藤原さんからのお誘い

 夏休みも終わりに近づいた頃。

 そろそろ世間では帰省ラッシュだとか、なんだとか。いやちょっと遅いか。もうお盆は過ぎちゃったし。

 お盆は予定通りにおばあちゃんの家に行ってお墓参りに行ったり、のんびりしたり、おばあちゃんの手作りお菓子を食べたりして過ごした。宿題は夏休み始まって数日のうちに終わらしてしまったから、特に構える必要もない。宿題を早めに終わらせることで心に余裕が生まれたのだ。

 この間は登校日があって、ちょっとした授業みたいなものと連絡事項、宿題で答えをもらっていなかったものの答えをもらったり、提出期限だった宿題を提出したり。久々の学校で友達にあって盛り上がったりと、騒がしい一日を過ごした。学校に行くのはめんどくさいけど、友達と会えるのは楽しい。登校日は一長一短だ。

 そのすぐ後には『Bedeutung』のライブがあった。これはいつも通りに一人で足を運んだ。いつも通りに一人で行って、いつも通りにファミレスでご飯を食べて、いつも通りに一人で帰った。

 特に何かイベントがあったりしたわけではない。まあ、いつも通り最高のライブだった。

 藤原さんの歌声を聞いて、感動したり興奮したりなんやらで。私、この間あそこに立ってる人たちと海に行ったんだ……って思うと、なんかもういろいろなことが頭を駆け巡った。私の鼓動は興奮以外の何かでバクバクいっていたのだ。

 そんな感じで、私の夏休みは過ぎていっていた。特別なイベントがあったのはあの海の日だけだ。それ以外はいつも通りの夏休みだったといえる。……というのは、若干語弊がある。

 なんと、あの海の日に藤原さん以外の『Bedeutung』の人たちの連絡先をゲットしてしまったのだ!

 なんか藤原さんの個人的な知り合い、ということにしてしまうと世間体がどうたらとか言って、何故か全員分の連絡先を手に入れてしまった。誰か個人の知り合いという形ではなく、『Bedeutung』というバンド全体での知り合いという形にすることによって、パパラッチ対策にするのだとか。本当に効果があるのかどうかは知らない。でも、全員分の連絡先が転がり込んでくるのなら否やはない。

 夏休み前までの私なら断っていたかもしれないが、今の私は少しだけ違う。少しだけ自分に素直になったのだ。素直というか、臆病さを捨てたというか。藤原さんの連絡先を知っちゃってるわけだし、今更かーみたいな考えもあったんだけど。教えてもらえるものは教えてもらう。そういうことにしたのだ。

 別に連絡先を手に入れたからと言って私から積極的に連絡を取ろうとしているとか、そんなわけではないけど。だって送る用事がないし。

 そんな中でも、朱里さんは何故かよく連絡をくれる。本当にもう友達感覚で連絡をくれる。爽子の次に着信が多いのが朱里さん、というくらい連絡が来る。基本は世間話とかだ。でもこの間のライブの時は、ライブが終わった後にライブの感想を求められた。もちろん最高でした! って返信したけど。『Bedeutung』のライブの感想は、毎回最高以外ないのだ。

 その次に来るのが藤原さんだった。こっちも内容は世間話みたいなものだ。ただ性別が朱里さんと違うからか、内容も若干朱里さんと違う。朱里さんは食べ物とかファッションとかトレンドとか、なんか話題がいろいろなんだけど、藤原さんは音楽とかニュースとか、その日あったどうでもいい出来事とか、何か毛色が違う。まあ、連絡が来ること自体がうれしいから、内容とかにはあんまり深くはつっこまない。連絡が来るだけで「きゃー!」って叫んでたりするのだ。心の中でだけど。

 吉永さんからはたまーに連絡が来る。「うちの大洋が迷惑かけてごめん」とか「うちの朱里が迷惑かけてごめん」とか、そんな感じ。実際にあったら緩い感じがするのに、こういうところでは苦労人だなーと思う。いやでも初対面の時も藤原さんを引き取る係だったし、海の時もクーラーボックスとか持ってたし、基本的に苦労人気質なのかもしれない。

