暁の扉

第41話「おだやかな日なのに」

 それは、秋も深まる日曜日だった。

 日陽ヒヨウいづるは上級生の山下柔ヤマシタヤワラに誘われ、邸宅へ招かれたのである。勿論もちろん阿室玲奈アムロレイナ楞川翔子カドカワショウコ、そして富野信者とみのしんじゃも一緒である。


「俺は富尾真也トミオシンヤ! 富野御大とみのおんたいが好きで信者でもあるが! 富尾真也だ!」

「あ、あの、富尾先輩……誰に向っていってるんですか?」

「ン、いや……俺の気のせいだ」


 ゴホン、富尾真也も一緒である。

 地下鉄で二駅、意外と近い場所に柔の家はあった。

 それは、以前の玲奈の豪邸ほどではないが、とてもブルジョアな一軒家である。大きな庭では、秋を告げるコスモスの花が揺れている。

 真也が「コスモス宇宙そらを駆け抜けて」などと謎の歌を歌い出す。

 そうこうしていると、玄関から柔が現れた。


「ようこそ、皆様。いらっしゃいまし、今日は楽しんでいってくださいな」

「柔さん、この度はお招きいただきありがとうございます。この阿室玲奈、大変に光栄です!」

「ふふ、そうしゃちほこばらないでくださいな。さ、皆様も」


 柔は、玲奈とは別の意味で御嬢様おじょうさまの品格が感じられた。

 学校指定の見慣れたジャージ姿でも、気品というものがあった。

 そうこうしていると、今度は背後で声が響く。


「おーっす! って、ありゃ? アタシが一番最後?」


 振り向くとそこには、キュロットスカートににタンクトップという快活そのものな壇田美結ダンダミユがいた。どうやら彼女には、北風の冷たさも気にならないらしい。

 小学校とかで一人はいた、常に半袖短パンの子のイメージをいづるは思い浮かべる。

 彼女は一団に合流して、柔の出迎えの言葉に目を丸くする。


「ありゃ? 柔さ、いつもの服は? ほら、あのフリルとレースがふわふわついてるやつ。? とかいうの」


 全員が「え?」と、柔をガン見してしまった。

 だが、柔は動じずニコニコと微笑ほほえんでいる。

 その満面の笑みが、かえって怖い。


「まあまあ……美結さん。そのことはもう、他の方にも?」

「あ、言ってなかった。柔とは小学校から一緒なんだけど、すげーんだよな。フリフリの服ばっかでさ。昔、遠足にメイドみたいな格好で来て――」

「美結さん……ちょっと。ちょっと、こちらへ」

「なんだよー……! ってえ! なにすんだ! こいつ、グーでド突いたー」

「もう一発、いかが?」

「なんだよー、何を怒ってんだ? なあ、みんな!」


 とりあえず、二人が親密な仲だということはわかった。

 それで一同は笑いに包まれる。

 因みに柔は今でもプライベートなお出かけなどはゴスリロが大好きらしい。

 それを聞くなり、フンスフンスと翔子が興奮しだした。


「わあ、柔先輩ってそういうの着られるんですかあ! わたし、すっごく見たいですっ! だって、先輩ってばお人形さんみたいに綺麗ですからあ」

「あらあら、まあまあ……ふふ、翔子さん? おだててもなにも出ませんよ?」


 そんなこんなで玄関へと、庭を貫く石畳いしだたみの道を歩く。

 だが、玲奈が心なしか落ち着かない様子だ。

 そっと隣でいづるは、恋人を見上げて声をひそめる。


「どうかしましたか? 玲奈さん」

「……古府谷文那フルフヤフミナさんが来ませんね。時間には正確な方なのに」

「あと、何分あります?」

「あと一分……いえ、丁度九時になったわ。ということは」


 その時、激しいスキール音が響く。

 そして、敷地内へと入る門の前で、金ピカのリムジンが止まった。

 玲奈が言う通り、無駄に時間に正確なようである。

 黒服の男がまず降りてきて、後部座席のドアを開く。

 今日も赤い縦巻きロールを揺らして、高らかに通りのよい声が響いた。


「オーッホッホッホ! 来てあげましたわよ、皆さん! このっ、古府谷文那が!」


 笑顔の柔以外、皆が「お、おう」という顔になってしまった。

 だが、唯我独尊ユイガドクソンの文那は左右の黒服から紙袋を受け取り下がらせる。今日も今日とて、お付きの呂辺ロベさんと亜堀アボリさんも大変である。

 彼女は優雅に歩いてくると、玲奈の前でピタリと止まった。

 一緒にガンダム見ようよ、という趣旨しゅしの集まりだったはずだが……文那は玲奈を見詰め、玲奈もまた目をそらさない。互いのひとみに相手を映したまま、二人は向き合った。


