05:姫野家へご招待

 砂糖と塩はほとんど品質劣化しないため、賞味期限がない。

 砂糖が底値であると知った尚は、赤いゴシック体で派手に強調された『お一人様一品限り!』の文句を見て「ストックが必要なら二つ買ったらどうですか?」と提案してくれた。

 砂糖が長期保存できるものであり、さらに底値だと気づくあたり、普段から料理や買い物をしているという証拠だ。

 調理実習で「料理は女の仕事だろー俺食べる専門だからー」と、手伝うそぶりすら見せずに寝言を吐いた男子とは格が違う。

 さらに買い物終了後、彼は当然のように「持ちますよ」とビニール袋を取り上げた。

 去年の文化祭の買い出しでは、男子がいたにも関わらず、あやめはほとんどの荷物を一人で持たされた。

 両手いっぱいに荷物を抱えるあやめを見て、皆は「さすが湖城」「ゴリラ並みの腕力」と囃し立ててくれた。

(当時のメンバーに彼の爪の垢を煎じて飲ませてやりたい……)

 これまで関わって来た駄目男たちが走馬灯のように浮かんでは消えていく。

 あやめは熱くなった目頭を押さえ、顔を上げた。

「姫野くん、やはり私が持とう。買い物に付き合ってもらった上に、荷物まで持たせたのでは申し訳ない」

 彼の気遣いはありがたい。

 持つと申し出てくれただけであやめは満たされた。

 でも、砂糖二袋とみりん合わせておよそ2.5キロの荷物を自分よりも小柄な男子に持たせるというのは、どうにも居心地が悪い。

 歩きながら、あやめは両手を差し出した。

「いいですよ。これも助けてもらったお礼のうちです」

「いや、でもな」

「女性に荷物を持たせるなんて、男として格好つかないでしょう?」

(女性!?)

 生まれて初めて異性から女性扱いされ、あやめの心臓は大きく跳ねた。

 尚はにこにこ笑っている。

「そ、そう言ってもらえるのはありがたいが、私は怪力だ。昨日なんて三十キロの米を担いで歩いたんだぞ」

(あ、しまった)

 即座に後悔する。

 動揺のあまり余計なことを言ってしまった。

 三十キロの米を担いで歩くというのは、か弱い女子にはとても無理な芸当である。

 あやめの妹ならまず持ち上げることさえ不可能だ。

「わあ、凄いですね」

 さすがにドン引きされただろうかと心配したが、尚は素直に感動してくれた。

 ……良い子である。

「うむ。だから、それくらいの荷物、本当になんてことはないんだ。というわけで――」

 強引にビニール袋を奪おうとすると、尚はすっと手を引っ込めた。

「ぼくだってこれくらいなんてことないです。こういうときは素直に甘えてもらえたほうが嬉しいですよ、先輩?」

 尚はあやめをじっと見上げた。

 もの言いたげで、どこか悪戯っぽい眼差し。

「……。では……お願いする」

「はい」

 負けを認めると、尚は華やかな笑顔の花を咲かせた。

(くっ。可愛い。なんでこの子はこんなに可愛いんだ……)

 ノックアウトされそうになり、顔の下半分を手で覆い――あまりの可憐さに鼻血を噴いてしまいそうだった――顔を背ける。

 仮にも高校一年生の男子を『この子』と形容するのは自分でもどうかと思うのだが、彼が愛らしすぎるのが悪い。

 そう、彼の子犬の如き愛らしさが罪なのだ。

 意味のわからない責任転嫁をしつつ、目を向けた先には、偶然にも本屋があった。

 店先には雑誌がずらりと並んでいる。

 その奥の棚には『月刊カノン』も置いてあった。

 とはいえ、尚に荷物を持たせている状態で立ち読みしたいというほどあやめは図々しくはない。

 立ち読みはまた次の機会でいい、本気でそう思っていたのだが。

「何か欲しい本があるんでしたら、寄りますか?」

 あやめの視線を追ったらしく、尚が尋ねてきた。

「あ、いや。大丈夫だ」

「遠慮しなくても良いですよ?」

「本当に良いんだ。本を買おうとしたわけじゃなくて、カノンを立ち読みしようかなと思っただけ――」

「カノンですか!?」

 瞬間、尚は劇的ともいえる反応をしてきた。

 目を丸くして大きな声を出し、それから、はっとしたように口を押さえる。

 でも、ごまかすには既に手遅れである。

「……姫野くんもカノンの愛読者だったのか」

「いえ……えっと……その……」

 気まずそうに目を伏せ、しどろもどろに言う尚。

 カノンは少女向けの漫画雑誌。

 男性が愛読していると大っぴらに宣言するには少々抵抗があるのだろう。

 しかし、あやめは首を傾げた。

「何も恥じることはないだろう。女性だって少年向けの雑誌を読むではないか。男性がカノンを愛読して何が悪い?」

 先週、とあるテレビ番組で『オタクの部屋』としてアニメキャラのポスターや抱き枕、フィギュアが飾られた男性の部屋や、アイドルのグッズや二次元の美少年に囲まれた女性の部屋などが紹介されていた。

