『不穏な雲行き』 その10

 連絡を待っている。外の慌ただしさからは切り離された別空間のような楽屋の中で、学園長からの連絡を待っている。



 楽屋にいるのは、旭姫と眞白の二人だけだ。司狼と眞白が殴った相手は念のため病院に行っている……らしい。というのは、旭姫が連絡した後、すぐに学園長の使いの者だという人が来て、とりあえず病院に連れていくと司狼と重要参考人の二人を車に乗せていっただけで、真相の確かめようもないから。



 静寂が包み込む部屋の中で、ただ、テレビ画面に映し出されている『Bell Ciel』の『プレライ』映像だけが、唯一の極彩色溢れる音楽だった。



 息を吞むように、呼吸することすらも忘れて、二人は『Bell Ciel』のパフォーマンスに魅入る。



 ステージの上に立つ彼らをじっくりと見たのは、今回が初めてだ。以前は、ライブのリハーサルを遠目にちらりと見ただけだったから。



 二人とも、無言だった。旭姫は、『Bell Ciel』のライブを見ながら、呆然としているようにも見えた。



 『Bell Ciel』の三人は、計算されつくした動きで、ステージの端から端へと動き回る。目の前にいる数人の観客に向けて、目にも鮮やかな魔法を使う。



 どこまでも広がる美しい青空を思わせるような曲と、広がり舞う羽根。鳴り響く壮大な音楽。



 少し前のトラブルによる緊張感などそこにはなかった。急な出演の変更があったと言っても、スタッフの戸惑いや混乱を伝播させることもなく――むしろスタッフ達すら、自分達の、『Bell Ciel』の魅力に巻き込んでしまおうと考えながら、彼らは『プレライ』を着々と進めていった。



 旭姫は、画面を見つめたまま、一言も発しはしない。眞白を責めることもしない。責めても、『Nacht』が『プレライ』に出られないというこの現状が、変わることはない。



 眞白は心配になって、旭姫の方を窺う。



 画面の光に照らされて、旭姫の頬に一粒、輝く雫が伝っていく。



 言葉もないまま、涙だけが、淡々と頬を伝っていく。



 旭姫は泣かない。だって、強いから。



 そんな眞白の中にあったささやかで、けれど決して揺らぐことのない常識が、覆されてしまった瞬間だった。



「…………た」



 ようやく旭姫が発して一言は、震えてはいないが、とても小さなものだった。



 最初は、上手く聞き取れず、眞白は恨み言を言われているのだと思った。頭に血が上って、今まで一度も人を殴ったことのなかった自分が、暴力事件を起こした。そしてそれをカメラに撮られてしまった。どれだけ『Nacht』の看板に、名誉に、努力に、積み重ねてきた財産に、傷をつけてしまったことだろう。



 だから、恨み言の一つや二つ、言われたって仕方がない。一生恨まれてしまっても、仕方がない。



 そう思っていたのに、旭姫が呟いたのは、恨み言ではなかった。



「……本来、今、あのステージに立っているのは、僕達だった」



 旭姫が流した涙も、呟いた言葉も、すべてやり場のない悔しさから発せられたものだった。



 旭姫の言葉を受けて、眞白も泣きたくなったけれど、ぐっと堪えた。



 今、ここで、自分が泣く資格なんてないと思ったからだ。

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