パズルの欠片

 所謂、社長用デスクの背面にある巨大な本棚。

 そこがまるで、シェルターの扉の様に重々しく開き、そこから現れたのは、見間違い様なくこの会社を牛耳る女社長「ティエラ」だった。


「なんだ……あんたは無事だったんだな」


 その姿を見た俺は、特に感慨も無くそう呟いた。

 俺達も知らなかった隠し扉の存在に驚きはしたものの、そこからティエラが出てくる事には指して意外感はなかった。

 現場へと向かっていた「実行部隊」以外の社員が皆殺しの中に在っても、ティエラが殺られると言う発想には至らなかったからだ。


「ほんっとに……口の利き方がなってないガキだねぇ……。『ご無事で何よりです』程度の事も言えないのかい」


 俺の言葉を聞いたティエラは、そう毒づきながら煙草を取り出して火を点け、ゆっくりと吸い込むと紫煙を中空へと吐き出した。


「ここの社員を殺ったのは……やっぱり近江なのか……?」


 俺の質問にも、ティエラは眉一つ動かす事なくタバコを吸い続けていた。

 やがてその一本を吸い終わり、灰皿に煙草を押し付けて火を消すと、ティエラはゆっくりとこちらへ目を向けた。


「あんた等にも分かってると思うけど……この会社は堅気の会社じゃあない。どいつも私が見繕った、腕に覚えのある奴らばかりさ。そんな奴らが、全滅させられてるんだ……並の腕利きじゃないのはあんた等にも分かるだろ?」


 ギロリと鋭い眼差しを向けるティエラ。その眼光には、怒りや憎しみが込められていると同時に、どこか楽しんでいる様なものも含まれている。

 外見や声は、飛び抜けて可愛い巨乳ロリ少女……。しかし、彼女の発する雰囲気は、到底その外見にそぐわない鋭いものであり、僅かでも気を抜けば俺でさえ気圧されてしまいそうになる。事実、隣にいる祐希は、先程からソワソワと落ち着きが無くなっている。


「……強襲か不意打ちなのか……。殆どまともな反撃をする暇もなかった様に見えるんだが……。あんた、良く退避出来たな」


 その時に浮かんだ感想と、同時に浮かび上がった疑問から、俺はティエラにそう切り出した。それを聞いた彼女は途端に表情を元に戻して、興味もなさそうに俺の方へと顔を向けた。


「……ティエラ……あんた、近江の謀反を知ってたのか……?」


 近江が反乱を犯す事を事前に知ってでもいなければ、ティエラが隠し部屋に逃げ込むなんて出来なかっただろう。もっと言えば、そうでも無ければ近江が彼女を逃すなんて事は出来ない筈だった。


「……ふぅー……。何時実行に移すかは知らなかったけどねぇ……」


 新しい煙草に火をつけて、紫煙を大きく吸い込んだティエラは、それを吐き出しながら俺の質問にそう答えた。彼女の顔にはまるで、「そんなつまらない事を何故聞く?」と書いてあるようだった。だがそれも、その後に続く彼女の話を聞けば、納得は兎も角、ストンと腑に落ちるものだった。


「仲良しこよしの、学校の部活動じゃないんだ。それぞれに野心を持ってるだろうし、そんな奴らばかりを選んだんだからねぇ……」


 だから、何時でもこういった事態には対処出来るように備えている……彼女は言外にそう答えていた。


「……まぁ、自分の好きな様に動くのは良いさね……。でも、私を殺せなかったんなら、それ相応の報いは受けて貰わないといけないねぇ……」


 ゾワゾワっと、再び邪悪な雰囲気がティエラから噴き出した。彼女が先程言った様に、彼女自身も自分の欲望に最も忠実な存在だと、その時俺は感じずにはいられなかった。

 いつでも自分の命を奪いに来ても良い。それで殺されるならば仕方ない。

 だが、もしもそれに失敗したなら、決して許しはしない。

 ティエラ自身に暗殺の技術が無くても、もしくはもしあったとして、その技術が対象者に及ばなくても、どんな手を使っても報復する……。彼女の瞳は、改めて問い直さなくてもそう答えを出していた。


「で……でも、なんで近江さんはこのタイミングで反乱したんかなー?」


 ティエラの圧力に引き気味な祐希が、何とか空気を変えようとそんな疑問を口にした。

 俺としては、奴がどんな考えを以て行動したのかなんて興味なかったけど、確かに祐希の疑問も分かる気がした。

 奴がこの組織を抜けて、より殺しを楽しめる組織に移るのは分からないでもないが、何もここまでして恨みを買う必要なんてない。


「……さてね……。あんな男の考えなんて分からないけど……ただ……」


 分からないと言うよりも興味がないんだろう、どうでも良いと言った風情で、ティエラが祐希の質問に答えだした。


「……ただ、あの男にとってこの『スイープリライアンス』と言う場所が、居心地の良い場所になったからじゃないかねー……」


 ただ、彼女が呟くように洩らした言葉は、俺にはどうにも理解に苦しむものだった。


 ―――ズキッ。


 また、俺の頭が鈍い痛みを発する。どうにも今夜は、奴に関する話題に触れる度、何故だか鈍痛に苛まれる。

 この組織が嫌になった、他の組織の方が楽しめそうだ、新たな組織の依頼だったから……なんて理由なら、まだ分からないでもない。

 でも、ティエラの言い方だと、この組織に並々ならぬ愛着がある……だから壊滅させたと言っている様にしか聞こえない。

 普通に考えれば、居心地の良い場所なら奪ってでも自分の物にするんじゃないのか? 何で奴は、わざわざ裏切ってまで壊滅させる必要があるんだ?


