6 わたしの世界にアリスはいない ①

  1



 わたしの世界はメルヘンなんて欠片もないほど常識的だ。

 優しく美しいお姫様もそれを助ける清く正しい王子様も、ヒーローやヒロインに呪いを振りまく魔女も、ウサギを追いかけて大冒険するアリスもいない。魔法も奇跡もない、単なるありふれた現実。

 そんな世界で生まれ育った、これまたありふれた人間であるところのわたしこと灰庭はいばかがりの非日常といえば、高校生活初めての中間試験の結果をおののいて待つくらいのもので――。

「灰庭さん、大丈夫?」

「大丈夫じゃないかも……」

 試験最終日の放課後、机に突っ伏しているわたしにクラスメイトの八木やぎななこさんが声をかけてくる。数学がやはりだめだった。とりあえず解答欄は全部埋めたけど、わからなくてほとんど当てずっぽうに書いてしまった箇所がかなりある。答案返却が今から恐ろしい……。

「せっかく先輩に教えてもらったのに……これじゃ顔向けできない……」

「先輩って、あの美学部の先輩のこと?」

 と、八木さんが妙なところで食いついてきた。そう、まさにその先輩のことだと頷く。

「せっかく無理言って見てもらったのに……」

「ね、ねえ! 美学部の人に相談したいことがあるんだけど、いいかな?」

「えっ?」

 と、唐突に八木さんに言われぎょっとする。

「確か美学部って、頼めばなんでもやってくれるんでしょ? 今ちょっと困ってることがあって……」

「う、うん、出来る範囲のことなら、だけど……」

 半笑いでお茶を濁す。八木さんがどんな悩みを抱えているかは知らないけど、美学部の一部員として、美学部になにか依頼をするのはやめたほうがいいと心から思う。

 この揺籃ようらん学園に無数に乱立する非公認部活動の一つ、美学部。活動内容こそ『校内における奉仕・ボランティア活動』と一見マトモっぽく見えるけど、それを構成する部員たちが著しくいただけない。誰もかれもがことごとく変人で、幾度となく生徒会や風紀委員から注意を受ける問題児集団なのだった。

「お願いっ! 早く解決しないと大変なの! 他に頼れる人もいなくて……話を聞いてくれるだけでいいから!」

 わたしが渋っているのを依頼されるのが不満だからだと思ったのか、八木さんは必死で頼み込んでくる。

「う、うーん……」

「なにっ!? それは大変だ! 私たちで良ければ精一杯力になろうじゃないか!」

 と――返事に迷うわたしの後ろから聞こえてきた声に再びぎょっとした。

「先輩!? なんでここに――」

「きみが数学の勉強を不安がっていたことをウィザードから聞いたんだ。落ち込んでしまっているなら慰めようと思ってきたが、まさか別の悩める少女に出会うことになろうとは!」

 本当、余計なことばっかりしてくれるなあ、この先輩……えへんと胸を張っている彼にため息をつきたくなる。

「灰庭さん、この人……」

 八木さんの視線が『彼』に釘付けになっている。当然だ、なにせ中身はともかく、外見は物凄く美しいのだから――まさしく『王子様』のごとく。

 絹糸のような金色の髪、きらめく青い瞳、日本人離れした白い肌、人形のように整った顔立ち――背の低さや体格の華奢さもあいまって女の子のようにすら見える美少年。それが彼、プリンス先輩だった。

「ふふふ、私の美しさに見惚れてしまったかな? 無理はない、なにしろ私は美しいからな!」

 この通り、口を開けばひたすら残念なドナルシーなんだけど。

「私は青星幸邦あおぼしゆきぐに、美学部の部長だ。親しみを込めてプリンスと呼んでくれ!」

 初対面に要求するにはあまりにもナルシストレベルが高すぎる愛称だった。

「前も見たことあるけど……ほんと、すごいねこの人……」

 八木さんの言う『すごい』は先輩の外見と性格どちらを指しているのだろう。

「きみ、悩みがあるならば是非とも我が美学部に来てくれたまえ! 出来る限り、美しく! 協力しようじゃないか!」

 話もろくろく聞かないうちにいきなり安請け合いするプリンス先輩。当の依頼者(予定)である八木さんもすっかり困惑し、わたしに小声で訊ねてくる。

「ねえ、灰庭さんが勉強教わった先輩ってこの人じゃないよね?」

 それはない。それだけは絶対に違う。

「さ、立ち話もなんだ。早速我が美学部部室へ行こうじゃあないか!」

「誰がどこに向かう……ですって?」

 その言葉を発したのはわたしでも八木さんでも、もちろんプリンス先輩でもなかった。厳密に言うとその声は教室の出入り口――扉の前に仁王立ちする女子生徒から発せられたものだった。あの今時きっちりしすぎな制服にひっつめ髪、風紀委員の腕章は……。

