第4話 記憶と銃声

「狼だ!狼が出たぞ!」


 その日、僕は朝から泣いていた。


「狼が出た!」


 大人達は聞く耳を持たなかった。

 泣きべその子供が言ってるんだから、一人くらい聞いてくれてもいいじゃないかと思った。僕はどちらかと言えば嫌われ者だったけど、こんな露骨に無視されるほどじゃなかったはずだ。たぶんこれも全部『運命の書』のせいだ。『運命の書』に、僕を信じちゃいけないって書いてあるんだ、きっと。


「狼が……」


 小さい村だから、全部を回るのは簡単だ。僕は足が速かったし、道は全部覚えていた。僕は嘘吐きでイタズラ好きの子供だったけど、これは嘘じゃない。

 村を一周して、その間に全部の家を回って、大人と話をした。誰一人、話を聞いてはくれなかった。中にはまだ寝ている大人もいた。


「嘘じゃないのに……」


 僕は家に帰った。そして、階段を上って、自分の部屋から、窓の外を覗いた。

 僕の家では羊を飼っていた。僕の家は村の一番外側で、元々家の外には何もない土地があった。そこに柵を作って、草を植えて、羊を飼っていた。お母さんと二人で餌やりをしたり、乳しぼりをしたり、時々毛を刈ったりした。その羊たちが、窓の外から見えた。お母さんは羊が見やすいように、元はお母さんのだった外側の部屋を、わざわざ僕に譲ってくれた。


 窓の外は赤かった。


 別にそれはいいんだ。動物の血が赤いのなんて、僕だって知っている。焼く前のお肉が赤いのと一緒だ。大人たちは、子供には早いとか、悪影響だ、とか言ったりするけど、僕は全然気にしない。


 問題はそこじゃない。

 羊の中に、狼がいるのが問題なんだ。

 11匹飼っていた羊があと3匹しかいないのが問題なんだ。


 大人は助けてくれない。


 僕がなんとかしなきゃ。


 僕はどたどたと足音を立てながら階段を下りた。玄関で靴を履いている時に、ちょうどお母さんが帰ってきた。


「危ないから、家の中にいなさいね。分かった?」


 お母さんはその日も優しかった。


「うん。分かった」


 僕はその日初めて嘘を吐いた。

 どたどたと足音を立てながら、僕は急いで階段を上った。


「……あ、こら!」


 僕が階段を走って上ったから、お母さんは僕の企みに気づいた。お母さんが階段の下から僕を呼ぶ。

 その時僕は、既にお母さんの部屋の窓を開けていた。僕の部屋とは反対側。見えるのは、レンガの道とレンガの建物、あとは通行人が少し。


 僕は二階から飛び降りた。


 地面はレンガ。だから僕はいつものように受け身を取った。いつも通り、ちょっとだけ痛いけど我慢。ついでに周りの視線も我慢。

 僕は裸足で走った。疲れなんて感じない。イタズラは体が資本だ。あれ、基本だっけ?資本だっけ?どっちでもいい。そんなことを考えてる場合じゃない。


 今は朝だ。お店はまだ開いてないし、たぶん店員もまだ来てない。

 僕はいつも通り、ガンショップの扉をピッキングした。いつもは夜だったけど、手順はいつも通りだ。

 中に入っていつもと同じ銃と弾と火薬と薬莢を借りる。火薬以外はちゃんと返してるんだから、借りるで合ってるはずだ。

 弾を込める。

 銃は危ないから触っちゃダメだとお母さんに言われたから、銃の練習はたくさんした。猟銃みたいな重たい銃は小さい頃の僕には持てなかったから、片手で持てるハンドガンを選んだ。体が基本の今なら、重たい猟銃でも軽々持てると思うけど、重い銃より慣れてる銃の方がいい。


 僕は銃を持ったまま、走って家に戻った。

 玄関のドアを開ける。鍵はかかっていなかった。

 そこに、お母さんと狼がいた。



 バン!!



