Ep.2 ゲリ

 その前日。ミュンヘン。


「なんなのよ、あの女は!」


 食卓を挟みヒトラーに罵声を浴びせる少女。いや、少女と言ってもその歳はすでに20を超え、23歳となる。しかし、そうは見させない風貌は、彼女の天真爛漫なる性格の為であろうか。


「ただの写真家の助手だよ、ゲリ」


 ゲリ・ラウバル。彼女はヒトラーの異母姉、アンゲラ・ヒトラーの娘であり、ヒトラーの姪にあたる。


「ふざけないでよ。知ってるのよ。エヴァ・ブラウン。あの女、あなたにラブレターなんかよこしてきたわ」


 ゲリが懐から手紙をとってみせる。


「それは…知らん」

「知らないですますつもり?いつもそうじゃない。エミールを解雇したのも、オスカルが去って行ったのも、あなたの仕業でしょ?」


 ヒトラーは殊更にゲリを寵愛していた。その関係は叔父、姪のそれを超えるもので、周りの人間も周知の事実として認めていた。エミールは、運転手を務めていた親衛隊の指導者。オスカルはゲリと交際をしていた画家である。いずれも、ヒトラーの画策により、ゲリの前から姿を消した。


「あなた、言ったわよね?世界の全てを私にくれるって。なに?ベッドの上の世迷言?」

「ゲリ、よさないか!」

「いいえ、やめないわ。それがなければあなたと一緒にいる価値なんてないの。早く私に頂戴よ、世界の全てを」

「世界の前に、まずはこの美味な食事を味わいたまへ。せっかくシェフが用意してくれたんだ」

「私は肉は食べないわ。子羊のダンプリングはあなたの好物でしょ?私の事なんてなにも考えてないじゃない」

「ゲリ……いいかげんにしないか」

「知ってるのよ。あの女、ユダヤ人の血が混じってるでしょ。ユダヤを擁護する為にあなたに近づいているんだわ。許さない。あの女の好きになんてさせないんだから」

「やめないか……」


 ヒトラーは背後に控えた親衛隊に視線で助けを求める。


「ヒューラー(指導者の意)、そろそろご出発のご支度を」

「おお、もうそんな時間か。ニュルンベルクで幹部会であったな」

「はっ」

「ゲリ、悪いがこの話はまた今度にしよう」


 言うと、ヒトラーはナイフとフォークを置き、ナプキンで口元をぬぐう。


『ガチャン』


 ゲリは、激しくテーブルを叩きつけ、ヒトラーを睨む。


「さあ、行こうか」


 ヒトラーは一瞥することもなく席を立ち、部屋を後にした。


「私はおじさんとは違う……。私はおじさんみたいにはならないわ。回りくどくてぬるいのよ。見てなさい……」

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