07:まるで少女漫画のヒロインのような

 談笑を楽しんだ後、尚はわざわざあやめの荷物を持って、家まで送ってくれた。

 街路樹が茂る大通りを抜け、細道へ。

 住宅街に入り、あと数分で家に着く。

 そのタイミングで、あやめは切り出した。

「ありがとう姫野くん。今日は本当に楽しかった」

「いえいえ、こちらこそ楽しかったです。また明日、先輩が来るのを姉と楽しみに待っていますね」

 にこやかに言われて、心臓が跳ねる。彼は万人にそうするのだろうとわかっていても、異性に対する免疫のないあやめはいちいちドキドキしてしまう。

(ど、どうしよう、何を言えば。どう返答すれば)

「ええと、あの、姫野くん」

 意味もなく軒先の小さなスナックの看板に目を走らせながら、あやめは言った。

「はい」

「姫野くんはさきほど自分がイケメンではないと言っていたが、私はイケメンだと思うぞ」

 必死で話題を考えた結果、口から出てきたのはそんな言葉だった。

「イケメンと言うのはただ顔が良いからそう言われるわけではないのだ。人に対して優しかったり、言動が格好良くてもイケメンと言うことがある。姫野くんは十分にイケメンの条件を満たしていると思う」

 話しているうちに気持ちが落ち着いてきて、あやめは笑った。

「絡まれていた女子を助け、不良たちに囲まれても全く動じなかった勇敢さ。私の荷物を持ち、家まで運んでくれる優しさ。そして極めて美しい容姿も兼ね備えている。君がイケメンでなければこの世の誰がイケメンというのだ」

「………ええと………」

 尚は困ったように目を泳がせた。

 ほんのりとその顔が赤く染まっている。

(うーむ、やっぱり可愛いな)

 のほほんと微笑んでいたあやめだが、

「それなら、先輩もそうじゃないですか」

 やがて顔を上げた尚から、思わぬ逆襲を受けた。

「先輩の武勇は姉やクラスメイトから聞き及んでいます。ぼくもさきほど助けてもらいましたし。先輩も間違いなくイケメンですよ」

「そ、そうか……ありがたいが、イケメンという単語はちょっとな……通訳すると『イケてる男』だろう? 私は一応これでも女子なんだが……その単語を聞くたびに、どうにも複雑だ。私が理想とするのは君のお姉さんみたいな人なんだが」

 道端の草を見下ろして、つい、ぽろりと本音が漏れた。

 人から頼られるのは構わない。むしろ嬉しい。

 けれど、その一方で。

 小柄で。可愛らしくて。守ってあげたいと、異性が庇護欲を掻き立てられるような。少女漫画のヒロインに相応しいような、そういう女の子になりたいと思ったりもする。

 放課後に出会った少女は、鞄に可愛いキーホルダーを下げた、全力で恋する乙女だった。

 あやめも可愛い物が大好きなのだが、一度男子からからかわれたことがあって、私服でスカートをはくのも、学校に可愛い系の小物を持っていくのも止めた。似合わない、と揶揄されるのが嫌で。怖くて。

(……って、何を言っているんだ、私は)

 尚が何でも話せるような柔らかい雰囲気を纏っているせいで、余計なことを口走ってしまった。

 気まずい思いで、横目で尚を見ると、彼は目をぱちくりさせていた。

 たちまち、恥ずかしくなった。何を言っているのだろうか自分は。

「いや、すまない、忘れてくれ。やはり私に可憐な乙女は似合わないよな」

 あははと笑って手を振り、それで終わりにしようとしたが。

「すみません、先輩。先輩がそう思っていたなんて知りませんでした。そうですよね、先輩は女性なんですから、イケメンって言われたってあんまり嬉しくないですよね」

 尚は本当に申し訳なさそうな顔をした。

「いやいや、本当に気にしないでくれ! 何を言っているんだろうな私は! こんなこと言われたって困るよな! むしろ謝らなければならないのは私のほうだ! すまない! だから本当に、うん、もうこの話は止めよう!」

「はい」

 尚は頷いて、口を閉ざした。

 なんともいえない沈黙が落ち、やがて、家が見えてきた。

 この沈黙が終わることにほっとして、あやめは明るい声をあげた。

「あれが私の家だ。送るのはここまでで良い。わざわざ付き合ってもらってすまなかったな、本当にありがとう」

「いいえ。それじゃあ、ぼくはこれで失礼しますね」

「ああ。ありがとう、気をつけてな」

 あやめは尚の手からビニール袋を受け取り、その場に留まった。

 尚が踵を返すのを待っていたが、尚はそうしようとはせず、何か考え込む様な顔をして――ふと、真顔であやめを見上げた。

「先輩」

「うん?」

 あやめは尚の急な雰囲気の変化に戸惑いつつ、呼びかけに曖昧な返事を返した。

「可憐な乙女は似合わないとか言っていましたけど。そうなりたいと思う時点で、既に可憐な乙女だと思いますよ?」

「…………え」

 思わぬ言葉に固まっていると、尚は微笑んだ。

「いままでは格好良い面しか知りませんでしたけど、先輩はすごく可愛い人なんですね。無理に自分を変えようとしなくても良いんじゃないでしょうか。いまのままで十分に魅力的な女の子なんですから」

「……な……な、な、な!」

 あやめは真っ赤になって震えた。

(なんだ今日は。なんだこの子は)

 いままで無縁だったはずの異性とのそれっぽい交流に、身もだえしたくなるほどの褒め言葉。

(なんなんだ! 私はどうすればいいんだ!!)

