第47話「メモリーダスト」

 阿室玲奈アムロレイナの力は、圧倒的だった。

 それは、宿敵を自称する古府谷文那フルフヤフミナ凌駕りょうがする。

 好勝負だからこそ、実力伯仲じつりょくはくちゅうだからこそ、二人のほんのわずかな差がそのまま勝敗を分かつ。何をやらせても二人の対決は、自然と達人同士の様相ようそうていしていた。

 ソフトボール部の練習試合は、玲奈の活躍で私立萬代学園しりつばんだいがくえんの勝利に終わった。

 シャワーを浴びて着替えてくると言って、玲奈は部室棟の方へ去ってゆく。

 それを待つ日陽ヒヨウいづるに、ニマニマと締まらない笑みで幼馴染おさななじみが声をかけてきた。


「ムフフ、いづちゃん! わたし、真也シンヤ先輩と一緒に帰るね? 二人きりにしたげるから……がっ、がが、頑張るんだよっ! 今日は夕食、すき焼きにするからね!」


 芳川翔子ヨシカワショウコがフンスフンスと鼻息も荒く、両手を握って意気込みを伝えてくる。

 どうしてこんなにテンションが高いのだろうか? だが、彼女は見合いを世話する近所のおばさんみたいな笑顔で、富尾真也トミオシンヤと共に去ってゆく。

 こうしてみると、結構大胆に腕を組むなどして、翔子も恋を楽しんでいる。

 逆に、年下の彼女に真也は緊張でいつも硬い。

 だが、二人はそれなりに上手くやっているようだ。


「っと、そうだ。玲奈さんに冷たいものでも御馳走ごちそうしなきゃ。祝杯、祝杯、っと」


 このまま待つのも手持ても無沙汰ぶさたなので、いづるは食堂の方へと歩き出す。

 放課後の校内は静まり返っており、遠くで部活の練習に励む声が聴こえるのみ。どの教室にも人影はまばらで、思い思いの時間を過ごしているようだった。

 秋の太陽は傾くのが早くて、もう茜色カーマインの夕日が周囲を染め上げている。

 徐々に迫る冬の気配も、先程の試合の興奮を思えば意識すらできなかった。

 食堂の自動販売機まできたいずるは、そこで以外な人物に出会う。


「あれ……文那、先輩?」


 自動販売機には先客がいた。

 珍しく制服を着崩きくずした、彼女は文那だ。

 振り返る真っ赤な瞳から、大粒の涙が溢れていた。シャツはスカートから出てるし、上着は肩に引っ掛けてる。だらしない格好はしない人だったが、どうやら普段のプライドを忘れているようだ。

 だが、気丈にも文那はまぶたを手で拭って笑顔を見せる。


「あ、あら、いづる様! どうかしまして?」

「い、いえ、今……」

「泣いてませんわ! 泣いてなんか、いませんの」


 無理に笑おうとする姿が、少し痛々しい。

 彼女はいつも、玲奈に負ける度にこうして泣いていたのだろうか? 誰にも見せない涙が枯れるまで、一人でこうしていたのだろうか? それを思うと、いづるの心は締め付けられて軋み痛んだ。

 一方的に文那が玲奈を敵視しているだけで、その理由をまだいづるは知らない。

 あの玲奈でさえ、当事者であるにもかかわらず心当たりがないのだ。


「ごめんなさい、いづる様……変なとこ、見られてしまいましたわね」

「……変じゃない、ですよ。変なんかじゃないです、文那先輩」

「いづる、様?」

「負けて悔しいのは、真剣勝負だったから。それだけ文那先輩が本気だったから、ですよね?」


 文那は目を点にして、驚いた表情を見せた。

 図星だったようだ。

 そしてそれは、いづるならずとも知っている。

 二人の勝負はいつでも、互いの実力を出し切ったガチンコだったのだ。時には空回からまわる時もあるが、その時は一緒にスベってた。中華料理屋『天驚軒てんしょうけん』での料理対決など、その最たるものである。

 玲奈と文那、二人は似ていた。

 わだかまりがなければ、いい友達になったと思えるくらいに、だ。


「も、もぉ、いづる様? 年上をからかうものではありませんわ」

「い、いえ、そんな」

「いづる様も飲み物を? でしたらわたくし、おごりますわ! 自動販売機ごと!」

「や、一つでいいです……あ、あのっ!」


 意を決して、いづるは聞いてみた。

 自分の好きな人にとっても、大事なことだから。

 そして、ただ一人に捧げるものとは違う『好き』を、文那に感じるから。

 文那は面倒くさい少女だ。自尊心が強く、大金持ちだからと金の力を使うこともある。ガンダム好きでも、富野信者とみのしんじゃだった真也とは別の意味で厄介だったりする。でも、その根底には高潔で気高い意思があった。