 笠原さんからは一回だけ「よろしく」という挨拶が着て以来、一度も連絡はない。まあ連絡をくれるようなキャラではないだろうし、私からも連絡を取ろうとしないのだから当然と言えた。いや、笠原さんのことが嫌いとかそういうわけではなくね? なんかメンバーの中でも笠原さんはとっつきにくいというか、ファンからはクールっていう印象だから、連絡が取りづらいというか。用事があればまた別なんだろうけど、世間話で連絡を送る勇気は私にはない。

 そんな感じで、私はいつもとは少しだけ、でも決定的に違う夏休みを過ごしていた。

 客観的に見れば知り合いが増えただけだ。でも、私からすれば憧れの人たちと連絡を取り合えるようになったのだ。

 それまではステージを隔てて見ることしかできなかった人たち。雑誌なんかで語っているのを読むことしかできなかった人たち。訴えかけるような歌を聴くことしかできなかった人たち。

 そんな人たちと私は今、連絡を取り合える仲になっているのだ。これが決定的に違うと言わずして、なんと言えようか。

 そんな感じで私はいつもと少し違う夏休みを満喫しているのだった。







 朝ご飯を食べ終わって、少ししてから。今日は何の予定もなく、一日家でゴロゴロしているつもりの日。

 爽子や他の友達と遊んだりっていうのもいいんだけど、毎日毎日そんなことをしていてはお金も体力もなくなってしまう。いやバイトもあるから毎日なんてできないんだけど。そこは言葉のあやと言うかなんというか。

 そんなわけで、今日はバイトも遊びの予定もない。一日休んで英気を養う日だ。

 海の日以来、藤原さんたちとは個人的に会うようなことはしていない。当たり前だ。あれは私が藤原さんを介抱したお礼に――って話だったんだから。

 一回流れた感じになったけれど、そのあと結局当日一緒に遊んだのだからお礼は終わったのだ。だから、個人的に会う理由がない。会いたくないわけじゃ、ないんだけどね。

 もちろんライブの時に姿は見たりしているから、藤原さんたち自体を全く見ていないわけじゃない。なんならアプリで連絡を取り合っているのだから、接点がなくなったわけでもない。

 それが向こう側の好意で成り立っている関係だっていうのはわかってる。私みたいな、その辺にいるような、平凡な女子高生を相手にする理由なんて、藤原さんたち側にはないのだから、私に連絡を送ってくれるなんていうのは完全に朱里さんとか、藤原さんとかの好意だ。

 でも――それでも、直接会ってお話ししたい。どこか喫茶店なんかに入って思う存分お話してみたいし、またどこかに遊びに行ってみたい。海とか、そんな特別な場所じゃなくていいのだ。近所のスーパーとかだって文句なんかない。ただ、会ってお話がしたいだけなのだ。

 けれども、それが私の行き過ぎた望みだっていうのもまたわかってる。私の望みが相手からしたら迷惑だろうこともわかってる。だから、私は送られてくるメッセージに当たり障りのない返信をするだけにとどめているのだ。

 臆病さを少し捨てたとか言ってたかもしれないけど、やっぱり私はまだまだ臆病なままだ。相手に迷惑だと思っている裏側で、断られたらどうしようだとか、絶対に承諾してくれるはずがないとか言って送るのを躊躇している。それを臆病と言わずなんと言おうか。

 そして、そんな風に思う相手ももう決まっている。

 心臓が痛いくらいにドキドキして、本当に熱が出たんじゃないかと思うくらい顔が熱くなるような人だ。

 今までそんな風に思うような人なんていたことはなかった。その人のことを考えて、今どうしているだろうとか、何をしているのだろうとか、もっと話してみたいとか、会いたいとか、でも断られたらどうしようとか、どんな話をしたらいいだろうかとか、連絡が待ち遠しいとか、そんなことを考える人なんて。

