2014年9月14日新潟旅行記

ダイナマイト・キッド

プロレスを見に愛知県から新潟県まで走った話。

ついにこの日がやって来た。

松山勘十郎デビュー10周年凱旋記念公演 田上プロレス祭 である。

場所は松山勘十郎さんの故郷・新潟県は南蒲原郡田上町。

グーグルさんに聞いてみると、我が家から体育館まで約500キロ。6時間少々の道のり。

自動車で、自分一人で行くのでは過去最長距離である。

しかしこの場合「行けるのか」いや「行くのか」という疑問や逡巡の入り込む余地は微塵もないのである。

この公演が決まった時、私は「行く」と決めたのだ。


そうして9月13日の午後15時20分ごろ、いよいよ我が愛車のエンジンは唸りを上げ、ウルトラ警備隊のポインター号よろしく轟音と共に走り去ったのである。


まずは給油。

行きつけで元バイト先のガソリンスタンドで新潟まで行くと言うと

「バカかお前!」

と褒められる。空気圧をやや高めにして再び出発。


16時30分、愛知県は岡崎インターから東名高速下り線へ。

豊田ジャンクションからちょっとだけ伊勢湾岸自動車道、さらに東海環状道、土岐ジャンクションからは中央自動車道へ。

土岐市と言えば!あの!破壊王!橋本真也さんの生まれ故郷。

浅草キッドの玉袋さんが言ってたが、子供の頃プロレスで地理を覚える(ハーリー・レイスが居なかったらミズーリ州なんか一生知らなかった)ってあれホントだな。私もプロレスラーの出身地と地図を照らし合わせては数学の時間をやり過ごし、セントルイス、ティファナ、リバプールなど街の名前を地図上で探しては数学の時間を切り抜けていたものだ。


そんな土岐ジャンクションに差し掛かる頃、電光掲示板には

「土岐IC~瑞浪IC 事故渋滞」

の文字が。

ありゃー迂回するかな・・・でも国道19号線通るんじゃ一緒か。まあいいや、なんとかなるだろう。


これが間違いの元であった。

その表示通り土岐インターの手前できっちりドン詰まり。


そして瑞浪インターまでの数キロを、この後2時間半かけて進むことになろうとは、私も、重低音を響かせて歌うジェイムズ・ラブリエも知る由は無かったのである。


渋滞のお供には重低音。

シックス・ディグリーズ・オブ・インナー・タービュランス

という、DREAM THEATERの素晴らしいアルバムがあるのだが、この2枚組のCDのうち2枚目を2周、1枚目もひと回りして漸く渋滞を抜けたのだから参った参った。私がソリタリィ・シェルに籠りたかったよ。


あのアルバムの「ザ・グラス プリズン」という曲はアルコール依存症との戦いを描いたものらしいが、私もこの曲を聞きながら自らの内面から湧き上がる熾烈な戦いを繰り広げていた。

己の中に湧き上がる猛烈な尿意と。

そっちに意識を集中するあまり土岐インターを通過してしまい、もはや膀胱はショート寸前、ハートは万華鏡。

何度となくもうダメかと思ったが、事故現場が瑞浪インターの出口と入口の間だった(移動させたのかな?)ため、瑞浪インターの出口へ誘導しつつ料金所の手前から再び本線に戻るようになっていた。これで漸く先へ進める!


という訳でパーキングエリアにあるトイレにやって来たのだ。

屏風山PAという所で、まあみんな考えることは同じなのか、食堂と便所が随分と混み合っておりました。子供の頃におぼろげな記憶にあるディズニーランド並みであった。


先は長い。

無事身を清め、飲料水と食糧の補給をして出発。


やがて長野県に入る。ここからが長いの。長野ってほんと、長いの。

辰野と言う表示を見て、愛知県民からしたら地の果て程遠く感じた場所を目の当たりにする。一度山梨へ行ったことがあってその時にも同じように思ったんだけど、飯田線という鉄道ファンにはおなじみのローカル線が我が豊橋市から出ていて、その終着駅がここ辰野。

