第15話嫌がらせ

朝、星路と二人で朝食を採っていると、ドアをノックする音がした。

「はい?」

あやめが戸を開ける。こっちに知り合いっていたっけ。

「あやめ、おはよう。」

そこには、人志が立っていた。

「ああ、人志じゃない。家、そういえばこの近くってシアが言っていたわね?」

人志は微笑んで頷いた。

「ここから東へ少しだ。」と、指差した。「歩いて5分ほど。オレのほうが街へ近いんだ。」

あやめは人志を促した。

「どうぞ。今、朝ご飯だったのよ。あなたもどう?」

星路が、じっと人志を見ている。人志は星路にも微笑み掛けた。

「星路。オレも人を選んで、あやめに名前を付けてもらってな。人志って言うんだ。」

星路は無表情で頷いた。

「ああ。あやめから聞いたよ。」

なぜかあまり歓迎する雰囲気ではない。だが、人志は気にしないようにダイニングテーブルに腰掛けた。

「オレは一人だから、街へも出掛けるんだ。行ったことあるか?」

あやめは、コーヒーの入ったカップを人志の前に置きながら言った。

「ううん。私達、ここに寝に帰って来るだけだったから…。でも、また行ってみる?星路。」

星路は黙々とパンを口に運んでいる。

「ま、お前が行くならオレも行ってもいいよ。」

人志は苦笑した。

「別に気が進まなかったら、オレが連れてってもいいぞ?街のことは、シアが教えてくれて知っているんだ。あっちに知り合いも出来たし。」

あやめは微笑んだ。

「よかった、馴染んで来てるのね?分からないことがあったら、何でも聞いて。夜は用がない限り戻って来てるから。今日は、私仕事があるからもうあっちへ戻らなきゃならないの。」

人志は残念そうに頷いた。

「仕方がないな。あっちでもまだ生きてるんだもんな。」

星路は、立ち上がった。

「そう、オレ達はのんびりしてられねぇんだよ。行くぞ、あやめ。時間だろ?」

あやめは頷いて急いで玉を出した。

「ごめん、人志。またね。こっちでゆっくり出来る日を作るからね。」

人志が頷くのを、笑顔で答えて、あやめは星路と共に生きていた世界の方へと戻って行った。


ロードスターの星路に乗り込んだあやめは、宮脇探偵事務所に向かってアクセルと踏込みながら、星路に言った。

「星路、人志に冷たくない?私達と同じなのよ、それに、星路の仲間じゃない。車から人になって、まだ分からないことだらけだと思うわ。もしかしたら、星路とは違うことを知ってるかもしれないのに。仲良くしようよ。」

星路は、ちょっと憮然としたような声で言った。

「あんまり仲良くしたい気分じゃねぇ。」

あやめは、呆れたように言った。

「ちょっと、分かってるんでしょう?私達が落とされたのは、人志のせいじゃないんだから。桑田がアクセル踏んだからじゃないの。」

「そうじゃねぇよ。」星路は拗ねたように言う。「何だかわからないが、イライラするだけでぇ。」

あやめはため息を付いた。どうしたのかしら、星路は。人になって、まだ慣れないから感情とかに振り回されてるんだろうか。

「とにかく、いさかいは駄目よ?」あやめは言った。「人志にはパートナーもいないし、助けてあげなきゃ。」

星路は黙っている。あやめはため息をついて、星路を会社の指定の駐車場に停めた。

悟が、珍しく事務所から出て戸の外で迎えてくれた。

「やあ、矢井田さん。ロードスター、綺麗になったじゃないか。」

あやめはそこから星路を振り返った。

「はい。もう何事もなかったようでしょう?ホッとしています。」

悟は頷いて、星路を遠目に見つめた。

「ほんとに、唯一無二の車だ。うらやましいよ。」

あやめは少し誇らしげに頷いた。

「はい。だって、私の恋人ですものね。」

悟は驚いたような顔をしたが、微笑んだ。

「そうだったね。」

二人は事務所に入り、いつものようにあやめは机に座った。そしていつも通り引き出しを開けて、電卓を出そうとすると、そこに見慣れない封筒が入っていた。また領収書かしらと中を確認して…何やらチクリとした感覚に驚いて見ると、右手の人差し指と中指から出血していた。

「矢井田さん!」

隣のパートの女性が叫ぶ。あやめは自分の手が切れたのだとやっと知った。

「大丈夫か?!早く、救急箱は?!」

悟が駆け寄って来る。あやめは、そこに昔ながらの嫌がらせ定番のカミソリと、新聞紙を切り抜いた脅迫状っぽいものがあるのに気がつき、パートさんに手当てを受けながら中身を確認した。

