緩いパーマのあの人

 水着に着替えて、爽子と日焼け止めを塗りあって、その上からパーカーを羽織る。爽子はTシャツだ。

 それから和樹が待っている場所へ向かう。思ったより時間がかかってしまったから待ちわびていることだろう。ついでにジュースも温くなっているかもしれない。さすがにそんなに時間は経ってないか。

 人の波をすり抜けてビーチへ。それから和樹の待つシートへ。

 シートでは、また和樹がスマホを弄って待っていた。傍らにはジュースも置いてある。

 ちなみに来る途中でコンビニで買ったジュースはここに到着する前に車の中で飲み干してしまった。暑いから仕方なかったのだ。だって暑いし。


「和樹お待たせー!」


 爽子が和樹に駆け寄る。私もそんな爽子に付いて行く。

 和樹はスマホを弄る手を止めて顔を上げた。


「女子高生の水着姿、どうよ!」

「何か言うことあるんじゃないのー?」


 顔を上げた和樹に対して、そんな風におどける。和樹のために買った水着ではないとはいえ、感想を求めるくらいはいいだろう。まあ、買った時点で和樹は水着のこと知ってるんですけどね。それとこれとは別なのだ。


「とりあえず感想を求めるんならシャツとパーカー脱いだら?」


 真顔で和樹が言う。


「一理ある!」

「けど空気読めてない!」

「読む空気なんてなかった」


 なんて笑いながらみんなでビーチボールや浮き輪の準備をする。口で膨らませたり、足で踏むポンプで膨らませたり。

 それからは、完全に遊ぶモードに入った。

 海に入って遊んだり、ビーチバレーをしたり、砂浜で砂を掘ったりお城を作ろうとして失敗したり。

 和樹は「やべー、超つかれる」なんて言いながらも付き合ってくれた。もちろん爽子と私は目いっぱい楽しもうと、全力で遊んだ。

 ビーチバレーなんか二人とも運動部でもなんでもないくせにやけに盛り上がって、体中砂まみれになりながらも全力で飛び込んだりした。

 そのあとはまた海に入って砂を落として、浮き輪で海にぷかぷか浮いていたり、ジュース飲んでのんびりしたり。

 とにかく全力で楽しんだ。

 目いっぱい楽しんで、時間が過ぎて。時刻はお昼頃。そろそろお昼御飯が欲しい時間だ。


「お昼ご飯どうする?」


 二人に問いかける。二人は砂で山を作る手を止めて、少し考えるそぶりを見せた。


「海の家あるじゃん? あそこで何か食べよーよ」


 爽子がビーチにある海の家に向かって指をさしながらいう。私も賛成だ。というか、最初から海の家に行く予定だったし。

 海の家でご飯を食べるのも海での楽しみの一つだ。


「それでいいんじゃない? わざわざ向こうの方のお店まで行くのもめんどくさいし」


 和樹もそれに賛成する。商業施設のところまで行こうとすると少し距離があるからだろう。実際、私もめんどくさいし。


「じゃあ海のいこっか。何食べるー?」


 海の家に向かって歩き出しながら尋ねる。かき氷とか、焼きそばとか。まあかき氷はご飯じゃないけど、暑くてご飯が喉を通らなくてかき氷で済ませるような人もいるみたいだし。選択肢には入るだろう。単純にご飯を食べた後に食べるのもありだ。


「私はかき氷でー」

「かき氷ってご飯じゃなくね? 俺はカレーで」

「私は焼きそば。まあ暑くってご飯食べられないってこともあるし、かき氷でもいいんじゃない?」


 海の家に着く。人がいっぱいで待つかなーと思ったけど、ちょうど席が空いたみたいで座ることができた。ラッキー。

 手早く注文して、出てきたものを食べる。


「おいしい! どうしてこういうところで食べる焼きそばっておいしいんだろうね」

「そりゃ、あれだ。雰囲気だろ?」

「その言葉で雰囲気が台無しじゃん」


 かき氷を食べつつ爽子がツッコむ。「頭キーンってするー!」なんて言いながらもしゃくしゃくと食べ続けていた。

 焼きそばはおいしかった。ソース味のオーソドックスな味だけど、やっぱり雰囲気がそう感じさせるのかな?

