「総長の嫁、って……」

 二十時四十五分ごろ、ライヴはお開きになった。片付けをしたら、ちょうど二十一時になる時刻だった。


 約一時間半のライヴは、あっという間だった。わたしは夢中になって聴いていた。


 攻撃的でアップテンポな曲もあった。切ないロックバラードもあった。いろんな表情のうたがあった。でも、曲調が違っても、音色の根幹にあるカラーは揺らがなかった。どの曲にも、これが瑪都流バァトルなんだと確かめられる力強い存在感があった。


 曲の合間にMCを入れるのはふみのり先輩だった。爽やかで軽快で楽しそうで、ときどき少し意地悪で、やんちゃな笑い方をすると子どもっぽかった。演奏中の文徳先輩はひたすらカッコよくて、MCとのギャップに、くらくらした。


 ギャップといえば、あきら先輩だ。歌っている煥先輩は、普段とは別人だった。無愛想で無表情でぶっきらぼうな人だと思っていたのに。


 前髪に隠れがちな目も、特別な響きを持つ声も、高い音も低い音も、ささやくときも叫ぶときも、煥先輩の存在はどこまでも正直だった。


 だんだん集まってくる聴衆の真ん中に、煥先輩は立っていた。それなのに、微塵もカッコつけていなかった。


 泥だらけのき出しのままを歌っていた。消えそうなくらい透き通る瞬間があった。轟音のステージを支配しているようにも見えた。


 すごく不思議な人だと思った。


 瑪都流の曲は、文徳先輩が作っている。歌詞は煥先輩の担当だ。アレンジはみんなで試行錯誤して、録音とミックスは牛富先輩が担っている。MCで、そんなふうに文徳先輩が言っていた。


「最初の曲は、新曲でした! 今日ここで披露したのが初めてです。というか、歌詞がなかなか完成しなくて、完全に固まったのが昨日の朝でした。本気で出来立てホヤホヤなんですよ。なあ、煥?」


 煥先輩はマイクから下がって、ただうなずいた。


 MCの間、煥先輩はペットボトルの水を口に含むことがある程度で、声を出さないのはもちろん仕草も表情もなくて、存在自体が本当に静かだった。


「おい、煥。新曲のタイトルくらい、自分で言えよ。苦労して決めたんだろ?」

「ビターナイトメッセージ」

「もうちょっと演出ってもんがあるだろうが!」


 MCでは、たくさん笑わせてもらった。文徳先輩と煥先輩、仲がいいんだ。


 ライヴの後、二十一時を回るころには聴衆はみんな帰っていった。不良っぽい格好の集団もいたけれど、最前列で体操座りをして演奏を聴く姿はとても素直そうだった。ゴミを散らかしたりもせず、逆にゴミ拾いをしながら帰っていった。


 不良の定義って何なんだろう? あの人たち、親の前や学校では、定められた枠の中に収まることができないのかもしれないけれど。


 中学校のころにホームステイしたアメリカでは、髪を染めるのもピアスをするのも奇抜な服装に身を包むのも、当人の自由だった。あっちの文化圏だったら、日本では見た目のために不良と呼ばれてしまう人たちの多くは、少しも悪い存在ではないんだ。