 僕は、銃を撃った。







「ちょっと待って」


 ライの話をエクスが遮る。レイナもタオも、ライの告白をどう処理すべきか分からず、ひとまず黙って聞くことに徹している。レイナの涙もタオの激昂も今は収まっている。何がきっかけで再発するかは分からないが。


「さっき、生まれてから一度も人に銃口を向けたことはない、って言ったよね?」

「ああ。よく覚えてたな」

「なのに、君が撃った弾で死んだ、って……?矛盾してるよ」

「そうか?俺は嘘は言ってないぞ」


 ライはエクスを試すような口ぶりでおどける。その軽い口調に、母親の死を悲しむ素振りは一切ない。


「……跳弾、ですか?」


 四人の中で唯一銃器の知識を持つシェインが答える。


「そういうことだ」

「えっと、どういうこと?」

「跳弾というのは、撃った弾丸が目標を外れたり、当たっても貫通したりして……レンガのような固いもので、勢いが落ちきらないまま跳ね返ることです」

「母さんが俺の撃った弾で死んだのは本当だが、殺すつもりは無かった。結果は、知っての通りだな」


 シェインの解説を聞き、反省する素振りもないライを見て、タオが声を荒げる。


「なら、さっき撃ったときも跳ね返る可能性があったってことかよ?」

「墓石ってのは字を掘るために柔らかい石が使われてんだ。現に砕けてるだろ。跳弾の心配はない」

「……チッ」


 タオの攻撃的な言動をライはまるで意に介さない。虚勢などではなく、本当にどうでもいいと思っている雰囲気だ。


「さて、他に聞きたいことは?」

「……待って。肝心なことが分からない。それが、どうして……”これ”に繋がるの?」


 レイナは固有名詞を出すことを避けた。視線はずっとライと”これ”の間を行き来している。

 レイナという観客に応えるように、花々は何事もなかったかのように凛と咲き誇り、暖かな光を纏っている。墓石の破片に踏み潰された十数輪を除いては。


「ああ、言ってなかったな。母さんは、俺と約束してたんだ。いつか、母さんの運命の書の中身を教えてくれる、って」

「……それで?」

「ああ、これも言ってなかったか。俺は母親殺しをきっかけに生まれ変わったんだよ。嘘吐きのいたずらっ子から、正直で誠実な子供に。そういう『運命』なんだ」

「…………」 

「……母との約束と、正直者への転身。そして、この事件。その関係は?」


 ライの話はどうにも要領を得ない。

 シェインは理解に苦しむレイナの意図を察し、質問を続けた。


「まだ分からないか?」


 ライは淡々と述べる。


「俺は嘘吐きが嫌いだ。そして母さんは俺に嘘を吐いた。だから俺は、母さんが嫌いだ」

「……はい?」

「俺は母さんが嫌いだから墓を壊した。簡単なロジックだろ?」


 あまりにも倫理観の破綻したライの論法に、シェインは目を丸くした。この想区には、人道とか道徳という概念はないのだろうか、と。


「おかしいよ!」


 声を上げたのはエクス。


「そんな小さなことで、人を、母親を嫌いになんてなれるわけ――」

「理解できなくても仕方ないさ。俺の運命の書には、そういうことが書いてあるんだよ。嘘だと言うなら見せてやりたいところだが、運命の書は他人が見ても読めないから意味がないな」

