第33話「闇の和解…ジェラシー・玲奈」

 暗がりに沈んでゆく校舎こうしゃは、普段とは違う顔で少年を包む。

 日陽ヒヨウいづるは全速力で、生徒会室へと走った。この時間ならまだ、阿室玲奈アムロレイナは生徒会室にいるはずである。文化祭の準備期間中、彼女は七面六臂しちめんろっぴの活躍で働き詰めだ。生徒会副会長のあるべき範疇はんちゅう逸脱いつだつして、誰にでも親切に手伝い寄り添った。

 階段を昇り切って、生徒会室へと走る。

 そして、いづるは目的の麗人れいじんが丁度ドアから出てくるのを見た。

 思わず込み上げる想いが言葉となってほとばしる。


「玲奈さんっ! 阿室玲奈さん! 僕の話を聞いて下さい!」


 思ったより大きな声が出た。

 その声に、ビクリ! と身を震わせた玲奈は……慌ててドアの中へと引っ込んだ。かしの木で出来た重々しい扉が閉まって、いづると玲奈とをへだてる。

 しかし、拒絶されてもいづるはあきらめなかった。

 例え破局が待っていたとしても、手を尽くさずにはいられない。

 嫌われてしまったとしても、言葉を尽くせぬままには追われないのだ。


「玲奈さん、僕の話を聞いて下さい!」


 ドアにへばりつくようにして、声を張り上げる。

 だが、生徒会室の中からはくぐもる声が静かにあふれた。


「話なんて、ないわ。いづる君、帰って……」


 それは、誰もが憧れる凛々りりしい副会長の声ではなかった。

 動揺もあらわで、か細く震えている。

 声を張り上げるいずるは、ドアのノブに手を回した。しかし、かんぬきが掛かったようにノブが回らない。向こう側から玲奈ががっちりと押さえているのだ。

 玲奈は時折、強情で己を曲げない頑固さを見せる。

 それは生来、清廉潔白せいれんけっぱくで清く正しい彼女の美徳を引き立ててきた。

 だが、一度ネガティブに閉じこもってしまうと、面倒この上ない作用を見せていた。

 いづるはドアを叩きつつ、言葉を選んでは呼びかける。


「僕には話があるんです、どうしても伝えたい事が……玲奈さん!」

「どうして、なにを話すっていうの! 私、私……」

「そのままでもいいから聞いてください。まず……ごめんなさい! 最初に謝るべきでした。不義理ふぎりを働いたのは僕です! 誤解されるようなことも全て、僕がやったことです!」


 ドアの向こうが静かになった。

 だが、まだドアノブは凍りついたように動かない。

 いづるはゆっくりと、玲奈の聞き入る気配をたどるように話しかける。


「玲奈さんに申し訳ないことをしてしまった……どんな形であれ、僕がああした不貞と思われる行動をしたのは事実です。その気になれば僕は、無理矢理にでも文那フミナ先輩にあらがうことができた。いつでも断ることができたはずですから」

「……いづる君、押しに弱いから」

「それは言い訳になりませんよね……だから、すみません! ごめんなさい!」

「や、やめて頂戴ちょうだい! そんな話っ……そんな、話……」


 ドアへとひたいけ、目の前の玲奈へといづるは語りかける。

 彼女を傷つけたのは、自分だ。

 古府谷文那フルフヤフミナとのおかしげな休日の過ごし方が、彼女を孤独におとしめてしまったのだ。玲奈という恋人がいながら、友人の恋路を応援する滑稽こっけいな彼女を追いかけた。ハラハラしながら見守っているつもりが、気付けば文那と親密になりつつあったのだ。

