第22章:突進

[1] 第2次ハリコフ攻防戦(前)

 5月12日に開始された南西戦域軍のハリコフ攻勢は、「最高司令部」の愚かなまでの楽観と軍の未熟さによって、まだドイツ軍の夏季攻勢が始まる前だというのに、多くの優秀な部隊と司令官を死に追いやる結果となってしまった。

 4月10日に発せられた南西戦域軍の計画はハリコフの二重包囲であったが、前年の冬季戦からドイツ軍の兵力は低下したままであるという誤った仮定を基に作戦を立てていた。スターリンはドイツ軍の攻撃が再びモスクワに向けられると思い込んでおり、「最高司令部」も南方で力を取り戻したドイツ軍の兵力を見誤っていた。

 南西部正面軍の偵察はドイツ軍がハリコフに新たな部隊を移動させたことを察知できなかった。また、敵陣地の強度も軽視した。ハリコフ地区のドイツ軍の兵力をわずかに11個歩兵師団と1個装甲師団と予測していたが、実際の兵力は2個軍団と2個装甲師団、16個歩兵師団を超えるものだった。

 しかも、南から第6軍とボブキン機動集団を攻撃できる位置にいた第17軍を南西部正面軍は見落としていた。第17軍と対峙していた南部正面軍司令部の情報部は南西部正面軍にいっさいの敵情を提供しなかった。

 さらに、春の「泥濘期」が部隊の動きだけでなく、道路や飛行場の建設を妨げた。各部隊が攻撃発起地点に移動するまでに、多くの時間が割かれた。攻撃支援のために選ばれた32個の砲兵連隊のうち、攻撃開始時に定位置につけていた連隊は17個だけだった。機動部隊に指定されていた第3親衛騎兵軍団(クリュウチェンキン少将)に至っては全兵力が集結できたのが、攻撃開始から3日後のことだった。

 その間に、南方軍集団の偵察はハリコフ地区における南西部正面軍の動きが活発化していることに注目していた。空軍が絶え間なく南西部正面軍の後方地域を叩き、兵站機能を損耗させていった。このため、南西部正面軍は攻撃に必要な補給物資を十分に集めることが出来なかった。砲兵による最初の弾幕射撃用の弾薬でさえ、3分の1が手に入っただけだった。

 5月12日、第21軍と第28軍はハリコフ正面から攻撃を開始した。ハリコフ周辺に展開する第6軍は第17軍団(ホリト大将)の後方から、ただちに第3装甲師団(ブライト少将)と第23装甲師団(ボイネブルク=レングスフェルト少将)を差し向けた。

 5月13日、第6軍の2個装甲師団は積極的な反攻に乗り出した。この反撃を受けた第21軍と第28軍は攻撃開始3日目にして、攻撃発起点からわずか約20キロ地点で頓挫してしまった。

 ハリコフ南方の突出部でも、戦況は芳しくなかった。第4航空艦隊が戦力を集中させて戦地一帯の制空権を握ったことに加えて、ティモシェンコが第21戦車軍団(グジーミン少将)と第23戦車軍団(プーシキン少将)を前線に投入せず、歩兵を中心とした限られた兵力だけで攻撃を実施させたことが原因だった。

 しかし、突出部の先端から西方へと攻撃を開始したボブキン機動集団だけは、第8軍団(ハイツ大将)の戦線を切り裂いて戦果を拡大させていた。攻撃開始4日目にはクラスノグラードのドイツ軍守備隊を攻撃し、そこから60キロしか離れていないポルタヴァの南方軍集団司令部を脅かしていた。

 5月15日、ボブキン機動集団の進撃ぶりを過大評価した南西部正面軍司令部はモスクワの「最高司令部」に次のような報告を行った。

「敵はハリコフ付近で新たな攻勢の準備をしていた模様ですが、我が軍は敵の企図を粉砕することに成功しました。敵にはもはや、ハリコフ地区で攻勢を実行できる兵力がないことは明白です」

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