「き、清木くん!? なぜここにっ!?」

「それは私の台詞ですよ青星君。下級生の教室にみだりに入るのはやめてください、と先日も注意したはずですが?」

 プリンス先輩のクラスメイトにして鉄の風紀委員長、清木美鈴先輩。(清木先輩曰く)風紀乱しの集団常習犯である美学部の天敵その人だった。

「部活の後輩を迎えに行くのはそこまでおかしなことではないだろう? 規律正しいのは美しいことだがいくらなんでも厳しすぎるぞ、きみは!」

「今日は中間試験の最終日、まだ部活休止期間です。それなのに部活の後輩をわざわざ迎えに行くなんて、まさか部活動を行うつもりじゃありませんよね?」

「むぐ!?」

 痛いところを突かれたらしいプリンス先輩(ていうか、言われてみればそうだった)、なにか言い返そうと目を泳がせるも良い切り返しを思いつかなかったらしく、少ししてわたしの手を掴んだ。

「ちょっ!?」

「と、とにかく行こうじゃないか! 我らが憩いの美学部部室へ!」

「こ、こら、青星君!?」

 清木先輩から逃げるようにすたこらさっさと走っていくプリンス先輩。腕を引かれているわたしはもちろん、八木さんも戸惑いがちについていくしかない。

 美学部部室――こと第一美術室へと。



 2



「それでは、我が美学部の精鋭たちを紹介しよう! まず部員ナンバー一号、二年C組白島湖士郎しろじまこじろう! 私はこの未来の大芸術家をスワンと呼んでいる。絵画も彫刻も思いのまま、手先が器用で色んなものを作れるのだ。少々人見知りなことと仮面については気にしないでくれ!」

「………………」

 描きかけのキャンバスの前に座ったまま、仮面の男――スワン先輩が黙って無愛想に会釈する。

「部員ナンバー二号、二年B組宍上紅蓮ししがみぐれん。通称ビースト。演劇部のエースだ。この通りの色男で、もちろん演技力も抜群! 彼にかかれば老若関わらずありとあらゆる女性が骨抜きだ。女性関係のトラブルシューティングならば彼の右に出る者はいないな!」

「よろしくお願いします」

 にこやかな笑みを浮かべてみせる長髪の美男子――ビースト先輩。

「部員ナンバー三号、三年A組黄堂楽土おうどうらくどことキング! 我が部きっての肉体派だ。力仕事、運動部の助っ人、不良退治、肉体労働ならなんでもござれ。彼自慢の筋肉は惚れ惚れするほど美しいぞ。機会があったら是非その目で確かめてくれ!」

「ハハハ、なんなら今見せてやろうか?」

「やめろ!」「やめてください!」「よせって!」

 着崩したシャツのボタンに手をかけ服を脱ごうとして部員総出で止められる長身の美丈夫――キング先輩。

「部員ナンバー四号、三年A組小角緑おづのみどり、ウィザードだ! 優しげだからといって侮るなかれ、彼は校内でも有数の情報通だ! 試験範囲のヤマからクラスメイトの恋愛事情、彼にかかれば調べられないことはない! だがもし彼になにか訊ねるなら、あくまで良識の範囲内に留めるんだぞ!」

「あはは……お手柔らかにね、プーちゃん……」

 困ったように笑いながらおしゃれな帽子を被り直している美形――ウィザード先輩。

「部員ナンバー五号、一年B組灰庭かがり、期待の新人シンデレラだ! クラスメイトであるきみに多くの説明は必要ないだろうが、彼女も立派な美学部の一員だ。今は主に部室内の環境整備を担当してもらっている。彼女が入部してくれたおかげで部室が見違えるほど綺麗になったのだ!」

「………………」

 八木さんの視線が痛いほど突き刺さる。お願い、見ないでください。

「そして私! 美学部部長にして創始者プリンスこと、二年A組の青星幸邦だ! 美しいだけが取り柄の不束者だがリーダーを務めさせてもらっている! 我が美学部の理念は『美しくないものを美しく、美しいものはより美しく』、だ! きみの悩みがどのようなものかはわからないが、我々は精一杯美しくきみに力添えすることを約束しよう!」

 と――プリンス先輩の自己紹介を最後に、しん、と部室が静まり返る。

 は……恥っずかしいいいい………………っ!