「…………」


 エクスは押し黙った。今までも、運命の書の記述のせいで、人々が行き違う光景は何度も見てきた。一度や二度ではない。何度も、何度もだ。


 与えられた運命が、必ずしも本人を幸せにするとは限らない。


「ねえ、ライ。はいかいいえで答えてくれる?」

「ああ。なんだ?」


 でも、と、エクスは思う。

 たとえどんな運命を持って生まれても、不幸だと嘆くのは早い。

 どれだけ辛い道筋でも、その終わりが自分の死に向かっていても、全うする価値はある。ジャンヌの教え、その一部しか、まだエクスには理解できていないが。


「ライは、カオステラーじゃないよね?」


 覚えのある問いに、ライはふっと笑った。


「またそれか?何度も言わせ――」

「はいかいいえで、答えてくれるんだよね?ライは絶対に嘘は吐かないんだよね?」


 ライの狂信的とも言える嘘へのこだわりを、エクスは利用する。


「……なんだと?」

「ああ、って、返事したよね。あれは、嘘だったの?」

「…………」


 こんなのは半分詭弁のようなものだ。相手が百パーセント確実に嘘を吐かない人間でなければ成立しない。だが、エクスの見た限り、ライという人物はそこに分類される。

 一度目ははぐらかされたが、今度は違う。ライはもう、明確な答えを示すしかない。


「質問は、ライはカオステラーじゃないよね、だったな」


 ライは答える前に一呼吸置いた。

 森がしんと静まり返る。


「いいえ」


 三文字。

 だがその一言で、状況は一変した。


「やっぱり、か」


 エクスは答えを知っていたかのように、まるで動じない。

 シェインは二度驚いた。ライの自白と、エクスがさして驚いた様子を見せないことに。エクスの目に何が映っているのか、それはエクス本人にしか分からない。


「……何の冗談ですか、これは」

「え?いいえってことは、カオステラーじゃないってことじゃ」

「逆です姉御。裏の裏は表……カオステラーじゃないことを否定したってことは、つまり、こいつがカオステラーだってことです」

「そういうことだ」


 ライは平然と答える。自分は敵だと公言してもなお、以前と変わらぬ佇まいで。


「エクス、確か最初に同じ質問した後、気のせいだ、って言ってたよな。アレは嘘か?」

「逆だよ。……あの時、僕は君をこれっぽっちも疑ってなかった。客観的に見れば、怪しい部分はいくつもあったけど。だから、嘘を言わない君の口から、はっきり聞きたかったんだ。『自分はカオステラーじゃない』って」

「なるほど、それなら納得だ。エクスの問いに明確な答えを返さなかった俺は、断定までは行かなくても、カオステラー候補から外せるほど白くはない、と。そして今、あらかじめ退路を断つことで、欲しかった答えをようやく手に入れた」


 二人は完全に自分達の世界に没頭している。


「ちょ、ちょっと、二人とも!勝手に話を進めないでよ!」


 エキストラを代表してレイナが二人に割り込む。話が飛躍しすぎている。順を追って説明されないと何も分からない。


「嘘吐きは黙ってな」


 だが、ライの返す言葉はレイナを突き放した。


「嘘吐き……って、もしかして私の事?」 

「他に誰がいるんだ?ああ、そういやもう一人いたっけな」


 ライは興味を失った目で、視線をレイナからタオへと移す。リーダー争いの時、『二人揃って大嘘吐きってワケね』と言っていたことをエクスとシェインは思い出した。


「…………」


 タオは何も言わない。代わりに、シェインに目配せする。任せる、という意図だ。頭脳労働はエクスとシェインの仕事。

 シェインは小さく頷いた。


「念のため確認しておきますが、黙って調律を受け入れる気はないんですよね?」

「だったら最初からカオステラーになんかならないだろ?」

「はいかいいえで答えてください」

「もちろん、はい、だ」


 調律のために最低限必要な解答を得るために、エクスに倣い、シェインも二択の答えを迫った。今思えば、ライのおどけた口調も、解答を明示しないため――即ち、嘘を吐かずに誤魔化すためのカモフラージュだったのかもしれない。


「分かってるんですか?あなたがカオステラーとして居続けると、いずれこの想区は混沌に呑まれて消滅することになるんですよ」

「もちろん」


 ライは悪びれもせず、それが常識だとでも言いたげな余裕の態度を見せている。


「人間ってのは息をするように嘘を吐く。そんな奴らは、最初から生まれてこない方がマシさ。お前らだってそうだろ?運命の書を持っていようが、空白の書を持っていようが、人間の本質ってのは変わらない。だったら淘汰しなきゃいけないよなぁ?」


 やれやれ、とシェインは首を横に振る。ライの倫理観が欠如しているのか、これがこの想区の常識なのか。どちらが正解かは分からない。どちらが正解でも、やることは変わらない。

