転生前の記憶――

 アラバスターに到着してから一時間程経過しただろうか。それもカーライルの部屋の場所を聞いて、美しい双子の姉がカーライルを迎えにいってから三十分も立っていないというのに――目の前では乱闘騒ぎが発生している。それもかなり大規模に。


 とりあえずこの乱闘騒ぎに巻き込まれないように少し離れていようと、レナは広間の片隅に身を寄せた。ようは只の喧嘩である。命の取り合いをしているようにしか見えないのだが。レナは心做しか頭痛がしてきた気がした。

 知らなかったのだが乱闘騒ぎが始まる前に聞いた話によると。アラバスターでの復興作業の司令塔として皆を指揮していたのがイングラムのようなのだ。確かに竜族の王族で世界最強の種族ともなれば、そういった役柄に付いているというのも納得なのだが。


 そんなことも知らなかった自分自身に呆れつつも、改めてイングラムのすごさを実感する。周りを見ると比較的若い者が多いように見えた。だが彼らはアラバスターを魔族の手から取戻した百戦錬磨ひゃくせんれんまの強者達だ。それに外見は前の世界と違って当てにならない。エルフが良い例である。彼らは一見すると20代の美しい若者に見えるのだが、実年齢は300歳とかはたまた1000歳を超えているような化け物揃いだ。


 そしてそんな猛者もさ達を束ね、統率する司令官のイングラム。若干20歳のイングラムが司令塔を務めていたなんて、ここにいる百戦錬磨の強者達よりもイングラムの方がよっぽど化け物だ――


 その司令塔が不在のいま、統率系統が乱れついにはこのような事態に発展してしまったのだが。目前で繰り広げられる惨状から察するに、イングラムは百戦錬磨ひゃくせんれんまの強者達を束ねるだけでなく、精神的な支柱でもあったわけだ。

 そんな彼の代わりとなりえる人物と言えば、弟のカーライルだろう。しかしいまここに彼はいないわけで。誰もこの混乱と争いを収拾できる者がいない状況なのだから、当然どんどん状況は悪化していっている。


 とりあえず事の発端は自分達が到着したことであろうことは置いといて。他人事のように考えながらレナは辺りを見渡した。

 殴り合いののしり合ってテーブルからカップやらお皿やらを引っつかんで投げつける様子は、とても武勇に優れ叡智えいちを総べる百戦錬磨ひゃくせんれんまの強者達には見えない。見えないのだが流石さすがは戦闘のプロだけあって、命中率は的確で見事に相手の急所を直撃している。なんだが酔っぱらいの喧嘩を眺めているような気分だ。


 ――さてどうしたものか?


 こんなことなら始めから”ジミーの指輪”を付けてくるべきだったかと、いまだに未練たらしくポケットに入れて持ち歩いている”ジミーの指輪”を軽く握って少し後悔する。

 レナは社交界の一件から地味に目立たず穏やかに暮らすという当初の人生設計をだいぶ諦めてきていたのだが。やっぱり地味に目立たず穏やかに暮らしたいと、目の前で繰り広げられる小競り合いを見て心底思うのだった。


 何処に行っても目立つ超美形の婚約者二人と美しく悪戯いたずら好きな姉。それも三人そろって超レアの種族なのでかく目立ちまくる。それはある意味レナも同じなのだが――まあ、それは置いておいて、この問題児三人がそばにいる以上、地味に目立たず穏やかに暮らすなんて人生設計は叶わぬ夢だろう。前途は多難だ。レナは眉間みけんに深いしわを刻んで深いため息を付いた。


 そうして司令塔を失った反動で罵り合い不平不満を言い合う姿を見ていてふと、転生前の田中大和であったころの事を思い出してしまった。確か高校に入ってからあれは二年生になった時の事だ――




 *******




 大和は生徒会に入りたくて、でも一人では不安だったから同じクラスでいつも一緒にお昼を食べている、仲良しグループの友達に声を掛けた。声をかけた友達は全部で三人。

 おそるおそるどうかな? と声をかけたところ三人とも一緒に選挙に立候補してくれると、二つ返事で快く引き受けてくれた。なんて良い友達を持ったのだろう。その時はそう思ってすごく嬉しかった。


