第42話「ガノタの瞳に映るもの」

 山下柔ヤマシタヤワラ邸宅ていたくは、それはもうブルジョワなものだった。

 以前の阿室玲奈アムロレイナのような、飛び抜けて異次元のお金持ちという印象はない。車庫のマイカーも国産車だし、大きな屋敷だが二世帯住宅にせたいじゅうたくの二階建てだ。だが、金額や価値ではない品の良さが、内装や調度品ちょうどひんあふれている。

 柔が古府谷文那フルフヤフミナをバスルームに連れて行った。

 リビングでくつろぐ日陽ひよういづる達を、柔の母がもてなしてくれた。


「皆さん、ゆっくりしてってね。それにしても……うちのがごめんなさいね」


 突然飛び出た名前に、誰もが首をかしげる。

 玲奈だけが、キラリと目を光らせた。


「おば様、もしや……フルグランサというのは」

「あら、ごめんなさいね。ええと、今はだったかしら?」

「犬の名前でしょうか。なら、先程柔さんがバルバドスと」

「ああ、そうそう。ふふ、うちの人が頻繁ひんぱんに名前を変えるもんだから。でも、バルバドスも喜んでるみたいだから」


 いづるが他の面々と説明を求めて玲奈を見る。

 真っ先に口を開いたのは壇田美結ダンダミユだった。


「玲奈、どゆこと? 何? エスパー?」

「ふふ、違います。あの犬……歴代ガンダムの名前をつけられてるんです。どうやら柔さんのお父さんが、ガンダム好きのようですね」

「へー、そうなんだ」

「わかるわ……私にも敵の好みがわかる!」

「いやいや玲奈、敵じゃないでしょ。敵じゃ」


 美結の言う通りである。

 だが、うっすらといづるも名前を思い出せそうだ。

 フルグランサ、エクシア、そしてバルバドス。

 最近玲奈と一緒に見たガンダムのアニメに、出てきたような、そうでもないような。

 そうこうしていると、柔がお茶とお菓子かしを持ってやってくる。


「ありがとう、お母さん。あとはわたくしが皆様をもてなしますわ」

「あらそう? じゃあ、皆さん。楽しんでらしてね」


 上品なマダムの決定版とも言える笑顔で、柔の母が去ってゆく。

 外ではまだ、バルバドスが元気に庭を駆け回っていた。

 家もそうだが、庭も広い。

 皆に紅茶をくばりながら、柔は犬のことを聞かれて微笑ほほえんだ。


「お父さんがガンダム、好きなんですの」

「つまり、必然的にイデオンやダンバイン、ザブングルも好きと! 君は!」


 すかさず富野作品とみのさくひん富尾真也トミオシンヤを、無言で芳川翔子ヨシカワショウコが黙らせた。どうやら付き合いだして日も浅いのに、しりに敷かれているようだ。それも、翔子のあのボリューミーなお尻に。

