紋章の首輪と、銀のカギ

「これでも?」

「う、うん……しない……しないもん……」

「本当に?」

「ぁぁん……やっ……ぱりするぅ……」

「はいはい。もちろんですよ」

 つややかに濡れた欲望の花が、、ざわめく快感に甘く花開き、膨らんでゆく。

 うわずった声があふれ出す。

「ん、ぅうん……恥ずかしいよ……変な声……出させないで……」

「私は好きですけどね。貴女の声。私のラウ、可愛いラウ、わがままなラウ、大好きなラウ」

 夢みるような優しい声。甘く、うつろうこともなく、ゆったりと愛撫し続ける。

「貴女の全部が」

「う……んっ……」

 ちいさな、みだらな音。

 どんなにかたく眼を閉じても、耳を伏せても。

 今、何を、されているのか――

 どこに、何に、触れられているのか。

 分かる。

 身体の、なか。

 身体の、一番、中心。

 でも、もう、だんだん、それが自分の身体のどのあたりのことなのかも次第に分からなくなって――

 いつの間にか、すべてを、ゆだねて。

 瞼の奥の眩暈がきらめくようだった。いくつもの指が、ハープを奏でるかのように、意地悪に動き始める。

 ゆるゆると円を描く指にたやすくも操られ、背中をきつくのけぞらせて、喘ぐ。

「可愛いですよ、ラウ。可愛すぎます」

「ぁ、あ、ばか……あっ……」

 力なく萎えた尻尾で、アリストラムの横顔を叩く。

「くすぐったい尻尾ですね。邪魔」

 あっけなく尻尾を払いのけられる。ラウは鼻声をつまらせた。

「ええっ? み、み、見ちゃだめだって……くうぅぅん……ぅぅん……きゅぅ……ん……」

「すみませんね。わざとなのです」

 アリストラムはひそやかに笑ってささやく。

「その子犬みたいな声も大好物なので」

「ばかあぁぁ……!」

「もっと、貴女の声が聞きたい」

 自由の利かない恥ずかしさのあまり、ラウはぶるぶると頭を振る。

「聞かせて下さい」

 銀色にゆらぐ影が、堅く閉じた眼の向こう側から垣間見えたような気がした。暖かい、肌の触れる感触が胸に覆い被さる。

 熱い吐息が吹きかかった。いじましいほどの想いがあてがわれている。

 らしからぬ熱、らしからぬ情欲。いつもの、ふざけるような、からかうような、乙にすました声はもう、そこにはない。

「貴女と、ひとつになりたい」

 未だ、最後の求めを、ラウがうなずくのを――待っている。

 待ってくれている。

「……アリス」

 胸は高鳴るばかり。

 痛いぐらい、喉の奥が、からからになって。

 ぎし、ぎし、軋むベッドの音がやけに大きく聞こえて。

 近づいてくる。

 気配が。

 アリストラムの、体温が。

 乱れて、うわずった吐息が跳ね返って感じられるぐらいに、近く。

「ぁ……」

 くるしいぐらい、息が乱れる。

「あっ……だめです……」

 肌が、交わる。

 熱情になぞられる肌も。胸も。身体の中も。

 何もかもが――アリストラムにうずめられてゆく。

「もう、我慢できない」

 熱い吐息が降りかかった。


 アリストラムはわずかに急いた息の乱し方をして、動きを止めた。

「しまった。つい」

 我に返ったかのような、どこか情けない声でつぶやく。

「もっと焦らして、焦らして、それから始めるつもりだったのに」

「アリス……?」

 肌を重ね合わせたまま、アリストラムはなぜかうろたえている。

「何と言うことだ。私ともあろうものが……焦って、手順を間違えるなんて」

「え」

 ラウは思わず噴きだした。

 アリストラムらしいと言えば確かにそれらしい言い草だ。こんなことしてる最中に、、だなんて。

 でも。

「これ以上焦らされたら、おかしくなっちゃう」

 もっと、もっと、深く。

 腰を抱かれながら。くちづけを肌に落とされながら。

 さらに切なく、甘く、深く。息苦しいほどの熱に。

 こぼしきれないほどの甘い声があふれる。

 その声を聞かれている、そう思うだけで――恥ずかしさのあまり、ふるえあがりそうになって。

 ラウは、身をよじった。

「あ、あたし……変な……恥ずかしい……格好に……なってない……?」

「全然」

「ホントに……?」

「恥ずかしくなどありませんよ」

 昂揚し、うわずったアリストラムの声が応える。

「それを言うなら許されざる罪を冒しているのは私の方です。こんなふしだらな、聖職者にあるまじき行為に惑溺して、なお」

 汗ばんだ微笑みが、見下ろしていた。

「もっと恥知らずなことを……したいのですから」





 甘い闇の底まで一気にとろけ落ちてゆく。

 汗ばんでなまめく肌が、ぽってりと赤く、上気している。

 涙がにじむ。

 声がかすれる。

 思わず噛みついたクッションから、羽毛が吹き出す。

「あ、ぁっ……ぁ……こわ、れちゃう……!」

 揺れ動く呼吸が。もう、止まらない。

 喘ぐたび、身をよじって息をつまらせるたびに、ベッドにも空中にも、純白の羽が乱れ舞い、激しく、狂おしく降り積もってゆく。

 汗と、甘い蜜と、涙に濡れた頬に、羽が白く貼り付く。

 荒々しい呼吸の音と、押し出される声と。