 親密としか見えない状態で、玲奈へ尾行がバレてしまったのだ。

 それは全ていづるの過失かしつで、迂闊うかつな自分が過ちを選択し続けた結果だった。

 ――

 それでもと良い続けたい。

 はいそうですかと納得したら、二人は永遠にひとりとひとりに別れてしまう。

 同じ屋根の下で暮らす仲が、時間や空間とは別の距離に隔たれてしまう。


「玲奈さん……僕に弁明と謝罪のチャンスを下さい。ぼくは……僕は取り返しのつかないことをしてしまった」

「そ、そんな、こと……そ、そうよ! ひどいわ、いづる君!」

「ですよね。せっかく玲奈さんがいてくれてるのに……玲奈さんを好きなのに」

「そ、そそっ、そんなの! ずるいわ、誰が! いつ!」

「……ずるいこと聞きます……僕のこと、もうきらいですか?」

「とっくに好きよ! 私の恋人になってるもの!」


 だが、そんな時だった。

 すで夕闇ゆうやみに沈んだ校舎は、真っ暗な暗闇。そして、その中に懐中電灯の光を走らせながら、見回りの校務員こうむいんがやってくる。

 階段を上がって、こちらへやってくる。

 その声が響いた、次の瞬間……目の前のドアが突然開かれた。


「おーい、誰かいるのかあ? 声がしたな、確か……ふむ、こっちは生徒会室か」


 リノリウムの床に反射する足音。

 真っ暗な中でいずるは、突然柔らかなぬくもりに抱きしめられた。ギュッと胸にいづるを押し付け黙らせたまま、玲奈は内側から生徒会室の鍵をかける。

 外でガチャガチャとドアノブを回してから、校務員は去っていった。

 足音が遠のくのを聴きながら、ようやく二人は離れた。

 薄闇の中でも、玲奈が赤面にうつむいているのが見えた。


「……行った、わね?」

「え、ええ」

「いづる君、その……いっ、言い訳! 聞いてあげるわ。その……一方的に突き放してると、そのままになっちゃいそうで……怖い、から」

「玲奈さん」


 いづるは背伸びして、ちょっと背の高い玲奈を抱き締めた。

 玲奈は確かにはっきりと、いづるの背に手を回して抱き返してくる。

 なつかしくもうるわしい香りに包まれながら、いづるは玲奈の耳元にささやいた。誠意を込めて、本気の本音をげた。


「ごめんなさい、玲奈さん。玲奈さんが富尾トミオ先輩と翔子ショウコの初デート……一生懸命フォローしてる時。僕は文那先輩と、そのあとを」

「ん、そう……い、言っておくけど、気付いてたわ! ええ、気付いていたの」

「ほんとですか?」

「……嘘、かも。でも、そんなことは関係ないわ! ……最後のあれはなに?」

「ええと、それは……すみません、翔子たちに見つかりそうになって、文那先輩が」


 自分の口から伝えれば伝えるほど、言い訳の余地がない。

 それでも、少し離れていづるを見詰めた玲奈は、そのまま唇に人差し指を立てる。そうして彼女は、周囲を見渡した。徐々に闇に目が慣れて、窓のカーテンからはかすかな継ぎ目が月の光を運んでくる。

 ぼんやりと闇に浮かぶ玲奈は、やはりいつ見ても綺麗だった。

 応接セットのソファに座ると、玲奈は隣をポンポンと叩いた。


「……それで? いづる君、こっちに来て。そもそも、どうして私を追跡したのかしら。……面白かったんでしょう。私があの二人のために、七転八倒しちてんばっとうする姿が」

「いえ、それは……その、玲奈さんが心配で。文那先輩はああ言ってたけど、玲奈さんはあの二人にお節介せっかいを焼こうとしてて、上手くいってて……それを僕は見守ってて」

「そ、そう? そうよ、割りと上手くいったわ。あの二人、初デートは大成功ね」

「ええ」


 いづるは玲奈の隣に座って、そしてドキリと心臓の鼓動を跳ね上げた。

 玲奈は躊躇ちゅうちょなく、肩にもたれかかってくる。金髪がさらりと揺れて、いづるのひざに玲奈の手が伸びてきた。自然と手に手を重ねて、体温を分かち合う。

 秋が深まる夜の始まりに、二人は密室で静かに身を寄せ合った。


「いづる君……事情はわかったわ。謝罪も受け取ります。でも……」

「でも?」

「なにかしら、こう……私にも説明の付かない感情があって、それが制御できないの。言うなれば、『やらせはせん! やらせはせんぞぉ!』って感じの、黒い気持ちが勝手に」

「玲奈さん?」

「自分でも押さえられないの! そして正体もわからないわ。私、こんなにいやな女だったかしら? 文那さんと一緒のいづる君を思い出すと……モヤモヤするわ。これが魂を重力に囚われた人間なのかしら。感情を制御できない人間はゴミだとザビーネも――ッ!」