 そうして全校生徒が注目する中、選挙が行われた。めでたく私も含めた仲良しグループの四人は全員が当選して生徒会へ入る事ができた。当選したメンバーは全部で七人。一年生が二人と二年生が五人当選した。

 生徒会に入った初日、学校の先生も交えて役職を決める話合いが行われたのだが。生徒会長をしたいと思っていた田中大和は当然その話を仲良しグループの三人にもしていたし。

 生徒会長になったらイベントやいろいろな行事を皆で楽しく盛り上げて頑張りたいとも話ていた。皆それに協力すると言ってくれた時も本当に嬉しかった。


 しかし二年生のメンバーの内一人は、全く知らない他のクラスから立候補した人がいた。皆その人のことは知らなかったし、どんな役職をしたいのかも全く知らなかった。だからその人が生徒会長をやりたいと言った時は、全く想定していなかった事態に動揺で体が震えた。


 田中大和も生徒会長をやりたいと話したところ、生徒会に入ったメンバーによる投票で生徒会長を決めることになったのだが。投票の前のスピーチで生徒会長になったら何をやりたいかを話すことになり。

 田中大和は緊張しながらも何とかスピーチを終わらせた。一方、他のクラスから立候補した人は、緊張を感じさせないような落ち着きとしっかりとした見事なスピーチを行ったのだ。


 でも生徒会長になったら何をしたいのかは、事前に仲良しメンバーには話ていたし、友達は自分に票をいれてくれるだろうと思っていたのだ。けれど先生から発表された結果は五対一。圧倒的な田中大和の惨敗ざんぱいだった。


 ここまで圧倒的な投票結果には流石さすがに驚いた。かなりショックだったし、裏切られたような気持ちにもなった。冷静に考えれば、他のクラスから立候補した人の方がしっかりしていて、頼りがいもあるし生徒会長に向いているとも思った。


 ――けれど、それとこれとを切り離して考えるのはなかなか難しい。六対〇にならなかっただけマシだと思えばいいのだろうか?


 その日の学校からの帰り道はとても辛かった。夕暮れの時で辺りはだいぶ薄暗くなってきていた。そして帰る方向が同じでいつも一緒に帰っている芹沢撫子が隣を歩いていた。

 芹沢撫子も一緒に生徒会へ入ったメンバーの内の一人で。今日の投票結果にきっと気まずい思いをしているだろう。泣きたい心境ではあったが、何とか抑えて、努めて明るく振る舞った。


「あ~あ。今日は本当に残念だったな。でもまさか五対一ってここまで圧倒的になるとは思ってもいなかったよ。それにしても、先生もわざわざ投票数言うことないのにね」


 はははと乾いた笑いを浮かべるも、言葉にはどうしても力が入らなかった。最後は抑揚のない声になってしまった。そんな大和を見て撫子は心配そうな顔をした。互いを気遣うような緊張と張りつめた空気。今日はやっぱり別々に帰った方がよかったかな? そう思い始めていたのだが。


「私は大和に入れたよ」


 ショックと悲しみで沈む大和。そんな重たい空気を背負った大和を慰める優しい声だった。


「えっ?」

「私は大和が生徒会長になったら何がしたいのか、どう思っているのかを事前に聞いていたし。知っていたから。大和に入れたよ」


 そう言って大和に優しく話し掛けた撫子。だいぶ日が落ちて辺りはセピア色に染まっていた。色の境界線が曖昧になってきた小道を歩きながら、撫子はとても優しくて穏やかな春の日差しのような眼差しを大和に向けていた。

 それまでもずっと大和は撫子を信頼していたし、大切な友達であることに変わりはなかったのだが。一ミリも疑う必要がない位に、本当の意味でお互いを信頼し合える友達になれたのは、思えばこの瞬間があったからかもしれない。


「ありがとう……」


 今までの人生で沢山味わってきた裏切り。慣れているからと思って、気にしないようにして生きて来たけれど。そういったものが全て洗い流され、救われたような気がした。

 涙ぐみながら撫子を見れば、撫子もまた同じように涙ぐんでいた。




 *******




「まったくどいつもこいつも……」


 くだらない小競り合いなどしている場合か。そんなことをしている暇があったら、イングラムを探すのに力を入れろというのだ。右手のこぶしを握って胸の前に引きよせる。目の前にいる方々全員を殴りたい衝動に駆られるが我慢だ。ここは我慢しなくては全身をプルプルさせながら苦悩に顔を歪める。


