中堅冒険者の湯
(御入浴における諸注意)
・魔術師、エルフ、ドワーフなど様々なお客様が来店します。
文化や生活習慣の違いによるトラブルがあるかもしれませんが、湯に流しましょう。
・入浴マナーは守りましょう。
・当店での営業中の素潜りは御遠慮下さい(二度目)。
◆
「百四十二、百四十三、百四十四」
「……」
「百四十五、百四十六、百四十七」
「……」
「百四十八、百四十九……」
「ぷはっ……!」
相方がざばと湯船から顔を出した。
「はあ……はあ……何秒だ……った?」
相方――アイザックは荒く呼吸しながら期待に満ちた目を向けてくる。
「丁度、百五十秒だよ」
「よっしゃあ新記録だぜえ!」とガッツポーズ。
確かにアイザックの記録は少しずつ伸びてはいる。
日頃の練習の賜物だ。更に努力を重ねれば目標の二百に届くかもしれれなかった。
「でもこの練習する意味あるかなあ」
「確かにお湯だと熱くてやり辛いかもな。街に戻って近くの湖で練習するか?」
「いやいやいや」
ミルズは首を横に振ってみせた。
「場所の問題じゃないよ。そもそもこの練習が無駄だと思うんだ」
「無駄って何でだよ」
「高々、潜れても二百秒そこらだろ。その程度じゃあどうにもならないよ」
ミルズたちは二人組の冒険者だ。
腕利きとは言えないけど駆け出しは卒業した、所謂中堅の域にいる。……と思っている。
現在はとある迷宮攻略に乗り出していたのだが、どうしてもある場所が攻略できず悩んでいた。
地下七階、通称『貯水槽タンク』
そこはフロアの殆どが地下水によって浸水し、或いは水没した階層だ。
部屋から部屋へと移動するには素潜りの技能スキルが必要不可欠なのだが、常人の肺では息がもたない場所も多数存在する。
「さすがにあの長い回廊は、五百秒潜れても無理でしょう」
「そりゃあそうだけどさ町で買った地図によれば、下に通じる階段はその先だぜ?」
問題はそれだけではない。
水域には半魚人や水馬、殺人魚などの水棲の魔物も潜んでいる。
当然、水中の戦闘が強いられるので、地上とは勝手が違う。先に進むのは非常に困難だった。
「あーあ仲間に魔術師がいればなあ……」
「『水中呼吸』だっけ?」
「うん、それ」
何でも世の中には水中で息ができるという素晴らしい魔術が存在するそうだ。
他にも同様の効果が得られる『人魚姫の首飾り』という魔導具が交易都市で売ってるらしい。
だがそんな高価なものが手に入るはずもない。
「無い物強請りしても仕方ねーだろ。練習しようぜ練習」
「でもさあ……」
貧乏な戦士と盗賊だけでは先に進む手立てがない。
それで仕方なくこの公衆浴場であるマツノーユで素潜りの練習していたという次第だったのだが、所詮人間には限界があった。
これは虚しい努力だ。
「やあ冒険者の旦那方」
大浴場に現れた青年が真っ直ぐにやってきて声をかけてきた。
店の主人ワカダンナだ。
「どうしたんですか?」
一体何の用だろう。
顔はいつも通りの笑顔だがどことなく困っているような様子で、頰を指でかいている。
「いやあ、なんつーかほら」
「はあ……?」
「他のお客さんの御迷惑になりますんでね。そいつはご遠慮下さいって、言いにきたんでさ」
「そいつ?」
「うん素潜り」
しまった。
そう言えば以前、銭湯では素潜りはマナー違反だと言われた事があった気がする。
「何だよー。少しくらいいいじゃねーかよ!」
アイザックがぶーぶーと反論した。
こいつはそう言うところが迷惑であり、頼もしくもある。
いいぞもっと言え。
「いやあでも、そいつはマナー違反だしさあ、他のお客さんにも迷惑がかかるし、それになにより」
ワカダンナが何かを言い澱むようにしながら背後をしきりに背後をチラ見している。