お爺ちゃんが新婚旅行で東京へ行って、帰りに辰野から豊橋まで(つまり始発駅から終着駅まで)帰るのに7時間かかったという話を聞いたことがあった。

それと思えば、まあ自分の配分でここまで走れるだけマシかなあと考えている時点で、距離と時間に関するパッキンが結構な勢いでバカになってきている。


駒ヶ根の辺りで、急に空や山肌がピカリピカリと光り出した。

すわナニゴトカ!いよいよバルタン星人でも攻めて来たか、それとも黒十字軍とショッカーが手を組んだか、と思ったら豪勢な花火だった。

時間も遅かったので、あれが最後の山場だったのだろう。


その後、岡谷ジャンクションから長野自動車道へ。

キツイ旅だぜ、お前にわかるかい?あれだけさんざっぱら走ったのに、まだ新しく出てきた道が「長野自動車道」だぜ。

このまま中央道を進めば、すぐ諏訪湖だ。日本のスイスと言われていて、有名な時計メーカーの工場があったりするほど空気の良いところだ。


数年前山梨へ向かう際に、やはり夜ここを通った。

その時に見た夜景が素晴らしくて忘れられない。

無数の灯りが山肌のはるか高くまで輝き、それが漆黒の湖に反射して揺れている様は実に幻想的であった。じっと見ていると本当に幻想の世界へ逝ってしまうので横目で見ただけではあったが…。


長野を走っていて思うのが、この夜景の素晴らしさだ。

何処をどう走っても周囲を山に囲まれてはいるが、中々どうして平野も広い。

なので、拓けた土地から山肌に向かって伸びる宝石の絨毯みたいな灯りの数々は迫力がある。実際はなんてことのない生活の灯りなんだろうけど、それがまたこうして集まってみると見ものになるのだから不思議である。


長野自動車道は高い所を走るおかげか、こういった景色が良く見える。

夜景を売りにしてはどうかと思ったが運転手があまり気を取られるのはよくないか。


梓川サービスエリアで晩御飯。

鹿肉まん、と言うのがあったので食べた。美味かったがおやきも食うべきだったかな・・・と思いつつ帰りも同じ梓川サービスエリアに寄ったが結局おやきのおの字も食わなかったことは内緒だ。


鹿肉まん と かき揚蕎麦。

温かい料理が身に染みる。

深夜だがお土産を買いに行った売店のおばちゃんはとても親切であった。


梓川を超えると安曇野。

愛知県民からしたら「ブラックマッペもやし」か「ちょっと高いヨーグルト」でしか見ない名前だ。

この辺りは山と谷ばかりで自動車で走り抜けるのだって一苦労だというのに、馬か人力車ぐらいしかない時代に殿様をやっていた武田信玄さんと言う人は大した人だなあ。


更埴(こうしょく、と読む)ジャンクションから漸く上信越自動車道。

まだ信という字が入っているから長野県だ、すっげーよ長野。

この期に及んで漸く姿を現した長野インターなどという看板を尻目に北へ、北へ。

そうして漸く入った新潟県。

上越ジャンクションから北陸道へ。


やった。

新潟だ。松山勘十郎さんを応援するようになってからいつか必ず訪れると思っていた約束の地へ、ついにやってきたのだ。


ここまで土曜出勤すれば余計な仕事が2つも3つも入り、高速に乗れば大渋滞をし、走っても走っても長野大迷宮は私を放してくれず、武田が上杉どっちかに呪われてやしないかと思うぐらい色々あった。が!私は覚悟を決めていたのだ。たとえ武田騎馬隊一万人の怨霊にとり憑かれようと、女性説どころか超絶ギャル化した上杉謙信に「テカ生理的にマヂ無理なんですケド(ワラ」とスマホ片手にエクステいぢくりながら全否定されようと私は新潟へたどり着くつもりであったのであって、そして本当にたどり着いたのだ。