「レーナ! お待たせ~」


 後方から声が掛かり、ハッと振り向くとカーライルを迎えに行っていたルナが戻ってきていた。隣には褐色の肌に艶めいた白髪、血のように赤い瞳の珍しい容貌のカーライル。その美貌には疲労の色が濃く少しやつれたように見えるものの、なぜか色気が増しているようにも見える。

 とりあえずこの場を収拾できる人物の登場にレナはホッと胸を撫で下ろした。握りしめていた拳の力を緩めて、安堵あんどのため息を漏らす。良かった。この場はカーライルに任せよう。


「この騒ぎはいったい……レナ姫何があったのですか?」


 軽く目を見張って辺りを一瞥してから、カーライルは説明を求めた。


「これは、その……なんというか私達が原因なのかなーなんて。というか決してなりたくはなかったのだけど、事の発端になっちゃったというか……。ちりも積もればじゃないけど、積もりに積もったものが爆発する火種になっちゃったというか……ねえ? ルナ?」


 うっ! 自分が悪いわけじゃないのに何故こうも言いづらいのか――


 お姫様言葉なんか使っていられなくて、被っていた猫を綺麗さっぱり取り払いレナはルナに必死に助けを求めた。お願い代わりに説明して!

 レナの明るすぎて半ば蛍光色のようにも見えるライトブルーの神秘的な碧眼の瞳がルナの明るい新緑の若葉のような緑の瞳とぶつかる。


「つまりレナが言いたいことは。わたくし達がイングラム様を探しに来たことで、皆様の中に溜まっていた負の感情を煽ってしまったということですわ。さらに付け加えますと、カーライル様不在の為さらに状況は悪化し、レナはそれをわたくし達が来るまでなすすべなく壁際で一人傍観していたということですわ」


 ね? レナ? とにっこり笑ってルナはこちらを向いた。

 確かにそうなのだが、そうなのだが……なんか酷くないか? その説明。


「まあ、そういうことです。はい……」


 落ち込んだように肩を丸めてみせるが。おかしいなどうにも納得がいかない。レナは眉間に深いしわを寄せて俯くと、顔にハテナマークが浮かんでいるような感じで、一人考え込んでしまったのだった。


「ルナ、あまりレナ姫をからかってはダメですよ? こんなに気を落とされているではありませんか。」


 まあそうなんですけど。そういうカーライル様も目が笑ってますよね。そしてそれより気になったのは、なんでカーライル様はルナを呼び捨てにしているのでしょうかって事だったりする。


「あの~カーライル様? ルナとはそのー……結構仲良いんですか?」

「「……はい?」」


 暫しの沈黙の後、カーライルとルナが同時に間の抜けた声を出した。


「だって今、ルナのこと呼び捨てにしてましたよね? 私には姫付けて呼ぶのに。」


 にっこり笑ってレナは二人を見た。いつもルナがしているようにふふっと無邪気に微笑んでみせたのだ。


「「…………」」


 二人は黙ったまま呆然とレナを見つめていた。そしてソロソロと互いに目だけ動かして視線を交わすと、気まずそうにそっぽを向いた。心なしか二人の横顔が赤く見えるのは気のせいだろうか?


 おや? これは――もしかしてまさか二人とも無自覚だったってことですかー⁉

 

 逆にこっちがびっくりだー! と目を点にしてレナは二人を眺めた。無言の二人は耳まで赤い。


「ええっと~……それじゃあ私はどっか行くね」

 お邪魔様でした。と乱闘騒ぎも無視して広間から出て行こうとした時。レナとルナとカーライルの前を突如風が吹いた。ヒュッと乾いた音を立てて、耳を掠めたのはナイフ。

 それも三本きっちり三人の耳やほほかすめていったのだ。掠めたナイフは壁へと突き刺さり傷を残してカランと床に落ちた。

 三人の耳や頬からそれぞれ赤い滴が滴り落ちる。ルナとカーライルの血が耳からポタッと落ちた瞬間、レナの中でプチッと何かが切れた音がした。床に出来た赤い染みを見て、レナは怒りに我を忘れた。


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