森を抜けて。

「………くそ」


 後悔するかもしれない、そう思いながら進んだ森の先で、やはり私は後悔していた。

 ほらやっぱり、という声が心の奥底から聞こえてくる。予想が当たった充足感などまるで無く、ただただ徒労と疲労とで心が埋まっていた。


 やり場のない苛立ちに苛まれる私を、バグの能天気な声が更に苛立たせる。


「ギャハハ、いやぁ、訳のわからない奴等だったぜ!!どうだった?楽しいお茶会はさ!!」

「二度とごめんだ」


 立て札に従った森の奥で、私は妙なお茶会に出会った。………出会って、しまった。


 やたら派手な帽子をかぶったやつに、挙動不審なラヴィ、更には喋るネズミまでいた。彼等は、空の皿を並べ、空のカップを傾け、何でもない日を盛大に祝っていた。

 もっと言うのなら、周りでは草花たちがケラケラゲラゲラと笑っていた。とても、騒々しく。

 狂人達の妄想のパンケーキを振る舞われ、想像上の紅茶の味を問われ、脈絡のない話に付き合わされることになったのだ。何が楽しいんだあれは。


「まぁ、道だけわかって、良かったけど」


『このまままっすぐ行け!』が道案内だとすれば、だが。


「いや、しかしまぁ、何も食わなくて幸いだったかもなぁ?異界の食い物は、だいたい食うと録なことにならないぜ?」

「たしかに」


 ザクロ一つで冥界の住人には、流石に成りたくはない。恐らく彼らは、この町にいた誰かなのだろう。巻き込まれ、役割に閉じ込められてしまったのだ。

 だとしたら。


「………彼等は、何かを食べて、あぁなってしまったのかもね」

「逆に、何かを食べあぁなったのかもな?」


 ギャハハ、と笑う相棒に、私は冷たい視線を送る。まったく、笑えない冗談だ。何せ、もしそうだとしたら、明日は我が身と言えなくもないのだから。

 あの狂人達の横で席につき、幸せそうにケーキを食べる【ごっこ遊び】に興じる自分を想像して、私は軽く身震いする。一刻も早く解決しなくてはならない。ここでは、明日どころか一分後の保証さえないのだから。






 一方、その頃。


「………ふむ、爽快と言えば爽快ですね。よい眺めです」


 悠々と言いながら、ベルフェはそれに跨がっていた。馬に乗るようにぶらつかせる足の先には何もなく、遥か下方に地面が遠く見えているだけだ。


 は、空を飛んでいた。


 獅子を思わせる強靭な四本足の身体の背には、身体と同じくらい大きな翼がある。それを力強く羽ばたかせ空を行くのは、グリフィンと呼ばれる【幻想種】だ。

 魔術師と言えど滅多にない経験ではあるが、ベルフェの顔には感動も興奮もなく、静かな微笑みが浮かんでいるだけだ。何せ【幻想種】の最高峰、ドラゴンに乗ったことも数えきれないくらいあるのだ、彼にとってはさして珍しい体験とは言えない。