「あの車を、処分しろ」

大小も字体も様々な、字がそこに縦に踊っていた。

またか。

あやめは思って、必死に消毒液で指を洗い流してくれる受付の女性を見た。

「どうしてこんな。」

悟が険しい顔でその紙を見た。

「どうせ指紋も出ないだろう。こんな所まで入り込むなんて…昨夜はセキュリティも鳴らなかったのに。いつ入れた。」

傷は、幸い浅かった。あやめは絆創膏を貼られるのを見ながら言った。

「自宅にもこんな貼り紙があったんです。近所の人が、白いカローラを見たと言っていました。きっと同じ人…。」

正確には教えてくれたのは三軒向こうの軽トラの太郎さんだが。悟が驚いたようにあやめを見た。

「本当に?ナンバーは?」

あやめは首を振った。

「それは見ていないようだけど…警察に言うべきでしょうか。」

悟は考え込むような顔をしたが、言った。

「…いや。警察が動くとまた思いきった事を仕掛けて来るかもしれない。オレ達が調べよう。」

あやめは慌てて言った。

「そんな、他に依頼もたくさんあるのに。」

悟は真剣な顔であやめを見た。

「何を言ってるんだ。オレの命じた仕事であんなことになって、それで報道されたりしてこんなことになってるんだろう。必ず君を守るよ。とにかく、田島を君に付かせよう。」

あやめは手を振った。

「そこまでいいです!では、調べて下さいますか?私も手伝います。」

悟は薄く微笑んだ。

「いいよ、無理しなくても。こういうことは、オレ達のほうが慣れているから。しばらくは、事務所で篭って事務仕事だけしてくれていたらいいから。ただ、社用車が出払った時は、あのロードスターを借りてもいいかな?」

あやめは、頷いた。

「はい。でも、気を付けてくださいね。あの車が狙われてるのに。」

悟は頷いた。

「大丈夫。それが目的だよ。オレが運転してれば、社用車にしたんだと思うかもしれないだろう?だから、たまに借りて乗って行くね。」

あやめは、あっちこっちにいろんなことが飛び火しているようで、それで巻き込むのがつらかった。

「くれぐれも気を付けてくださいね。何をして来るか分からないから。」

悟は、頷いた。

「安心していたらいいよ。じゃあ、キーを借りていいかな?」

あやめは頷いて、慌てて星路のスペアキーを出した。

「これです。」

悟はそれを受け取ると、自分の席へと帰って行った。

指は、チクチクと痛んだ。


昼ご飯を食べていると、星路がマスターキーから言った。

「なんだかめんどくさいヤツみたいだな。指は大丈夫なのか。」

あやめは回りを気にしながら、小さく頷いた。

「平気。きっとすぐ治るわ。元々もう、こっちの住人じゃないんだし、この体だって怪しいものよ。あっちに行ってる時の私がほんとの私の体なんでしょう。だから、あまり何とも思わないのよね。」

星路は気遣わしげに言った。

「だがな、こっちで死ねば、完全に死ぬとかシアが言ってただろう。ほら、崖からもう一度飛ぶ話をしてた時だ。それなら今度こそ本当に死ぬってさ。だから、こっちの体だからって侮れねぇよ。もっと大事にしろ。」

あやめは、何でもないように言った。

「大丈夫よ。それより、悟さんに何かないか心配。一生懸命調べてくれているみたいでしょう?私は大丈夫なのに。」

星路は同意した。

「確かにあいつは代わりの体もないし、あっちへ逃げる訳にもいかねぇ。心配は心配だな。」

あやめは、持っていた紙コップをぽいとゴミ箱に捨てた。

「私は私に出来ることをするわ。今は、由香里さんとデミーちゃんでしょう?今夜、ちょっと行ってみる。」

星路は慌てたような顔をした。

「行く?どこへ?」

「由香里さんの所。あっちの世界からなら、簡単じゃない。」と、立ち上がった。「眠ってる由香里さんを、あっちへ連れて行く。そして戻って、デミーちゃんを連れて行く。どう?」

星路は心配そうな声を出した。

「大丈夫なのか?起きてたらどうする?」

あやめは事務所へ戻るべく歩き出した。

「すぐにあっちへ行く。それで寝てる時を待つわ。話して説得なんて、私には無理だもの。」

あやめはもう、午後からの仕事のことに頭を切り替えて、事務所の戸を開けた。

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