第32話 最後に伝えるべき言葉

 私はヤドに車椅子を引いてもらいながら、病院の敷地内にあるベンチがある庭のような場所を訪れていた。

私も彼も一言も口を開かず、車椅子の車輪が地面を進む音だけが響いていたのである。

 どうしよう…何から話せばいいのか…

私は、彼にどう話を切り出せば良いのかに対し、迷っていた。

昨日つきっきりで私の元にいてくれたベイカーより、ヤドが何故聖杯を求めているかについて聞かされていた。“聖杯の秘密を守り、代々それを伝えていく事”をモットーとするコミュニティーの存在。そして、ヤドや香園より昔を生きた“先祖”と言わしめる者達の存在等だ。

 “使命”ともいえる目的を達成した今、ヤドの胸中はどんなかんじなんだろう…?

そんな事を考えながら、最初に口にする言葉を考えていたのである。

「明日…」

「!」

すると、ヤドが先に唇を開けていた事に私は気が付く。

「ベイカーより聞いたと思うが…。明日、空港でコミュニティーの奴と合流し、“報告”のために、日本を離れる。その前に…お前と話をしておきたいと思ってな」

「明日…日本を発つんだね…」

ヤドの台詞ことばを聞いた私は、驚く事なく納得の意を示す。

おそらく、その可能性を予期していたからこそ、あまり動揺していないのだろう。

そして、真っ直ぐな瞳で目の前にいるアングラハイフの青年を、私は見上げる。そんな私の表情を見たヤドは、少し戸惑っているようにも見える。

「ヤド、私に言っておきたい事とは…?」

私が尋ねると、彼は数秒だけ黙り込む。

「……伝えておきたい事は、2つだ」

「2つ…」

私が反応したのを見たヤドは、一度深呼吸をしてから、口を開く。

「一つ目は、デュアンからの伝言で、それに伴いどうなるかについてだ」

「デュアンって…確か、リヴリッグの…」

私が二つの存在について口にすると、ヤドは首を縦に頷いてから話し出す。

「近々、お前の元をデュアンが訪れて、“中”に潜り込んでいる“鍵”を回収するとの事だ」

「そっか…。聖杯の件が一件落着したから、デュアンが引き取ってくれるという事かな?」

「おそらく…どうやって回収するかは企業機密らしいが、これだけははっきり言っていた。”鍵を回収後、殊之原ことのはら 奏はアングラハイフが完全に視えなくなるだろう“と…」

「え…!?」

ヤドが口にしたデュアンからの伝言を聞いた私は、目を丸くして驚く。

「それはおそらく、お前が福士澪のように、代々“俺ら”が視える力を持つ者が先祖にいない一族だからだろう。なのでおそらく、俺が次に日本へ戻ってきても…お前と会う事も街で見かける事も、なくなるだろうな」

「…っ…!!」

ヤドの口より語られる事で、私の頭の中は完全に真っ白になる。

しかし、それを伝えているヤドも、少しだけつらそうな表情をしていた。

 やっと平穏な日常生活が戻る事を意味するから、もっと喜ぶべきなのに…。何だろう、この虚無感は…

私は茫然としている中で、内心では自分の胸の中にポッカリ穴があいたような感覚を覚えていた。

「そして、お前に伝えておきたい事の二つ目は…」

私が茫然としている中、ヤドは次の台詞ことばを紡いでいた。


「え…」

一瞬だけ風が吹いたと感じた私は、1・2回ほどの瞬きをする。

瞬きをした直後、気が付くと私の顔の横にヤドの顔があり、彼のたくましい胸が少しだけ私の胸に触れていた。

どうやら車椅子に座っている私に対して、ヤドが腰をまげて抱きしめてくれているようだったが、何故そういう事態になっているのかが解らず、私は茫然としていた。

「お前の事が好きだ」

「…っ…!!」

表情は見えずとも、声の低さでそれが嘘でもない誠の言葉だと実感する。

そして、その両腕で私の身体をギュっと抱きしめた後、彼は身を起こして元の体勢に戻る。

「無論、”一人の女として“…だ。だが、告白したからと言って、お前にどうこうしてもらうつもりはない」

「ヤド…?」

彼からの告白は嬉しくもあったが、その後に続く台詞ことばを聞いた途端、私は不思議そうに首を傾げる。

 そして、彼を見上げた時、その表情に寂しさが宿っている事を私は悟る。

「先程伝えた“鍵の回収”の件…。あれで“俺達”が視えなくなるからこそ、俺は気持ちだけ伝えて終わり…のつもりだ。そもそも、“俺ら”と人間が恋愛関係に発展する事はあっても、“それ以上”の関係になる事はほぼないからな」

「………」

ヤドが告げた最もな言葉ことを聞いた私は、返すべき言葉が見つからなかった。

 “彼ら”が視えなくなる事で、恋人になる事はありえない。本来、出逢う事のない私達が出逢った訳だから…

私の胸中は、どんな言葉を返せばいいかわからず、ただひたすらに考えていた。考えるのを止めてしまえば、混乱状態になってしまうと言っても過言ではない。

そうして私とヤドの間には、少しだけ沈黙が続いた。

「私も…」

「アホ猫…?」

考えを巡らせた私は、意を決して、ヤドの方を見上げる。

「私も、貴方の事が好き……だったと思う。例えもう会えなくなったとしても、やっぱりこの言葉を伝えずに終わるのは、私も嫌だから…」

何とか言葉を紡いだ私だが、やはりその先を何と言うべきかまとまりがつかない。

そんな私を見かねたヤドは、フッと一瞬笑みを浮かべてから、私の頭を優しく撫でて暮れる。

「互いに想い合っていたのならば、それだけでも奇跡だと思うぜ」

「…うん…」

そう告げるヤドの手は、とても暖かかった。

いつも口の悪かったヤドでは想像できないくらいの優しさが、手の温もりから感じられる。思わず涙がこぼれそうだったが、私は耐えた。

それは、ヤドも自分と同じように複雑な感情を胸の内に閉まっているのは解り切っていたからである。


こうして、病室へ戻った私とヤドは別れ、二度と逢う事はなくなる関係へと戻っていくのであった。

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