第2話 手掛かり編

 ミステリー同好会の先輩、一条くんがましろさんに残した謎解き。

 までこさんは二枚目のカードを手に取ると二人に見せるようにしながら問いかけます。



「さて、諸君。この暗号文を見て何か気がつくことはないかね?」


「ハイ! “つ”が多いっす!」



 元気に挙手するアトソンくんに残念な視線を投げかけるまでこさんです。憐れみの目で見つめられてときめくアトソンくんを後目に、今度はましろさんがおずおずと手を挙げました。



「あの、もしかして、“手紙”……ですか?」


「その通りだよ、真白さん」



 宛名、本文、差出人、そして封筒、この暗号は一条君が出した手紙なのだよ――と言葉を続けます。



「問題は誰に宛てた手紙かという点だけれど……」


「ハイハイ! 判りましたよ! これは内井さんに宛てた手紙っすね!」


「誰かなそれは?」


「『タゴの裏に内井出てみれば』……きっとタゴさんちの裏で内井さんを待ってるというようなことが書いてあるんすよ! つまり全国のタゴさんちの裏にいる内井さんを探していけば……!」


「何もかもが違うよアトソン君」



 いつだって本気の全力がアトソンくんのいいところです。一方、本人の全力に対して頭が置いていかれてしまっているのがアトソンくんのちょっぴり残念なところなのです。



「田子の浦とは今の静岡県にある海岸だ、この歌はそこから見た富士の景色を詠んだものなのだよ。まあ、順当に考えるならば彼が真白さんに宛てた手紙というところだろうね」


「わたしにですか?」


「そう。もう一度百人一首と万葉集、それぞれの歌を見比べてみるといい」



【百人一首】

〈田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ〉


【万葉集】

〈田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける〉




「言い換えられた言葉を元に暗号の宛名を直すと……」



 ハッとましろさんも気がつきます。



「〈白妙の〉が〈真白にそ〉に……つまり、宛名の“白妙様”は、“真白様”になるんですね!」



 一条くんからましろさんへのメッセージ。までこさんの手にあるカードを、ましろさんは驚きと共に見つめます。

 アトソンくんも横から身を乗り出します。



「それで、こっちの暗号の意味は!?」


「さて……それはまだ何とも言えないね。真白さん、彼の転校先は?」


「栃木県日光市です」


「ふむ。田子の浦とは現在の静岡県、駿河湾の縁沿いにある。土地柄との関係の線は薄そうだね」


「……日光……いろは坂……いろは歌……そういえば……」



 ぶつぶつと口の中で反芻を始めるましろさんに、までこさんが「どうしたのかな?」と尋ねます。



「あ、すみません。そういえば先週、一条先輩がいろは歌の話をしていたなって思い出して。通学路に最近新しく開店した“憩いの場・喫茶『夢』”という店の横を一緒に――あっ、たっ、たまたま一緒に通学していた時にっ、その話が出たんです」


 途中からわたわたと慌て出すましろさんです。恋する乙女のましろさんはいつも通学時間を先輩に合わせつつも偶然を装い一緒に通学していたのですが、賢明なまでこさんは挙動不審なましろさんの態度に触れないでいてあげました。



「なんか、顔赤――……」



 余計な事を言おうとしたアトソンくんの手の甲を扇子でぺちんと叩いて、までこさんが話を繋げます。



「いろは歌といえば謎が隠された歌として有名だね、一条君ならば当然知るところだろう」


「謎ってなんすか?」



 アトソンくんのソボクな疑問に、までこさんは再びホワイトボードにペンを走らせます。



〈色は匂へど 散りぬるを 我が世誰そ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず〉



「いろは歌は和歌であり、ひらがな47文字を一字ずつ使用して詠まれたあそび歌だ。しかしてこの歌を7文字ずつに分けた時、それぞれ最後に来る文字が……」



いろはにほへと

ちりぬるをわか

よたれそつねな

らむうゐのおく

やまけふこえて

あさきゆめみし

ゑひもせす



 “咎なくて死す”



