第35話 別れ後篇

「ロン毛の怖そうな男にナンパされて、薫がついて行っちゃったの! 早く助けないと何をされるか……。私、止めようとしたんだけど……」

 綾は泣きながらそう言った。

「警察……」

 結菜がスマホを取り出して、110番しようとすると、

「よせっ! 電話するだけムダだ。ナンパじゃ、警察は何もしてくれない」

と佐藤が制止する。

「拉致……拉致されたって言えばいいでしょ!」

 結菜が食い下がるが、佐藤は首を横に振る。

 その意味を結菜もわかっていた。警察に通報するということは、支配人を大きく傷つけることになる。自分ならまだしも、他人に迷惑をかけて父親が通報されたら、そのショックは計り知れない。それでも、結菜は、今は薫の安全を優先しようとしたのだ。


 俺もない頭を絞って考えていると、

「135号線から来た工藤さんが、あの車とすれ違わなかったということは、渋滞を回避するために伊豆スカイライン方面へ向かった可能性が高いわ」

 三上がそう推測する。

 俺と結菜と綾がまだ停まっていたタクシーの後部座席に乗り込む。

「三上さんも来て!」

 結菜が頼むと、

「わかったわ」

と三上は答えて、助手席に乗った。いつに増して落ち着いて見えた。

 佐藤と美樹は、タクシーの定員がいっぱいで乗れないというより、支配人のそばにいることを選んだようだった。


「伊豆スカイラインで熱海方面に向かってください」

 三上が運転手に行き先を告げる。

「結構、距離ありますけど……」

 運転手の不安は不要だった。

「お金ならあります!」

 俺と結菜は、支配人から受け取った給料袋からお金を取り出して、運転手に見せた。

「そういうことなら……」

 運転手は伊豆スカイラインに向かって、タクシーを走らせ始める。


 俺と結菜は切なくなっていた。三上も給料袋に入っている金額を確かめていた。聞いていた金額よりも、一万円ずつ多く入っていた。『余裕はない』って言っていたのに……。

 そして、結菜のスマホに、美樹からlineのメッセージが届く。先ほどのオーナーの車の写真を美樹が送ってきてくれたのだ。

 綾は結菜のスマホを手に取ると、

「この車です。この車を追いかけてください!」

と運転手に見せた。

「そう言われてもねえ。難しいと思いますねえ」

 俺たちに期待させないように、運転手は正直に答えた。

「他の空車のタクシーも利用させてください。あとでお金は払いますから、この車を捜してもらってください」

 三上がそうお願いする。

「……見つけられる保証はないよ」

 運転手がそう言うと、

「お願いします!」

 俺たちは迷わずにそう言った。

 運転手は無線で本部に事情を説明し、伊豆スカイラインを走行中、もしくは近くにいる空車のタクシー5台に応援を頼んでくれた。

 そして、佐藤からlineに『俺たちは念のために、135号線に向かう』とメッセージが届く。タクシー7台態勢で捜せば、見つかる可能性は十分にあるように思えた。


「ところでお客さん、見つけたらどうしますかねえ?」

 運転手が三上に尋ねる。

「ぶつけてください」

 俺がそう答えると、『えっ?』と全員が俺のほうを向いた。そんなに変なことを言ったかな?

「ぶつけて、止まってください。そしたら、あいつも車を停車させるはずです」

 ほら、我ながら素晴らしい作戦ではないか。

「ですが、お客さん、そんなことしたら、怪我させてしまうかもしれないし、車だって……」

「車の修理代なら、俺が払います。ちゃんと貯金がありますから、心配ありません。ケガのほうは、運転手さんの腕にかかっています」

「参ったねえ……」

「他の運転手さんにもそうお願いしてください。俺たちがつくまで、時間を稼いでほしんです。もちろん、法律的に問題があることは重々承知しています。でも、法律が守ってくれないのなら、法律を犯してでも自分たちで守るしかないんです!」

