03:君と出会う放課後(1)

 高校入学を控えた春休み。

 あやめはクローゼットの中の真新しいセーラー服を眺めては、これから始まるであろうバラ色の高校生活を夢見て浮かれていた。

 愛読している少女漫画雑誌『月刊カノン』のヒロインは全て高校生。他雑誌でも大抵はそうだった。

 女子高生――これはただの名称ではない。

 一種の特権、華々しいステータスだ。

 女子高生=モテ期。

 人生で一度のボーナスタイム突入、フィーバー!

 いま思い返すと「お前は何を言っているんだ」と真顔で問い返すか鼻で笑いたくなってしまうが、当時のあやめは少女漫画やアニメといった二次元の影響により、そう信じて疑わなかったのである。

 少女漫画では入学早々、素敵な男子との恋が始まる。

 早ければ扉絵をめくってたった二ページ、通学路で出会った瞬間に恋に落ちたりもする。

 ヒロインが特に変わった行動をしなくとも、出会いは向こうからやってくる。

 すぐ傍にいるクラスメイトと親密になるも良し、他校の生徒と放課後や休日デートを楽しむも良し、教師との秘密の愛を育むも良し。

 ただ道を歩いているだけで美少年と出会うのは、もはや少女漫画の王道だろう。

 彼と出会い頭に衝突してしまい、ヒロインは「ごめんなさい」としおらしく謝ってみせる。

 パターンその1だと美少年は「こっちこそごめんね。どこも怪我はしてない?」と優しく微笑み、転んだヒロインの手を引いて立ち上がらせてくれて、ああ、なんて素敵な人なんだろう……と、ヒロインは胸を高鳴らせる。

 パターンその2だと美少年から「いってえな! どこ見て歩いてんだブス!」と憎まれ口を叩かれ、ヒロインは「なんてやな奴!」と反感を覚えるが、交流を深めていくうちに彼の魅力に気づき、徐々にお互い惹かれ合っていく。

 いいではないか。実に素晴らしいではないか。

 ビバ女子高生!

 ――なんて、高校に入って一年も経ったいまだからこそ思う。

 都合よく妄想していた過去の自分を張り倒したい。それはもう、全力で。

(少女漫画はしょせん二次元。乙女の夢と欲望が詰まった世界だ。現実にそんなことがあるわけないんだよな……)

 電線に並ぶカラスを見上げ、遠い目をする。

 いや、一度だけあやめの身にも、少女漫画じみた出来事が起きたことがある。

 あれは高校一年の春のこと。

 通学路で、あやめは突然わき道から走ってきた男子とぶつかった。

 漫画ならこういう場合、ヒロインは「きゃっ」と可愛らしく悲鳴をあげ、尻餅をつくのがお約束だが――あろうことか、激突の末、吹っ飛んで尻餅をついたのは男子のほうだった。

 あやめの鍛え抜かれた胸筋に弾かれてしまったらしい。

 胸が緩衝材になるには……認めたくはないが、少々サイズが足りなかったようだ。

「すみません、大丈夫ですか?」

 心配しながら、あやめは彼の助けになるべく手を伸ばした。

 このとき、少し――ほんの少しだけ、恋の始まりを期待していたことは認めよう。

 しかし、彼は「大丈夫です」と爽やかに微笑むでもなく、唖然としたような顔でこちらを見上げ、一言。

「うわ、デケエ女」

 心底ドン引きしたような呟きを聞いて、あやめはぴしりと凍りついた。

 そもそも前方不注意で、いきなり飛び出してきたのは男子のほうである。

 感謝も謝罪もなく開口一番、地味に気にしていることを面と向かって言い放ってきた時点で印象は最悪。脳裏で密かに思い描いた彼との素敵な恋は、一瞬で無に帰した。

「どうした?」

 彼の後を追う形で、新しい男子が姿を現した。

 友達らしく、男子は立ち上がり、二人で話し始めた。

「いや、このデカい女が道塞いでてさぁ」

 遠慮なく親指で指してくる男子。

「何、お前、吹っ飛ばされたん? だっせえ」

「うるせーな、悪いのは向こうなんだって。超迷惑」

 友達の前で恥をかかされたとでも思っているのか、男子は睨みつけてきた。

 血管がまとめてきれそうだった。

 あやめの脳内ではこの失礼極まりない男子を豪快に投げ飛ばすイメージが鮮明に描かれている。

「大丈夫そうなので失礼しますね」

 怒りに任せて実行してしまう前に、あやめはその場を辞した。

 次に彼と偶然街で会ったときは、舌打ちされる始末だった。

 少女漫画じみた出来事が発生したところで、そこから劇的な恋へと発展していく可能性は限りなく低いという残酷にも悲しい事実は、この一件が教えてくれた。

(でも、階段から落ちそうになっていたあの子のように、女子高生ライフを満喫している子が実在することもまた事実なんだよな)

 放課後。

 スーパーまでの道を歩きながら、あやめは肩を落とした。

 帰宅する前に、家とは違う方向にあるスーパーでみりんと砂糖を買うように母から頼まれている。

 駒池市は駅前だけがそれなりに栄えているだけの田舎だ。

 小学生のときに都会から引っ越してきたあやめは、駅に自動改札機がないことに衝撃を受け、半分近くが閉まっている寂れた商店街にも驚いた。

 けれど、住めば都とはよくいったもので、いまは友達もできたし、この町にもすっかり馴染んでいる。

(そうだ。スーパーに行くついでに、本屋も覗こう)