 焼きそばを食べ終わって、爽子からかき氷を一口もらう。ブルーハワイの独特な甘みが口の中に広がって、冷たくておいしい。私も後でかき氷頼もうかな、なんて考えが頭をよぎる。

 和樹のカレーは熱そうだった。そして暑そうだった。汗だくになりながらもカレーを食べている。カレーが好きな子どもみたいだった。







 海の家でご飯を食べ終わって少しして。私たちはシートの場所まで戻ってきていた。時間はお昼過ぎで、帰るにはまだ早いかなーというような時間帯だ。このまま海で遊び続けるのもいいし、せっかくだから近くの水族館にいってもいいかな、なんて考えも浮かぶ。こういう機会でもなければ水族館なんて行こうと思わないから。

 でもその前に、ちょっとトイレに行きたい。暑いからってさっきのお昼の時に水を飲みすぎてしまった。午前中はそれこそ汗で全部流れてたけど、ご飯を食べてからはろくに動いてないから、ちょっとね。

 「これからどうするー?」と話し合っている二人に声をかけてトイレに行く。更衣室の近くに仮設のトイレが設置されていたはずだから、そっちの方に向かう。

 海にはいろんな人がいる。さっきも言ったけど、家族連れとか、友達どうしとか、カップルとか。友達どうしっていうのは女だけのグループもいれば男だけのグループもいる。もちろん私たちみたいな男女のグループもいる。

 そんな人たちを横目でちらりと見ながらトイレに入る。さっさと済ませて、爽子たちのところに戻ろう。

 次は、やっぱり水族館かな。いい加減暑いしね。涼しいところに行きたーい! って体が叫んでる気がする。

 うん。そうしようか。だからさっさと戻ろう。






 ……そう思っていた時期が私にもありました。

 まさかとは思った。でも、こういうことを避けるために和樹に付いてきてもらっていたのだ。それを忘れて、何の警戒もせずに一人でのこのこ歩いていたのが悪いといえばそうなのだろう。

 だからって、まさか本当にあるとは。


「ねぇ、君今一人?」


 なんて、声をかけてくる男性。私より少し年上で、肌が小麦色に焼けている。黒に近いこげ茶の髪をワックスでセットしていて、顔はまあまあかな? って感じ。ただ、じろじろと私を遠慮なく見まわしてくるその眼差しで、すべてを台無しにしている。

 率直に言って、その視線は気持ち悪い。猫撫で声なのもマイナスだ。まあプラスだったところでどうなんだって話なんだけど。


「友達と来てるので」


 そう言ってその男の人の横をすり抜けようとする。ナンパなんてされたことはないけど、でもこんなナンパなら一生されなくてよかった。


「えー! そんなこと言わずにさ! 俺友達が出かけちゃって今一人なんだよね。だからさ――」

「そんなこと聞いてません。それでは」


 たぶん、相手の呼びかけに反応した時点で失敗だったのだろう。反応したってことは、少なくとも少しは話を聞く気があるって見られるということだ。

 だから、反応してしまった私を逃がさないように、男はまた私の前に回り込んできた。


「俺の友達が帰ってくるまででいいからさ! 一緒にきてるって友達も一緒に俺と遊ぼうぜ! な?」


 そう言って顔の前で両手を合わせる男。お願いしているつもりなのだろうが、態度が下品でとてもではないが一緒にいたいと思えるような雰囲気ではなかった。

 こう言ったらなんだけど、もっと頭の軽そうなギャルみたいな女の子に声をかければよかったのに。そうすれば万に一つの確率で一緒に遊べたかもしれないのに。

 ……あれ? もしかして私って頭の軽そうなギャルって思われてる? うそ! ほんとに?


