする事ができない。だから、父と出かける時はいつも埼玉のどこかだった。非番の日も電話があると、俺の出るスポーツ大会の応援に来ていても仕事に行ってしまう。だから俺は、埼玉なんか嫌いだった。

 父は俗に言うノンキャリア組だったから、なかなか昇進できずにいた。キャリア組になるには署長の推薦が不可欠だ。「マイホームを買いたい」とよく口にしていたから、凶悪事件で手柄を立てて表彰されたいとも思っていたんだろう。

 死んだら警察の偉い人が家に来て、二階級特進だと言って立派な階級章をくれた。でも、俺は昇進なんかより、父がただ生きていてくれたほうが良かった。父を奪った埼玉がますます嫌いになった。

 俺の父は名も無い警察官として亡くなったけれど、慰謝金とあんな金ぴかの塊で、父の魂は本当に咲く事ができたんだろうか? それが分からないから、俺はずっと剣道を続けている。亡霊のような存在に突き動かされて……。

 非常電源を点けてトイレを済ませ、手を洗おうとすると、なぜか水が出ない。

「あ、あれ……?」

 蛇口を捻っても空転するばかりだ。

(こんな時に断水かよ……?)

 トイレが流れたのは幸いだが、ばっちい手のままサキちゃんの前に戻るなど、言語道断だ。

 五分ほど悩んだ後で、俺は公園内のすぐ近くにあるボート池の存在を思い出した。

(サキちゃんを一人で薄暗い館内に残していく訳には……でも、結界があるから平気か)

 俺は地下一階の非常口から博物館の外に出た。先程よりも心なしか冷たい空気が辺りに吹いている。

(気温が下がってる……? サキちゃんの力が回復してるはずなのに……)

 俺は博物館の南にあるボート池に向かった。柵のない場所から、池に続く傾斜に降りる。この場所にはみやちゃんの加護が働いているというが、またウラーに襲われないという保証もない。さっさと手を洗って博物館に戻ろうと、俺は水面へ手を伸ばした。

「てっ」

 俺の指先は見事にぐきりと硬い面に刺さる。広いボート池は一面凍り付いていた。

「何だよ、これ……? サキちゃん……!」

 俺は乾いたタオルで火が出るほど手を摩擦し、出来うる限りの滅菌を施してから、博物館内に戻った。

「お待たせ、サキちゃん! 無事か?」

 俺が戻ってきても、サキちゃんはまだ金錯銘鉄剣の前にいた。

「よかった……無事で」

 だがサキちゃんは綺麗な二色の瞳に不安を潤ませ、俺を見上げた。

「むさし……ぬーちゃんと……みやちゃんが危ない」

「へ……?」

 さきちゃんがガラスパネルに手を当てると、ウラー達と戦っているぬーとみやちゃんの視界ビジョンが映し出される。ぬーに乗って戦っているみやちゃんは既に肩から息をした状態で、巫女の装束もところどころ破けていた。

 ウラーの大きな拳が、みやちゃんとぬーを薙ぎ払う。二人は吹き飛ばされた。

「みやちゃん!」

 俺はガラスパネルにへばりついた。落下する二人の映像が切れて、途切れる。

「二人はどうなったの?」

「……分からない。二人の意識レベルが落ちたから、私から通信することはもうできないの」

「そんな……」

 俺達が絶望に震えていると、急に館内の照明が落ちた。

「うっ、うわっ! 何だ、停電か……?」

 暗がりの中では、ほとんど何も見ることができない。

「むさし……私をナデナデして? みやちゃんとぬーちゃんを助けに行く」

 ふいに、甘い花の匂いがして、俺に柔らかいものがぴたりとくっついた。やがて暗がりに目が慣れると、上目遣いのサキちゃんが見えてくる。サキちゃんは、俺の腰を掴んでいた。

「さ、サキちゃん……その、手をどけて……」

「むさし。早くしないと、二人があぶない」

 いくら見た目が十歳くらいとはいえ、この妙な雰囲気はちょっとマズい……。俺の指先は、第二関節まで妙なうごめきを作っている。

(今すぐにでも、撫でたい……でも……)

 ふわふわの髪の毛に触れたい。でも、もう一人の俺が、俺の邪な手と心でこんなに清浄な乙女に触れてはいけないと精一杯ストップをかけてくる。

(どうする……どうする……どうする、俺!)