 変にうろたえ始めた玲奈の肩を抱き、いづるは自分へと引き寄せた。

 自分の胸の上で見上げてくる玲奈の、その視線がうるんでぬれれている。

 いづるは意外なことに気付いて、それが玲奈故に妥当で当たり前と気付いたのだ。そう、玲奈が持て余している感情、それは凡人ぼんじんにとっては当たり前で日常茶飯事な気持ち。

 玲奈を支えて励ますように、いづるはゆっくりと語り掛けた。


「玲奈さん、それは……

嫉妬しっと? ジェラシーってこと? 私のこれが?」

「そうです! 玲奈さん、今までの生活で嫉妬を感じることなんてなかった筈です。誰よりもめぐまれ、勉強もスポーツも完璧で、向かう所敵なし……そ、それに……きっ、綺麗で! かわいいから! ……誰よりもまぶしいから」


 自ら輝く太陽は、の光を浴びる者達に影をきざんでゆく。

 必定、太陽が作る影はあっても、

 だが、いづるは玲奈という名の太陽をかげらせてしまった。燃え盛る力を弱めてしまった太陽が、眩しいと感じる文那を振り返った時……初めて生まれる影に驚き、おびえてすくんだ筈である。

 玲奈は今、初めて自分に嫉妬という感情が生まれて困惑こんわくしているのだ。

 いづるが文那と一日を過ごして、親密に見えたことがねたましいのだ。


「これが、嫉妬……そうなの? いづる君」

「ええ。いいですか、玲奈さん……僕がこれから、文那先輩と過ごした一日の全てを話します。怒って、責めて、そして……許しを乞うので、受け止めて下さい」

「わ、わかったわ。……少し、嫌なのだけど、これが嫉妬なのね。いいわ、話して」


 いづるは全てを語った。

 富尾真也トミオシンヤ楞川翔子カドカワショウコと、二人のデートを追う玲奈とを……気配を殺して二人きりで追いかけた休日。ハラハラドキドキの玲奈を見守り、一喜一憂いっきいちゆうする中で過ごした文那との時間。その全てを話した。

 玲奈はいづるに肩を抱かれながら、ギュムと胸元のシャツを握ってくる。

 そして、全てを語り終えた時……彼女はキッと顔をあげた。


「許せないわ……許せない、いづる君!」

「ご、ごめんなさいっ! ……どうしたら許してもらえるか、僕、考えます。どうしても許して欲しいから……どんなことをしてでも償いたいから。だから」

「私、自分がこんなに狭量きょうりょうだなんて! これが嫉妬! そして……HGのバーザムを買い占めるなんて!」

「え? あ、いや……文那さん、小さな男の子にゆずったりしてましたけど」

「そ、それはいいわ、でも。私、そういえば……いづる君! 私、いづる君と二人きりでデートしたこと、ないわ! どういうことなの?」

「そ、それは……はっ!」


 軽くにらむようにすがめて、上目遣いで玲奈は笑った。

 彼女の額のアホ毛が、左右に割れてVの字をかたどる。

 ようやくいづるは、玲奈の笑顔を取り戻した。


「いづる君、わ、悪いわ。君、悪い子だぞ? ……私に嫉妬の感情を植え付けて。いけない人だわ。私、怖かった。嫉妬だとわからなくて、なんだろうって。このドス黒い気持ちが私から出てるのが、怖かったの」

「すみません、玲奈さん。でも……僕と文那先輩に、その……嫉妬、してくれたんですよね」

「そうよ! ずるいわ、いづる君は、だって……だって、私の恋人なのに。私、まだ……いづる君と二人きりでデートしたことないのに」

「じゃあ、僕に罪滅つみほろぼしさせてください。おびに、玲奈さんとデートしたいです。なっ、なんでも言うこと聞きますから! わがまま言って、振り回してくださいっ!」


 玲奈は満面の笑みで、いづるの首に抱きついてきた。

 カーテンの隙間から覗く月だけが、二人の和解を見詰め続けていた。

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