 いづるがそんな馬鹿みたいなことを考えていると、玲奈が身を乗り出す。


「おじ様もガノタなのね……ならば同志になれ。そうすれば柔さんも喜ぶわ! ……あ、いえ、その……ひ、ひとごとよ、ただの独り言」


 というか、ただの本音だろう。

 ガンダムのこととなると、すぐに玲奈は自分を見失う。

 いな……ガンダム大好きな自分、の自分が出てしまうのだ。

 だが、女神のような笑顔で柔は笑ってテレビを付ける。そのまま入力をBlu-rayブルーレイに切り替えて、彼女は今日鑑賞するガンダム作品を取り出した。

 その間ずっと、玲奈は外のバルバドスを見ていた。

 そっといづるは、彼女の耳元にささやいた。


「玲奈さん、犬……好きなんですか?」

「あら、大好きよ? お腹を見せて転がってるとこをみたら、裸足はだしでモフモフしてあげたいくらい好きだわ」

「いや、それ全然わからないですから」

「そ、そうかしら。そうね、ライオンもサイも迷惑でしょうし、それは犬も一緒よね」


 イマイチ話が見えない、そう思っていた時である。

 ドスドスと大股で歩く音が聴こえて、リビングに絶叫が響き渡った。

 振り向くいづる達の視線の先に……物凄い服を着た文那の姿があった。


「ちょっと、柔さん! 着替えを貸して頂いたのは嬉しいですの、でも……どうしてこのような服なんですのっ!」


 文那はシャワーを浴びて、髪がまだ少しだけ濡れている。

 そして、何故なぜを着ていた。ご丁寧ていねいに頭にはヘッドドレスを乗せている。タイツもレースが散りばめられた白いもので、とても似合っていた。

 縦巻たてまきロールの赤い髪もあって、強烈な印象の美少女なのだった。


「あら、文那さん……似合ってます、ふふふ」

「ふふふ、じゃありませんわ、柔さん!」

「……お嫌、でしたか?」

「べ、別に、嫌では……ただ、その、ちょっと」

「ふふ、サイズがあってよかったです。さ、文那さんもお茶とお菓子をどうぞ」


 山下柔、ド天然の御嬢様おじょうさまだが押しが強い。

 同じ御令嬢ごれいじょうキャラとして、玲奈や文那とかぶってるのに……圧倒的な存在感で全く埋もれない印象がある。

 だが、文那は玲奈と逆側、いづるの左隣に座って紅茶を一口。

 ポットの湯で淹れ直した熱々の香気こうきに、彼女は満足げにうなずいた。


「いい茶葉ですのね……玲奈さん? 貴女あなたにもこの紅茶の美味しさがわかって?」

「ええ、勿論もちろん

「そう……! しかし、この温かさをもった紅茶が食欲さえ刺激しますの! それを分かるんですのよ、玲奈さんっ!」

「わかってます! だから、皆さんに茶菓子ちゃがしのお手製のクッキーを見せなければいけないんでしょう!」


 言われて気付いたが、出されたクッキーはホームメイドのものだ。

 柔に聞いたら、やはり彼女が自分で焼いたものだという。

 しかし、いづるをはさんで訳の分からないやりとりをしていた二人は、大きな60インチのテレビ画面に映像が映ると、静かになる。

 今日は果たして、どんなガンダムと出会えるだろうか。

 いづるは知っている……既にもう、玲奈は現在流通している全てのガンダム作品を見たことがある筈だ。以前、ジー影忍かげにんやムーンクライシス、ジオンの再興までと漫画作品も網羅もうらしてると自慢げだった。

 恐らく、文那も同じだろう。

 だが、そんな彼女達が揃って、友達と見直すのも好きだというから面白い。


「柔さん、何かしら……今日のガンダムは」

「フッ、富野作品のことならば何でもこの俺に聞いてもらおうか!」

「もーっ、真也先輩は少し静かにしててくださぁーい! はい、クッキー! 食べて食べて」

「なんだあ? 真也お前、年下の彼女ちゃんに弱いのなー」

「だっ、黙れ壇田美結! ガンダム初心者のお前になど、やらせはせん! やらせは――」

「真也先輩、うるさいです!」

「す、すまん……翔子」


 しょうもない展開を見てしまったが、少し面白い。

 どうやら真也と翔子は、それなりに仲良くなってるみたいだ。あんなに人と打ち解けた翔子を見るのは、玲奈との一件以来である。

 そうこうしていると、アニメが始まった。

 そのタイトルを見て、いづるは思わず口にしてしまう。


「えっと……騎士ナイトガンダム? 玲奈さん、これって」

「まあ、素敵。今日はSDエスディーガンダムなのね。いづる君、騎士ガンダムっていうのは――」


 また得意げに玲奈が喋り出した、その時だった。

 紅茶のティーカップを上品に持ちながら、すっと文那が立ち上がった。


「再生するなですわ! この場を借りたいですの! 愛するいずる様と、このアニメを見ている知人友人の方には、突然の無礼を許して頂きたくてよっ!」


 何だ何だと皆が目を点にしている。

 玲奈だけが腕組み「ダカール演説……やるのね、文那さん」と訳知り顔だ。

 だが、文那はリモコンで一時停止を押した柔に詰め寄った。


「柔さんっ、ガンダムをみんなで見るって言うから……でも、これはSDガンダムですわ、ナンセンスですの!」

「まあ……そうなんですか? エスディーガンダムというのは」

「子供向けの二頭身キャラクターが登場するアニメですの。スーパーディフォルメの略でSD、極端にディフォルメしたキャラがかわいいんでしてよ!」

「でしたら……わたくしはかわいいものが大好きだから大丈夫ですわ」

「ええ、ええ。かわいいものが嫌いな人がいるかしら、って違う、違いますの!」


 何故か文那は興奮状態で、勿体もったいつけたポーズと一緒に一同を見渡す。


「ガンダムというのは、富野御大と多くのクリエイターが生み出した、リアルロボット作品の金字塔きんじとう! 大人でも鑑賞に耐えうる素晴らしい人間ドラマを盛り込んだアニメですの」


 真也がうんうんと頷いているということは、そういう一面もあるのだろう。

 だが、文那は言葉を続ける。


「SDガンダムとは幼稚ようちな……しかも、騎士ガンダム! これは公式の二次創作のようなものですわ。もっとちゃんとしたガンダムの鑑賞を提案しますの!」


 呆気あっけにとられた柔は、しきりにまたたきを繰り返しながら微笑みに固まる。

 美結も美結で、何故か一人で盛り上がる文那を前に……翔子と一緒にチベットスナギツネみたいな顔になっていた。

 だが、いづるの隣から毅然きぜんとした声があがる。


「SDガンダムのこと……知らないのね。ガンダム談義はいつもインテリが始めるけど、信仰みたいな思い込みをもってやるから、いつも排他的なことしかやらないわ!」

「玲奈さんから電波が来る!?」


 いやいや、十分文那も電波だよ……そう思ったけど、いづるは黙る。


「しかし鑑賞の後では、意固地いこじなリアル至上主義の心だって、新たな発見と感動に飲み込まれていくから。インテリはそれを嫌って、新作からもガンプラからも身を引いて世捨て人になる。だったら……」

「あ、えと……玲奈さんも、文那さんも。あの……とりあえず、見ませんか? 僕は初めてだし……この、騎士ガンダムっていうの、面白そうですよ?」


 いづるがさっきまで文那が座っていたクッションをぽんぽんと叩く。まだ少し温かい。

 文那は言葉に詰まったが、どうやら皆と一緒ならば文句はないようだ。

 そして、柔が再生ボタンを押すと……再び流れ始めた映像が、いづるを今まで見たことも聞いたこともないガンダムの一面へと吸い込むのだった。

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