第14話あんなこと

次の日からあやめは精力的に働いた。そして、星路が予定通りに必死に仕上げられて来たのを知らされると、仕事の帰りに代車に借りていたシルバーのデミオに乗って、急いでディーラーへ向かった。

「星路!」あやめが言った。「綺麗に直ってるわ。マスターキーから話し掛けても答えないし、心配してたのよ?どうしてたの?」

星路は、ためらいがちに言った。

「いや…ちょっとな。デミーが、由香里と話したいと言っている。お前、連れて来れるか。」

星路は、いきなり言った。あやめは驚いた。

「ええ?!由香里さんって、私、全く面識ないのよ?第一今どこに住んでるの?」

「近くだよ。」デミオが言った。「あのね、ここから北へ三キロ、倉山北の交差点を右。」

「府営住宅だな。」星路が言った。「部屋番号は?」

デミオは口ごもった。

「そこまでは…だって、僕は聞けないし。」

あやめは、ため息を付いた。

「分かったわ。その辺りの車とか自転車に聞いて回ってみる。でも、来てくれるかしら。私、頭がおかしいと思われちゃうわ。勝手に連れて来てしまう方がいいかもしれない。」

デミオは言った。

「うん。もしも夢だと思ってもいいから、とにかく話したい。お願いね、あやめお姉さん。」

あやめは頷いた。自分はこのためにこっちに戻っているんだし、それにデミーを放って置くことは出来ない。

なんだか星路の様子がおかしいような気がして気になったが、あやめは星路を運転してそこを離れたのだった。


異変には、家に帰った時に気付いた。

「何これ?!」

家の玄関の戸に、変な紙が貼られてある。『いつでも見てる。悪魔の車はここから出て行け』なんて…なんて鬱陶しいストーカーちっくな殴り書きかしら。

でも、既に死んでるあやめは何も怖いことはなかった。

「ふーん、あんなところで生き残ったのが不思議でこうなるのかしら。」あやめは言った。「これって、星路を処分しろってことよね。」

前の家のプリウスが言った。

「私も出掛けていてね。戻ったらこうなっていた。誰がこんなものを。誰か見ていないのか。」

三軒向こうの軽トラが言った。

「オレは見たけど、見た事ない男だった。白いカローラに乗ってたよ。」

白いカローラ。そんなの、この辺りにはたくさんある。

「…いいわ。気にしていたらきりがないわ。目立ってしまったから、皆が忘れるまでこんなこともあるわよね。私は平気よ。」

「…オレを売れってことだよな。もしくは廃車にしろってか。」

あやめは、とんでもないと言う顔をした。

「絶対にそんなことはしないわ!私がそんなことをすると思っていたら大間違いよね。この嫌がらせの相手も。」

あやめは、部屋へ入った。星路がマスターキーから言った。

「なあ、お前昨日あっちへ戻ったか?」

あやめは頷いた。

「ええ。あっちで寝てるから。ベッドの寝心地いいじゃない?」と、玉を出した。「さ、行こうか、星路。」

星路は、首を振ったようだった。

「じゃ、オレだけ行って来ようか。お前、いろいろやることあるんじゃないのか。」

あやめは顔をしかめた。

「どうして?私も行くわ。仕事は毎日行ってるから、向こうで仕事出来てるのよ。心配しなくていいわ。」

星路は少し困ったような声を出した。

「だが…。」

星路が言い終わらないうちに、目の前は真っ白になった。そして視界が開けて、二人はあの家の中へ立っていた。

あやめは、もう慣れた風であくびをしながら歩き出した。

「あ~疲れた。お風呂、先に入っていい?」

星路は、ためらったように自分の体を見てから、慌てて頷いた。

「あ、ああ。オレは後でいい。」

あやめはすっと手を出してその手にバスタオルを出す。念じるだけで出て来るのは本当に助かる。これなら、こっちで暮らしたら確実に楽して太るなあ…。


あやめは風呂から出てベッドで横になり、星路が出て来るまで退屈なので本を読んでいた。しかし、もうかれこれ一時間は経とうかというのに、星路が出て来る様子がない。しかも、静かだった。

あやめは気になって、風呂場の戸の前に立った。

「星路?まだ入ってるの?大丈夫、気分悪くなったりしてない?」

中から、星路の慌てたような声がした。

「いや、大丈夫だ。もう出るから。」

あやめは首を傾げた。あれだけ、分からないことがあったら自分をギャーギャー呼んでうるさかったのに。こんなに静かにお風呂に入ってるなんて、気持ち悪いなあ…。

仕方なく戻って、ベッドに横になりながら、あやめは、デミーのことを考えた。由香里に、どうやって会わせようか。そうだ、戻る時に、場所を由香里の所って念じて戻ればどうだろう。夜中に戻ったら、寝てるだろうし。それでやばい場面とかだったら、またこっちへ戻って来たらいいし…。

