6 わたしの世界にアリスはいない ②

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「むにゃ……あれえ? もう閉門時間?」

 茨城夢子いばらきゆめこ、二十七歳。この揺籃学園の図書室の司書教諭であり、れっきとした教職員である、とウィザード先輩の言。カーディガンの袖で涎を拭いたり、大あくびをしている姿からはとてもそうには見えないけれど……ていうか、堂々と居眠りしちゃってていいの?

「茨城先生、そういうご病気なんだって」

 わたしの疑問が顔に出ていたのか、八木さんがそっと耳打ちしてくる。

「なんとかっていう病気で、昼間寝たくない時でも突然眠っちゃうの。だから好きで寝てるんじゃないんだよ……多分」

 そういえばそんな病気があるってテレビで見たことあったっけ。でも尚更、そんな病気で働いてて大丈夫なのか、と心配になる。

「学園長がお父さんの知り合いなんだよねー」

 わたしたちの話が聞こえていたのか、茨城先生がにいっと笑みを浮かべた。

「持つべきものは理解者とコネってことですな」

「………………」

 色々と納得出来ないけど、一つ理解できたことはある。

 この人、駄目な方の大人だ。

「ほ、本当に生きている人間なのか? 透けてはいないか? 髪が金色だったりはしないか?」

 未だにビビりモードなプリンス先輩がスワン先輩の後ろに隠れながらちらちら茨城先生の様子を窺っている。子供か。

「む、私がお化けかなにかに見えますか。幸邦くんじゃなかったらげきおこ案件だなー」

「あ、あなたは……」

「茨城先生。ここ最近の幽霊事件についてご存知ですか?」

 おちゃらけている茨城先生にウィザード先輩が訊ねる。そうだ、危うく忘れるところだった。

「ゆ~れい? ううん、聞いたことあるような、ないような……」

「まさかこの先生の夢遊病が幽霊事件の真相、とかだったらさすがに怒りますよ?」

 先生に聞こえない程度の小さな声でビースト先輩が呟き、スワン先輩も少し呆れたように頷いている。そんなあまりにぼんやりしている先生を見かねてか、ウィザード先輩が八木さんから聞いた話をかいつまんで説明する。

「司書教諭の茨城先生なら既に耳にしているとは思いますが……」

「……あー、だから最近図書室に人が来なかったのねー」

 知らなかったんだ!?

「茨城先生、話してる最中も寝ちゃうから、あんまり相談しづらくて……」

 八木さんの疲れ切った背中に図書委員の苦労を感じた。

「人影とか、笑い声とか、アリスの心当たりは?」

「人が来ないのに影もなにもないわよー。あ、でも待って……」

 と、茨城先生はなにか思い出したようにカウンターの下を探る。心当たりがあるのだろうか?

「アリスってこの子のことじゃないかしらー?」

「……あの、それは?」

「アリスちゃん」

 茨城先生が取り出したのは人形――ちょうど赤ちゃんくらいの大きさのビスクドールだった。長い金髪を飾るリボン、水色の可愛らしいエプロンドレスは確かに絵本で見る『不思議の国のアリス』を連想させる。

「ま、まさかこの人形が動いていたずらをっ!?」

 プリンスがびくびくしながら言う。そんなわけあるか。

「あとはー、アリスちゃんの絵本にー、アリスちゃんのぬいぐるみにー、アリスちゃんの置物にー、あ、この切り絵は私が自作したんだよー」

 と、カウンターの上に次々アリスコレクションを並べていく茨城先生はどうやら相当のアリスマニアであるらしい。というか、唐突についたアリスの幽霊の尾鰭は多分この人のせいだ。

