感想、不思議の国

「………………………………」

「おや? いつも以上に刺々しい態度ですね、クロナさん」


 夜、行きつけのバーにて。

 一杯目を飲み終えた瞬間に現れたベルフェの顔を、私は無言で睨み付けていた。


 勿論、それを受けても魔術師の仮面めいた笑顔は揺らがない。

 当たり前だ、仮面を幾ら睨んでも、被る本人は痛くも痒くもないのだから。


 平然と隣に座ったベルフェの前に、忽然とカクテルグラスが現れている。その美しい色合いを眺めながら、ベルフェの顔に束の間本物の笑みが浮かんだ。


「相変わらず、凄いですね。わかっていても見えませんでしたよ」


 いつもふざけている魔術師の、珍しい真剣な賛辞に、マスターは軽く頷くのみだ。ベルフェの人柄を知る者なら勿体無いと思うのだろうが、案外、こうした反応だからこそベルフェもまた素直に称賛するのかもしれない。


 組織に属する人には立場がある。それの持つ権力が強ければ強いほど、本人を縛り付けるものだ。それを空しいとも、嘆かわしいとも言う権利は、私にはないだろう。

 立場の強制力を知っている私は、だから、奴の【】を責めるつもりはない。まったく。


「…………そういうの口に出してたら、もう責めてるようなものですよね、クロナさん」

「ふん」


 いつの間にか注がれていたウイスキーお代わりを口に運ぶ私の手元に、そっと羊皮紙が置かれた。


 ちらり、と視界に入れた瞬間、そこに書かれていた文章―――住所と、何らかの数字の羅列だった―――が私の記憶に刻まれた。


 報酬の在処だろう。

 羊皮紙を片手で弄びながら、私は嘆息する。


瞬間記憶フラッシュメモリの魔術か。夢のない宝の地図だな」

「あはは、必須なんですよ、こういうの。魔術師なんて自分勝手なやつらの組織では、連絡に求められるのはロマンより確実性ですから。………まぁその分、額面は保証しますよ。あのひとは一応組織のトップなので、」

「そうか、返す」


 羊皮紙を放り出すと、何とも珍しいことが起きた。

 ベルフェが、ポカンと口を開けて呆けていたのだ。

 その顔に、私は噴き出した。


「良い顔だ、少しは溜飲が下がったよ」

「…………羊皮紙を、という意味ではないんですね?」

「あぁ」

「理由を聞いても?」

「簡単だよ。依頼を果たせた、と思えないからだ」


 ………

 ………………

 ………………………



 ベルフェが暗殺者クロナと合流したのは、現実に帰還して多少時間が経過した後だった。

不思議の国魔導書の中】で移動した距離程ではないにしろ、現実でも二人の距離は離れていたようで、見付けるのに少々手間取ったのだ。


 結果として、辿り着いた頃にはクロナはもうやるべきことをあらかた終わらせていた。


「…………遅かったな」

「はは、いや、すみません。…………それで、そちらが?」


 挨拶もそこそこに、ベルフェは本題に入ることにした。互いの無事なんてを祝う間柄でもない。

 寧ろ無事で嫌がられてますかね、なんて思いながら、それを表情の表層に上らせることなく、その少女影に近付いた。


「目標だ。…………見てわからないか?」

皮肉ジョークは止めてくださいよ、困ったなぁ」


 見てもわからなかった――何しろ、彼女の顔は布で覆われていたのだ。

 包帯代わりだろう、細く裂いたぼろ布を顔一面に巻き付けてある。


「ほどいてみるか?夢に出るぞ」


 女の周りには、同じように裂かれた布が散らばっていた。それらがどす黒い血に染まっているのを見て、ベルフェは苦笑いしつつ首を振る。


「遠慮しますよ。…………随分派手にやったようですね?」

「まぁな。…………確認が良いなら、もう行くぞ。向こうでの行動がどういう影響を与えてるか知らないが、賑やかなのは好きじゃあないんでね」

「…………? まぁ、良いですよ。報酬は後日ということで」


 顔が潰れている、ということは、安物の芝居なら入れ替わりを疑うところだろうが、生憎現実はそんなことはない。治癒魔術を使えばそれなりに顔は復元できるし、何より彼女に誤魔化す理由がない。


 どことなく焦っているような気もするが、まぁ闇に生きる暗殺者ならそんなものかもしれない。

 魔術師ほどではないにしろ、暗殺者というのもけして付き合い易いタイプではない――魔導書の影響はほとんど現実には及ばないのだが、騒ぎを嫌う気持ちは解る。


「あぁ――後日、


 言葉を置き去りに、音もなく姿を消した暗殺者。相談という言葉の違和感に首を捻りつつ、ベルフェは顔面に重傷を負った魔術師の少女を回収することにした………

 ………………

 ………

 。







「確かに、相談とは言ってましたけど――額を増やせという話かと思ったんですが」

「それは、早とちりだな」


 未練もない、と言わんばかりに放り出された羊皮紙。そこに記された場所に幾らあるのか、想像出来ないクロナではあるまい。


 それを、こうも簡単に。


「…………依頼を果たせていないとは思えませんが。目標の身柄は見事に渡していただけましたし」

「だが、【不思議の国のアリス魔導書】は回収できなかった。………お前が回収したんだろ?」

「それは…………」


 言い訳をしようとして、結局止めた。それに対してどんな感情を持っているにせよ、彼女はを知っているようだ。


「…………回収と言うよりは、破壊ですけどね。魔導書の化身シロウサギを潰したら、世界ごと潰れてしまったようでして」

「それは御愁傷様だが。なんにせよ、私は仕事を完遂したとは言えないだろう? 誰かの横やりのせいとはいえ、な」


 これは参った、とベルフェは内心、深く肩を落とした。


 暗殺を依頼するには、相手暗殺者が信頼出来るか否かが問題となるが、依頼のにも信頼は必要なのだ。

 信頼のない相手からの依頼は、他の同業者のように、彼女も断るに違いない。今後のことを思うなら、それだけは避けなければ。


「その点に関しては申し訳ありません、ちょっとその、羽目を外しすぎたと言いますか」

「そうか、では今後もそうすればいい。私の手など借りる必要はないだろう。…………こう言い換えようか、魔術師。私は正規の仕事を出来なかった。だから、正規の報酬をもらうわけにはいかない」