 シェインは銃を腰に戻し、代わりに空白の書と導きの栞を構えた。


「分かってはいましたが、カオステラーを言葉で説得するのは無理ですね。今まで通り、倒して調律するしかないようです。準備、いいですか?」

「シェイン、もう少しだけ待ってくれる?話したいことが残ってるんだ」


 シェインは答えを迷う。カオステラーに言葉の説得が通じないのはどの想区でも一緒なのだから、これ以上の会話に意味などないと思うのだが。


「俺は構わねぇぞ」


 迷っている間に、ライが返事をした。


「……まあ、嘘の吐けないカオステラーが自分からこう言ってるなら、いいんじゃないですか」


 調律に一分一秒を争う事態ではないので、シェインはしぶしぶ了承した。


「敵とのんびり話がしたいなんて、エクスは物好きだな。そのくせ妙に頭が回りやがる。お前を部下に持つリーダーは大変だろうよ」


 ライはエクスを茶化す。まるで親しい友人のように。

 そんなライの変わらぬ態度を無視して、


「ライ。このお墓を作ったのは誰?」


 エクスはお墓だったものを指さしながら問う。


「もちろん俺だ。母さんが死んだら綺麗な墓を建ててやる。死ぬ前に、そういう約束をしてたんだ。俺たちは母子家庭で、しかも他に身寄りが無かったからな」


 ライはまるであらかじめ答えを用意してあったかのように、さらりと答える。


「じゃあ次。今日までこのお墓を壊さなかったのはどうして?」

「ヴィランがいて近づけなかったから――」

「そのヴィランを配置したのはライだよね?」


 回答を先読みしたエクスがライの言葉を遮る。


「…………」


 初めてライがエクスの問いに黙った。

 そして、素早く胸ポケットからナイフを取り出す。

 ナイフの刃よりも鋭い目つきで、ライはエクスを威嚇する。


「エクス。お前の言いたいことは分かった。無駄な問答は止めにしよう。結論を言え」


 エクスに対して初めて向ける、剥き出しの敵意。

 しかし、エクスは動じない。


「ライ。君がカオステラーになった理由は、『人間が嘘を吐くから』なんかじゃない。本当の理由は、『母さんが嫌いだ』っていう大きな嘘を隠すためだ。その嘘を、他人に、そして自分に、信じ込ませるためだ」


 嘘を言わないライの言葉を、エクスは否定する。


「言ったろ?そういう『運命』だってな。理解できないからって曲解するんじゃねーよ」


 突き刺すような視線を送りながら、ライもエクスの言葉を否定する。


「コネクトの話をした時、あんなに必死だったのは、お母さんに会いたかったからでしょ?」

「半分正解だが半分間違ってる。母さんに会えれば、運命の書の中身を聞けると思ったからだ。会うのを楽しみになんてしてない」

「じゃあ、さっき銃を撃つ前に、どうしてあんなに震えてたの?」

「覚えてないなら何度でも言うが、俺は銃声が苦手なんだよ」

「違う。本当は、壊したくなんかなかったんだ。だってライ、君はこんなに綺麗なお墓を作ったじゃないか。お母さんのことが嫌いだなんて、嘘に決まってる」


 二人の言葉に熱が入る。

 無言で二人の様子を伺っていたシェインは、レイナとタオにコネクトの準備を促した。


「君は本当の理由を他の理由で上書きして、一番大きな嘘を隠してる。正直者の皮を被ってるんだ」

「黙れ」

「君は生まれ変わってなんかいない。今も嘘吐きのままだ!」

「黙れぇ!!」


 ライは初めて怒りの感情を見せた。だがエクスはライの怒号にも怯まず、真っ直ぐライを見据えている。


「俺を嘘吐き呼ばわりするお前こそが、本物の嘘吐きだッ!!」


 その叫びが最終決戦の号令となる。

 カオステラーの力を解放し、常人離れした身体能力を得たライの右足が大地を蹴る。その一蹴りで、ライは急加速した。


「させねえよ!」


 エクスがコネクトするより早く、一瞬でエクスとの間合いを詰めたライよりもさらに早く、タオのインターセプトが入る。


「よく見とけエクス!これがディフェンダーの戦い方だぜ!」


 身体の勢いをそのまま乗せたライのナイフを、タオはハインリヒの盾でガードする。威力を殺しきれず、タオの踏ん張る足が土を抉り、後方に押された。だが大きなダメージはない。ライの体重を乗せた初撃を受けきったタオは、即座に槍で反撃。