大潟パーキングエリアは便所と伊藤園の自販機が置かれただけのこじんまりした場所だった。車もまばら。

私はそこに静かに入り込み、持参したジャージと長袖Tシャツに着替えると後部座席を倒してごろりと横になった。


明日(いやもう今日)は田上プロレス祭。

その為に私は、今此処に居るんだ。

そう思うとワクワクして仕方が無く、約2分ほどで眠りに落ちた。


翌朝。

6時ごろ目が覚める。

さすが北陸は冷える。

寒くて起きた。


思えばタオルケットを忘れたのがマズかった。

仕方がないので昼寝用の腹掛けにと置いてあった防寒着と、小さなブランケットをかぶったがやはり寒い。

エアコンを少し入れて温まったら切って寝ようか。


そう思って次に目が覚めたら3時間たっていましたおはようございます。

新潟県は快晴。

寝起きの顔は浮腫んでいました。


身体をほぐし、身を清め、いざ出発。

此処まで来たら田上町はすぐそこだ。


北陸道を進むと、関越道と言う表示が出る。

東京から来るとここへ当たるのだろう。

ああいよいよ自分の知らない街を一人で走るんだなあ。


ここ数年、知ってる道しか走ってこなかったから新鮮で。

米山サービスエリアで見た日本海も綺麗でねえ。

ついつい朝ご飯をもりもり食べてしまったよ。

海鮮かき揚丼(またかき揚食ってるよこの人)と、番屋揚げ。

大変おいしゅうございました。


米山から三条燕インターまではすぐでした。

日本海を離れ、山がちな街へ入っていきます。

のどかな田園の向こうにうっすらと街並みが。

遠くの山には雨雲がかかっております。


三条燕インターは中々の都会。

新幹線の停まる燕三条駅には宿泊施設も色々と・・・・ああ此処に泊まればよかったのではないかと言う脳内のミニマム長老会議を黙らせ、インターを降りて県道1号線を進む。

しばらく道なりに川沿いを走る。ぐんぐん街が遠ざかって、田んぼの中を進む。

加茂市に入ってすぐ、道路の片隅に小さな看板が立っていて

「田上町」

と書かれていた。本当にやって来たのだ。


田上町町役場周辺で写真を撮る。

田んぼの中をまっすぐ伸びる道。田上、と言うだけあって本当に田んぼが多くて、私のふるさとよりも一つ辺りの田んぼが大きい。


そこから田上町民体育館は目と鼻の先だった。

自動車で周囲を少し走ってみる。工務店、酒屋さん、コンビニ、化学工場、色んなお店や会社があってそこはどこも変わらない事であって。

でもそのどれか一つにでも松山さんが就職なり跡を継ぐなりしていたら、今私はこうしていることは絶対ないわけで。


この9年の歳月は此処から始まっていたのだなあと思うと感無量である。


指定の駐車場には数名の警備員さんが。

みんな親切でにこやかな方々でした。


徒歩で酒屋さんに。藤次郎さん。

店先にはポスター、レジ前にはフライヤー。

新潟のお酒を買う。フライヤーを頂いてくれば良かった・・・。


少し陽射しが暑い。

体育館までの長くのんびりした坂道をポクポク歩く。

普通の民家が立ち並ぶ静かな住宅街だ。この平和な風景の中の、古びた体育館。

丸っこい屋根、公共融資を受けたという金属板、何処にでもある体育館。

この中で今日行われるのが田神町初のプロレスで、そこにはデビュー10周年を迎える男が凱旋してきて、それを追いかけてこんなバカがやってきている。


開場前だが、すでにお客様がちらほら。バスツアーの方だろうか。

松山さんの本拠地・大阪での興行で頻繁にお見かけする面々だ。

話題は専らプロレス。着ているシャツもプロレス。なんだったら結構マニアックなものまである。


坂道の途中ですれ違った人が、なんと闘龍門Tシャツ。