一体何を気にしているのだろう。
「何よりなんだよワカダンナ?」
「ほら番頭さんが……さ」
「バントウさんが……?」
「彼女がどうしたんですか?」
バントウさんというのは確か、若旦那のもとで働いている女性だ。
可愛らしい容貌をしているが普段は無表情な人だった。だが気遣いが細やかで、接客も丁寧な人物として定評がある。
「ほら、その、なんだ」
「「……?」」
そう言えばある噂を聞いたことがある。
実はこのマツノーユの実質的な支配者はバントウさんであり、彼女が影でマナー原理主義者と呼ばれているほどに恐ろしい存在であるという話だ。
だからこのマツノーユでは、どんな屈強な冒険者でも、腕利きの魔術師でも決して彼女に逆らってはならないし、マナー違反をしてはならないという。
ゴリ……ゴリ……。
ふいに鈍い音が聞こえてきた。
何か不穏なものを感じ取り、見ると脱衣所の仕切り扉からだった。
そこから誰かがこちらを覗いている。
女性――バントウさんだ。拳をゴリゴリと鳴らしながら、見たこともないような物凄い笑顔・・をこちらに向けていた。
「「……ひっ」」
「な?」
「「すっすいませんでしたー!」」
無論、平謝りした。
素潜りの連取は直ちに中止となったのは言うまでもない。
◆
「だから止めようって言ったんだよ」
「わーったよ。もう練習はしない。別の方法にしよう」
「別の方法?」
「誰か攻略法を知っている人を探すんだよ」
「ほほう、アイザックにしてはまともな意見だね」
「ひでーな、まあそうかもしれないけどよ」
確かに相方の考えは悪くなかった。
既にあの『貯水槽』を攻略している冒険者に尋ねれば、有益なヒントが得られるはずだ。
もしかしたら自分たちが気付いていないだけで、簡単に次の階層に進めるような仕掛けが隠されているかもしれなかった。
「でもどう見つければいいだろう?」
「勿論、常連客に訊いて回るんだよ」
「うん、手当たり次第に聞けばわかるかもね」
「……あそこは別に難しくないですよ」
ふいに聞きなれない声が会話に混じってきた。
目を凝らすと湯けむりの向こうに見慣れない男がいる。
「誰?」「さあ?」と相方と目配せで会話する。
「失礼。お困りだったようなのでつい声をかけてしまいました」
冴えない感じの中年男だった。
眼鏡を真っ白に曇らせ、薄い髪の毛を無理やり七三に分け、ひょろひょろの体つきで、猫背で撫で肩。
常連客かもしれないが印象に薄いので覚えていない。
「貴方がたは、大迷宮の『貯水槽』を攻略したいのですよね?」
「……そうだけど」
「ひとつ助言を差し上げても宜しいですか?」
中年男がにたりと自信ありげな笑みを浮かべた。
だが貧弱な体つきからは、とても冒険者には見えないどころか、迷宮に踏み入れたことすらなさそうだ。
「……なんか胡散臭いんだけど(ひそひそ)」
「……一応、話を聞くだけ聞いてみようよ(ひそひそ)」
駄目もとで話を聞くことにした。
「ごほん……地下六階と地下七階の間にある踊り場にある石像をご存知ですか?」
中年男は眼鏡を曇らせたままこちらにずいと近づいて、そう問うてくる。
「そんなものないだろ?」
「……いやあったよ。ほら何か意味ありげな女神像」
「ああ、あったあった!」
「それこそは名もなき水の女神です」
中年男が曇った眼鏡を人差し指で押さえながら告げてくる。
「彼女に祈りを捧げると、あら不思議。たちまちキラキラの光に包まれて、貴方方は水中でも呼吸が可能になるでしょう!」
「「それ本当ですか!?」」
「ええ。但し祝福は一時的なのものですのでお気を付け下さい」
何故、この中年男がそんな情報を知っているのか。
ただその口ぶりからはとても嘘をついているようにもからかっているようにも見えない。
