第2話 ガラスの少女

『むかしむかし、ある想区ところに』



 あかるんだ空に月の浮かぶ朝、城からもたらされた報せは国中に喜びを運びました。

 いわく、王妃殿下は難産の末、無事にお子をお産みになった、と。

 当代、世に在られる王族の中で唯一人となる女子おなごでした。

 祝宴の用意でどこもかしこもせわしく、城下の街の空気は輝いていました。


 しのびやかな宵の明星が地平線に瞬く中、暮れ落ちた陽のもとで人々は皆、涙しました。

 いわく、朝に生を受けたばかりの姫君がゆうべも知らずにお亡くなりになった、と。

 突然の火事は小さな赤子を灰に変え、初めて名を呼ばれたことすらもとうに息を引き取った後でした。

 王室御用達の仕立て屋は淡い色のサテンやオーガンジーを涙で濡らしながら、真黒いタフタを裁断しました。


 いつからでしょう。王家と王家に列なる御息女が若くして、次々とお隠れになったのは。

 まるで呪いのようだ。嘆く声は厚く空を覆う雲になります。

 呪いを突き止めようにも、祝福を司る良き魔女、偉大なる妖精は姿を現しません。

 或いは、彼女はとうにこの国を見放してしまわれたのでしょうか。

 降り続く雨は穏やかに、凍る泉の上へと降り注ぎます。

 誰も答えは知らぬまま。


 かくして王女は灰に、灰は悲劇に、悲劇は灰の名を冠し、それはいつしか王女の名と転じたのです。


 おなじ時、おなじ場所。

 一人の騎士がおりました。

 かの姫君と同じ日に、妻をお産の最中に亡くし、産まれるはずだった子すらも、心の臓が脈打つ内に抱き上げることが叶わなかった男でした。

 その日から、彼は喪に服したまま、二度と城に姿を現すことはありませんでした。



 ◇




「つまり、キミたちはこの怪物たちの親玉を探している、というわけだね」


 事情の説明を簡単に済ます。

 想区の異常を正すには、ヴィランを生み出すカオステラーを倒す必要がある。そしてそのカオステラーはその想区の主人公あるいは主人公に関連のある人物に取り憑くのだ。


「せめてここが何の想区なのか分かればいいんだけれど。ねえリヨン、あなたは何か知らない?」


 レイナの問いかけに、リヨンは地面に視線を落とし考え込む素振りを見せた。


「ごめんね、そういうのは心当たりがないや」


 レイナの表情が残念そうに沈む。ヴィランがもう出現しているということは、あまり猶予がないかもしれない。

 いたたまれなくなったのだろう、リヨンは早口で付け足した。


「でも、今日はお城で舞踏会が開かれるはずだったんだ。きっとそこに行けば、キミたちの探し人も見つかるんじゃないかな」


 言われて初めて、森の向こうに城があることに気付いた。夜の闇に紛れてよく見えないが、よくありそうな城だ、とエクスは感じた。

 物語において、王様や城が重要なパーツを担うことは珍しくない。


「城下町で情報収集もできるしね。結構立派なんだよ」

「おいしいご飯屋さんはありますか」


 シェインがきらりと目を輝かす。


「味も量も値段もいいと評判の店がたくさんあるよ。遅くまでやってるし、今からでも間に合うさ」

「やったです」

「まあボクはひとつも入ったことないんだけどね!」

「よく勧めたわね?!」


 エクスは苦笑した。


「とりあえず、お城を目指して、ってことで」

「行こうぜ」

「異論なしです」

「道案内ならボクに任せて!」


 胸を叩くリヨンに、レイナがおそるおそる聞いてみる。


「流石に『行ったことない』とかは……」

「どっちだと思う?」


 騎士はにまりと笑ってみせた。

 答えは言ってるようなものだけど、たとえ行ったことがなくてもレイナの道案内よりはマシだろう。そんな空気が漂った。

 全員レイナに睨まれた。



 ◇



 気さくな少女騎士はすぐに皆と打ち解けて、状況が状況であるだけに騒がしさは抑えめで、されども賑やかさはいくらか増すこととなった。

 道すがら、リヨンはタオとシェインの装いが気になるようで、先程からちらちらと視線を飛ばしている。エクスやレイナとは違い、分かりやすく異国風だからだろう。ああいうのはキモノというのだったか。距離感や関係性からしても、一風変わったとも言える義兄妹だ。


