『眞白の過去』 その10

「珍しいな。旭姫が遅刻なんて」



「五分遅れただけでしょ」



「たかが五分、されど五分だ。自分でいつも言ってるじゃないか。オーディション参加者はたぶん控室でしびれを切らしてるぞ」



「それはそうだけど……」



 扉を開けるなり、司狼がリーダーの顔で説教をしてくる。



「ちょっと面白い人がいてね。僕に憧れてるみたいだった」



「するとお前はあれか、ファンサービスをしていて遅刻したというわけか」



 果たして、あれはファンサービスと呼べるものなのだろうか。確かに、最初はそのつもりで声をかけた。今日のオーディションに来たということは、少なくとも『Nacht』に悪い感情は持っていないはずだ。オーディションに受かる受からないに関わらず、優しくしておいても損はない。



 ただそれだけだったのに、気がつけば自分に傷ができていることにも構わず彼の手当てに徹していた。らしくない言葉までかけてしまった。



 自分は、名前も知らない彼を見て、何を想ってしまったのだろう。誰を思い出してしまったというのだろう。



 事故の直前の母は、あんな風に、今にも泣きそうな顔で舞台袖で蹲っていたのかもしれない、なんて。



 顔を上げ、縋りつくような表情を見せた彼に、一筋の光を見つけたと言わんばかりの彼に、そんなことを思ってしまった。



「それにしても、司狼も思い切ったことしたよね。『Nacht』のメンバーをもう一人増やしたい、なんて」



 もともと、『Nacht』は旭姫と司狼の二人だけで充分なはずだった。少なくとも、学園長の秋彦からはそう聞いている。



「……親父が木虎空とユニットを組んでいた時は、メンバー増員の話があっても、頑として聞き入れなかったそうだ」



 天生目秋彦は、『Nacht』に自分の過去の栄光を重ねているに過ぎない。



「だが、俺達と彼らは違う。ここでそうはっきり示しておきたかったんだ」



「だからって、いきなりテレビ局に手を回してお偉方の目をかいくぐってその場で募集をかけることになるなんて思わなかった。あの時は僕もひやひやしたし……司狼も学園長からお叱りを受けたんじゃないの?」



「叱られるも何も、あの人は端から俺のことなど眼中にないさ」



「ふぅん……まあ、司狼がそれでいいって言うならいいけど。それに、僕も三人目を迎え入れるのが楽しみになってきたし」



「それはさっき言っていた面白い奴と関係があるのか?」



「そうだよ。さっき、すごい『魔力』の持ち主を見つけたんだ。彼の姿を見た時、暴走を引き起こしそうなのは一目で分かった。だから警戒して話しかけたんだけど、僕の警戒なんて無駄になってしまうくらいに強い力だった」



「暴走? それは新メンバーとしてはあまり好ましくない傾向だが……」



「だからこそのオーディションだよ。もし、彼がメンタルを持ち直して合格できたなら、僕は彼を『Nacht』の三人目にしたいと思う。絶対に損はさせないよ。きっと、司狼好みの面白い展開になると思うから」





 オーディション会場の隣にある関係者控室でこのような会話が行われていたことは、もちろん、眞白は知る由もなく――。




♦♦♦♦♦



 このままでいてはいけない。いいわけがない。そんなこと、眞白は百も承知している。



 できるだけ早く、旭姫に謝らなければ。



 できるだけ早く、旭姫を安心させなければ。



 旭姫の力になりたい。旭姫の目標を『Nacht』で実現させたい。



 その一心で、眞白は『Nacht』のメンバーとしてここまでやってきた。



 『星影学園』に入学するまで、オーディションに合格して『Nacht』のメンバーになるまで、眞白は光を失い、暗いトンネルの中にいた。



 アイドルという存在に救われるまで、生きる希望も許しも見つけることができなかった。



 旭姫や司狼と一緒に歌やダンスを習い、ライブの企画し、やり遂げることが楽しかった。



 ライトに照らされる舞台に立つことで、初めて自分の世界が煌めいて見えた。



 そのすべてのきっかけになったのが、旭姫への憧れだったのだ。



 自分が今置かれているこの状況は、打開すべきだ。そんな風に思うのは何年振りだろう。



 そう思っているのに、分かっているのに、ベッドに沈み込んだ身体は思いままだ。



 まだ、天井がふやけて見える。



 まだ、犬色眞白はひとりで涙を流すことしかできやしない。

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