 そんな話をぽろっと爽子に話したら、爽子が興奮気味に、でもなんだかうれしそうに私に詰め寄って言ったのだ。


「それはね、楓! 恋だよ恋! こーいー!」


 爽子にそう言われた瞬間、なんだか海での自分の様子がすとんと腑に落ちた。と同時に、ものすごく恥ずかしくなった。

 ナンパ男に助けられて。それ以外のことももちろんあるんだけど、決定的な瞬間はあの時で。私は恋に落ちたのだろう。

 だから心臓がドキドキしたし、顔が火が出そうなくらい熱くなった。と同時に、女の人から名前で呼ばれているのを見て胸が少しだけだけど痛んだ。全部、その人のことを好きになったからだ。

 あこがれと恋は違う。あこがれている間は全部平気だった。何とも思わなかった。そりゃもちろん近くに来られたりしたらドキドキはしたけど、それは緊張によるドキドキで、あの胸が痛くなるくらいのドキドキとは違うのだ。

 なんか、自分で思い返してもちょろい女だと思う。一回ナンパ男から助けられたくらいでその人のことを好きになるなんて。もちろんあこがれていたから、最初から私の中でプラスの評価だったっていうのはあるけど。それでもだ。

 私はこれまで誰かのことを異性として好きになったことがなかったから、好きになるのが早いとか遅いとかは正直わからない。一目ぼれ、とかもあるしあんまりにも早い、というわけではないと思う。でも少女漫画とかはもっと段階を踏んでいるというか、なんというか……。しょ、しょうがないじゃん! 今まで恋愛なんてしたことないんだから! 私の恋愛の知識は少女漫画しかないの!

 まあ、でも、好きになってしまったものは好きになってしまったのだ。そこに遅いとか早いとかは関係ないだろう。


「はぁ……。藤原さん、会いたいなぁ……」


 リビングのソファに寝転びながらそんなことをつぶやく。家には今私一人だ。お父さんは会社。お母さんは買い物に行った。

 私の好きな人――藤原大洋さん。『Bedeutung』のギターボーカルで、リーダーで、私のあこがれの人で、私が好きになった人。

 ゆるいパーマがかかったような黒髪をしている。ちょっと釣り気味の瞳をしているけれど、目元がいつも緩んでいて鋭い雰囲気を相手に感じさせない。ひょうひょうとしていて、なんだかつかみどころのない人なんだけど、人をからかうのが好きらしい。

 そんな藤原さんに、私は会いたい。

 でも、会いたいなんて連絡はできない。

 もし断られたら? 仕事があるとか、個人的に会うのはまずいとか、なんとか。いや、それならまだ救いはあるかもしれない。単純に会いたくなって言われちゃったら? ……そんなこと言われたら私立ち直れないかも。

 はぁ……やっぱり、臆病な部分は何も変わっていない。夏休み前の私のままだ。臆病を捨て去ったとか言ってすいませんでした。ごみ箱に捨てたと思ったけど、外れてしまっていたらしい。ごみ箱を外れて、部屋の床を転がって、また私の手元に戻ってきてしまった。いや、そもそも部屋に置いてあるごみ箱なんかに捨てられないほど大きかったのかもしれない。

 なんて考えて、さわやかな朝だったのに少しだけ憂鬱な気分になってしまった。

 藤原さんのことを考えているときは楽しい。藤原さんとアプリでやり取りしている間はもっと楽しい。でも、今日みたいに会いたいとか考え始めると、最後には少しだけ憂鬱な気分になる。恋って言うのは楽しいだけではないのだ。少女漫画で言っていたことが、まさか自分の身に降りかかるとは……。


「あぁー……連絡来ないかなー」


 ソファでゴロゴロしながらそんなことをつぶやく。手にはスマホを握りしめている。

 自分で連絡を取る勇気もないくせに、そんなことだけはいっちょ前に願うなんて何様だろう。

 おこがましいことだと思う。連絡が欲しいなら自分で送れよとも思う。でも、送れないのだ。別に何か制限がかかっているわけじゃない。かかっているわけじゃないけど、送れない。私の心は複雑だ。初めて、自分で自分が信じれないと思った。