「レイナもかなり独特の雰囲気があるけど、エクスはなんだか普通な感じだね」

「普通かぁ」

 

 そんなに無個性だろうか。確かに、他の皆に比べたら平凡かもしれないけれど。


「あ、違うんだ。なんというか落ち着くっていうかな。うん、馴染む感じだ」

「褒め言葉かな。ありがとう」

「褒め言葉だね。どういたしまして」


 出身であるシンデレラの想区にいた頃は、多少の波乱は日常としてあっても、こんなとんでもない世界は知り得なかった。


「思い返せば、レイナたちに出会うまでは『普通』って感じの毎日だったな」


 旅についてきて良かったと思う。


「ボクもその、『普通』の部類だから。親近感が湧くのかな」

「その格好で普通とか言われてもね」


 リヨンはエクスと同年代、下手したら年下だ。その年で騎士なんて、十分すごいのではないだろうか。いや、見習いだったか。としたら妥当とも言えるのか。そこらの裁量はエクスにはつかない。

 リヨンは不可思議な笑みを見せた。


「『騎士』っていうのはね。特別なんだ。ボクにとって、一番かっこいいものの名前」


 似合わないほどに、静かな声だった。


「だからやっぱり、ボクは普通だよ」


 それは卑下ではなく、遠いものを見る目だ。

 少女はすこし照れくさそうにはにかんだ。


「父さんみたいな騎士になるのが、夢だったんだ」


 言葉にこもるのは透明なあこがれだった。


「すごいひとなんだ?」

「そうだとも! 聞くかい? 是非聞いてほしいな。例えば、あれはボクが十二の時──」


 リヨンの目がきらきらと輝く。これは長い話になるな、と思ったけれど、タオほどではないにしろエクスだってこういう話は好きなのだ。やはり『騎士』というのは心をくすぐるものがある。

 知らず知らずのうちに、エクスは少女の語る騎士物語の中に引き込まれていく。

楽しい時間だった。



 ◇




「ところで」


 シェインがすっと手を挙げた。

 彼女のことだ、何か重大な話だろう。リヨン以外の皆が身構える。


「シェインはもう我慢の限界なのですが」


 その目は飢えたようにぎらついていた。


「あー……なるほど」


 タオがその意味を察し、リヨンの方を見る。


「はい、流石に知り合ったばかりの人に言うのは失礼かと思ったのですけど、もう知り合ったばかりではないですよね。主観時間で六時間ぐらい経ちましたよね。経ってない? いいではないですか。いいですよね」

「おう、むしろ良く我慢したな」


 手綱は外された。ゆらり、シェインはリヨンの方へと歩き出す。


「え、なに。え、ごめん! とりあえずごめん!?」


 あわあわとたじろぎ後ずさる。シェインはもう、そんなことにはかまわなかった。


「リヨンさん、お願いですからその剣を! シェインに見せてください!」


 九十度。綺麗なお辞儀であった。重度の武器マニアなのであった。

 普段物静かなシェインの面影は最早無く、平坦な声も表情も崩れかかっている。

 異様な剣幕に、リヨンはこくこくと声も出さずに頷いた。


「おお、ありがとうございます! では、失礼します」


 そのまますっ、と綺麗なセイザを決めて、丁重に鞘を抜く。刃はランタンの光を浴びて、きらりとひかった。


「なるほど当初は特殊なクリスタルの類かと思いましたがこの冷たさはまるで氷、しかし触っても溶ける様子もなければ耐久性も抜群、と。持ち手は流石に別に素材ですね、握り心地も悪くないです。ああ、夜なのが恨めしいですね。目を引くのはガラスのような透明度、武器としては少々繊細すぎる気がしますがこれはこれで……良いです」