 俺はオーナーから薫を取り戻したら、持って行かれた売上金も奪い取るつもりでいた。法律がどう主張しようが、あれは支配人のものだ。

「お客さん、賢いバカみたいだねえ。気に入った。タクシードライバーの底力、見せてやろうかねえ」

 運転手がそう答えてくれた。

「でも、そんなことしたら、会社の人に怒られるんじゃ……」

 結菜が心配すると、

「問題ないねえ。これでも俺が社長だからねえ」

と言って、運転手はアクセルをグッと踏み込み、無線で本部に指示を出してくれた。

 自ら現場に出ているとは……。あのオーナーに、運転手の爪の垢を煎じて飲ましてやりたかった。


「では、オーナーの車を止めたら、田中さんと工藤さんが、オーナーを取り押さえる。そして、私と落合君が望月さんを保護するということでいいかな?」

 三上が最終的な作戦を立てる。

「問題ないわ。あいつ、許さない……」

「二度とナンパなんかできないようにしてやる」

 結菜と綾がタッグを組むことが決まる。「オーナーを取り押さえるのは男の俺の役目」だとは言えなかった。


「どうして、あんな奴について行ったんだろう」

「薫、昨日の夜からピリピリしていて……時々、すごく怖い目をしていた」

「俊のことが関係していると思う」

「やっぱり、三上さんもそう思う? 佐藤に心配させたかったのかな?」

「薫、佐藤のことはもう何とも思っていないって言っていたけど……」

「だったら、ここには来なかったはずよ」

「そう簡単に忘れられないよね……好きな人のこと……」

「私がもっとちゃんと、薫の話を聞いてあげれば……」

「綾は薫をしっかり守っていたわ」

「そうよ。工藤さんが責任を感じることない」

「……ありがとう」

 ガールズトークが続いていて、俺は会話に参加する権利を没収されていた。相槌を打つことさえ難しかったから、難しい顔をして何か作戦を考えているフリをしていた。

 そうしている間に、タクシーは伊豆スカイラインに入って行く。


 オーナーの車が見えてくるように祈りながら、伊豆スカイラインを走行していると、

「追跡車両を発見」

と無線に待ちに待った連絡が入ってくる。

 皆の顔が喜びでほころびかけるが、

「路肩に停車しているので、こちらも停車して、後方から様子を窺います」

と続けて情報が入り、俺たちに嫌な予感が走る。ガス欠や故障ならいいのだが……。


 さらに20分ほどオーナーの車を目指して走行すると、

「運転席から髪の長い男が降りて来ました。こちらに向かって歩いてきます」

と無線に連絡が入る。

「了解。もう間もなくこちらも到着するからねえ。今すぐ、現場を離れるようにねえ」

 運転手がそう指示すると、前方にハザードをつけて路肩に停車しているタクシーが見えてきた。

「了解。現場を離れます」

 路肩に停車していたタクシーが発進して行くと、オーナーと停車している車が見えた。

「薫!」

 運転席のほうに身を乗り出して、綾がそう呼びかける。

「薫! 今行くからね!」

 聞こえないってわかっていても、必死に声を届けようとしている。


 運転手がオーナーの前方にタクシーを停車させる。

 真っ先に綾がタクシーから降りると、オーナーに向かって駆け出す。俺たちも後に続いてタクシーから降りる。

「お前は、あいつと一緒にいた……。それに、何でお前らがここに?」

 俺たちを見て戸惑っているオーナーに、

「ウォーーー!」

と声を発しながら、綾が跳び蹴りを放つ。オーナーはとっさに腕でガードする。

「いてえじゃねえか」

 オーナーの目つきが鋭くなる。

