第11話 「ポートレートの中の君」

 スピードを緩めながら駅に走りこんだ電車の中で、ぼんやり窓の外を眺めていた泉の視界に、一人の少年の顔が飛び込んで来た。

 駅の喧騒に気を取られながら周囲を見渡した後、振り返り電車に目を向けた少年と、ほんの一瞬だったけれど目があったような気がしたが、それは、勿論気のせいだ。けれど、周囲から切り取られ、陽だまりの中の木々を背にまっすぐな瞳で見つめる少年の姿は、絵画のようで目に焼き付いた。私はあの少年を知っている。

 最後に大きく揺り動かされた後開いたドアから大きく乗り出し、泉はホームに少年の姿を探した。

「泉さん」

 そう名前を呼ばれ、はっと我に返り、胸を締め付けられる思いで振り向いた。

「総司さん…」

 乗り出した泉を抱き寄せるように引き戻す。泉も抵抗せずに、彼の腕の中に身を寄せた。

「ごめんなさい。知って居る人がいた気がしたの」

 泉がそう言い訳すると、彼はエッと言うように視線を窓の外に向ける。二人を車内に残してドアは閉まったところだ。

「降りて探したかった?」

 彼はそう聞いてくれたけれど、泉は首を横に振った。丸みを帯びてふわりとカットされた髪が、肩の横で柔らかく揺れる。

「良いの。きっと人違い」

 微笑んで答えると、総司は泉を閉じ込めていた腕を緩め、ダンスのような軽やかな所作で泉を居心地の良い空いたスペースに誘導した後、自らはその場所を守るように皆に背を向けて立ち、微笑んだ。

「緊張している?」

 見下ろす視線は優しい。口調はちょっとからかいの色を含んで居るようで、心がくすぐられる。それが許される間柄だ。

「どうかな…少し」

 泉は考えてから、おどけたように答えた。

「俺も、少し」

 総司も同じようにおどけた。二人でクスリと声を殺して笑う。

 電車は次の駅に向けて、少年の面影をホームに残したまま緩やかに走り出していた。



 そこまで読んで、小太郎は顔を上げた。

「良くなったんじゃないか?」

 お。好感触?

 編集者ぶって、珍しく眼鏡をかけて居る。普段は「俺の美貌を隠しちゃ世間に申し訳がない」…と言ってかけないけど、実家ではどうでも良いらしい。まぁ、情けない軟弱な幼少期をご近所様には隠しようもなく知られて居るんだから、今更格好つけてもしょうがないよね。


「結構書き進んでいたんだな」

 お。さらにお褒めの言葉?気を良くしちゃうよ。

「ヒロインの名前がピンとこなかったんだけど、全部修正した。彼女は、その後のイズミだから」

「敢えて漢字に…は正解だな。読者に、あれ?もしかして…って思わせる。手がかりを探して注意深く読んでもらえる」

「うん。流石にそのままイズミじゃ、=《イコール》過ぎて使えなくて。ヒカルも光で行くよ」

「それが無難だな」

 原稿の束に視線を戻した。まだ最初の数枚だ。既に30000字分くらい渡してある。まだ修正が済んでいない残りが30000字分くらいある。

「あと、40000字くらい?まとまるか?」

「うん。最後は決まってる。登場人物たちが抵抗しなければ無事そこに行き着く筈」

 抵抗されたら抗えない。祈るのみだ。

「LINE来てたみたいだけど」

 ノーパソに戻りかけた私に、慌てて小太郎が声をかけて来たけど

「登場人物たちが脳内で暴れまわって居るから、ちょっと書かせて」

「了解〜」

 小太郎は私のスマホをつまむと部屋を出て行った。…小太郎の部屋だけど。

 祖父母の家だと気を使うから、執筆中は小太郎の家の小太郎の部屋で缶詰になって居る。資料もすぐ編集者が用意してくれる…と言う贅沢な待遇だ。

 ずっと使われて居なくて埃っぽいのと、ガキっぽいのは我慢しよう。

 大人になった泉が待っている。物語の中に戻ろう。光を探さないと…


「しつこいね。香夜は今出られないよ」

 何度目かの電話の後、やっと出たのは

「崎田…お前に用はない。香夜を出せ」

 顔を見たら不愉快にしかならないチャラい優男。声だけでも不愉快だと再確認しし、翔也はそれを隠さず声音に含ませたまま言い切った。

「泉香夜先生はただ今執筆中です。一切の連絡を取り継ぐなと仰っておりますので、執筆の邪魔はご遠慮願います」

 更に不愉快さを増す口調で畳み掛けてきた。怒らせたいとしか思えない。

「香夜は今自分の夢の為の大事な時だ。お前らの厄介ごとに関わっている場合じゃない。それでも関わるのを止めないだろうから俺がフォローしている。これ以上邪魔すんじゃねぇよ。用があるなら言えよ」

