夜より他に見る者は無し

「その盗まれた魔導書っていうのは、どんな魔導書なんだ?」


 翼を動かさない、流すような飛行に変わった事を確認して、私は尋ねる。相変わらず風は強いが、声が届かない程ではない。


「どんなか………ふむ、お嬢さん、」

「クロナだ」

「おぉ、失礼したのぅ。それで、クロナ。お前さんは、魔導書についてはどの程度知っておるかな?」

「一般的な知識だな」


 曰く、魔導書とは、。その文字列を口に出すか、或いは目で追うだけでも魔法は解けて世界を歪める。

 曰く、魔導書とは、破壊も改変も不可能である。例えばファフニルが街全体を焼き払ったとして、何もかも燃え尽きた跡地からは魔導書が傷ひとつない状態で見付かるだろう。


 ベルフェが満足げに頷いた。


「一般的というのは、少々謙遜に過ぎますね。そこまで解っているとは、手間が省けますよ」

「職業柄必要な知識でね。それで?」

「そうですね、では、魔導書のはいかがですか?」

「………【詠唱起動型】、【展開起動型】、【設置起動型】だったか?」


 まあ要するに、【読むと発動する型】、【開くと発動する型】、【置いてあるだけで発動する型】というところだ。

 ちなみにもちろん、危険度は後に行くほど高い。噂では、世界を滅ぼす程の魔導書があり、何処かに置かれるだけで封印が解け、墜ちた地から世界を滅びの時代に飛ばしてしまうという。

 かつて大賢者が、その本を、限り無くゼロに近い速度でゆっくりと落下し続ける空間に封印したらしい。やがてそれが地面に落ちて、世界は終わるのだ。

 お伽噺だが、強ち嘘だとも言い難い。 魔術師という生き物は比較的で、魔導書はそれに輪を掛けてだ。


 それなりに満足のいく答えだったらしい。お見事とベルフェが拍手し、ファフニルも快活な笑い声を漏らした。


「まあ正確には、設置起動型は強すぎて、開くことさえできないんですけどね。もしかしたら、正しい使い方は読むことで、僕たちには不可能だというだけかもしれませんが」

「元来魔導書は、大なり小なり世界を歪めるもんじゃからのぅ」


 一説には。魔導書は天から墜落ちてくるのだという。

 雲の上、空の上。遥か昔に滅んだ、風竜神の魂が作り出した大気の壁を乗り越えて。

 天上からの落し物。

 それは、授けられたのか、それとも棄てられたのか。


「それじゃあ簡単に言っちゃいますね、クロナさん。今回のは展開型です」

「簡単に言うなよ、くそ………」

「もう少し言うなら、構築型ですね。開かれるとそこに異界が形成されて、回りの人間を見境なく取り込んでしまいます」

「本当に簡単に言うことじゃないな?! 最悪一歩手前じゃないか………」

「ちなみに規模は無限大」

「最悪だった!」


 むしろ踏み越えてた。


 起動することで中に記された魔法を発動させるのが魔導書だ。

 魔法と魔術との違いは、一言で言えばその規模だ。ただし、現象の規模

 それは、


 魔術は、基本的には魔術師の認識している空間のみを対象にする。例えば、火の魔術があったとして、燃えるのは魔術師の視界にある物体か座標のみ。

 遠見の魔術天座の瞳との併用で超遠距離爆撃を行う魔術師崩れの暗殺者もいるにはいるが、あいつに関してはもう魔術師としても暗殺者としても規格外だから気にしないとして。

 魔術師に歪められるのは、精々その程度。持続力だって短い。


 だが、魔法は違う。


 魔法とは詰まり、対界スキル。

 発動したという事実だけで、

 火の魔導書があるとする。

 中に書かれているのは、燃え盛る火の描写。野を焼き山を焼き、灰塵に帰される世界の描写だ。

 ここではない世界の、今ではない歴史。本来無いはずの出来事を在るものとしてこの世界に押し付け、現実の側を否定する、世界の改変。

 恐らく。

 指定された範囲は燃え尽きる――いや、


 魔術は世界を騙し、魔法は世界を変える。

 騙された者はやがて真実に気がつき、目を覚ますだろうが、変えられてしまった者はけして元には戻れない。

 どうしようもなく徹底的で致命的な、変質。それが魔法、魔導書だ。


 今回の場合、その規模が制限されていないという。どこまでもどこまでも、世界が変わり続けてしまうということだ。

 まさに、最悪。


 思わず私は天を仰ぐ。

 いつもより遥かに近い漆黒の夜空には、キラキラと煌めく星と、秘めやかに輝く月が、無邪気に浮かんでいる。

 その向こうから、誰かが魔導書を投げ込んだのだとしたら。

 多分そいつは笑っているだろう。


「………その魔導書の効果を、詳しく教えてくれ」

「やってくれますか、良かった」

「断れる話じゃあないからな。………私に話を持ってきたということは、どうせあの街に犯人は居るんだろう? 」


 だったら、仕方がない。

 大した名所もないし、街の住人に思い入れも無いが。

 あの街のバーの静寂スコッチは、命を張るくらいの価値はある。


「ふふ、やはり、貴女は見込んだ通りの方ですね」

「良いからさっさと言え。突き落とすぞ」


 私の威圧を嬉しそうに受け流すと、ベルフェは芝居がかった口調で、その名前を告げる。


「………少女が一人、不思議な世界に迷い込む。花が笑い、牡蛎が叫ぶ。タバコをくわえた芋虫が、狂った茶会に少女を誘う。世界を奇妙に不思議に歪めてしまう、その魔導書の真名タイトルは、【不思議の国のアリス】。

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