 タレントたちはドン引きしていたが、あやめはその反応こそが不思議だった。

 他人に迷惑をかけない限り、どんな趣味を持とうが個人の勝手である。

 個人の好きなグッズに溢れた部屋――いうなれば個人にとっての聖域に土足で踏み込んだ挙句、気持ち悪いだの理解できないだの好き勝手に誹謗中傷するタレントの神経のほうが知れなかった。

 壁になんのポスターを張ろうが、どんな抱き枕を使おうが、個人の自由だ。

 二次元の美少女や美少年だろうと、三次元のアイドルだろうと、そのグッズに囲まれることで本人が癒され、生きる糧になるならそれで良いではないか。

 理解できないなら無理に理解する必要はない。

 ましてや、それを奪う権利なんて誰にもないのだから。

「世の中には自分の価値観以外は認めようとしない人間もいるが、そういう人に無理に合わせようとすると疲れるだけだ。他人の趣味に口出ししようとする狭量な人間など放っておけ。しょせんその程度の人間だったんだなと距離を置けばいい」

 尚が少女漫画を読もうが、仮に彼の部屋が美少女フィギュアに埋め尽くされていようが、あやめは気にしない。

 尚に優しくされて嬉しかったという事実は変わらない。

 だから、あやめは必死だった。

 落ち込む必要のないことで落ち込んでいる彼の姿が見ていられず、なんとか元気を取り戻してもらおうと懸命に言葉を尽くした。

「……。そうですね」

 努力が報われたらしく、ようやく尚が顔を上げてくれた。

「ありがとうございます。中学のときにばれたときは、周りからからかわれて大変だったので……そう言ってもらえると、嬉しいです」

 尚が微笑んだことで、あやめも心底からほっとした。

「先輩はカノンの中で何が好きですか?」

「コミックを買っているのは『星屑のダンス』と『空は笑う』の二作品だな。でも、一番好きなのは星詠うらら先生で――」

「そうなんですか!?」

 尚が言葉を遮り、瞳を輝かせた。

「ぼくもです! 星詠うららが一番好きなんです! ぼくは世界で一番のファンなんです! わああ嬉しい! 湖城先輩もそうだったなんて、きっと知ったら喜ぶだろうなぁ……!」

 尚は片手でガッツポーズし、満面の笑顔を浮かべている。

 いくらあやめが同じ漫画家のファンだからといって、この喜び方は尋常ではない。

 単に理解者に飢えていたというのなら、あやめがファンで「嬉しい」というのはわかる。

 しかし「湖城先輩もそうだったなんて、きっと知ったら喜ぶだろうなぁ」という一文は完全に理解不能だ。

「私がファンだからといって、何故星詠先生が喜ぶのだ?」

「あ……そ、それは、ファンは一人でも多いほうが嬉しいでしょう?」

「それはそうだろうが、君の言い方だと『他の誰でもなく、私だからこそ喜ぶ』ようなニュアンスがあったのだが」

 取って付けたような台詞には到底納得できず、あやめはなおも追及した。

「あー……うーんと」

 困ったように、尚は視線を泳がせた。

 ここで「いや、私の気のせいだろう」と撤回するのは簡単だったが、困り果てて悩む尚が大変可愛いという不埒な理由により、あやめは黙って経緯を見守った。

「……先輩は口が堅いほうですか?」

「ああ。他言無用だと言うのならば誰にも漏らすつもりはない」

 自信をもって、顎を引く。

 すると、尚は「ちょっと待っててください」と一言残し、荷物を持ったままあやめから離れ、わき道へと入って行った。

 彼の言葉通りに、しばらく待つ。

 三分ほどして、彼は戻ってきた。

「お待たせしました。いまお時間大丈夫ですか?」

「? ああ」

 母に頼まれた砂糖とみりんは備蓄用であって、いますぐに必要なものではない。

 湖城家の夕食の時間にもまだ余裕がある。

「ではぼくの家に来ませんか?」

「……へ?」

 予想外の提案に、あやめは目を瞬いた。

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