 雑誌を固く縛っているコンビニとは違い、スーパーの近くにある本屋では『月刊カノン』の立ち読みができる。

 あやめのお気に入りの漫画家が今月号から連載を始めた。

 コミックス派のあやめはコミックが出るまでの楽しみにするつもりだったが、やはり読んでみよう。

(星詠うらら先生の描く素敵な恋物語で、リア充少女にいたく傷つけられた自尊心を癒してもらおう)

 現実には少女漫画のようなことは起こらない。

 そんなことは重々承知の上だが、だからこそ、本を読んでいる間は現実を忘れて没頭したい。

 多分、誰もが本に癒しと夢を求めている。

 あるいは胸躍るような冒険を。あるいは手に汗握るサスペンスや残酷なホラーを。あるいは情熱的な恋物語を――。

「おい、いいから脱げって言ってんだよ。マッパで土下座すりゃ許してやるっつってんだろ」

(は?)

 通りすがりの人々の足音や雑談の声を雑音として処理していた耳が、とんでもない台詞を拾い上げた。

 マッパというのは、つまり裸になれと強要しているのか?

「男同士なんだからいいだろー? 恥ずかしがることねえじゃん。何、お前、北高きたこうで番張ってるヤシロさんに逆らう気? どうなるかわかってんの?」

 さっきとは違う声が、揶揄を含んで追随する。

「なんとか言えよ、この女男」

(男同士? 女男? なんだ? 何事だ?)

 あやめは大急ぎで周囲を見回した。

 現場は住宅街、車がすれ違うのがぎりぎりといった狭い直線道路。

 左側にはアパートの駐車場、右側に隣接しているのは寂れた児童公園。

 入り口に立てられた看板は腐食が進み、かろうじて読めるのは最後の『童公園』の三文字だけ。

 朽ちたブランコ、滑り台、バネのついた乗り物、雑草が生い茂る広場。

 素早く視線を走らせるが、そこには誰もいない。

 ならばと視線を転じた先――公園の端、誰も使いたくないであろう薄汚れたトイレの傍に、四人の男子高生がいた。

 正確を記すなら、一人対三人、というべきか。

 隅に追い詰められ、トイレと並行して立っているのが一人。

 彼は同じ駒池高校の学ランを着ていた。

 あとの三人は他校の学ラン姿で、彼の逃げ道を塞いで並んでいた。

 追い詰められた駒池の男子と対峙し、三人の真ん中にいる大柄で小太りの男がグループのリーダーなのだろう。脱色した髪。着崩した学ラン、胸には三連髑髏のシルバーアクセサリー。

 ベルトを不必要に緩め、だらしなく下げたスラックスの裾は地面についている。踵を潰したスニーカーは何年洗っていないのかと思えるほど汚い。

 おまけに彼はくちゃくちゃと音を鳴らしてガムを噛んでいた。不良の見本のような男である。

 両脇を固める男もそれぞれ奇抜な格好と髪型をしていた。

 けれど、あやめの目を強烈に惹きつけたのは彼らではなく、追い詰められている少年だった。

 非現実的なまでに整った美貌。

 風に揺れる亜麻色の細い髪に、同じ色の大きな目。

 親が成長を考慮したのか、身にまとう駒池の学ランはゆったりしたサイズで、袖から華奢な指先が覗いている。

 靴は不良と同じくスニーカーだが、ほとんど新品らしく目立つような汚れもない。

 お世辞にも美形とは言いがたい三人組といるからこそ、彼の清潔感と、内側から滲み出るような美しさが強調されて見える。

(……なんで学ランを着ているんだ?)

 彼がセーラー服ではなく学ランに身を包んでいることに、酷い違和感を覚えた。

 女男、と不良に揶揄されるのもわかる。

 彼はあまりにも可憐すぎた。

 男性と女性では骨格そのものから違うため、落ち着いて見れば彼が男子だとわかるのだが、あやめはひと目見た瞬間、美少女が男装しているのではないかと半ば本気で疑ってしまった。

「嫌です。何故裸にならなきゃいけないんですか」

 気丈に言い返す美少年を見て、あやめは軽く目を見張った。

 美少年は眉尻を下げている。

 自分よりも遥かに体格の良い男子三人組に囲まれ、困ったという顔をしている。

 だが、彼は臆することなく、自分より頭一つ分近く高いリーダー格の男子の目をまっすぐに見つめ返していた。

 華奢な見かけに反して、強靭な精神力の持ち主のようだ。

「テメエが俺らのナンパを邪魔したからだろうが!」

「邪魔をしたつもりはありません。あの子は嫌がってたじゃないですか」

 彼は正々堂々と、真っ向から言い返した。

 どうやら三人組に絡まれていた女子を助けたことで不興を買い、あんなところに連れ込まれ、全裸での土下座を強制されそうになっているようだ。

 誰がどう聞いても無茶苦茶で理不尽、悪いのはあの三人組である。

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