第49話「美少女グラップラー!デンジャラス・文那」

 夜のとばりが降りた柔道場に、照明の光が灯った。

 普段ならば、この私立萬代学園しりつばんだいがくえんの少年少女が殺到する。

 片や、萬代ばんだいの白い流星と呼ばれた美少女、阿室玲奈アムロレイナ。片や、その玲奈をと呼ぶ好敵手ライバル……かつてのセントズィーオン女学院の赤い彗星、古府谷文那フルフヤフミナ

 天にきらめく星は一つか、尾を引きべば落ちるが運命さだめか。

 今、流星と彗星の激突が迫っていた。


「ごめんなさい、いづる君。手間をとらせてしまうわね」

「い、いえ」


 日陽ヒヨウいづるは改めて、柔道着姿の玲奈にほおを熱くした。

 突発的な勝負、しかも初めて玲奈から文那へと挑戦状が叩きつけられた。予期せぬ遭遇戦であった証拠に、玲奈のあれこれは借り物だ。そう、柔道着も中のシャツも、いずるのものなのだ。

 なんだか、ちょっと、不謹慎な想像が広がってしまう。

 どこまでもムッツリスケベないづるだったが、たたみの上の緊張感に気合を入れ直した。


「じゃ、じゃあ、僕が……審判、の、真似事まねごとみたいなこと、させてもらいます」

「ええ、構わなくてよ。なにかあるといけないもの、危ない時は……私を、私達を止めて」

「は、はいっ」


 いつものように微笑ほほえむが、玲奈の表情はわずかに硬い。

 凛冽りんれつたる清水のごとき闘気が、彼女の身を見えぬ炎で燃やしているのだ。

 そして、同じ気迫をまとう者がもう一人、更衣室から現れる。


「わたくしからもお願いしますわ、いづる様……玲奈とは常に、真剣勝負。ゆえに、勝敗の判断をいづる様にたくします。いづる様は信じられる……それは、玲奈と唯一分かち合える気持ちですもの」


 ああ、やっぱり柔道着も赤なんだ……などという、間抜けで場違いな印象を感じさせない。今の文那は、通り名が示すままの赤い彗星だった。

 くれないの柔道着を着て、文那が開始線の前に立つ。

 紅白相討あいうつ……玲奈もそれにならって対峙たいじした。

 いつもなら、二人の対決は学園の風物詩、誰もが歓声を送るお祭り騒ぎなのに。なのに、夜の柔道場には、殺気にも似た緊張感が満ちていた。

 ――狂騒も熱気もなく、ただいだ静寂。


「え、えっと、じゃあ、中央に礼っ!」


 見様見真似みようみまねでいづるが主審を務めると、二人は揃ってこうべれた。

 共に英才教育を受けてきた、本物のお嬢様だ……当然、帝王学のたしなみとして武道の心得がある。玲奈は勿論もちろん、文那もだ。

 では、果たして柔道ではどちらに軍配があがるのか?

 今まで無敗を誇る玲奈からの、初めての挑戦。

 柔道という競技……格闘技を指定したのも、彼女なのだ。


「双方に、礼……はっ、始めてくださいっ!」


 いづる自身が、なかば緊張感に耐えられなかった。

 息苦しさにれて、気付けば手が汗を握っている。

 決して暑くはないのに、のどが乾いた。

 それなのに、肌は凍えるように鳥肌が立っている。

 二人の少女は、いづるの声と同時に構えた。

 そして、動かない。


「あ、あの……始めて、くださいって……あっ」


 武術にうといいづるでも、わかった。

 目に見えるような錯覚さえ感じたのだ。

 もう、戦いは始まっていた。


「――ッ、フゥ――!」

「! ――ッ!」


 身構えたまま動かぬ両者の間で、無数の未来が交錯してはじける。

 共に有段者、よく見れば二人共黒帯を締めている。

 静かに凍った空気が、二人の呼吸と鼓動で沸騰ふっとうしていた。

 柔道とは、明治を契機に生み出されたスポーツ、競技化を前提とした格闘技である。今まで武家の人間だけで口伝くでんされてきた、柔術を体系化し、洗練させたものだ。

 欧米人も驚く、力学を用いた鋭い投げがその真髄しんずいである。


「そうだ、確か柔道は……組んで、崩して、投げる。この三つの基本動作で繋がっている。でも、最初に組むためには……自分に有利な組手を作るためには、間合いを」


 そう、玲奈と文那の制空権は拮抗きっこうしたまま押し合っていた。互いにすでに、脳裏にえがいた攻め手を放っている。無数の可能性として、繰り出しているのだ。同時に、相手の攻撃を読んでそれに備えている。