 美しい。可憐な乙女。可愛い女の子――私が?

(ああああああああ無理いいいい!!)

「か――軽々しく人を褒めるものではない!!」

 あやめは混乱のあまりちょっぴり涙目になり、尚に人差し指を突きつけ、怒鳴るように言った。

 びっくりしている尚の向こうで、通行人が足を止めてこちらを見た。どうやら驚かせてしまったようだ。謝罪したかったがいまはそれどころではなかったし、通行人はカップルの痴話げんかとでも判断したらしく、すぐに歩き去った。

「100%善意による言葉なのかもしれないが、私にとって、いいや、大半の女子にとってそれは口説き文句だぞ!? 勘違いしたらどうするんだ!?」

「勘違いされても良いですけども」

「はあ!? 私に気があるとでも言いたいのか!?」

「はい」

「何を馬鹿な……馬鹿……な……」

 台詞の途中で滑り込んできた尚の肯定の言葉を受けて、あやめはだんだんと声の速度を落とし、手を下ろした。

 ゆだっていた脳が徐々に冷却されていくと同時に、尚の言葉の意味を反芻し、理解しようと働き始める。

「………………気がある、というのは、好意があるという意味で合っているだろうか?」

 都合の良い勘違いを防ぐべく、真面目に尋ねる。

「はい」

「…………。好意があるというのは、万人に対する『好き』ではなく、特別な『好き』で間違いないな?」

「はい」

 念入りに確認するあやめの真顔が面白かったらしく、尚がおかしそうに笑った。

「……。つまり、だ。君は私に好意があると?」

「はい。二年前に姉があなたのことを話してくれたとき、ぼくはあなたに興味を持ったんですよ。高校に入って、あなたの武勇伝を聞く度に忘れていた興味が膨らんでいきました。今日初めて実際に言葉を交わして、ますます興味を持ったんです。イケメンと呼ばれることに複雑な気持ちを抱いていて、可憐な乙女になりたいと思い悩んでいて――そんな可愛い人、どうしたって興味が沸くじゃないですか。ずるいですよ」

「ず、ずるいって……」

 再び顔が猛烈に熱くなった。心臓が踊り出す。

「ぼくは先輩のことをもっとよく知りたいんです。だから、先輩。ぼくと付き合ってもらえませんか?」

 まっすぐに見つめられて、あやめはぽかんとした。

 夕方の空を見上げ、地面を見て、それからまた尚を見る。

「やっぱり冗談です」と言い出す気配はない。恐らく尚の性格からしてそれはない。

 夢でも見ているのかと思うが、これは紛れもなく現実だ。

「……ええと……あの……その……わ、私はまだよく姫野くんのことをよく知らないし……もちろん好きか嫌いかの二者択一ならば迷いなく好きと言えるのだが、特別に好きかと言われると、申し訳ないが、自信がないんだ」

 嘘偽りのない正直な気持ちを吐き出し、あやめは俯いた。

 我ながらもったいないことをしているとは思う。

 彼ほどの良い男性はそうそういない。

 尚はこれまで出会ってきた男性の中でも最上級、間違いなく一番だ。

 それでも、こんな中途半端な気持ちで応じるのは、彼に失礼だ。

「いいですよ、それでも。付き合っていくうちに知っていってもらえば良いんですから。まずはお試し期間ということでどうでしょう?」

「それなら……」

 あやめは顔を明るくしたが、すぐにその顔を曇らせた。

「……しかし、その……」

「なんです?」

 尚が不思議そうな顔をする。

 煮え切らない態度ばかり取るあやめに、いい加減に焦れて怒ってもよさそうなものだが、尚はあやめの言葉に耳を傾けてくれている。それが嬉しかった。

「私のほうが背が高いし、腕っぷしも強いと思うんだが……それでも良いだろうか」

 あやめは胸の前で人差し指を合わせ、もじもじしながら言った。

 これではまるで本当に乙女ではないか。

 似合わない。多分自分を知る人間が見ればきっと笑うだろう。

 でも。

「問題ないですよ。背なんてすぐ伸びますし、腕っぷしは多分、こう見えてぼくのほうが強いです。前に少し、武術を齧ってたので」

 尚は即答し、にっこり笑った。

「ああ、そうか。だから君は不良に絡まれても動じなかったのだな」

「はい。もし他に心配なことがあれば遠慮なく言ってください。先輩に相応しい男になってみせますから」

「……!!!」

 落雷を受けたかのような衝撃が全身に走った。

 ――少女漫画のような恋なんてありえない。男勝りの自分には似合わない。

 ずっとそう思っていたが、どうやら尚はそのハードルすら飛び越える気満々でいるらしい。

 いや、この笑顔を見る限り、そもそもハードルとすら思っていないようだ。

(……こだわっていたのは、コンプレックスの塊だったのは、自分か)

 ならば今日、このとき、自分は少女漫画のヒロインだ。

 誰に憚ることもなく、堂々とそう言えるはず。

「よ……よろしくお願いします」

 あやめは少しだけ震える声でそう言って、ぺこりと頭を下げた。

「いえいえこちらこそよろしくお願いします」

 尚はあやめと全く同じ行動を取った。

 そして同時に顔を上げる。

 そのタイミングがあまりにもぴったりだったので、あやめも尚もつい噴き出して笑い合った。



《END.》

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イケメン少女と子犬王子 星名柚花@書籍発売中 @yuzuriha

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