「何だい、良幸? あんた、あれだけあの男と一緒に居て、分からなかったのかい?」


 鈍い痛みにしかめっ面となった俺を見て、ティエラは俺が考え込んでるとでも思ったのか、彼女は意外そうに問いかけてきた。

 奴の気持ちなんか、俺には全くどうでも良かったが、止まない疼痛に俺は無視を決め込んでいた。でも彼女はその行動を、俺が返答を待っていると捉えた様で、望みもしないのに話を続けだした。……また、鈍い痛みが広がって行く……。


「あの男は、自分が大切だと思う様な物を、その気持ちが最も高まった処で壊す事が何よりも堪らなく好きな変態なんだよ」


 ティエラが、その可愛らしい顔を醜く歪めて、さも楽しそうにそう言い捨てた。それを聞いた祐希は、困った様な、嫌悪する様な表情で「うわー……」と零している。

 普通の状態でそれを聞いていたならば、恐らく俺も同じ様な顔をして、同じような声を洩らしていただろう。だが……。


 ―――ジクジク……。


 俺の頭に広がる鈍痛が、俺にその表情を作らせてくれない。

 奴の……近江の愉悦に歪んだ表情が浮かび上がり、俺の脳裏から消え去ってくれない。

 それどころか、その映像がドンドンと広がりを見せて、俺の鼓動を早めて行く。


「……どうしたん、ヨシ君? なんか、顔色悪いで?」


 いつの間にか、額に脂汗を浮かべていた俺の横顔に気付いた祐希が、俺を気遣ってそう声を掛けて来る。


「……ああ……何でもない……」


 俺は無理に笑顔を作って、祐希にそう答えた。

 実際、あんな奴にどうしてこうも心を乱されるのか、俺にも理由がはっきりと分からなかった。

 確かに、俺達が今まで世話になり、今や俺達の「家」とも言うべき組織を壊滅させた近江を許せそうにはない。もし、ティエラがそう命じなくても、俺はいずれ近江の奴をこの手に掛けていただろう……どんな事をしてでも……。

 ただ、奴の取った行動に、俺自身、忌避感を覚えてはいない。それは正しく、ティエラの言った通りだ。

 この会社、この組織は、何も仲良しグループで形成されている訳じゃない。利害が一致しているからこそ、同じ組織で共に行動している……ただそれだけだ。

 そして、もし互いの利害が合致しなければ……俺だってここを即座に抜けるだろう。その時、もし立ち塞がる者がいたならば、俺は躊躇なくその障害を排除するに違いない。

 それがどれだけ親しい者であっても……。そう、目の前のティエラや、例え祐希であっても例外じゃない。だから本来なら、ここまで気持ちを揺らされる、何故か苛立ちを覚える様な事ではない筈なんだ。


「……そう言えば……」


 俺の変調と、祐希とのやり取りを横目で見ていたティエラが、何かを思い出した様に口を開いた。

 余りにもわざとらしいその切り出しは、本当に思い出したと言うよりも、俺の神経を更に逆撫でする話に違いない。


「思い出すねー……あの男が私の元へ来た時の事を……。あいつは、元の組織に狙われていてねー……何でも、当時の家族をその手で殺したらしくてね。その家族ってのが、組織のボスの娘さんと孫だったらしい……」


 ―――ドクンッ!


 その話を聞いた俺の身体は、とうとう頭痛に加えて動悸まで激しさを増してしまった。


「あの男……近江和清は、それは嬉しそうにその時の事を話してたよ……。全く、自分の家族をその手で殺しておいて、あれだけ楽しそうに話す男も、まぁ珍しいね。イカレちゃあいるんだけど、腕は申し分なかったからねぇ……。ここで引き取る事にしたんだけどさ」


 本来ならば、問題しかない男を、良くもまぁ引き取ろうと思った事に驚きを覚える場面だったが、俺はそんなツッコミをティエラに入れる事が出来なかった。俺の思考は、もっと別の処へ飛んで行ってしまっていたからだ。


 ―――何かが……合致しそうだ……。


 ―――パズルのピースが……嵌りそうな感覚……。


 でも、どうしてもそれが何だか分からない。

 ……いや、違う。

 分かろうとする頭脳を、何らかの力が阻止している様な、そんな感覚に苛立っているんだ。


 ―――俺は……何に気付こうとしているんだ……?


「……さーて……おしゃべりの時間はここまでだね」


 そんな思考の渦に呑み込まれた俺を、仕切り直したティエラの言葉が一気に引き上げた。その声音には、先程までの何処かのんびりとした雰囲気は一切含まれていなかった。


「さっきも言ったけど、あの男、近江和清には、私に手を上げた報いを与えなけりゃならない」


 雰囲気だけじゃない。彼女の瞳にも、攻撃的な光が爛々と灯っていた。彼女が現場に赴いたと言う話を聞いた事は無いが、その瞳は殺人者の物と言って過言では無かった。


「良幸、祐希、これは命令だよ。近江和清を追いかけて始末しな」


 名前を呼びながら、俺、そして祐希に視線を遣ったティエラは、反論さえ受け付けない語調でそう命令を下した。

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