 不意打ちを失敗したと悟ったライは身を翻し、軽やかに後退。一度距離を取った。


「カオステラーの謎を解き明かすのは結構ですが、わざわざ挑発しなくてもよかったんですよ?」


 シェインはエクスに話しかけながらもラーラの光弾を放ち、ライの様子を見ている。ライは最小限の動作で躱し、次の攻撃のタイミングを計っているようだ。ダメージは見込めず、牽制としても役立っているかは微妙だと、シェインは冷静に分析する。


「ごめん。どうしても、ライの気持ちを確かめたくって」

「新入りさんらしいですね。いいんじゃないですか。倒してしまえばどのみち一緒ですよ」

「…………」


 レイナはコネクトしてはいるが、無言。涙は止まっている。


「レイナ、大丈夫?」


 エクスがジャックの声で気遣う。レイナの目には迷いが見られた。

 数秒の逡巡の末、レイナは覚悟を決めたように前を向いた。


「ライ、ごめんなさい」

「謝ることはねえ、墓の破壊は俺が勝手にやったことだ。ま、嘘吐きが何を思おうが俺には関係ないがなぁ!」


 獰猛な獣のように目をギラつかせ、ライはレイナに狙いを定める。それを察知したタオは、自分の身体と盾でレイナを守るべく、前に立つ。


「今のは、これから私がやる事に対しての謝罪よ」


 レイナは魔導書を開き、魔法を唱える。

 コネクトしているヒーローは、シェリー・ワルム。


「強引で悪いけど、あなたの秘めた思い、暴かせてもらうわ」


 シェリーの魔導書が熱を帯び、紅く眩い光を放つ。


「ぐお……っ!?」


 レイナの魔法を受けたライは地面に膝をついた。

 ライはナイフを持たない左手で自分の頭を押さえ、うずくまる。遠目で見ても分かるほど、体がガタガタと震えている。


――こんなに泥だらけになって。ふふ、元気な子に育ったわね。お母さん嬉しいわ。


――涙が出なくなるまで、いっぱい泣きましょう。大丈夫。お母さんはいつもあなたの味方よ。


――あなたが無事で良かったわ。でも、もう危ないことをしちゃ駄目よ?



 ライの脳裏に母親の姿が浮かぶ。

 生前彼に常に優しく接していた、母の姿を垣間見る。


「なんだ、これ……や、やめろっ!!」


 黒魔法ネイキッドメモリー。

 相手の心を丸裸にし、精神の仮面を暴く魔法。


 ライの震えは銃を撃つ前よりもさらに激しい。今、ライの脳裏に浮かんでいるのは、閉ざした心の壁の奥にあるもの。青ざめ、頭を抱えるライの姿にエクスの推理を合わせれば、原因は誰でも容易に想像できる。