 基本的に文那は、自分が特別な人間だとわかっている。

 特別な人間だからこそ、よかれと思うことに全力投球なのだ。


「文那先輩っ……教えてください。玲奈さんと昔、なにがあったんですか?」

「そ、それは……」

「玲奈さんは僕の彼女、恋人です。好きな人なんです。でも、文那先輩を嫌いになれない……嫌いになりたくないから。だから、本当のことが知りたいんです」


 文那は驚きに目を見開き、そのひとみそらした。

 だが、うつむ加減かげんに横を向きながらも……彼女は盗み見るようにいづるを見ては、そわそわと視線を彷徨さまよわせる。

 斜陽しゃほうの光が真っ赤に染める食堂に、いづると文那と二人きり。

 そして、こんな時は時間の流れがとてもゆっくりに感じられた。

 永遠にも思える数秒の後に、文那は小さく溜息を零す。


「いづる様には勝てませんわ。……阿室玲奈は好きで、わたくしのことは嫌いになれない……そういうずるいこと、言うんですのね」

「嫌いになりたくないんだ。文那先輩はいつだって、正々堂々としてた。いつも一生懸命で、いつでもベストを尽くしてた。……多少、思い込みが激しいとは思うんですけどね」


 ちょっと気恥ずかしそうに、ほおを朱に染め文那は笑ってくれた。

 ほっとしたが、同時にこの瞬間が来たかといづるは心の中で身構える。

 玲奈と文那の確執、いづるの知らない二人の過去……どんな運命が交錯こうさくして、二人の生き方をここまでこじらせてしまったのだろうか? 交わるほどに遠ざかり、その都度交わり直しては火花を散らす戦いの歴史。

 その真実が、いよいよ明らかになろうとしていた。


「……そこまで言われては、話すしかありませんわね」

「あ、ありがとうございます、文那先輩」

「でも、約束してくださる?」


 グイと身を乗り出し、文那の顔がいづるに急接近。

 彼女のしなやかな身を出入りする呼気が、肌で感じれる距離だ。

 間近に今、真っ赤な美貌の少女が真剣な目で見詰めてくる。


「いづる様、一つだけ約束してくださいな。決して阿室玲奈には言わないでくださいます? わたくし、次の戦いで彼女との因縁を終わりにしますの」

「お、終わりって……」

「今日、また負けましたわ。いつもそう……阿室玲奈はライバルである以上に、宿敵。怨敵おんてきと言ってもいいですの。わたくしは、あの人に勝ちたい」


 そこには、いつわらざる文那の本音があった。

 そして、いづるは知っている。

 彼女は目的のために手段を選ばないが、その手段が卑劣だったことは一度たりともない。そして、目的の達成のために手段をこだわる人間なのだ。

 手段に正当性がなければ、目的は意味を失ってしまう。

 そういう高潔さこそが、文那の持って生まれた眩しさなのだった。


「……いづる様、阿室玲奈とは……最近、どうですの?」

「えっ? あ、いや……普通、かな」

「嘘ですわね。阿室玲奈と恋人同士になって、普通なはずがありませんもの」

「……そうかも。うん、確かに普通じゃない。でも、凄く楽しいですよ」


 そう、玲奈は絶世の美少女だが、普通じゃない。

 彼女と過ごす時間は、いづるから退屈という概念を忘れさせた。


「この間、僕がプレゼントしたPSvitaヴィータで、えっと、Gジェネ?」

「GジェネレーションGですわね! 因みにわたくし、四つの難易度を全てクリアしましたわ」

「あ、それです。玲奈さんってば、原作再現イベントがあるたびに僕に見せてきて」

「まあ、ふふ……阿室玲奈にもかわいいところがありますのね」


 玲奈はガノタ、ガンダムオタクだ。

 普通の人間が入り込めない領域、いわゆる『ぬま』にどっぷりつかってるタイプのガンダムマニアなのである。


「この間なんか、バイト代が入ったからって凄く大きなガンプラを買ってきて」

「……メガサイズのユニコーンかしら。やりかねないですわ、あの阿室玲奈なら」

「それだったかな? なんか、紅白でおめでたい感じの、僕も持ってるやつです」

「メガサイズユニコーン! なんでそんなものを買いますの? それでは部屋が狭くなって人間が住めなくなる! 肩身の狭い冬が来ますわ!」


 

 何故なぜか、同じガンダム好き同士で仲が悪くなっているのだ。

 これが一種の、同族嫌悪どうぞくけんおなのか?

 だが、いづるはそうは思わない。

 以前、文那と玲奈を交えて、大勢でガンダムの映画を見た。SDガンダム、騎士ナイトガンダムだったが、二人は夢中になって楽しんでいたのを覚えている。

 なにか、些細ささいなボタンの掛け違いがある。

 その真相をいづるは知りたいのだ。


「いづる様……真実を知りたいのなら、それもいいですわ。ただ」

「ただ?」

「わたくしにはっきりとおっしゃってください。いづる様はやっぱり、阿室玲奈のことを好きなんですの? あっ、ああ、あ……愛していますのっ!?」


 顔を真赤にしながら、文那が問い詰めてくる。

 突然のことであせったが、しどろもどろになりながらもいづるは自分の中に自分を探す。

 玲奈を愛しているか?

 その答は一つしかない。

 ただ、口に出すのは勇気がいるのだ。


「ぼっ、僕は……玲奈さんが好きだ。これからもずっと一緒にいたいです!」


 その言葉に、文那は泣きそうな顔をして、そして満足したように頷いた。

 そして、ついに二人の過去が明らかになるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る