「他の人を誘ったらどうですか?」


 私は頭軽いギャルなんかじゃないよーと内心で思いつつ、そう返す。いい加減にしてもらいたい。私は早く戻りたいのだ。それに、せっかく目いっぱい遊んだ今日みたいな日に、こんな気分の悪くなるような出来事に時間を割きたくない。


「酒とか、楽しいもんいっぱいあるからさ! 頼むよー」

「しつこいです」


 そう言って、もう一度男の横を通り過ぎようとする。すると、今までへらへらと笑っていた男が、急に怖い顔になった。


「こっちがこんなに頼んでるのによぉ……」


 舌打ちが聞こえて、男が私の腕をつかむ。


「いたっ」


 ギリギリと、赤くなりそうなほどの強さで腕をつかまれて、小さく悲鳴を上げてしまう。

 男の顔はすごくイライラしていて、さっきまでの雰囲気とは全然変わっていた。

 今更ながら、私はそこで初めて目の前にいる男に恐怖を感じた。どこかで、手は出してこないだろうと思っていたのだろう。人も多いし、さすがにそんなことをしでかすような人じゃないだろうと。

 でも実際は違った。私は私の認識の甘さに内心で歯噛みする。

 やだ、痛い! 


「うで、離してくれませんか……?」


 震えそうになる声で、それだけなんとか絞り出す。

 男はイライラしていたのが一転して、またにやついた顔に戻っている。私が怯え始めたのが伝わってしまったのだろう。


「さっきまでの強気な姿勢の方が好みだったんだけどなぁ」


 なんて、いやらしい笑みで迫ってくる。

 キモイ、臭い、離して、やだ、怖い――様々な思いが私の胸の内を駆け巡る。

 周りの人は見て見ぬふりだ。いや、本当に気付いていないのかもしれない。たんなるよくある光景だと。海に来れば毎年どこかしらで見る光景だから、気にする必要はないのだと。

 私もそんな気持ちだった実際に私がこんな目に合うまでは。今は、ひたすらに助けてほしい。でも、周りの人は助けてくれない。

 声が、出ない。喉が引きつっている。怖かったりすると声が出ないって言ったりするけど、本当だったんだ。

 なんて、頭の隅で考える。少しだけの現実逃避。


「なあ、ちょうど友達も戻ってきたことだし、遊ぼうぜ?」


 男が私の顔に顔を近づけてきて、そんなことを言う、視線は私の後ろの方と私の顔を行ったり来たりしている。本当に戻ってきたのか、後ろが見れない私への脅しなのだろうか。

 とにかく、私は喉が引きつって、体も震えて、抵抗らしい抵抗ができなかった。

 だって、こんな経験なんてないし。男に迫られたことなんてない。こんなに近づかれたことだって、お父さん以外ないのだ。

 それが、こんな、ナンパ男に……。憤る部分も確かにある。でも、それ以上に恐怖が強かった。

 今、私は一人だ。周りは無関心。

 やだ、ほんとにもう……! なんで私の体動かないの! どうにかしなくちゃいけないのに!


「じゃあ、あっち行こうか?」

「いやっ!」


 反射的に、それだけ声を出す。でも、そんな些細な抵抗も、男に強引に腕を引っ張られてなかったことにされてしまう。

 このままでは本当に連れてかれてしまう。

 怖い。嫌だ。誰か助けて。お父さん。お母さん。爽子、和樹――

 最後にふと浮かんだのは、緩いパーマの、黒髪の男性で。


「おい、俺の彼女に何やってんの?」


 そう言って私の後ろから男の腕を振り払ってくれたのは。


「あぁ!? なんだよお前。邪魔すんじゃねーよ!」


 緩いパーマの黒髪で、何かを必死に伝えるような、そんな低い素敵な声を響かせる。


「この藤原大洋様の彼女だって言ってんの。聞こえなかったのか?」


 『Bedeutung』のリーダー、藤原大洋さんだった。

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