 小太郎の口調も苛立ちで荒くなる。相手を面白くなく思っているのは小太郎も同じだ。

「お前に言うことはねぇよ。俺は香夜に用があるんだ。連絡するように伝えろ。その位出来るだろ。お前でも」

「香夜は今俺の部屋だぜ。野暮な邪魔はよせよ。お前ら良い加減に香夜に甘えんな」

「あいつは、oZの仲間だ。部外者じゃねえ」

 そう言って電話は切れた。小太郎は、数件の着信を表示しながら光っている香夜のスマホをもう一度眺め、テーブルの上に置いて肩をすくめた。

 oZが香夜にとって大切な存在なことは分かっている。だから止められない事も。分かっているから、腹立たしかった。


「香夜ちゃんは?」

 案山子に聞かれて、翔也は首を横に振った。

「部屋に篭って執筆中だって、崎田の奴が出た」

 不機嫌に答えて携帯電話をソファーに投げる。クソ…と悪態をつきながら。

 香夜は仲間だ。oZの部外者じゃない。だけど、全面的に香夜に甘えているのは事実だ。それが分かっているから悔しかった。

 香夜の夢は応援したい。叶えさせたい。でもその為に必要なのは自分じゃなくあの男だと言うのが腹が立つ。

「どうすんの?」

 柳がソファーから電話を拾い上げて寄こした。

「…俺、ちょっと抜けて良いか?」

 翔也はちょっと考えた後に言った。

「お前、行くのか?」

「あぁ。それしかないだろ」

 案山子と柳が顔を見合わせ、

「そうかもな…」

「こっちは問題ないよ」

 そう言った。

 次のライブまでは間がある。ここ数回のoZ with why so?岡山 は思いの外上手く行っていた。SNSで告知し口コミで広まった岡山さんの参加は、why so?を記憶しているマニアをそこそこ呼び込んだ。いつものファンより年齢層は上がったが、彼らはoZのカバーを概ね受け入れてくれたし、why so?を知らない年代の観客も気に入ってノってくれていた。

 勿論、貴の怪我の心配や復活を願う声も多かったけど。

 その辺は、療養中の貴がSNSでチェックしていた。メンバーは極力見ないようにしているから。世間はヘビーメタルに対して好意的じゃない。毛嫌いしている人種も多い。意外とメンタルが強くないメンバーは、意見に左右され過ぎないように直に目にするのは避けるのだ。

 岡山さんと貴がチェックして、方向を相談していた。キャンセルを避ける為の苦肉の策だったはずが、その先のライブを入れる方向で進んでいる。

 貴の怪我は順調に回復はしていたが、ドラムの練習に戻れるにはまだ時間が必要だった。


 ある日。いつものように貴が治療の為に病院に行き、治療を終えて出て来ると、ドアの前に桜が立っていた。

 あまりに突然で、幻かと貴が動揺するくらい唐突に。

「どうして…」

 言いかけた貴の言葉を、右手を前に突き出し止めると、俯いたまま、華奢な、でもきっと高級なのだろうと思わせる皮の淡いピンクのハンドバックから、封筒を取り出し貴の胸に押し付けた。

 言葉を探し、開きかけた貴の口元を人差し指で制止し、

「約束していた、治療費…」

 俯いたままそう言った。

「あ、あぁ…」

 言いかけた貴の言葉を、そのままの人差し指で押さえ込み、

「それだけ…」

 そう言って、初めて顔を上げ貴を一瞬だけ見、そして貴の包帯を巻いた手に目を移し、脳内に浮かんだ言葉も、胸に浮かんだ感情も、打ち消すようにもう一度目を伏せ、くるりと背中を向けて走り去った。


「あぁ、本当に、終わりなんだなぁ…って思った」

 練習中のoZの元に現れ、皆に苦労かけてごめん…と封筒を投げ出した貴は、さっき起きたことを皆に話し終えると、ポツンと呟いた。

「ここに香夜ちゃんが居てくれたらなぁ…」

 そう情けない顔で翔也を見て、頭を腕でholdされた。

「マジで痛いから…」

 そう言いながら、貴が泣いたので、翔也は少しだけ力を弱め、だけど腕を放す訳にいかなくなった。

 誰も何も言えずに、妙な体勢と空気が流れた後、おもむろに岡山さんがドラムを叩いた。激しく激しく。

 柳が合わせてベースを鳴らしたので、それを合図に翔也も貴を腕から解放し、ギターに手を伸ばす。知らない曲だ。いや、曲では無いかもしれない。だけど、ドラムに引っ張られ、ベースに突き上げられ、ギターの弦に触れたら、それはもう音楽だ。溢れ出して流れて行く。

 案山子が貴の肩を組み、シャウトする。何て言っているか分からない。

 だけど、それで良い。慰めの言葉なんて糞喰らえ。分んだろう?伝わるだろう?仲間じゃ無いか。友達じゃ無いか。一緒に叫ぶんだ。

 皆がめちゃくちゃに叫び、貴もつられて叫び出す。

 そうだ。俺たちはバンドだ。メタラーだ。怖いとか、ダサいとか、男臭いとか、上等だ!ソコに入れ込んでるんだ俺たちは。そこに惚れてるファンがいるんだ。

 言葉じゃ無い。メタルで語るんだ。

 皆の声が枯れだした頃、岡山さんのドラムが調子を変えて、穏やかになった。翔也も合わせて静かな曲調になる。これは…バラードか…?