 なにもしていないように見えて、間合いをつかむ頭脳戦が火花を散らしているのだ。

 だが、先に動いたのは文那だった。


「ガンダムで柔道と言えば……ハヤト・コバヤシッ!」


 鋭い踏み込みだった。

 素人しろうとのいづるには、文那が瞬間移動したように見えた。そして、玲奈もそう感じた……その時にはもう、えりを掴まれていた。


量子化りょうしかした! ……ように感じるくらい、はやい! 鋭いっ!」

「柔道を選ぶとは、萬代の白い悪魔も命運尽きたわ……わたくし、柔道は得意でしてよ! そしてっ!」


 文那が玲奈の重心を崩しにかかる。

 柔よく剛を制す、この極意の真髄はにある。どんな巨漢も、重心を崩されれば必ず投げられるのだ。こと、達人の域になれば体格差など関係ない。

 僅かに玲奈が表情を歪めた。

 涼し気な美貌をあおるように、文那の目が炎をたぎらせる。


「その連邦のハヤト・コバヤシはっ! ネオ・ジオンのコロニー落としで、倒れた! そのことにヒントを得た、これがわたくしの……必殺技ですわ!」


 ――危ない、玲奈さん!

 思わず叫びそうになった。

 そして、言葉を飲み込んだ。

 いづるは今、公正な中立の立場でジャッジを任されているのだ。二人の少女が自分を信頼してくれている。であれば、どんな想いも今は心に沈めて勝負を見極めるのみ。

 だが、凡人の目では……文那の必殺技は見えなかった。


「え、えっと……技あり、かな? 速い! 速いですよ!」


 なにをしたのか、わからなかった。

 だが、辛うじて一本を防いだ玲奈の表情が戦慄に固まっている。

 彼女は身を起こしながらも、小さくつぶやいた。


「今のは……

「ええ! そうよ……正式名称は隅落すみおとし! わたくしのこれは、! ですわっ!」


 ダブリンへ落下する、ネオ・ジオンのコロニーを彷彿ほうふつとさせる一撃だった。

 思うように組み手を作れず焦った玲奈が、さそわれるように踏み込んだ瞬間……ただ、文那は相手の襟を持ったまま、まるで空気に踊らせるように投げたのである。

 どうやら文那は、柔道にかなりの自信があるようだった。

 だが、玲奈の目はまだ死んではいない。

 試合再開をいづるがうながすと、二人は先程とは打って変わって激しく組み合った。


「文那さんっ! ハヤト・コバヤシは当時……連邦軍の将兵ではないわ。所属は、エゥーゴの地上支援組織、カラバよ!」

「細かいことをっ! ならっ、貴女あなたもその仲間に入れて差し上げるってんのよっ!」


 まただ……また、文那が誘うように玲奈の重心を崩す。

 だが、必殺の隅落、コロニー隅落に二発目はなかった。地球環境すら破壊するコロニー落としも、ダブリンを最後に一度も成功していないように。

 玲奈は、コロニー隅落を一度で見切っていたのだ。

 そして、技の不発を悟った文那が声なき声を絶叫する。


「くっ、玲奈っ! 貴女は、わたくしの! ……全てを、奪いましたの!」

「……技には技で、奥の手には奥の手で応じます。そうっ!」


 柔道において、もっとも危険な瞬間。

 それは、。組んで崩しても、投げることができなかった時……その刹那、攻守は入れ替わる。

 玲奈は電光石火の組手で文那を崩した。


「ジュドー・アーシタの名が、当時の金メダリスト、柔道の山下選手から……ジュウドウ・ヤマシタから取られたように!」

「はっ、初耳でしてよ! ソースは!」

「いずれ、お茶でもしながら……今はただ、そこからヒントを得た気がする、この技で!」


 玲奈が沈み込む。

 背後に倒れながらの、これは巴投ともえなげ……そう思ったが、ピタリと彼女は寝そべったままで止まった。そして、そこから両手と足が複雑に動く。

 まるで、ガンダムに巻き付くグフのヒートロッド……絡み付いた玲奈の妙技が、あっという間に文那を裏返して、自分の上に落とした。

 その時にはもう、片羽絞かたはじめがきまっていた。

 当然だが、柔道は投げ技と同時に、絞め技や固め技がある。


「グッ! 玲奈、貴女……」

「降参して、参ったと!」

「い、や……絶っ、た、い……嫌……ジーク・ジオン!」

「遊びでやってるのではないの! もうっ!」


 ここだと思った。すぐにわかった。

 もう、片羽絞めが極った時点で、真剣勝負の空気は霧散していた。

 いづるは間髪入れずに、勝負アリの声をあげる。

 そして、すぐに手を離した玲奈を見た。

 うなずきを拾うと、咳き込む文那に手を貸す。

 そして、勝者と敗者とを宣言し、その片方の手をいづるは高々と上げた。

 宿命の対決が、その闘争の連鎖が終焉しゅうえんした瞬間だった。

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