 そんな当たり前のことを忘れていたなあと、わたしは今夜、瑪都流のライヴを聴きながら気が付いた。煥先輩を不良だと決め付けて、うとましい人だと仕分けした。


「醜い感情ほど、それはもう鮮やかに、ぼくの中に息づいて、ぼくの形してるから……か。ほんとね」


 覚えたばかりの『ビターナイトメッセージ』の歌詞を口ずさんだ。もう一度、煥先輩に謝りたい。


 向こうのベンチでは、寧々ちゃんと尾張兄弟が文徳先輩と話している。暴走族としての瑪都流に入れてほしいっていう相談だ。煥先輩もそばで話を聞いている。


 牛富先輩と雄先輩はアレンジの話の真っ最中だ。パソコンの画面を指差して、専門用語だらけの議論を交わしている。


 わたしはみんなと一緒に帰るために待っているんだけれど、やることがない。

 ぼんやりとしていたら、亜美先輩がわたしに気付いてくれた。


「待たせちゃってるね。疲れたでしょ?」

「あ、いえ、疲れてはいません。あっという間でした。演奏、素晴らしかったです!」

「ありがと。あたしたちも楽しんでやってるからさ、聴いてる人にも伝わったら嬉しい」


 亜美先輩は涼しげに微笑んだ。


「わたしに何かできることありませんか?」

「それじゃ、一緒に来て。飲み物、買いに行こうと思ってたんだ」

「はい、ご一緒します!」


 亜美先輩はベースを雄先輩たちに預けて、小さなリュックサックを背負った。わたしもカバンを置いて、青獣珠のポーチに財布とケータイを入れて持っていく。


 このあたりに、コンビニは二ヶ所ある。駅の南口と、じょう公園の裏側。わたしと亜美先輩は、公園裏のコンビニへ向かった。


「鈴蘭、帰りの時間は大丈夫?」

「家に連絡したから、一応は大丈夫です。何か言われそうですけど。遅くなるなら迎えの車を出す、とか」


 何気なく言ってしまってから、慌てて口を閉ざした。迎えの車なんて言い方、いかにも御嬢さまだ。きっと印象がよくない。


 亜美先輩は気に留めなかった。


「親御さんには心配かけちゃうよね。文徳と煥の家も、昔はそんなんだったな。遅くまで遊んでると、メイドさんが迎えに来るの」

「文徳先輩たちの家も?」


「四獣珠の家系って、そうなんじゃないの? 昔からの名家というか。あたしは家しか知らないけど」

「わたしも自分の家しか知りません」


 四獣珠は、人の願いを叶える奇跡の存在だ。世間に大っぴらにすることは望ましくない。人はチカラを求めて争う生き物だ。四獣珠の預かり手がお互いを知らないのも、チカラを一ヶ所に集めてはならないからだという。


 けれど、わたしは白虎の伊呂波と知り合ってしまった。これはただの偶然なのか。あるいは、何かの異変が起こる前触れなのか。


 怖いことなんか考えたくないのに、わたしの脳裏には、時間が巻き戻ったときの混乱がありありと思い出された。この手で人を差した、壮絶な感触も。


「鈴蘭? どうかした?」

「あっ、な、何でもないです。あの、亜美先輩のおうちは、昔から伊呂波家とつながりが深かったんですよね?」


「うちの鹿やま家は、昔は伊呂波家の家臣だったんだってさ。牛富のとこも雄のとこも同じく、伊呂波の下っ端。伊呂波は武家の統領の血筋で、近隣一帯にすごい影響力があったんだよ」

「そうなんですね。わたし、地域の歴史とか勢力関係とか、全然知らなくて」

「普通はそんなもんじゃない? 特に伊呂波家はもう……」


 亜美先輩は言葉を切った。


「どうしたんですか?」

「あのね、文徳と煥、今は二人だけなんだ。あたしたちが小学生のころ、ご両親が亡くなった。しばらくは親戚に育てられてて、文徳が高校に上がる年に親戚の家を出て、兄弟二人でこの近くのマンションに住んでる」


 驚いた。文徳先輩たちにそんな悲しい家庭事情があるなんて。

 わたしは思わず立ち止まってしまった。亜美先輩も足を止めて、わたしの頭を撫でた。


「ごめんごめん。そんな顔しないでよ。でもさ、こういう事情だから、あいつら危なっかしいんだよ。煥はいつものことだけど、文徳も意外とキレやすいし。ほっとくと、ろくな食事しないし。ねえ、鈴蘭。料理は得意?」