「セイヤッ!」

 続けざまに結菜が、得意の跳び回し蹴りを繰り出すが、後方に跳んだオーナーにかわされてしまう。

「お嬢ちゃんたち、俺にケンカを売ったんだ。無事に帰れると思うなよ」

「田中さん、気をつけて! こいつケンカ慣れしている!」

「そうみたいね……」

 結菜と綾の表情に緊張が走る。


「落合君、早く行くわよ!」

「ああ!」

 三上と俺は、オーナーの車まで猛ダッシュする。早く薫を保護して、俺も参戦するんだ。打たれ強さには自信があるから、結菜と綾の盾にはなれるだろう。

「薫、だいじょう」

 俺は助手席を開けるが、あることが気になって言葉を失ってしまう……。

「ハアハア、落合君、望月さんは……」

 三上の表情も曇る。

 どうしてだ? どうして薫は、朝見送った時と、違う服装をしているのだ?

「何しに来たのよ!」

 薫は俺と三上を睨む。

「何しにって、助けに来たに決まっているだろ!」

「余計なお世話よ。さっさと帰ってよ!」

「何言っているんだよ。一緒に帰るんだ」

 俺は薫を車から引きずり降ろそうとする。薫はシートベルトをしていなかった。

「イヤよ、離してよ!」

「誰が離すかよ、佐藤も待っているんだ!」

 しまった。余計なことを言ってしまった。

 佐藤の名を聞いた薫は、ドアを閉めると、運転席の集中ドアロックボタンに手を伸ばして、鍵をかけてしまう。

「薫! 開けろよ! 薫!」

 薫は顔をそむけて、俺たちのほうを見ようとしない。

 幸い運転席に鍵は刺さっていなかった。オーナーから鍵を奪い取って、薫を車から連れ出すしかない。


 三上を薫のそばに残して、俺は結菜たちの元に走る。

『ブップー!』

 車道に出ていた結菜が、大型トラックにクラクションを鳴らされる。

 結菜が路肩に戻ると、すかさずオーナーが殴りかかり、腕でガードした結菜が後ずさりする。結菜は額の汗を拭い、次の攻撃に備える。

 そしてその隙に、綾がオーナーの背後から跳び蹴りをするが、惜しくもオーナーに避けられてしまい、逆にオーナーに回り蹴りを繰り出される。

 綾はとっさに車道のほうに跳んで避ける。

「工藤さん危ない!」

『ピピーッ!』

 通りかかった車がクラクションを鳴らすと、綾を避けて通過して行く。

 綾も慌てて路肩に戻る。

 結菜が、綾に気を取られている隙をついて、オーナーが脇腹に殴りかかる。結菜は1発目のパンチはなんとか避けるが、体勢を崩してしまい2発目のパンチをもろに食らいそうになる。

 間に合わないと思ったが、俺は結菜に向かって走り続けた。

 次の瞬間、綾が結菜の前に立ち塞がり、オーナーのパンチをみぞおちにもろに受ける。

「ゲホッ」

 綾は胃液を吐き出し、膝から崩れ落ちる。

 激高した結菜はオーナーの顔面を狙って、正拳突きを放つ。

 オーナーは体を反らして、結菜の正拳突きを避けると、飛びかかっていた俺と目が合う。

「ドリャーー!」

 俺は腕を上げて両手を組むと、そのままオーナーの顔面に降り降ろす。

「グホッ」

 オーナーはそのまま後頭部から倒れ込み、意識を失った……。


「工藤さん、大丈夫?」

 結菜が綾を抱きかかえる。

「私は平気……か、薫は?」

「大丈夫。ケガはなさそうだ」

「よかった」

 綾は安堵の表情を浮かべると、ゆっくりと立ち上がって、車のほうへ向かって歩いて行く。

 そういうことだったのか……。綾は、薫にくっついていたわけではなかったのだ。危なっかしい薫のことが心配で、ずっとそばに居たのだ。綾は“自己犠牲の能力者”だったのだ。