「う、ぐ、おおおおおっ!!」


 震える脚をほとんど気迫で動かしながら、悲鳴とも雄叫びとも分からぬ声を上げ、ライはレイナを、否、庇うように盾を構えるタオを斬りつける。

 再びタオの盾が斬撃を止める。

 再び突き出す槍は、今度はライを捉えた。

 だが。


「うおっ!?」

「うがああああっ!!」


 槍が当たるのと同時に、ライのナイフもタオに命中していた。

 ネイキッドメモリーによって思考を阻害され、無防備になったライには、防御や回避という行動がない。故に、ライは槍を避けようとせず、代わりに二撃目を繰り出していた。


 痛み分け。

 タオはハインリヒの鉄帯で、ライはカオステラーの体で、それぞれ致命傷には至っていない。しかし、ライの動きを読み違えたタオの上体がよろけ、次の一手が遅れた。


「やめろと言ってるだろうがぁっ!!」

「がはっ!」


 ライが振り上げた足がタオにクリーンヒットする。胸部へのハイキックをもろに喰らったタオは、後ろに派手に蹴り飛ばされた。

 タオの真後ろにはレイナがいる。


「きゃあっ!?」


 レイナが重い鎧を纏うタオに巻き込まれ、そのまま十数メートルの距離を飛ぶ。

 二人は一緒に、背後の木にドン、とぶつかる。


「うぐっ!」


 シェリーの小さく幼い体が、重い鎧と固い木にプレスされ、レイナは苦悶の声を上げる。ごほっ、と咳をすると、口元から血が零れ、鎧に降り注ぐ。木が大きく揺さぶられ、衝撃で枝葉がガサガサと鳴り、紙吹雪のように葉が落ちる。

 カオステラーの全力の一撃を受けたタオは昏倒し、地面にどさりと倒れ伏した。レイナは意識は残っているが、痛みと衝撃に耐えきれず、木に背を擦りながら膝を折った。


「タオ!レイナ!!」


 ライが地を蹴ってから、ここまでほんの数秒。

 ライはエクスを無視し、タオに追撃をかけるべく、再び加速。エクスがその背を追い、駆ける。


「余所見は禁物ですよ」


 シェインの偏差射撃がライを襲う。

 ライとエクスの動きを予測し、ライに当たり、エクスに当てないように緻密に計算された光弾を放つ。ラーラの光弾はシェインの狙い通りにライのみを捉えた。

 が、ライはいくら光弾を喰らおうとも、怯む様子はない。ライは攻撃にしか頭が回っていない。


「……ノーリアクションとは、厄介ですね」


 シェインはアタッカーとの切り替えを視野に入れたが、今から近づいたのではどのみちライを止めるには間に合わない。

 止められるのは、最後の一人、エクスだけ。


 エクスの右腕が光る。

 天へと続く豆の木をジャックと共に登って手に入れた、迅速の腕輪がその力を発揮する。


「そこまでだ!」


 ライのバタフライナイフとジャックの片手剣が交差する。ガキィン、と金属同士がぶつかる音。

 腕輪の力で速さを手に入れたエクスが、ライの前方に回り込み、進路を阻む。


「邪魔すんじゃねぇ!」

「断る!」


 ライが素早く振るう腕に合わせて、エクスは剣で攻撃を受け止める。その度に甲高い音が鳴る。何度もそれを繰り返す。

 威勢よく出たはいいものの、エクスは防御で手一杯で、なかなか攻撃の隙を見出せない。


「くっ!」


 弾き損ねたナイフが、エクスの頬を掠める。

 痺れるような痛みと鉄の臭い。滴る血の赤は、このままでは負けるという警告。


――まずい。何か手を打たないと……


 だが、出来ることはそう多くない。捨て身の攻撃はこちらの致命傷にもなりうる。仕留めきれなければ、後ろの二人が危ない。


 エクスは思い出した。導きの栞には、裏にもヒーローをセットできる。そして今、エクスがセットしているヒーローは。


「やあっ!」


 エクスは右腕で片手剣を振るう。


「おせぇんだよっ!」


 エクスの剣がライに届くより、ライのナイフがエクスに届く方が早い。

 だが、そもそもエクスの攻撃は、ライにダメージを与えるためのものではない。


 エクスは右腕で剣を振るうのと同時に、左手で導きの栞を引き抜き、裏返した。

 刹那、ジャックの身体が光に包まれる。

 その光が晴れた瞬間に、


「うぐおっ!?」


 ライの身体が強い衝撃で弾かれた。

 ディフェンダーの切替技、ヘビーインパクト。


「悔い改めなさい!」


 それは凛々しく、気高き女性の声。


 神の使命に従い戦場に立った少女。

 オルレアンの乙女と呼ばれ慕われた、伝説の騎士。

 彼女の名はジャンヌ・ダルク。


――心の乱れは治まったようですね。あんな失態はもう犯しません!