 わたしはかぶりを振った。


「料理は、ほとんどしたことなくて」

「じゃあ、教えてあげるよ。今度、一緒にあいつらの部屋に行こう。栄養のあるもの、作ってやろうよ」


 胸がズキッとした。

 亜美先輩は文徳先輩の幼なじみだ。文徳先輩のことをたくさん知っている。もしかして、と勘が働いた。イヤな予感がした。


 もしかして、文徳先輩と亜美先輩って。

 わたしの口が勝手に動く。直接確かめるのが怖くて、卑怯な動き方をする。


「あのっ、煥先輩は彼女いないんですか? わ、わたしのクラスの子が煥先輩のファンなんです。クールでカッコいいって」


 亜美先輩が快活に笑う。


「いないよ。あいつに彼女ができると思う? 基本的に人を寄せ付けないし。女の子が相手だと、特にそう。あいつはたぶん、恋愛って感情をまだ知らないよ」


 その言い方は、亜美先輩は恋愛感情を知っている。

 相手は誰?


「バンドとしての瑪都流って、女の子のファンも多いですよね?」

「そうだね。でも、接触はご法度。あたしたち、暴走族なんて呼ばれてるから、特定の誰かと親しくなりすぎると、その相手が危険なんだよね。鈴蘭は身をもってそれを体験したんだっけ。牛富も雄もかわいそうだよ。彼女は近くに住んでるのに、遠距離状態」


 そう言いながら、亜美先輩はリュックサックを下ろした。棒状の何かを取り出す。


「それ、何ですか?」

「伸縮式の警棒」


 亜美先輩の笑顔の奥に緊張感が見えた。


 コンビニの狭い駐車場に、二台の真っ赤なバイクがある。車のためのスペースに、堂々と一台ずつ。そのバイクに寄りかかって、赤い特攻服が二人、タバコを吸っている。


 二人がニヤッとして、タバコをくわえたまま近寄ってくる。

 亜美先輩がわたしを背中にかばった。


「あいつら、緋炎だ。隣町のクズ連中ね。あたしたちのメンバーが集まるライヴのときは、さすがに姿を見せないと思ってたんだけどね」


 亜美先輩が一振りすると、シュッと音をたてて警棒が伸びた。

 緋炎の二人が、だみ声をあげた。


「こんなところでお会いするとはねぇ」

「散歩っすかぁ?」


 髪に剃り込みがある人がポキポキと両手の指を鳴らした。赤いロングヘアは、背中に隠していた手を体の前に回した。鉄の棒が二本。


 赤いロングヘアは、鉄の棒の一本を剃り込みに渡した。二人は野球のバットを扱うような仕草で、鉄の棒で素振りをしてみせる。


「あ、亜美先輩……」

「大丈夫。あいつら、たいしたことないから」


 亜美先輩の言葉に、緋炎の二人が爆笑した。


「すっげ! めっちゃ自信あるじゃん!」

「さすがっすね! 瑪都流の総長の嫁は、一味違うわ!」


 恐怖が吹き飛んだ。ガン、と頭を殴られたようなショックだった。

 瑪都流の総長の嫁? それは亜美先輩のこと? 文徳先輩の彼女ってこと?