 俺はオーナーのポケットから鍵を取り出す。

 その間、結菜は気絶しているオーナーの顔を靴底で踏みつけていた。

「何で余計なことしたのよ! もうちょっとで私がぶちのめしてやるところだったのに!」

 俺が助けようとすると、『余計なこと』になってしまうらしい。


 俺と結菜が車のほうまで移動すると、薫は自分から車を降りていた。

「なんであんな奴にヤラせちゃったのよ!」

 綾が泣きながらひどく怒っていた。

「別に誰とヤろうが私の自由でしょ!」

 薫がそう言うと、三上がビンタする。

「痛いわね! 何するのよ!」

 薫が三上にビンタを仕返そうとすると、綾が腕を掴んで止める。

「三上さんだって、薫のことすごく心配してくれたんだからね」

「だから、余計なお世話だって言っているでしょ」

 薫は結菜を見ると、

「ラブホでヤラせてあげたのよ。さっき車でもヤッたわ。彼、『今までで一番良かった』って喜んでいたわよ」

と自慢するように言った。

「そう」

とだけ言って、結菜は泣いていた。

 痛かった。支配人には悪いが、クラスメイトがあんな奴にバージンを奪われてしまったなんて……。胸が張り裂けそうになった。

「チクショウ!」

 俺はオーナーの車のドアを思いきり蹴って、『バコッ』と凹ました。何度も何度も蹴ってやった。でも、胸の痛みは一向にとれなかった。



 ひゅーーどーん! ひゅーーどーん! 夜空に花火が上がると、その明るさで皆の顔が見えた。

 俺たちは佐藤のクルーザーに乗って、海上から熱海の花火大会を鑑賞していた。これが佐藤が用意していたサプライズだった。

「キレイだね!」

 美樹が満面の笑みを浮かべている。

「うん! すっごくキレイ」

 結菜も楽しそうに花火を見ていた。

「俺さ、貯金をはたいて、『アツアツ』を買うことに決めた」

 ここに来るまでほとんど喋らなかった佐藤がそう口にした。さすがは佐藤。俺とは貯金の額が一桁違うようだ。

「それでさ、もう今年の夏休みから、週末は『アツアツ』で働くことにする」

「健ちゃんも喜ぶわね」

 三上が嬉しそうに笑みを浮かべる。



 あの後、俺たちはオーナーが奪っていった売上金を車の中で捜した。そして、グローブボックスから売上金と一緒にドラッグを見つけた。

 ちょうど騒ぎをかけつけた警察官がやって来て、事情を説明すると、ドラッグ所持者の検挙に貢献したこともあり、『もう二度と危ない真似はしない』という条件つきで、俺たちのしたことを見逃してくれた。


 協力してくれた社長の運転手がもう一台タクシーを呼んでくれて、薫と綾とは伊豆スカイラインで別れた。薫はヒッチハイクをして一人で帰ろうとしたが、綾が力づくでタクシーに乗せていた。


 皆で相談した結果、支配人の健ちゃんには、オーナーがドラッグ所持で逮捕されたことを正直に話した。

「よかった。これで、売上金を取られないで済む」

 俺たちが取り戻して来た売上金を大事そうに握りしめながら、健ちゃんはそう言って笑っていた。

 本当はショックなのに強がっているのか、それとも本気で喜んでいたのか、俺には見わけがつかなかった。



 ひゅーーどーん! ひゅーーどーん! 打ち上がる花火が、儚いがゆえの美しさを、俺たちに見せていた。



 随分と久しぶりに帰って来た気がした。

 夜遅くに帰宅すると、俺の机に、茜さんから届いた手紙が置かれていた。いつもより、薄い手紙だった。




拝啓


 ずっと手紙を送ることができなくてごめんなさい。

 私、好きな人ができたの……。最低だよね。許してもらおうとは思わないから、このことで謝るのはやめておくね……。

 これが最後の手紙になります。

 さようなら、誠君。大好きだった誠君。さようなら。

                                敬具

                              小西 茜

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