どこで買ったのだろう。思わずお互いに目が合ってしまい会釈をする。


私は一人でプロレス会場に居て、いろんな人たちの話を聞いているのが好きだ。

プロレスに肯定的な話、批判的な話、思い出話、顔見知りになったレスラー・関係者との雑談などがなんとなく聞こえてくる。

・・・たまに訂正したくなるのが困る(笑)いやいやそれはティム・ウッズだ、とか。


開場を待つ間、そんな風に他の皆さんの声に耳を傾けて過ごしておりました。


さて帰り道。

試合についてはもう、書ききれない思いばかりなので割愛します。

プロレスの事はプロレスの事として、またいづれ。

プロレスがお好きな方は是非お声をかけてくださいませ。


すっかりと暗くなった坂道を今度はポクポク下る。

星が綺麗だ。見上げた顔を少し降ろすと、立ち並ぶ家々の灯りが優しく灯る。


自分がほとんど最後のお客だったにもかかわらず、駐車場に警備員さんたちが居てくれた。

申し訳ないやら有難いやら、嫌な顔一つしないどころか丁寧に送り出していただきました。ありがとうございました。ご苦労様でした。


コンビニで飲み物を買い県道を南下。加茂、そして三条とあっという間に戻ってしまう。

一生の思い出が一旦暗闇に飲まれて、また眩しく輝く日までそこで待っていてくれる気がする。あの暗い田舎道に、良く晴れた昼下がりの田んぼに、大事な記憶が残っているんだ。

あんまり後ろばかり見ていると危なくて運転にならないので、UCCの缶コーヒーを飲みながら北陸道に入る。


あっ!!!


やっちまった。

ずっと新潟方面に走ってきたうえ、東京・富山方面などと言われたら愛知県民はわからない。以上、言い訳。これ逆方向だわ。

仕方がないので次の巻潟東インターまで行って戻る。これで走行距離が往復で50キロほど増えたかな?こんだけ走ってると大して変わらない気がしてくる。


料金所を出てUターン。

再び高速道路に舞い戻り一路上越ジャンクションを目指す。

途中またしても花火。信濃川のあたりだったか。

関越道という表示を見るたびに、随分遠くへ来たなあと思う。

普段同じようなところばかりを走っていると新鮮味が違う。距離や時間帯、目的によって見える景色、記憶に残る情景は全然違うし、今こうして大満足で帰路に就けたことを私はずっと忘れない。


帰り道は妙高サービスエリアで休憩。

こまめに休憩を取りながら進む。この時、先週引いていた風邪がぶり返したか喉が痛くって、常に口の中を潤すか、ガムや飴を欠かさず口にしていなければならなかった。

地味に辛かったけど、飲み物を買い込んで再び出発。車内二泊や、宿に駆け込みで入るのは避けたかった。だが一番怖いのは居眠り運転だ。


大迷宮(ドン)

難攻不落の要塞(ドドン)

鉄壁の牙城(ドドドン)


と水曜どうでしょう風に形容するとこんな感じの、この日本のアルカトラズ長野県に囚われたまま死ぬのは御免だ。


妙高から梓川までのんびり走る。もう時間も遅いし、あまり走る車もない。

トラックや、妙に急ぐ乗用車ぐらいのもの。遠くの、自分は走らない区間で事故。


相変らず夜景が凄まじい。

近くに見える灯りは、建物や道路のものだとわかるのであまり関心を引かないが、遠くに散らばる光が集まると、なんだか少し現実的で少し非日常的な物を見ている気分になる。


ただの灯りでも、その建物にどんな人が今、何をしているんだろうとか考えると不思議な気分になる。絶対会わずに死んでいくであろう無数の人たちの灯りだから、通り過ぎるのが惜しいのか。

新潟に行かなければ、藤次郎さんのレジにいたおばさんと話す事も、駐車場の警備員さんたちと話す事も無かった。シマ重野選手をはじめ新潟プロレスを知る事もなく、田上町の街並みを想う事すらなく過ごしていたかもしれない。