「……このような一文が隠されている。柿本人麻呂が無実の罪を着せられ世を儚んだ歌という説もあるのだよ」


「へ~」



 素直に感心するアトソンくん。対して、ましろさんもその場で頷きます。



「やっぱり、までこ先輩もご存じだったんですね」


「やはり、とは?」


「先輩がこの話をしてくれた時、『万研部のまでこ君ならきっとこれくらい知っているだろうな』って言っていたんです」


「真白さんはその折に彼から私の事を聞いたと?」


「はい。日本の古典文学に造詣が深く、先輩と謎解き勝負で渡り合うほど聡明なひとだと聞きました」



 ましろさんは思い出します。

 通学路にある“憩いの場・喫茶『夢』”……気になるけれど、私なんかが入るのはためらってしまう程お洒落で落ち着いたお店だと、隣を歩く想い人に話したのでした。

 でもいつか先輩と一緒に入るのが私の“夢”……そんなことを考えて顔を緩ませたり赤くしたりと忙しいましろさんを見て、彼はいろは歌の話をしてくれたのです。

 古き賢人の遊び心と謎掛けへの浪漫をそれは楽しそうに語っていて、その笑顔が朝日に負けないくらいまぶしくて、思わず目を細めたことを覚えています。


 まさかその数日後に先輩が転校してしまうなんて。



「……先輩は自分が日光に行ってしまうから、いろは坂にちなんでわたしにこの話をしたんでしょうか」


「もしかすると、それだけではないやもしれぬよ」


「え?」



 意気消沈するましろさんに、までこさんが言います。



「いろは歌は七五調で綴られた和歌のひとつ、そこにいかにも謎解きに優れていると万葉研究部部長の私の名を出す。そして彼が用意した謎解きもまた和歌という私の領分だ。偶々にしては随分と共通項が多いのではないかな。彼はあらかじめ真白さんが困りし折には私を頼れるように……いや、むしろ君は初めから彼に誘導されてここにいるのかもしれない」


「ええーっ!?」


「そんなまさか、だって謎解きに悩んだとして、本当にヨーコさんの力を借りに来るかどうかなんて判んないじゃないっすか!」



 半信半疑なアトソンくんと打って変わってましろさんはもじもじと恥ずかしそうにしています。



「あの、わたし、先輩からよく『君はとても判りやすいな』って……言われます……」


「なるほど、全てお見通しというわけだね。謎を解くには百人一首だけではなく、万葉集の知識も要される。真白さん一人では荷が重かろうが初めから私を目当てと定めているならば……ふふふ、面白い。この私と和歌をかけた謎解き勝負をしようというのか!」



 までこさんの涼やかな目がにわかに熱を帯び、爛々と輝きます。泰然と佇むその周りに、しかして闘志という名の火の粉が舞い上がっているかのようです。



「ヨ、ヨーコさんがかつてない程燃えている……!」


「同好会の先輩たちに聞いたことがあります、去年までこ先輩と一条先輩は『おさらぎ高の探偵ホームズ』の名を賭けて熾烈な超推理合戦を繰り広げたとかっ!」


「なんすかそのバトル漫画みたいな戦いは!? でも情熱的なヨーコさんも素敵だなあ」



 盛り上がる二人をまでこさんは悠然と振り返ります。



「さて。ならば行くとしようか、諸君」


「ど、どこへですか……?」


「和歌は心を映す鏡だ。文字ばかり眺めてもその歌の本質を知ることはできまいよ。その歌が詠まれた心を理解せねばね」


「つ、つまり……!?」


「いざ我々もこれより富士の高嶺を眺めに行こうではないか!」





 三人は目の前の光景をただ仰ぎ見ていました。


 思い描けるでしょうか。

 海を横手に歩き開けた場所に出た刹那、目の前に雄大な姿で聳え佇む富士の山。天にも届かんとするその頂には雪が降り積もりなんとも清廉な白さを纏っています。

 ゴツゴツとした崖上には松。晴れやかな青さの中、雲海を遥か突き抜けた霊峰が空よりもなお蒼くそこにあります。目にも鮮やかに圧倒するようなその風景は――いえ、“風景画”は、見る者に一服の清涼剤を与えてくれるかのようです。



 …カポーーーン…


 どこか間延びした音が反響して湯気に曇った空間に溶けていきますが、ここではそれもまた風情。

 そう。こここそが奈良を出ずして富士を拝める場所、『銭湯』なのです。



「はぁぁ~~~、こ~いうことでしたか~~ぁぁ……」



 男湯にてアトソンくんが湯船に身を沈めつつしみじみと漏らします。頭の上にタオルを乗っけて「極楽極楽」と呟くのはお約束ですね。



「はふぅ……銭湯といえば富士山、ですね……」



 一方の女湯ではお団子結びでひとつに結い上げたましろさんがこちらも緩みきった表情で吐息を漏らします。



「きわめて身近に富士を感じることの出来るよい場所だろう? おまけに身体も温まる」



 絹のように艶やかな長髪を手拭いでまとめたまでこさんも一糸まとわぬ姿で湯あみを楽しんでいます。濡れた後れ毛が白いうなじに掛かり色っぽいことこの上なしです。


 学校のほど近くにある『西の富士銭湯』の浴場には男湯・女湯を貫く一面に大きく富士の絵が描かれています。二つの浴場は中央で仕切られ行き来は出来ませんが、絵の前の仕切りは一段低くなっていてどちらにいても同じ富士の絵を見ることが出来るのです。

 かといって仕切りを乗り越えてお隣を覗いたりなんてしたらいけませんよ?