 恍惚と、シェインはそう述べた。上半身のみでずい、とリヨンに迫る。


「リヨンさん、どうかこの剣について詳しく」


 シェインの暴走に早くも慣れたのか、リヨンはのんびりと言う。


「ガラスだよ。ガラスの剣。それだけ。あとはボクもよく知らない」


 話は打ち切られてしまった。シェインは肩を落としながらも素直に引いた。

 リヨンが不意に、何か思いついたような顔をする。


「そうだ、ボクも。君たちの不思議な魔法……ええと接続コネクトだっけ。それについて、知りたいな」


 レイナは少し困った顔をする。どこまで言ったものか。あまりおおっぴらに明かすようなものでもない。

 悩むレイナに、次の句を継ぐ。


「キミたちの『運命の書』の頁が白いことと、関係があるの?」


 何気ない様子で放たれた質問が、その核心で。ぴしりとレイナは固まった。


「ちらりと見えても不思議じゃなかったですね」


 何が書いているのかは分からなくても、何も書かれてないことぐらいは開いたときに遠目の一瞥でも分かってしまう。


「お嬢、もう話しちまった方が早そうだぜ」


 なにせ一番言いにくいところが知られているのだ。

 なによりリヨンは、明かすことが不都合に転じる人柄でもなさそうだ。


「そうね。搔い摘んで言うと──」


 リヨンは黙って話に耳を傾け、話の最後に「そっかぁ」と気の抜けた反応を示した。


「驚かないの?」

「うーん、驚いてるけど。それもストーリーテラー様の思し召しってやつなのかな? そういうこともあるか、って感じだ。ていうか、あまりピンときてないから反応しようもなくて」


 眉間に皺を寄せる。しばらく唸っていたけれど、そのあとには先程までの明るい顔に戻っていた。


「まあ、細かいことは気にするなってね!」

「いやそれ、こっちのセリフだよね」


 リヨンはにやりと笑って指を振る。誰かさんに似ている気がした。レイナの表情が渋くなる。


「わかってないなぁ。大事なのは、かっこいいことだよ」

「お、お前話が分かるやつだな!」


 タオが肩をばしばしと叩いた。完全に女の子への力加減ではなさそうだ。


「ああ、タオが一人増えた……」


 レイナのぼやきに伴うのは、深い溜め息だった。




 いつの間にか道は随分と広くなり、整然とした風景に近付いていた。

 もう間もなく街の中に入れるだろう。


「あ、あのさ」

「なあに、今度はエクス?」

「うん。なんだか変じゃないかと思って」

 

 カオステラーの仕業で、おかしくない方がおかしいと言えよう。だが、この想区は何か、別のところでおかしいのだとエクスには感じられた。


「何か気付いたの?」

「何か、って言われると何なんだかわからないんだけど……さっきから違和感があって」


 レイナにもうまく説明出来ないまま、視線を彷徨わせる。


「あっ」


 丁度、木々の間から、蛾のような姿をしたヴィランが続々と現れようとしていた。


「なるほど、ヴィランの気配を察知したんですね」

「やるじゃねーか、坊主」


 二人は感心した目を向ける。


「うーん、そうじゃないんだけどな……」


 もっと曖昧で、長い違和感だったのだが。

 気持ちを切り替える。

 考えるのは、終わってからだ。



 ◇


 気がつくのが早かったというのもあり、今回の戦闘は随分と円滑に終えることができた。

 一方、リヨンはいまだヴィランとの戦闘に慣れていないのだろう、上がった息をなんとか整えていた。


「やっぱりすごいや、キミたち」

「力を貸して貰っているだけだよ」


 ふう、と吐いた最後の一息は感嘆のようでもあった。


「にわかに信じがたかったけど、霧の向こうは本当に違う世界なんだね。あんな、すごい人たちがたくさんいるんだ」


 不思議の国を駆け抜けた少女に宝島を目指した船乗りの少年、それから幼子の姿に変えられた偉大な魔法使い。皆、想区の主役やそれに準ずる者たちだ。


「霧の向こうに……。そうしたら、逃げられるのかな」


 リヨンの弱音は無理もない。運命の書に記述されていない、想区の危機なのだ。

 タオが力強く言った。


「オレ達が元通りにする、だからその心配はいらないぜ」


 そうだ、すべてが元通りになる。

 カオステラーもヴィランも何もかも、無かったことになる。

 間違いなんて何一つ、なくなるのだ。

 リヨンは目を丸くして、穏やかに微笑んだ。


「ありがとう。キミたちがいてくれて、よかった」

「さ、進みましょう。あと少しだもの」


 前を行こうとするレイナを慌ててタオとエクスが追い、ひとつ遅れてシェインがやれやれと付いて行く。

 リヨンはその後ろ姿をじっと見つめていた。

 そして呟いた。声にならないほどに、小さく。


「ボクは……」


 普通だ、と。

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