 我ながらシンデレラだけはない。プリンス先輩の紹介もいちいち大袈裟で長いし! シンデレラを名乗れるほどわたしのナルシストレベルは先輩たちより高くない。だのに、こんなイケメン変人だらけの中で一緒くたに紹介されてしまったらわたしまで同類のように思われる。いや違うから! 好きでシンデレラ名乗ってるわけじゃないから! ちゃんと自分の顔面偏差値は把握してるから! と頑張って八木さんにアイコンタクトを送ってみる。

「えっと……じゃあ、話しても良いですか?」

 苦笑いを浮かべて微妙にわたしから視線をそらしつつ言う八木さん。誤解を免れることはできなかったようだった。

「うむ、遠慮なく話してくれたまえ!」

「八木ちゃんは紅茶平気かな? ……そういえば、八木ちゃんって図書委員なんだっけ? じゃあ、あの噂のことかな」

 紅茶を差し出しながら訊ねるウィザード先輩に目を丸くする八木さん。

「知ってるんですか!?」

「詳しい話は知らないけど、ちょっと小耳に挟んでね。てことは、やっぱりその件なのかな」

「さすが小角先輩はなんでも知ってますね」

 ビースト先輩の呟きに嫌味がこもっていることに気づいた様子もなく、八木さんは話し始める。

「そうなんです! すごく困ってて……図書室にアリスの幽霊がいるなんて、そんなことあるはずないのに」



 3



 その噂がささやかれるようになったのは二週間前、五月中旬頃らしい。

 最初は『自分以外誰もいないはずなのに笑い声が聴こえた』とか些細なものだったが、徐々に『不気味な人影を見た』『金髪の小さな女の子が遊んでいるのを見た』『本が勝手になくなったり、増えたりした』『図書室に行ったはずの友だちがそのまま行方不明になった』など尾鰭がついていき、最終的には『昔図書室で自殺したアリスが幽霊となり、訪れた人を呪い殺している』――といった怪談になってしまい、それまで図書室の常連だった生徒たちも不気味がって図書室を訪れなくなり、連日閑古鳥が鳴くような状況になってしまった、と。

 ……いや、アリスって誰?

「噂のせいで今じゃ図書委員の子も図書室に行くの怖がるようになっちゃって……幽霊なんていないし、もちろんそんな事件が起きたことなんてまったくないんですよ? テストも一段落したし、新しい本も入荷したのに、このまま図書室に誰も来なくなっちゃったら……!」

 と涙目で訴える八木さん。だから最近、それとなくわたしに図書室に来るよう言ってたんだ。幽霊は信じてないけど、そんな噂があったのを聞くと確かにますます行く気なくしちゃうなあ……。

 一通り話を聞いた後、とりあえず八木さんには先に図書室へ向かってもらい、わたしたちは一旦軽く依頼内容について吟味する。

「アリスっていうのはともかく……幽霊って本当にいるんでしょうか?」

「そんなのいるわけないでしょう。馬鹿ですか、あなた」

 わたしの疑問を心底馬鹿にしたように否定したのはビースト先輩――八木さんが席を外したからか、先程まで被っていた良い人の皮を脱ぎ捨て、素の不機嫌顔で髪をいじっている。そりゃわたしもそう思うけど、こうもストレートに馬鹿にされると腹が立つ。

「十中八九誰かのいたずらか嫌がらせでしょう。自分たちが面白がりたいためだけに他人に迷惑をかけるいたずらをしたり、妙な噂を流したり。よくあることです」

「決めつけるのはまだ早いけどね……スーくんはどう思う?」

「知らん」

 ウィザード先輩に話を振られたスワン先輩は無愛想に言いながらも、足元に広げていた画材を片付け始めている。珍しいな、いつもだったらお構いなしに絵を描いてるのに。依頼に興味を持ったのだろうか。