そんな事を思うと、やっぱり来てよかった。面白かった!と思うのである。


帰りの食事も梓川。

山賊焼き丼と信州みそラーメン。正確には「俺の信州味噌ラーメン」だそうな。

男性向け?らしくしっかりとした味わい。これは冷えた身体には有難く、痛む喉にはちときつい。でも、美味しかったな。


梓川を出てからは、もう何処にも止まらなかった。

ずっと走った。

お土産も買ったし、最高のプロレスを見た。

新潟県と言う中々行かない場所に行って、普通なんだけど全然違う景色を沢山見た。

体育館に向かう坂道の、あのなんてことのない住宅街を、私は意外と忘れられない気がする。色んな思い出には色んな景色、におい、空の色、その時傍で流れていた音楽が結びついて、映画みたいに残る。

そうすると、良く晴れた田舎道というのは私の好む景色なので、色んな田舎道に色んな情景が重なってくる。


長い長い長野は、帰り道も長い。

中央道に乗って、そこからもずっと車の疎らな道路をごーっと進んでいく。

音楽を流すのにも飽きてしまい窓を開けて走ってみる。

冷えた空気で少し眠気が覚めるが、今度は寒くて眠くなる。

靴の中の足がむくんで、窮屈そうにじんじんしている。


漸く目の前にトラックが1台、2台と見えるが、すぐに追い越してまた見えなくなる。


中央道も終わって東海環状道。そして伊勢湾岸豊田ジャンクションまで来て東名に乗ると時刻は2時を回っていた。しかし、この交通量と言ったらどうだ。

中央道の東京近郊で事故・通行止めが続いているためもあるのかも知れないが、それにしたって…。

さっきまで走ってきた、デヴィット・リンチの映画みたいな暗闇と孤独の世界はナンだったんだ。


結局帰りは豊川インターまでキッチリ乗って、帰宅しました。

もうコンビニに寄る気力もなかったので、自宅のはす向かいの自販機でペプシコーラを買いました。


見慣れた景色に帰ってくると、そんで段々自宅が近づくとせつねえな。

マザー2や新桃太郎伝説みたいに、大好きで何度も遊ぶんだけど終わりを知ってるせいで終盤進めるのが嫌になる、あの感じ。

でゲームと違うのは、申し訳ないが桃太郎は竹取の島に上がったぐらいで、ネスたちは最低国に行く直前で止めてもまあ問題はないんだけど、私は帰らなきゃならない。今のところは。あの家に、私の自宅と言う有難い場所に。


家に帰ってシャワーを浴びて、疲れた足をほぐす。

お土産物は机に置いたり、パンフレットをもう一度読み返したり。

校長にもご挨拶できてよかったなと思う反面、パンフレットにサインを頂かなかった(言い出せなくってもらいそびれた)のは正しかったのかどうなのか。少し考え込んでしまったり。


余韻が、疲れが、心地良過ぎて。

夢にまで見たEL.DORADOを、ひとつ垣間見たなと確信した。

そしてこの次は、大阪。11月30日。


もうすっかり通い慣れた西名阪と国道25号線。

少し違うのは、せっかく出来た常設会場ではなく生野区民センター。

通い慣れてきた大阪だけど、ささやかな未知の領域。

大きな楽しみが終わってしまったというのにワクワクして仕方がないこの贅沢な感覚。

龍の一里塚、プロレス黄金の理想郷を私もまた探しに行かなくてはならない。

旅は続くのだ。


気が付くとぐっすり寝ていた。

朝が来て、いつもの毎日が始まる。まだ誰も目覚めていない。思ったより寝ていないけど、目は冴えている。

私はとりあえずパソコンを点けて、撮りすぎた写真を読み込んで選別する作業にかかる事にした。


おしまい。

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2014年9月14日新潟旅行記 ダイナマイト・キッド @kid

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