 しかし、同乗者にとってはそうでも無いようだった。


「うおおお、すげえ!俺は今、空を飛んでいる!I can flyアイキャンフライ!!」


 唐揚げにでも成りたいのだろうか、とベルフェは首を捻りつつ、抱えていた同乗者………大きな貝に声をかける。


「そんなに楽しいですか?」

「当たり前ですよ、旦那!!俺は生まれてこの方、海と砂浜しか見たことないっスから!!」


 まぁ、貝だからね。あと見ることがあるとすれば、グリフィンの口の中か胃の中くらいのものだろう――彼ないしは彼女が丸飲み派ならの話だが。

 しかし、とベルフェは再び首を捻った。


「そんな喋り方でしたか、君は?」


 なんか人間め、とか言われた気がするのだが。

 ベルフェの言葉に、貝は腕の中でぶるぶると震えた。もしかしたら首を振ったのかもしれない。


「いやぁ、最初は申し訳なかったッス!グリフィンを懲らしめてくれた旦那のことを、俺はもうリスペクトッスよ!!」


 エルとアールが聞き取りづらいな、とベルフェは無感動に思った。多分、巻き舌とかは無理なんだろう。


「まさかあんな強い魔術師とは思わなかったッス!ビームとか出してましたよね、ビーム!!」


 ビーム、という単語に、グリフィンがビクリと震えた。弱々しくクエーとか鳴いているところをみると、ベルフェの攻撃がちょっとしたトラウマになったらしい。

 流石にここで気絶されても困る。安心させるように背中を撫でてやると、グリフィンは嬉しそうに一声鳴いた。なるほど、ちょっと可愛いかもしれない。


 グリフィンは牡蠣を食べに来ただけである。それを知っているベルフェは、軽く、ほんの少しだけ痛め付けて、快く背中に乗せてもらったのだ。

 何しろ不思議の国だ、のこのこと地面を歩いていては、厄介事か面倒事のどちらかに巻き込まれることになる。それは嫌だ。

 それに、


「それで、女王の城はこっちでいいんですね?」

「それはそうなんスけど………」


 確認すると、貝は初めて言葉を濁した。先程までの上機嫌はすっかり消えて、消え入りそうな声でベルフェに尋ねる。


「その………本当に行くんですか?旦那が強いのはわかってるんスけど、女王はその、かなりヤバいんスよ? 」

「そうですね、。しかし、放置もできませんよ。言ったでしょう? 友人がそこへ行く筈なんです」


 寧ろのならなおのこと行く必要がある。クロナは確実に、先に進むはずだからだ。それを放っておく手はない。


「まぁ、半分以上は見学するつもりですけどね………」


 魔導書の中身は知っている。この世界を支配しているのは、赤の女王と呼ばれる一人の女帝だ。

 解決には、女王の排除が必要になるだろう――支配者対暗殺者というのは、控えめに言っても面白そうだ。


 そう。


 ベルフェは今のところ、彼の言うところの友人を助けようとしてはいない。どうにかなると考えて、どうにかすると期待しているのだ。急いでいるのは、その瞬間を見逃したくないからに他ならない。

 万に一つどうにもならなかったときには――それもまた、見逃したくない。

 野次馬、という言葉がぴったりと合う考え方で、ベルフェは城に向かっていたのだ――少なくとも、この時点では。


 だから。


「………………………ん?」


 


 トン、という軽い着地音に、ベルフェは振り返る。彼の上司程ではないにしろ結構な速度で飛ぶグリフィンの背に相応しい音ではなかったからだ。


 振り向いた彼の視界に、どぎつい色合いの猫の亜人が映り込む。

 風圧をまるで感じていないように仁王立ちした彼女は、三日月のように唇を歪めた。

 有り得ない状況での登場に、ベルフェの反応が僅かに遅れ、


「『|fish fry and chop chicken《魚が上がり鳥は地に落ちる》』」


 何にも妨害されること無く詠唱は完成し、現象が到達した。グリフィンが悲痛な声をあげ、重力がその身を捕まえる。

 落ちていく。貝があげた甲高い悲鳴が尾を引いて、地上へと突き進んでいく。


「………キャハ」


 それを【空中で】見送って、チェシャは小さく笑った。

 その体が、幻だったように掻き消える。


 鮮やかな撤退、故にチェシャは気が付かなかった――落ちる直前、ベルフェの顔に浮かんだ、凶悪な笑みに気が付かなかった。

 自分が今、何に喧嘩を売ったのか。全く気が付かなかったのだった。






「………………………」


 全身に風を感じる。

 気持ちがよいと言うよりも痛いと言った方が正しいような、風の壁を突き破っていくような感覚。もしかしたら落ちているのではなく、そのまま天高く飛ばされてしまうのではないか、そんな気にさえなる。

 勿論、それは有り得ない。人の体は、いや、生きとし生ける全てのモノは、空を飛ぶには重過ぎる。


 魂だけなら、飛べるのだろうか。

 ――落ちて死んだら、魂だけまた昇るのかな?


 それは面倒だ、とベルフェは小さく笑った。

 頭上では、グリフィンが懸命に羽を動かしている。飛ぼうとしているようだが、恐らくは無駄だ。あの猫が使ったのは、『鳥は飛ばないものだ』というように、概念に対する攻撃なのだ。地面に触れなければ、解除はされないだろう。


 オイスターは言葉もない。気絶しただけ、と思っておくことにしよう。どちらにせよ、邪魔をされなければそれでいいのだが。

 いかに魔術師と言えども、この高さから落ちたなら普通に死ぬ。そう思ったからこそ、あの猫も追撃もせず撤退したのだ。


 愚かしい。


 手を出したのなら、殺しきるべきだ。でないと、


「殺し返されるだけだ」


 呟きながら、ベルフェは笑う。やられたのなら、ただやり返すだけ。それも、徹底的に。

 風を裂いて落ち続けるベルフェ。その瞳が、鮮やかな翠に染まった。

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