「……誰かのいたずらだとするなら、いったいなにが目的でそんなことをする?」

「ううん……まあ、確かに変だよね。八木ちゃんの言う通り、図書室で幽霊騒ぎが出るような事件なんて起きたことないはずだし、人為的なものにしたって誰がどうしてそんなことするのか……」

 ぼそりと呟いたスワン先輩にウィザード先輩も不思議がる。考えてみれば不思議だけど……。

「誰か図書委員に嫌いな人がいる、とか?」

「それならその人に直接すればいいでしょう。その人を不快にさせるために図書室にいたずらするなんていくらなんでも回りくどすぎます」

 思いついた推理もビースト先輩に否定される。それもそうか……じゃあ、図書室でそんな騒ぎを起こす理由ってなんなんだろう?

「ここでうだうだ話してたところで結論は出ないだろ。さっさとその幽霊とやらに会いに行くぞ!」

「……なぜ、服を脱いでいる」

 スワン先輩に指摘されたキング先輩はいつのまにかワイシャツを脱ぎ捨て、たくましい上半身を露わにしていた。続いてズボンも脱ごうとベルトに手をかけている。

「本当に人を呪う幽霊がいるのなら俺の肉体美を見せて改心させてやろうと思ってな! 俺に惚れればたちの悪いいたずらなんてやめるだろ!」

「馬鹿野郎!」

「ゴフゥ!?」

 いつものように意味不明な理論で変態行動をしようとしていたキング先輩の腹にスワン先輩の鉄拳が下った。なにやってるんですか、とビースト先輩の嘆息が聞こえる。

「あ、あはは……じゃあ、八木ちゃんを待たせるのも悪いし、そろそろ行こうか。プーちゃんは大丈夫?」

「あ、ああ! 私はまったく問題ないぞ! 早く図書室へ向かおうじゃないか!」

 と、言葉こそ頼もしげなプリンス先輩だったけど、その顔は真っ青で足もがくがく震えていた。

「……もしかしてプーちゃん、お化け苦手?」

「そそ、そそそそんなことはない、ぞ! アリスでもピーターパンでも、なな、なんでも来い! というのだ!」

 脂汗をだらだら流しながら呂律の回っていない舌で言う先輩。どう見ても苦手っぽかった。

「怖いんだったら、プーちゃんはここで待ってても……」

「だだだだだ大丈夫だ! 私も一緒に行く! おおお、おいてかないでくれ!」

 明らかに大丈夫には見えなかったけれど、プリンス先輩の熱弁という名の懇願を無視するわけにもいかず、全員で図書室へ向かうことにした。

「灰庭さんっ!」

「わっ!?」

 図書室に入った途端、涙目になった八木さんが駆け寄ってきた。

「ど、どうしたの……?」

「今日は誰もいないはずなのに変な物音がしてっ! ゆ、幽霊なんているわけないのに……!」

「落ち着いて。物音ってどこからしたの?」

 半分パニック状態の八木さんの肩を抱いてなだめすかすウィザード先輩。さすが、こういうときは如才ない。

「え、えと、あっちの……」

 八木さんが指差したのは貸し出しカウンターと書庫に繋がる扉がある一角。ま、まさか本当に……? ありえないはずの想像が浮かんでくる。

「うわああああっ! ごめんなさいごめんなさいっ! なんでもするから許してくれーっ!」

「おお、さっそく出たか幽霊! さーてどこにいる?」

 早速ビビりモードに入ってしまったプリンス先輩とは対照的に、興味津々でずんずん歩いていくキング先輩。さすが怖いものなしだ……と、貸し出しカウンターを覗き込んだキング先輩が「おっ」と声を上げた。

「なっ、なんだ!? ゆゆ、幽霊がいたのか!?」

「いや……ぐうぐう昼寝をするような幽霊はいないんじゃないか?」

 と――キング先輩が指差す先を見に貸し出しカウンターへ行くと、そこにいたのは……。

「むにゃむにゃ……」

 オフィスチェアにだらしなくもたれかかっていびきをかいている、どう見ても高校生じゃない若い女の人だった。

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