「はぁ……で、肝心の幽霊の心当たりは?」

「………………ない、かなー?」

「………………」

 結局ないんかい、とその場に広げられたアリスグッズを前に妙な脱力感を味わった。

「……待て。さっき八木が聞いた物音は結局なんだったんだ」

 そんな中、無口なスワン先輩が唐突に口を開いた。

「この人が寝返りを打つ音かなにかじゃないですか?」

「えー、人一倍寝相が良いことが私の数少ない取り柄ですよー?」

 ビースト先輩の投げやりな推論に茨城先生がゆるふわな抗議をする。――――と。

「聴こえたか、今」

 キング先輩が静かに呟く。今、どこかで確かに音がした――がたがたっと、なにかを揺らしたような。

「……あそこからだな。行くぞ」

「ま、待て、キング!」

 と、書庫にずんずん歩いていくキング先輩。本当に怖いものなしすぎる、とわたしたちは慌ててそのあとを追う。

「おーい幽霊! いるんだろ、お前は既に包囲されてるぞ! 素直に投降しろー!」

「立てこもり犯じゃないんですから……」

 書庫の中は電気が点いておらず、窓のカーテンも閉まっていて薄暗い。確かにちょっとお化けが出てもおかしくないかも、と思っていたら案の定プリンス先輩はスワン先輩の後ろで震えていた。

「だだだだ大丈夫だスワン、きみの後ろは私が守るぞ!」

「落ち着け」

はあそこから逃げたみたいだね」

 ウィザード先輩が指差したのはそんな窓の一角。よく見ると一つだけ窓が開いているのか、カーテンがかすかに揺れていた。

「逃げた……?」

「とはいえ、なにかの拍子で本や荷物が棚から落っこちた可能性はまだ否めないか。スーくん、楽土、手伝ってくれる?」

「わかった」

「おう!」

 支持されたスワン先輩とキング先輩が本棚や段ボール箱を調べにいく。一方、ウィザード先輩は開いている窓を調べる。

「この窓の先は……中庭か」

「見てください。あそこの廊下も窓が開いてますよ。幽霊――はおそらく、あそこに行方をくらませたんでしょうね」

「ううん……今から追いかけても特定するのは難しそうだなあ……」

「えっ? ど、どういうことなんですか?」

 ビースト先輩となにやら推理を繰り広げているウィザード先輩に戸惑う。逃げたとか犯人とか、一体どういうことなんだ。

「そうだぞ! 我々にもわかりやすく説明してくれ!」

「わかりませんか? つまり、ついさっきまでここにいたんですよ。幽霊事件を起こした張本人であろう、幽霊ならぬ犯人が」

 だからこんなに慌ただしく逃げたんでしょうね――と開けっ放しの窓を見ながら言うビースト先輩。幽霊騒ぎの犯人が、ついさっきまでここに……?