 逡巡している内に、俺の手は理性の枷を外れ、サキちゃんの頭に降りていく。

「むさし。手は……洗ったよね?」

 俺が動けない理由を知ってか知らずか、サキちゃんが訊ねた。

「あ……手は……」

 しどろもどろする俺に、サキちゃんはワンピースのような古代服のポケットからウエットティッシュを取り出した。

「……これで拭けば大丈夫」

「あ、ありがとう。サキちゃん」

 俺はウエットティッシュで手を清める。だが、俺がサキちゃんを撫でるのを躊躇う理由は、それだけではなかった。

「サキちゃん……本当は君を撫でたい。でも、俺は埼玉のことを……」

「だったら、今から好きになって。それからでも遅くないから……」

 サキちゃんはぐいと背伸びして、頭を俺のほうに近づけた。

(ええい、もうどうとでもなれ――――!)

 俺は思い切って、サキちゃんの頭をナデナデした。ふわふわの、綿毛のような感触が指先に触れる。

「むさし……ありがとう」

 サキちゃんは少しプルプルと震えて、宙に浮かび上がった。

 すると、サキちゃんから光が放たれる。不思議な光芒は博物館全体を満たし、ガラスを突き破って大宮の町一円に広がっていく。

(何だ……目を開けていられない……!)

 不思議な光の波が止むと、俺の目の前には、髪が伸び、少し大人びた容姿のサキちゃんが立っていた。

「サキちゃん……? ちょっと、成長した?」

「うん。LL値が補給されると、わたしは少しの間だけ、本来の姿になれるの」

「俺にそんな高いLL値があるとは思えないんだけど……」

「むさしの手には、埼玉を愛する人の血が流れている」

 その言葉で、俺は咄嗟に自分の両手を見つめた。

(親父……)

 すると、俺の見つめていた掌に緑色の光が降りてくる。

「これは……?」

 それは、サキちゃんの背中ごしに見えるガラスパネルから漏れた輝きだった。金錯銘鉄剣は不思議な光を放っている。

「この剣、むさしを呼んでる」

「え?」

 その時だ――

「埼玉を……守るのだ」

 男の声が、剣から僅かに聞こえた。

(何だ、今の声は?)

 俺の大嫌いな幽霊の類かと思うが、不思議と背筋が寒くなることはなかった。むしろ、暖かさを感じる。

 サキちゃんが金錯銘鉄剣のレプリカに手をかざすと、錆びていた刀が光って、表面に刻まれた金文字がほどけていく……。サキちゃんはタッチパッドに触れるようにするすると指を滑らせ、文字を書き換えてしまった。

「……今、どうやったの?」

 サキちゃんは小さく笑って、ガラスパネルにもう一度手を触れる。すると、まるで手品のように手は中へ差し込まれた。

 俺が目を瞬かせていると、サキちゃんは中の金錯銘鉄剣を取り出し、俺の肩に当てた。

「汝、野乃原武蔵。その父、野乃原タケシより埼玉を守る意志を継ぎ、埼玉を守る剣を与えられん」

 剣はサキちゃんの手から、ゆっくりと俺の両手に下りてくる。俺の手に収まった金錯銘鉄剣(のレプリカ)は、強い光を放って俺と同化しようとしている。

「サキちゃん! これは……?」

「その剣は、埼玉を救う剣。剣がむさしを選んだの。あなたの埼玉を愛する心が育つとともに、その剣も強くなる」

 俺はその眩い輝きに平伏し、ただ受け入れるしかなかった。



「――――あなたを埼玉救世大使に任命します」






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