廃線ラプソディ

乱橋 笑児

1.旅路

 僕、荒橋雄馬はとても爽快で、重荷が降りたような……、それでいて、ものすごく寂しい気持ちを抱いたまま、信州へ向かう特急電車の座席に座っている。僕は付き合っていた彼女と別れて三日たっていたのだが、その事実がこの複雑な思いの根本原因のようだった。

 ようやく別れる…………もう相手の顔色を伺ったり、身を案じたり、気を使ったりする必要はない。最近見られるようになったヒステリックな一面にビクビクする必要もなくなったのだ。一人になる……。こんなに気が楽なものだったのか……。

 その反面、前述の代償というわけではないが、そばにいてくれる人がいない……、出合った頃に……、付き合いを始めた頃によく見せてくれた優しい笑顔……。上品な可愛らしい笑顔を見ることは、もう二度とない……。それを考えると淋しさに胸を締め付けられる思いもなくはなかった。

 特急列車の車窓に広がる信州の山々やブドウ畑は爽快に後ろへ流れていくが、僕の中では、この車窓の景色に癒され……。別れた彼女への思い……そこからくる淋しさ……。一人になったことへの身軽になった思い……。時には混ざり合い、時には一つ一つ交互に頭をよぎっているのであった。

 時は二〇一三年五月のゴールデンウィークが終わった最初の週末。連休明けだけあって車内もそれほどの混雑はないようだった。今僕が向かっているのは、長野県西部にある、とある場所の森林鉄道の廃線跡地がある場所である。ここは僕が大好きな場所のひとつなのだ。この旅行の決行を決めたのは彼女と別れた後……。僕は嫌なことがあると何か行動を起こさずにはいられない。嫌なことであればあるほどじっとしていられない。じっとしていると凍り付いてしまいそうな、時間が止まってしまうような、世界から置き去りにされてしまうような、底知れぬ虚無感に襲われるのだ。どこかに行かずにはいられない……。どこか安らぐ場所へ……自ずと決まったのが、今日の目的地となった。

 なぜ今日ここに行きたくなったのか……?

 僕は先ほど話したような、昔列車が走っていたが、廃止となりその後線路だけが残っている、あるいは線路が敷かれた跡が残っているという場所、いわゆる廃線跡そしてかっては主が使っていた建造物が今主をなくし、取り壊されず何も手入れされずにそのまま残されている、いわゆる廃墟に行くのが本当に好きでたまらないのだ。こういう類を扱った本や写真集も勿論大好物で、自分でも写真を撮ってコレクションにしては悦に浸っている。

 ただ正直、あまり友人達には共感が得られているあるいは、共感する友人が僕にはいなかった。話はするが、みんな声には出さないものの、ああ、そうなの?と軽くいなされ、恐らく片方の耳からもう片方の耳へ通り過ぎていっているだろう。

 東京の乗車駅から特急列車に乗り約二時間半が経過し、車掌のアナウンスが、僕が利用する乗換駅にまもなく到着する旨を告げた。僕の荷物のすべてである旅行用の黒いバッグを網棚からおろして、デッキへと向かった。

 乗換駅で降りると、そこから目的駅まで普通列車で一時間なのだが、その列車の発車時刻まで一時間弱あるので、まだ十一時を過ぎたばかりだが、駅で弁当を買い待合室で食事をとることにした。

 弁当は十五分ほどで食べ終わり、僕はその後湧き上がってくる負の雑念を様々な方法で振り払おうと試みた。

 風景を見る……。走っている列車とは違い止まっているので、綺麗な景色だが直に飽きが来てしまい、雑念がにじみ出てしまう……。

 次に僕は携帯を取り出した……。廃墟や風景を扱っている投稿サイトやSNSサイトを閲覧し、何とか負の雑念から逃れることができた。

 携帯で何とか待ち時間をしのいで、僕が乗る普通電車の発車時刻十分前になり、待合室から乗車ホームをとおり列車内へ場所を移した。

 列車の中は、本数が少ないことと車両の編成が短いこともあり、地元の人々でごったがえしていたが、僕が乗ったときは一人分だけ空席があり、何とか座ることが出来た。

 列車は動き出し、僕は携帯の電池残量が気になり始めたため、携帯をしまい、目を車窓に移した。

 風景は一層山々が間近に迫り、小さな村や集落……に見える家々と畑や田んぼ、そして木曽川の流れ……。川の流れと線路が交わり、そしてまた離れ……。どっちがまっすぐで、どっちが曲がっているのやら……。

 そんなことを考え、やがて頭をもたげたのは将来に僕が出会う彼女の理想像だった。今度は感情的な子ではなく、いやでもそれは決して冷たいとかではなくて……。あと願わくは趣味が近い子がいいなあ。廃墟や廃線…………。いやそこまでピッタリと合致はしなくとも、美術や旅行が好きな子であれば・・・。でもたまに見かける「片付けられない女の子」や「不潔な女の子」はお断りだ。これはもう生理的……いや宿命的というか……。もう自分の中では「妥協できないもの」「決して譲ることができない」ものだ。

 おそらくこれは母親の血が色濃く影響をしているに違いない。僕は今までほぼ、母親一人で育てられてきた。と言うのも僕が幼いころ父は亡くなったのだ。正確に何歳ごろに亡くなったかは覚えていないが、動いている父親を見た記憶はほとんどなく、遺影の父親しかはっきりイメージできない。

 母親ははっきり言って潔癖症だった。とにかく片づけが出来なかった場合や、家の中を泥で汚そうなら……烈火のごとく怒ったものだ。ひどい暴力は受けたりはしなかったが、時に「ペチン」と頭を叩かれたりした。叩かれた時は「痛み」より「いつもは優しい母に叩かれた」と言う事実にショックを受け、泣きじゃくったっけ……。母親本人にとっては軽く叩いたつもりで、大きな意味はなかったのかもしれないけど……。

 自分で言うのもなんだが、一般的には結構「綺麗好き」「整理好き」なのかも……。

 それが影響したのかどうかは、わからないが現在勤務先は就職先も家庭用洗剤を主とした化学メーカーの販売企画を担当している。

 自分お部屋を汚くされたり、散らかされたりするのも、我慢ならないし、他人の「部屋が散らかっている状態」「不潔な状態」を見ると、その人を嫌いになってしまう……までは言わないが、残念なところを見てしまったな……と落ち込んでしまう。

 やはり、しばらくは一人でいいかな……。

 人の嫌なところみたり、気を使ったりするのが面倒くさいし……。友達もしばらくはふえなくていい。

 そんなことを考えていたら、車掌のアナウンスが目的とする駅にまもなく到着する旨を告げた。

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