 しばらくハミングして居た案山子は


 歩き続けろ ここまで来たんだ 何も恐れるな お前の後ろにはいつもマイクを持った俺がいる♪


 後ろの正面の案山子に持って行った。上手いな!と皆が苦笑いし、サビを繰り返した後、音は徐々に激しくなり、


 お前の後ろには、いつも俺たちoZが居る!


 ライブのお約束、全員で叫んで飛んだ。

 汗だか涙だか分からない液体を撒き散らし。いつもより息が上がってゼイゼイしながら。

「早く、戻りたい…」

 そう言って、へたり込みながら両腕で顔を隠して咽び泣く貴を、もう誰も止めなかった。

「ちゃんと体力つけないと、この位でへばって居たらライブ通しで行けんぞ〜」

 そう言う方も息が切れて居て、皆で爆笑しながら。


 あぁ、ここに香夜がいたらなぁ…と誰もが、そして誰よりも翔也が思っていた。


 その数日後だ。翔也に一本の電話がかかって来たのは。

 そして、香夜に電話をした。結果、小太郎に阻まれて終わった。


 問題の1つ入院費はクリア出来そうだ。それも伝えたかったのに…とまた悔しさが湧いてきて、翔也は振り切るようにギターの弦を弾いて歪んだ音を響かせた。香夜の好きな曲音だ。

 香夜がここに居ない。伝えたいことを伝えられなかった以上に、その事が辛い。自分が香夜の為に出来る事があるなら、してやりたい。だから、俺が行く。翔也はそう決めて、立ち上がった。



 当日、式場の更衣室から出て来た泉を一目見て

「すごく綺麗だよ」

 右手を差し出し華奢なレースの手袋に包まれた泉を手を取りながら、総司はうっとりとした声で言った。

「ありがとう」

 泉ははにかんで、総司の横に落ち着いた。

「花嫁が霞んじゃうね」

 そう小声で言われ、

「もう」

 と怒ってみせた。

 総司は、自分に甘すぎると思う。泉には十人並みだという自覚がある。それなのに、いつも極上の宝物のように扱ってくれる。それは凄く心地良いけれど、自分はそれを得るのに相応しいかしら?と思ってしまう。

 共通の友人の結婚式。その為に二人で泉の故郷に帰郷していた。

 今回のメインはそちらで、決して昨夜の泉の両親への挨拶ではない。けれど文句の付けようがない総司は、両親にも気に入られ

「次はお前たちの番かな?」

 と、今朝式場に向かう為に家を出る時に、からかわれた。

 そうなるのかな…このまま行ったら。それが自然な事なのよね。

 だけど、ちょっと不安を感じる。誰でも感じるのかな…そう言うものなのかな…

 帰郷してから、特にそう感じるのは、友人の結婚式でナーバスになっているからかもしれない。

 総司にエスコートされ、友人席に着く。白い円卓に、花嫁の好きなゴージャスなピンクの芍薬がメインのアレンジが飾られている。テーブルセッティングも完璧。彼女らしいセンスに、自分だったらどうするかな…と考えてしまい、一人で頬を赤らめた。やだ。やっぱり私結婚したいのかな…そう思った時、式場に緊張が走り、司会者がマイクを持った。

「あ…」

 泉は小さく声をあげた。そして動けなくなった。周囲の音が、時間が、止まる。それなのにすごい速さで景色が流れて行く。

 司会者を見つめ、目が離せない。

「もう?」

 と、総司が胸の飾りのポケットチーフを手渡して来たので、ハッとした。呆然と彼を見る。歪んで見えて、そこで初めて涙がこぼれ落ちていることに気がついた。

「あ…」

 総司は困ったね?という顔でこちらを見ている。全てが色褪せた。一瞬で変わって見える。嘘だ…そんな笑顔は嘘だ。優しさも、甘い言葉も、きっと嘘だ。私のモノじゃない。私が求めたものじゃない。あぁ、私は嘘つきだ…泉は総司に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。ごめんなさい…私は…何も求めちゃいけなかった。

 この心は、今も。変わることなく、たった一人の少年のものだった。大人になった少年…

 一昨日、電車の窓の額縁の中にいた少年…大人になっているけれど、見違えるように成長しているけれど、間違えようがない。彼は、泉が嘗て好きだった…ずっとずっと子供の頃から片思いして来た人。光…その名を心の中で呼んで、胸が締め付けられた。光…今でも心をかき乱す、初恋の相手。

 光がすぐそこで、司会者としてマイク越しに何かを話し、皆が拍手をしている。けれど泉は、ここがどこか…何をしているのか…頭に靄がかかり喪失していた。

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