あやめが、一生懸命そんなことを考えているのを、星路はこちらからそっと伺った。自分の体が、人のそれと同じだという事はわかった。実はパソコンから送られて来たあんなものを見て、自分の体が同じ物なのだろうかと不安になったのだが、あっちこっちを隅から隅まで鏡に映して見た結果、きちんと人として出来ているのを知った。

そこにはホッとしたのだが、あんなことを出来る気がしない。それにあやめに嫌だと言われたらどうしよう。とにかく、早く出て行かなくては、あやめに不信に思われる。

星路は急いでTシャツと短パンを身に着けて、寝室へと向かった。

あやめは、気遣わしげに星路を見た。

「星路?ほんとに大丈夫?」と、少し濁った感じの飲み物が入ったグラスを差し出した。「スポーツドリンクよ。人はね、水分が不足するといけないのよ。」

星路は頷いて、そのグラスを引ったくると一気飲みした。あやめは驚いた…一体どうしたのかしら。

「ねえ、星路…ほんとにどうしたの?何かあった?悩みがあるなら言って。人としては私の方が長いんだから。」

星路は恐る恐るベッドに乗ると、あやめの横に寝て頷いた。

「…あのな、お前が結婚とか学べと言ったろう?オレ、エルグランドの家の自転車に頼んで、あそこの家のパソコンに、人が結婚ってぇと何をするのかいろいろ送ってもらったんだ。」

あやめは驚いた。そんなことをしていたの?

「それで…わかったの?」

星路は頷いた。

「とりあえずはわかった。いろいろ違うらしいが、恋愛ってのがどんなふうかも。人の生物学的なこともな。それで、自分の体がちゃんと人なのか、確かめてたんだ。」

だから長かったのか。あやめは合点がいった。

「それで、ちゃんと人だった?」

星路はまた頷いた。目を合わせない。

「体はそうだった。だが、オレはその…分からなくて。その、感情というか、ああいうことをする心理っていうか。」

あやめは顔をしかめた。

「ああいうことって…見た事ないでしょ?」

星路はじっと黙っていたが、言った。

「いいや。パソコンが送って来た中には、画像だってあったんだ。何でも人が見て楽しむものだと聞いたぞ?」

あやめはハッとした。それってもしかして…。

「あの、それってタイトルとかあった?」

星路は頷いた。

「ええっと、確か、『隣の団地づ…』、」

「ストップ!いいよ、そこは聞いてないから!」やっぱりアダルトビデオだった。あやめはため息を付いた。「星路、それは結構誇張してたりするらしいからね、常にそんなことしてる訳じゃないし、それに、結婚してるからってずっとそればっかりしてる訳じゃないし。だから、そんなこと心配しなくていいよ。」

星路は、あやめの方を見た。

「だが、オレがあれを出来ないと結婚出来ないだろう?」

あやめは首を振った。

「確かにあれがないと結婚したって感じじゃないかもだけど、私達はこれでいいじゃない。星路がもっと人に慣れて、そうしたいと思った時にすればいいと思う。私も、男の人とそういうことしたことないから、教えてあげる訳にもいかないしね。」

星路は驚いたような顔をした。

「え、お前もないのか?」

あやめはとんでもないと言う風に首を振った。

「無いわよ!彼氏だって居たことないのに、誰とするのよそんなこと!二十歳の時に星路を買ったでしょ?あれから男っ気なかったじゃない。」

星路は頷いた。

「そうだな。桑田がなんか言って来ていたが、お前はそれをはねつけていたよな。」そして、ハッとしたような顔をした。「そうか。あいつはあれがしたいからお前を誘ってた訳か。」

あやめは顔をしかめた。

「そう言っちゃったらおしまいなんだけど、ま、そうよね。結婚してて声掛けて来るんだから、それぐらいしか考えられないわよね。」

星路はふーんと納得したような顔をした。

「そうか。あいつはそういうことが好きなやつなんだな。わかった気がする。」と、あやめをじっと見つめた。「じゃあ、そうするよ。オレもあまり気負っちゃいけないってことだな。」

あやめは頷いて微笑んだ。

「そうよ。星路は星路でいいの。でも、ありがとう、ちゃんと考えてくれて。」

星路は微笑むあやめをまじまじと見ていたが、言った。

「なあ、でもしたいことがある。」

あやめは両眉を上げた。

「何?」

星路は、唇を寄せた。

「これだ。」

星路の唇が、あやめの唇に触れた。

あやめは、心の底からじーんとするような感覚に、星路を本当に愛しているのだと思った。

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