 エクスはこれまでの反省を生かし、栞の表にジャックを、裏にジャンヌをセットしていた。

 エクスはジャンヌの姿を借りて、二人を守る最後の砦として、ライに盾を向ける。タオがそうしたのと同じように。


「舐めてんのか。そんな慣れてないヒーローで、俺と戦えると思って――」

「レイナの魔法で、君の本音はもう見えてる」

「っ!?」


 エクスは言葉を武器に、ライを追い詰める。

 それはお人好しのエクスだからこそかけられる言葉であり、かつ、ライを救うための言葉でもある。


「やっぱり、君は嘘をついていたんだ。だから、そんなに苦しんでる」

「黙れ!黙れ、黙れ黙れ!!」


 ライは、ジャンヌの声で紡がれるエクスの言葉を、あるいは瞼の裏に焼き付いて離れない母の面影を掻き消すように、ジャックをはるかに超える速度でがむしゃらに斬撃を繰り返す。


「苦しくなんかない!悲しくなんかない!寂しくなんかない!!」


 自分の中に浮かび上がる感情をライは即座に否定する。

 刃毀れしたナイフを盾で弾き、重みを腕に感じながら、エクスはライの絶叫にも似た言葉を噛みしめる。


「俺は、嘘吐きじゃなああああい!!!」


 ライの嘘を、しっかりと受け止める。

 そして、言葉を返す。


「君のお母さんは、一度でも、自分の運命を嘆いてた?」


 ライの腕が、ナイフが止まる。

 暴かれ、守りを失った心に、言葉が突き刺さる。


 エクスへの誤爆を懸念し、遠距離攻撃を躊躇していたシェインは、ライの明らかな隙を見て杖を振り上げた。

 だが、その杖が振り下ろされることはない。

 シェインは杖をゆっくりと降ろす。エクスのお人好しは今に始まったことではないが、流石に限度というものがある。シェインはため息を吐いた。


「な……何を、言って……」

「死ぬ直前も、最期の時も絶望することなく、その運命を遂げたんじゃないの?」


 母親が死ぬ直前の光景が、ライの脳裏に鮮明に蘇る。



 レンガの壁に包まれたダイニングルーム。真っ二つに割られた木製のテーブル。煙を吹く銃。即死した狼の遺体。二種類の血で真っ赤に染まった白のワンピース。


――ライ。お母さんが死んでも、強く生きるのよ。


 母さんの笑顔。



「想いが誰にも受け継がれなくなった時、本当の意味で魂は滅びる」


 ライの母親はきっとジャンヌのように、覚悟を持って自分の運命を全うしたのだとエクスは思う。

 ならば、それを受け継ぐのがライの進むべき運命のはずだ。


「君はお母さんの運命を託されたんだ。お母さんの信念を無駄にしないためにも、立ち止まっちゃいけないんだ!自分に嘘を吐いちゃいけないんだ!!」

「う、う、うわああああっ!!」 


 小さな子供のように泣き叫びながら、ライは大きく右手を振りかぶる。

 何十回も盾とぶつかり合ったナイフに、ひときわ大きな力が籠められると、ナイフの刃は根元からぽっきりと折れた。


――終わらせましょう。彼の為にも。


 ジャンヌの槍が光に包まれる。


「悔い改めなさい!君の嘘を!!」


 オルレアンの奇跡。

 光の一閃は戦場の奇跡。槍を振るうエクスにとっても、槍を受けるライにとっても、未来へと紡ぐ希望の光。

 無数の連撃。そして、とどめの一突き。


「がはっ……」


 エクスはジャンヌとコネクトして初めて、その槍撃に確かな手応えを感じた。


「…………母さん……ごめん……」


 ライは既にタオの一撃とシェインの連撃をノーガードで受けていた。

 その言葉を最後に、ライの意識は途切れた。



「終わったのね……」

「イテテ、今回いいとこ無かったな、くそっ」


 カオステラーの最期を見届けたレイナは、自分とタオに回復魔法をかけている。あからさまに疲れきった表情だ。きっと痛みのせいだけではないだろう。タオはさっきまでのびていたにも関わらず、相変わらず元気そうだが。