 こんなんじゃだめだ。こんなことばっかり考えていたらどんどん気分が盛り下がって行ってしまう。せっかくのお休みだっていうのに、それは避けたい。

 私は気分を変えるためにテレビのリモコンを手に取った。別に見たい番組があるわけじゃないけど、気分を変えるためにテレビをつけようと思ったのだ。それに、何か面白い番組が見つかってそれに集中できるかもしれないし。

 テレビの電源を点けたその時だった。握り締めるのをやめて諦めてテーブルの上に置いたスマホが独特のバイブレーションで着信を知らせた。

 特定のパターンで繰り返されるこの振動は――


「藤原さん!?」


 藤原さんからだ! しかも、いつもみたいなメッセージの着信じゃない! 電話だ! なんで!?

 連絡着てほしいなーなんて思っていたすぐ後だったから、スマホを手に取るのに時間がかかってしまう。だって、本当に来るなんて思わなかったし――!

 あたふたとスマホを手に取って、画面を確認する、そこにはやっぱり『着信:藤原大洋さん』という文字があって。

 で、出なきゃ! あ、あ、て、テレビ消さなきゃ! 音うるさいよね!?

 点けたばっかりだったテレビの電源を消す。

 やだ、すっごい緊張する。なんだろう、なんで電話なんかしてきたんだろう。そんな疑問が浮かぶ。

 けど、早く出なきゃ切れてしまう。電話をしてきた理由は電話に出ればわかるはず。切れる前に出なきゃ。

 通話ボタンをタップする。スマホを自分の耳に当てる。すっごいドキドキする。心臓の音が藤原さんにまで聞こえてしまうんじゃないか、なんて心配までしてしまう。

 そして、電話口から藤原さんの、いつものあの声が聞こえてきた。


『あー、もしもし? 楓ちゃん?』

「は、はい! そうです!」


 緊張で、声が上ずってしまうんじゃないかと思った。ていうか、ちょっと上ずったかも。どもっちゃったし。

 そんな私の様子に気付いてか気付かないでか。たぶん気付いてるんだろうなー……恥ずかしい。ともかく、藤原さんは少し苦笑すると、話の続きを始めた。


『この間海の約束破っちゃったじゃん? あの時に別のことで埋め合わせするって言ったの覚えてる?』


 それは、もちろん覚えている。でも、さっきも思った通りそれは海で一緒に遊んだことでなくなったと思っていたものだ。でも、この藤原さんの口ぶりからするに、もしかして……

 そんな期待を込めて私は返事をする。


「もちろん覚えてます!」

『おー、じゃあさ、今度の日曜日って空いてる?』


 これはもしかして、もしかしなくともお誘いだろうか。お誘いなのだろうか。こんなことがあっていいのか? 一人でうだうだ悩んでうじうじしていただけの私に、藤原さんの方からお誘いがかかるなんて!

 今度の日曜日っていうと……夏休み最後の日曜日だ。

 あれ? そういえばこの日って……


「空いてますよ」


 返事をしながら、日曜日がなんの日だったかを思い出す。この日は私の街で夏祭りがある日だ。少し遅めの夏祭り。夏休みが終わるなーという実感を持たせてくれる夏祭りで、いつもは家族やら友達とやらと行っていた。

 まだ藤原さんがあこがれだけの存在で、私の好きな人になる前。藤原さんと一緒に夏祭りに行く、みたいな妄想はしたことある。今みたいに藤原さんの人柄をある程度知った後とかじゃないから、その妄想はめちゃくちゃだったけど。

 でも、好きになってからはそんなことを考えたことなんてなかった。なんだろう。妄想してた頃は現実味がなかったから逆に考えられていた。でも、今は自分が藤原さんとお祭りだなんて実感がわかなくて、想像できなかった。だから考えたこともない。

 けれど、このタイミングで、この電話。日曜日空いてる? という質問は、もしかして――


『じゃあ、日曜の夏祭り一緒に行こうよ。この間の埋め合わせってことで』

「行きます!」


 藤原さんのまさかのお誘いに、私は即答していた。

 だって、行きたいし。

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