 亜美先輩が体勢を沈める。


「その馬鹿笑い、命取りだよ。文徳たちに聞こえてんじゃない?」


 剣道の構えを取ったのは一瞬だった。すかさず、亜美先輩は地面を蹴って飛び出す。


 剃り込みが鉄の棒を振りかぶる。警棒の切っ先がその肘を打つ。鉄の棒が落ちる。亜美先輩の長い脚が、剃り込みを蹴り飛ばす。


 赤いロングヘアが真横から亜美先輩に打ちかかる。亜美先輩はかわす。赤いロングヘアのがら空きの背中に、警棒の一打。倒れた赤いロングヘアの腰を、亜美先輩は踏み付ける。


「口ほどにもない」


 亜美先輩はつぶやいて、二人の両肘を、順に警棒で打ち据えた。絶叫しながらのたうつ二人は、あごを蹴られて沈黙した。


 わたしのほうへ戻ってくる亜美先輩は、ごめんね、と苦笑を浮かべていた。わたしの頭はひたすら混乱している。


「い、今の、あの」

「あいつらの肘? 折ってないよ、外しただけ」


 そうじゃなくて。ケンカの話じゃなくて。


「総長の嫁って……」


 亜美先輩が声をたてて笑った。リュックサックを拾って、わたしの肩を抱えて、北口広場に戻る道を歩き出す。


「妙な表現だよね。嘘とは言わないけどさ。昔から両家の親の同意もあるし」


 照れたような笑顔。キレイな人。カッコよくて強くて、楽器ができて、料理が上手で、面倒見がよくて。


 わたし、一つもかなわない。


「亜美先輩は、文徳先輩と……」

「付き合ってるよ。っていう言い方も、今さらだな。許嫁いいなずけのほうが正確かもね」


 ガラガラと、心の壁が崩れていく。

 崩れてくる。大切に組み上げていくはずだったものが、ガラガラと。そしてわたしは、尖った破片で生き埋めになる。


 初恋だった。運命だと思った。輝く月に何度も願った。月がこの恋を叶えてくれるはずだった。


 見上げる夜空に月がある。十四日の、ほぼ丸い月。わたしの願いの象徴。

 なぜ?


 亜美先輩がわたしに微笑みかける。この人のことは憎くない。でも、文徳先輩との関係は憎い。


 あっ、と気付いた。十五日の朝に見た夢の中で、血まみれで倒れていた花嫁の正体は亜美先輩だった。


 夢で聞いた声が頭の中によみがえる。願いのこもった、狂気的なくらいに切実な声が。


【何度やり直してでも、わたしはあきらめない】


 恋を叶えるために、宝珠に願いを掛けて、代償を捧げて、時を巻き戻しながら、大切な人を想っている。


【動き出した願いはもう止められないのよ】


 あの声は、わたし? もしかして、あれは夢ではなかったの? 夢ではなくて、やがて訪れる未来の姿なの?


 もしそれが真実だというなら、時が巻き戻るというなら、あの未来こそが巻き戻しの起点かもしれない。


 わたしはポーチの中に手を入れて、ツルギの柄を握りしめた。

 亜美先輩がわたしの顔をのぞき込んだ。


「鈴蘭、どうかした?」


 声がわたしを突き動かす。


【この一枝は、きっと正しくない。より幸福な未来がほかにある。だから、一度リセットさせて。必ず、わたしが幸せな未来を創るから】


 亜美先輩が文徳先輩と結ばれるとしたら、そのウェディングの日は呪われている。予知夢のような未来で、わたしはそれを体験した。


 亜美先輩が悪いわけじゃなくて、わたしがわがままを通すわけでもなくて。


 青獣珠、応えて。刃を出して。役割って、そういう意味なんでしょう? このまま進んでいく未来は正しくない。だから、わたしがこの未来の芽を断ち切るの。


 トクトクトクトク、と青獣珠が鼓動する。緊迫するような、せわしないリズムで。


 手のひらにチカラが集まってくる。握りしめた柄にチカラが伝わる。わたしはポーチからツルギを引き抜いた。


 刃が青く輝いた。


 亜美先輩が目を見張る。次の瞬間、切っ先が亜美先輩の胸に吸い込まれた。刺し貫いた心臓が震えた。そして動きを止めた。


 青獣珠が悲鳴をあげる。


 悲鳴は、ガラスを引っ掻く振動のように、強烈な悪寒を起こした。命の消えた一点から爆発的なチカラが噴き出す。


 夜の風景が消えた。音も感覚も匂いも消えた。



 座標

 C(嫦娥公園裏,4月16日21:21,鹿山亜美)

 ↓

 B(下校途中,4月15日19:14,緋炎狂犬)

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