「つ、つまり幽霊はいないんだな!? アリスはいないんだな!?」

「犯人が金髪の小さい女の子じゃなかったらね……どうだった、スーくん?」

 と、いつのまにか戻ってきていたスワン先輩に訊ねるウィザード先輩。スワン先輩はなにやら小さなもの……髪の毛? を持っている。

「一通り床を調べたが、埃とこんなものしか落ちていなかった」

「黒くて長いね……女の子のかな?」

「少なくとも僕のではありませんよ。書庫に入るのは初めてですから」

 意味深に睨んでくるスワン先輩に対し、ふん、と鼻を鳴らしながら自分の長い髪をいじるビースト先輩。

「それから……床に一カ所、妙に温かいところがあった。誰かが腰を下ろしていたような、人肌だ」

「え、それってまさかわざわざ這いつくばって触って調べたんですか? うわ、きも……」

「………………」

「ま、まあまあ! さすがお手柄だねスーくん、オレだったらそんなの見逃しちゃってたよ! ついさっきまでここに誰かいたってこれで確認できたね!」

 静かに睨みあうビースト、スワン両先輩の間に慌てて割って入るウィザード先輩。そんな険悪な空気をまったく感じていないらしいプリンス先輩がうんうん頷く。

「うむ、アリスの幽霊ならば床に座ったりはしないだろうからな! よくやったぞスワン!」

「荷物のたぐいが落ちたような様子もなかったぞ。しかし埃っぽいなここは! 長居すると気分が悪くなりそうだ!」

 本棚を調べ終わったキング先輩が身体のあちこちについた埃を落としながら言う。

「む、そうだな。私の美しい髪に埃がついたら大変だ。捜査も一段落したようだし、一度出よう」

「あ、ちょっと待って……」

 と、ウィザード先輩は開いていた窓を閉め、他の窓共々入念に鍵の締まりを確認する。

「よし、これで大丈夫。じゃあ出ようか」

 なんでそこまで? と少し気になったが、如才ないウィザード先輩ならばなにか考えあってのことだろう。八木さんと茨城先生の待つ貸し出しカウンターまで戻る。

「なにかわかりましたか?」

「むにゃむにゃ……」

「うん、全部じゃないけど、だいぶ真相には近づけたかな」

 再び居眠りしてしまっている茨城先生に苦笑しながら答えるウィザード先輩。

「それで、もうちょっと聞きたいことがあるんだけど、なくなったって言われてる本ってどれかわかる?」

「ああ、それでしたら……」

 と、八木さんが案内してくれたのは新入荷本コーナーだった。科学雑誌や話題の小説と一緒に大量のアニメ絵が表紙の文庫本――ライトノベルっていうんだっけ――が並んでいる。八木さんいわく、ライトノベル類はすべて生徒からのリクエストで入荷しているらしく、教員や風紀委員からの評判はあまり良くないようだ。

「特にこのシリーズは女の子から絶大な人気があって、盗難などのトラブル対策のために貸し出しは当面禁止して、読みたい人には昼休みや放課後に図書室で呼んでもらうことになってるんです。その都度本がなくなっていないかその日の担当の図書委員が確認することになってて……それで、何度か『昼休み中に確認したらなくなっていた』って報告があったんです」

「でも、放課後に確認したときには間違いなくあった?」

「我慢できなくなった子が昼休み中にこっそり借りていって、バレて怒られないうちに戻したんじゃないですか?」

「あたしたちもそう考えて、読んでる子を注意したり見張ったりしてたんですけど、どうも違うみたいで……」

 くだんのシリーズもやはりライトノベルで、表紙には少女漫画っぽいイラストが描かれている。えっと――『隣のアイツは嘘つきでケダモノで王子様!?』『禁断☆蜜恋~私は女神であの人は魔王~』『平凡な女子高生が異世界に召喚されて各国の王子様から求愛されるスーパー逆ハー姫になってしまった件について』……

「え、えーと……」

 なんだこれ。

「女の子向けのラノベだね。内容がちょっと過激みたいだけど……」

「うわああああああ!? 王子がエリカの×××を×××で××××ー!?」

 何冊か試し読みしていたウィザード先輩が苦笑し、プリンス先輩が真っ赤になって卒倒する。え、えー……さすがにモロなあれそれはないっぽいけど、こんなの学校に置いて大丈夫なの……?

「どうしても、っていうリクエストの数が凄く多くて……でも内容がその、ちょっとオトナだから、風紀委員からの反対も凄かったんです。説得するのにかなり時間がかかって、ようやく五月に置けるようになったんですけど」

「あの清木さんをよく説得できましたね? こんな本読んだら三回くらい気絶しそうですよ、あの人」

 ビースト先輩が感心したように言う。確かに、あの厳しくておカタい清木先輩だったら絶対こんな本入荷するのも許してくれなさそうだ。

「条件付きなんです。もしこの本絡みでなにかトラブルが起きた場合、他のライトノベル類共々すべて廃棄するように、って……」

「全部!? それは厳しいな!」

「だから貸し出し制限なんて設けたんですか」

「そういう意味でも……早く解決してほしいんです。この騒ぎが風紀委員に知られたら、きっとこの本のせいだって言われるから……」

 本を抱きしめながらぎゅっと唇を噛む八木さん。図書委員としての責任もあるんだろうけど、やっぱり……。

「心から本を愛す少女! 実に美しい! これはなんとしても早期解決を目指さねば!」

「まったく、たかだか本の一冊二冊でここまでうるさいことを言うとはな。美鈴の杓子定規にも困ったもんだ」

 なぜか勝手に盛り上がっているプリンス先輩の横でさりげなく服を脱ごうとボタンを外しているキング先輩。

「うん……そろそろ下校時間だし今日はこのへんかな。八木ちゃん、今日はありがとうね」

 ウィザード先輩が本棚を一通り調べた後八木さんに向き直り改めて頭を下げると、「あっ、いえ、そんなっ!」と八木さんは慌てたように頬を赤らめた。

「もう少しだけ調べたいことがあるし、まだちょっとだけ時間がかかっちゃいそうだけど、我慢してくれるかな?」

「は、はいっ! もちろんです!」

 持ってる本を潰しそうになるくらい深々と頭を下げる八木さん。その顔はやっぱり真っ赤だけど、ウィザード先輩は気づいた様子もなく微笑んでいる。ビースト先輩ほどじゃないけど、この人も結構女たらしだ……。

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