「ちょっとだけ、本物のジャンヌっぽかったですよ。二割くらいは」


 シェインもエクス達の元に集う。


「それにしても、新入りさんのお人好しは天井知らずですね。まさか、死んだ母親にまで思いを馳せていたとは」


 シェインは感心したような、馬鹿にしたような、どちらともつかぬ言葉を投げかけた。


「これが僕の戦い方だからね」


 エクスは笑顔を見せている。この非効率的な行動理念がエクスの平常運転なのだ。

 相変わらず、倫理観の塊のような思考回路だ。シェインは呆れた。


「ストーリーテラー次第じゃ、住人が理不尽な運命を与えられてることだってある。だから必要以上に首突っ込むのはやめとけ……って、前に忠告したはずなんだけどな。あれは旅の始めの頃か。もうだいぶ昔の話になるな」

「あはは、そんなこともあったね。でも、もう変えられそうにないや」


 先輩の忠告を無視するとは、ずいぶんと生意気な新入りもいたものですね。とシェインはおちょくろうとして、止めた。確かに効率は悪いかもしれないが、現にこうやって解決まで導いているのだから、それでいい。エクスさえ後悔しないのならば。


「…………」

「あれ、レイナ?どうしたの?お腹でも空いた?」


 今日何度目かの無言を経て、レイナはふう、とため息を吐いた。無言になった回数も、ため息の回数も、数えてない。


「今回は、私もちょっと感情移入しすぎたかしら。エクス、毎回こんなのよく耐えられるわね」


 レイナの親は――いや、レイナの想区の住人は、想区もろとも消えてしまった。

 やはり、親を失うことを運命づけられたライを見て、レイナなりに思うところがあったのかもしれない。生まれてすぐ両親を失ったエクスにはその気持ちは想像しにくいが、いいものでないのは分かる。

 だから、エクスは怪訝な顔で話しかける。


「レイナらしくないよ。やっぱり猪だけじゃ足りなかった?」

「な……ちょっと、馬鹿にしないでよ!確かに食べるのは好きだけど、常に腹ペコなわけじゃないんだからね!」


 シリアスな空気を自らの手でぶち壊しにしたエクス。

 タオが豪快に笑う。


「ははははっ!確かにこうやってキレてる方がお嬢らしいぜ」

「なんでよ!エクスが変なこと言うからでしょ!!」


 すっかり元気になったレイナを見て、エクスは心の底から笑顔になる。


「見事な誘導ですね。これ、もしかして本当に、新入りさんがリーダーになってみてもいいのでは?」


 シェインの振りにエクスは笑って応えた。 


「あはは、確かにライにはそう言われたけど、僕には――」

「駄目に決まってるでしょ。リーダーの座は私の物よ!」

「エクス、俺の上に立とうなんざ百年はえーんだよ!」


 シェインの言葉を宣戦布告を受け取ったレイナとタオは、エクスを巻き込んで勝手に話を進める。


「いや、だから僕には無理だって」

「三つ巴ね。上等じゃない。いかに私がリーダーに適しているか、たっぷり分からせてあげるわ!」

「望むところだ。どっからでもかかってきやがれ!タオ・ファミリー、喧嘩祭りの始まりだぜ!!」

「え?いや、ちょっと!二人とも話聞いて!シェイン、助けて!」


 エクスの懇願を受けたシェインは、


「たまにはこういうのもいいじゃないですか。っていうか話振ったのシェインですし、止めるわけないですよね?」


 一人、観客席で楽しそうに笑っている。


「……やっぱりシェインが一番曲者だーっ!!」





 レイナとタオの気が済むまで不毛な小競り合いをした後、ようやく調律が始まった。


「……混沌の渦に呑まれし語り部よ。我の言の葉によりて、ここに調律を開始せし――」


 癒しの光が想区を満たしていく。


 元通りになった墓石と花畑を見て、レイナはようやく笑った。

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