「山部赤人が詠んだ富士の歌には、対となる和歌があるのだよ」



 雲海から覗く富士の絵を見上げながら、までこさんはしっとりと落ち着いた艶やかな声で淀みなく詠います。



天地あめつちの 分れし時ゆ

 かんさびて 高く貴き


 駿河なる 不尽ふじの高嶺を

 天の原 振りさけ見れば


 渡る日の 影も隠らひ

 照る月の 光も見えず


 白雲も い行きはばかり

 時じくそ 雪は降りける


 語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ

 不尽の高嶺は〉



「なんか……すげーっすね」


「きれいな歌です」


「でもなんでそんなに長いんすか? 確か和歌ってゴーシチゴーシチシチ? って奴っすよね?」



 まだ陽が出ている今の時間帯は浴場もそれほど混雑していません。そのためまでこさんたちは仕切りを挟んでのんびりとお喋りを楽しみます。壁を挟んで男湯と女湯で言葉を交わすなんて、アトソンくんたら羨ましいですね。



「和歌には五七五七七で結ぶ短歌と、五七五七……と続き七七で結ぶ長歌とがあるのだよ」


「へー、やっぱアカヒトさんも短歌だと短すぎって思ったんすかね」


「アトソン君……」


「あれっもしかして俺また変なこと言っちゃいました?」



 焦った声を上げるアトソンくんに、までこさんは「いや」と答えて首を振ります。



「真理かもしれないね。かの霊峰の尊さは言尽くしてなお語り尽くせぬ。そしてまた万感の思いを抱きその姿はみそひともじに集約される――……


〈田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける〉」


「ん? 違いますよヨーコさん、そこは『タゴの裏に内井出てみれば』……ですよ! やだなぁ~間違えちゃって。覚え方はタゴ商店の裏に住む内井さんがぁ――…」



 ハァ、と露に濡れた口許から悩まし気な溜息を零すまでこさんです。まるで「少し見直すとこれだ」とでも言わんばかりです。



「アトソン君、この歌は百人一首と万葉集では異なる歌になると教えたね? 一条君の暗号で使われているのは百人一首、私が今読んだのは万葉集なのだよ。然るに〈白妙の〉は〈真白にそ〉に……そこ以外にも異なる部分はこれだけある」



 〈田子の浦ゆ〉は〈田子の浦に〉に


 〈白妙の〉は〈真白にそ〉に


 〈雪は降りつつ〉は〈雪は降りける〉に……。



 そこまでを口にして、ハッと気がつくまでこさんです。



「〈白妙〉は〈真白〉に、百人一首は万葉集に……そうか、そういうことか! ふふ、一条君ときたら、田子の浦の富士の歌だけでは解けない難問を出してくるとはつくづく一筋縄ではいかない男だ。真白さん、この暗号を解くためには百人一首の、ある別の歌が鍵となるのだよ」



 ましろさんはキョトンと丸い目を瞬かせます。



「別の歌、ですか?」


「そうとも。全ての秘密は〈白妙〉の中にあり、だ!」



 ついにたどりついた真相にざばっとお湯をかき分け立ち上がるまでこさん。

 ヒメウツギのように可憐な肢体が露となりますが――乙女の秘密は湯気の中、ですよ?




◇つづく◇






===


◇謎解きのススメ◇


までこさんによると百人一首だけでなく万葉集が深く関係するらしい。



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  白妙様


      にまで待ちつづつつ


                  一条


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



◇ヒント1

百人一首を万葉集に


【百人一首】

〈たごのうらに うちいでてみれば しろたえの ふじのたかねに ゆきはふりつつ〉


【万葉集】

〈たごのうらゆ うちいでてみれば ましろにそ ふじのたかねに ゆきはふりける〉



◇ヒント2

暗号をすべて解くためには百人一首の別の歌が必要


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