「玲奈さん、貴女あなたとまさかガンダムを見る日がくるなんて……ですが、馴れ合う気はありませんわ」

「まあ、そうなんですか? でも、馴れ合う以上に触れ合ってもらえると、君は!」

「フッ、富野節とみのぶしで惑わしても駄目ですわ! わたくし、あくまで貴女とは対等……そして、いつか貴女を完勝で敗北に叩き落とします。それは覚えておいて頂戴ちょうだい

「わ、わかりました、けど、あの」

「ああ、そうそう。ちょっと、柔さん! これはお土産ですわ。銀座の高級スイーツですのよ? ワッフルには紅茶がいいわね、用意できて?」


 玲奈が「あの」と声をかける、その言葉を遮り文那は胸を張る。

 いずるもそう、勿論周囲の人間も息を飲んだ。

 身を反らして仁王立におうだち、誇らしげに紙袋を突き出す文那の背後に……巨大な影がのっそりと現れたのだ。その気配に、彼女はようやく気付いて振り返る。

 瞬間、悲鳴が響き渡った。


「なっ、なんですのおおおおおおっ!」


 それは、犬だ。

 凄くデカい犬、大型犬である。

 犬種はシベリアンハスキーに似ているが、もっと巨大だ。

 熊かと思うほどに体格のいい犬が、突然ハッハッと息をはずませじゃれついたのである。あっという間に文那は押し倒されてしまった。その顔をベロベロとめながら、巨大犬は上機嫌で尻尾を振る。

 誰もが呆気あっけに取られる中で、柔だけが「まあ」と呑気のんきに微笑んでいた。


「おい、柔ッ!」

「はい。なんでしょう、美結さん」

「なんでしょう、じゃないだろ! 文那を助けてやれ!」

「でも、バルバドスがこんなになついてしまうなんて……ふふ、きっと文那さんは動物に好かれる方なんですね」

「……いいから、助けてやれ」


 その犬の名は、バルバドスというらしい。

 バルバドスは完全に文那にのしかかり、嬉しそうに顔を舐めている。

 駆け寄る玲奈も、流石さすがに驚きのあまり固まっていた。それでも、文那に声をかけてそっとかがむ。


「くっ、犬ごとき……わたくし、護身術は勿論、柔道に柔術と武術も鍛えてますの! ……はっ! やあ! たぁ! ……ふう、ピクリともしまさえんわ、っぷ! な、舐めるなカトンボですわ! ぷあっ」

「え、ええと……あの、文那さん。お助けした方が?」

「何を言ってますの、玲奈さん! くっ、こら、バルバドス! なんてことかしら、君の罪は止まりませんわ! 加速しますの! 清廉せいれんなる正しき人道を、理解しようとしない野蛮やばんけだものですわね!」

「と、とりあえず……おいで、バルバドス。文那さんが困ってています。さ」


 ようやくバルバドスは「バウ!」と吼えて文那を解放した。

 かわいそうに、めかしこんできたブラウスとスカートが滅茶苦茶である。柔が立たせながら、風呂に入るように進めていた。謝罪しながら、服についても弁償をと申し出る。

 だが、文那はフラフラになりながらも咳払せきばらいを一つ。


「こっ、これしきのこと! わたくし、今日は友人として招待されてますの! 友人の飼い犬に少し驚いただけですわ。金銭のやり取りなど必要ありませんの」

「まあ、でも……お洋服が」

「構いませんといいましたわ! ……でも、お風呂を貸してくださるなら、助かりますの」

「ええ。本当にごめんなさいね、文那さん」

「皆さんも覚えておくことですわ! この古府谷文那、友人の山下柔さんの謝罪を受け取ります! 一切の禍根かこんを残さずですわ!」


 この人、きっと友達少ないんだろうな。

 つい、いづるはそんなことを思ってしまう。

 だが、変に意固地で思い込みが強いだけで、文那は高潔で清らかな少女なのだと思う。

 それは、一方的に因縁をつけられ続けている玲奈も、知っているようだ。


「文那さん、立派ですわ」

「とうぜんですの!」

「この子もきっと、文那さんだからこんなに懐いて、ついはしゃいでしまったのです。そうね? バルバドス」


 バルバドスは今、身を寄せる玲奈にでられて、千切ちぎれんばかりに尻尾を振っている。

 先ほどとは違って、無闇矢鱈みやみやたらと身体を浴びせてくることはなさそうだ。

 ようやく今日のメンバーが揃ったことで、柔がパム! と手を叩く。


「とりあえず、文那さんにお風呂と着替えを。それから皆様、一緒にガンダムを見ましょう。ふふ、この日曜日をわたくしは心待ちにしてましたのよ。さ、お上がりになって」


 こうして一同は、山下家へとお邪魔することになった。

 バルバドスはまるで玲奈の守り神みたいについてきて、その一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくに文那はビクビクしている。だが、バスルームへ消える前に彼女は、バルバドスの鼻をワシワシと撫でてやった。

 機嫌良さそうに喉を鳴らすバルバドスが、赤い髪の少女をバスルームへと見送るのだった。

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