? …………、それはつまり、そうでない報酬は貰うというわけですか?」


 無言でグラスを傾けるクロナを見ながら、ベルフェは思考を加速させる。

 この場合、彼女が手にし得る契約外の報酬とは何だ?

 異界化させるタイプの魔導書が創り出した世界内の物は、その崩壊と共に消滅するはずだ。己のものは別だが、あの時点で【アリス】、【赤の女王】と対決していたはずの彼女に持ち出せる物とは何だ?


 彼女にとって、莫大な額の金銭を差し置いてまで欲しい物とは、何だ?


 …………わからない。


 困惑に眉を寄せる魔術師を横目で見ながら、クロナはそっとため息をついた。







 ベルフェとの合流の、


「…………不味いね」

「まじぃな、ギャハハ!」


 一瞬の浮遊感の後、私は現実世界に帰還していた。

 見慣れた町並みは崩壊していないし、巻き込まれた一般人で死屍累々の有り様ということもない。相変わらず、現実という名の地獄のままだ。

 世界ごと巻き込むような魔導書だけに、向こうでの破壊がどれ程現実に反響するのか不安だったのだが――どうやら杞憂に終わったようだ。


 それはさておき、問題は別にあった。


「…………」


 問題は、二人の少女だ。倒れている青いワンピースドレスの少女と、もう一人、私の腕の中で気を失っている少女。


 倒れている少女の方は、恐らくアリスだろう。どことなく雰囲気が違うのは、彼女もということなのだろう。


 そちらは、はっきり言うとどうでもいい。依頼としては彼女の生死など、一切関係がないのだ。見るに耐えないから手当てくらいはしてやるが、あとは引き渡せば終わりだ。


 まずいのは、腕の中のこりの一人だ。


 恋人に対してそうするように抱き締めた少女は、

 私が触れていたせいで、来てしまったのだろうか。


「…………一応確認だけど、この場合、想定される事態は?」

「最悪でも最高でもまぁ大差ねぇだろ! あのイカれた研究者どもが魔導書からの来客を、手ぶらで帰すわけがねぇ。肉体か精神か、適当に切り刻まれるだろうな!」

「………………………………」

「ギャハハ、助ける気か? あの陰険魔術師は、そんなに甘くないと思うぜ?」


 無言の私の心中を察して、バグはあまりにも軽薄に笑った。

 その軽さが、逆に心地よい――さすがは相棒だ、私の選択をバカにするでもなく、問題を笑い飛ばしてくれる。


「まぁ、良いぜ、手伝ってやる。こいつを隠すのは任せときな!」

「隠すって………」


 どこに、と聞くよりも早く、


 聞くまでもなかった。私の相棒の持ち物なんて、その身一つしかないのだから。


 ベルフェを誤魔化す手段を考えながら、私は固く誓う。

 この事を、本人にはけして伝えないようにしよう、と。







「…………わかりました、クロナさん」


 数秒間の思考の末、ベルフェは頷いた。


「我々は、既に充分な報酬を支払ったと考えます。貴女が何を手に入れたにせよ、私たちは関与しません」

「そうか」

「ですが、ご理解ください。我々はただの合理主義者です。寛容ではない」


 そう言ったベルフェからは、緑色の魔力が立ち上っている――草原のように鮮やかな緑ではなく、苔のような、湿気と暗さを含んだ緑色の魔力だ。


 見るまでもなく、こいつは今、いつものような仮面じみた笑みを浮かべてはだろう。それよりももっと、感情的な顔をしているはずだ。


 見るまでもないから、見なかった。


 魔術師の気配が臭いごと突然消失して初めて、私は横目で彼のいた席を見た。そして、ため息をつく。


「…………チップにしては、危険すぎるな」


 を手に取り、私はもう一度ため息をついた。魔導書を潰すほどの魔術師の不興を買うというのは、賢い選択とは言えない。


 あとは、祈るだけだ。


 自分の選択に――あの騎士を助けたことが、それだけ価値があることを。






 悪くない、とベルフェは独り笑った。

 取引とは、それが不平等であるほど良い。相手に有利であればあるほど、不安になってしまうのだから。

 最良なのは、実は平等なのに相手がそう思ってくれることだ。


 クロナは愚かではない。これがであると、理解しているはずだ。


 貸しは良い――それが育てば、尚のことだ。


「…………しかし、気になりますね。僕に貸しを作るほど、手に入れたい物とは」


 どれだけ悩んでも、には解らない。

 他人を価値あるものと認めていない、魔術師である彼には、恐らく一生解ることはないだろう。


 しかし、彼は魔術師。知識欲の権化。


 その【解らない】ということを楽しんでしまう分、幸せなのかも知れないが。

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暗殺者クロナの依頼帳Ⅱ 魔術師の本 レライエ @relajie-grimoire

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