「アイザック、試して見る価値はありそうだね」
「おう!」
水の女神の話が、もし本当ならあの難所を攻略する大きな手がかりだ。
魔術や魔導具なしでも水中で呼吸ができるなら、後は魔物さえ何とかすれば攻略は容易い。
だがこの中年男は何故、そんなことを知っているのだろうか。
貧弱な身体つきも、気弱そうな顔つきも、どこからどう見ても冒険者には見えない。
魔術師か何かだろうか。
「えっと貴方は一体……」
「失礼。私、こういう者です」
中年男は頭に置いた手ぬぐいから取り出した、何かを丁寧に両手で差し出してきた。
長方形の紙だ。そこには何か書いてあったが、読めない文字だった。
「私、大場商事の山本忠男と申します」
「オーバショージ? ヤマモトタダオ?」
「冒険者とかじゃなくて?」
「はい。所謂、世間様で言うところのところの会社員ですね」
カイシャイン。
聞いたことがない名前の職業である。
もしかしたら東方にいると言われているニンジャやサムライの一種だろうか。
「お二人を見ていたら、昔を思い出して懐かしくなり、つい声をかけてしまいました」
「おっさん、あの大迷宮に入ったことがあるの?」
「ええ。もう何十年も昔の話ですね」と懐かしそうに遠くを見つめるヤマモト。
「当時、私には仲間はいませんでしたから最下層まで辿りつくのには大分苦労しました」
「「……」」
アイザックと顔を見合わせた。
そしてぷっと笑って小さく肩をすくめる。
「まさか冗談がキツイぜ!」
「そうですよ。あの大迷宮を一人で踏破できるわけないじゃないですか!」
地下七階の攻略方法は、たまたま知っていただけだろう。
他の常連客から手柄話を耳にしていたからに違いない。
「ヤマモトさん、とにかく恩にきるよ!」
「本当に助かりました!」
「いえいえお二人の御武運をお祈りしております」
そう言ってヤマモトは曇り眼鏡でにっこりと微笑んだ。
兎にも角にも地下迷宮の攻略に光明が見えてきた。
彼が言ったように、祝福が切れた時に備えて、自力で素潜りできる力を身につける必要があるだろう。
「とりあえず祝福が途切れた時に備えて、素潜りはできたほうがいいよな」
「だね。練習はしておく必要があるみたいだ」
「よしどっちがより潜ってられるか勝負だ!」
「いいね。負けた方は麦酒五杯おごるのはどう?」
「負けないぜ!」
「ええと、あの、差し出がましいようですが――」
◆
山本は再び助言しようとした。
だが時すでに遅く二人の冒険者たちはすでに湯に潜った後だ。
こぽこぽと湯船からは二つ分の息が上がってくるだけで返事はない。
この様子では、近づいてくるあの音も耳に届いていないに違いない。
ゴリ……ゴリ……。
言うまでもなく極上の笑顔で、こちらに近づいてくる番頭さんの拳の音だ。
「いやはや冒険者として何より大事なのは同じ轍を踏まないことですよ?」
それから山本は「くわばらくわばら」と惨劇が訪れる前に、その場を離れることにした。
「「……(こぽこぽ)」」
呑気に素潜りを続ける彼らはまだまだ中堅冒険者といったところだろう。
腕利きを名乗るのは大分先になりそうだ。
◆
後書き編集
冒険者二人組は、
SS(初回版限定同梱版:「作家の湯」)にもちらりと登場します。
これは書籍版を買うともれなくついてきます。
謎の会社員、山本忠男さんの活躍も
WonderGOOさんSS購入特典(「ある中年会社員の湯」)で確認できます。
早いところでは『異世界銭湯』(アーススターノベル)は既に発売中のようです。
どうぞよろしくお願いします!
異世界銭湯♨ ~松の湯へようこそ~ 大場鳩太郎 @overq
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