 めくるめく感覚が突き上げられる。駆け上がってくる。熱い。熱い――何が何だか、わからない……

 全身が、震える。痺れる。砕ける。

「ラウ」

 耳元でアリストラムが、呻く。乱れる息を押し殺し、呆然と――長い、撃ち尽くしたような吐息をもらす。

「……ああ」

 身体の中に、あまたの熱がぬるく広がる。

 その声色にまた、ぞくりと身体の底がふるえる。

 切なく息をはずませながら、ラウは少し、身じろぎした。

 心も、身体も、まだ……繋がっている……



「ぁ……」

 優しいキスが、ラウの吐息をふさぐ。

 ずっと、こうしていたい――

 肌を寄せ合って、触れあっているだけで。

 しっかりと寄り添い、抱き合っているだけで、心が安らぐ。お互いの腕の中にこそ、ぬくもりが、自分の居場所があると分かる。

 ためいきが、こぼれた。

「いつからでしょうね。貴女のことを、こんなにも大切だと思うようになったのは」

 薄闇にアリストラムの熱い吐息が乱れている。その目元に、ラウが破ったクッションの小さな羽が一枚、くっついていた。

 ラウは鼻面をこすり寄せ、ついばむように唇でちょん、と羽根をくわえ、ふっと息を吹いて払った。

 その羽が、ふわふわと飛んで、今度はラウの鼻の頭にちょこんと乗る。

 ラウはくしゅん、とくしゃみをした。

 鼻がもぞもぞする。くしゃみが止まらない。もうひとつ、くしゅん。アリストラムが指先で払いのけてくれるまで、もぞもぞとくしゃみは続いた。

 ようやくくしゃみが止まると、なぜか急に笑いそうになって、ラウは尻尾をぱたぱたとさせた。

「いつからって。あたしは……その……最初からアリスが好きだったよ!?」

「そうでしたか?」

 アリストラムは声を低めて苦笑いした。耳元をかすめる心地よい低音に、ラウは、また、ぶるっと身体をふるわせた。

「とてもそうは思えませんでしたが。以前の貴女は、やたらと手のかかる、やんちゃな狼っ子でしたよ?」

 ラウはじたばたした。

「それはそうかもしれないけど。でも、それはアリスが意地悪ばっかり言ってからかってたからだし!」

「すみません。それは悪いことをしました」

 掌が、包み込むようにラウの頬を伝った。

「でも、今なら、分かります」

 微笑みが近づいた。

「たぶん、貴女が貴女自身だと――ゾーイの身代わりなんかじゃないって分かったときでしょうね」

 アリストラムはゆっくりとラウの髪を撫でながら、遠い微笑みを浮かべた。

「犯した罪の影に追われていたと思っていたけれど、それは、本当は、死にたいと願ってばかりいた私を暗闇から連れ出しに来てくれた貴女が、差し伸べてくれていた優しさだったのかもしれません。反対に、消えゆくゾーイの幻だと思って必死に追いすがっていたものは、本当は、いつまでも過去に囚われているばかりの私の手を離れ、大人になっていく貴女の姿だったのでしょう」

 ラウは、アリストラムの眼を見つめた。

「今までの私は、そういう男でした。最初はゾーイのことだけ、その次は、自分のことだけしか考えられなかった。貴女はそんな私を変えてくれた。受け入れてくれた。救い出してくれた。だから、これからは」

 かすかに、揺れている。それはもしかしたら涙のせいかもしれなかったし、反対に微笑みのせいかもしれなかった。

「貴女のためだけに、生きてゆきたいのです」

 苦い過去も。

 辛い記憶も。

 簡単には消えない。

 もしかしたら、ゾーイを喪ったという記憶は、ずっとアリストラムの胸にわだかまって一生消えないかもしれない。

 でも、それでもかまわなかった。


 過去を捨てる必要なんかない。相手のすべてを求めることだけが、好き、という気持ちのかたちじゃない。

 完璧な人間なんてこの世にはいない。喧嘩もする。文句も言う。互いにできないことはできないと言う。

 それでも、傍にいてくれたら。傍にいられたら。

 そうしたら、きっと、優しくなれる。

 今を一緒に生きてゆけたら。

 それが、しあわせ。

 これからも一緒に生きてゆけたら。

 それが、しあわせ。

 悲しい過去もいつかは溶けて、心を満たす優しい水になる。


「だったら、これだけは約束して」

 ラウは身をゆだねた。アリストラムの胸に顔を埋める。

「あたしが好きって言ったら、アリスもちゃんと好きって言って」

「約束しましょう。神に誓って」

 アリストラムは、ふと、思い出したように指を鳴らした。

 何もない空間から、紋章入りの錠前がついた、聖銀の首輪を呼び寄せる。

 続いて、手にすっと落ちてきた銀の鍵を。

 ことり、と音をさせて傍らのテーブルへと置く。


 紋章の首輪と、銀のカギ。


 ずっと――ラウを、あるいはアリストラム自身を縛っていた戒めの首輪。

 その、カギを、手放す。

 何気ない言葉。

 何気ない仕草。

 すべてが、たったひとつの真実を、こんなにも雄弁に伝えてくれる。


 ラウは尻尾を振ってアリストラムの首根っこにかじりついた。

「じゃ、さっそく続きしよ? ちゅってして、ちゅっ!」

「はい、ちゅっ。こうですか?」

「もう一回。今度は好きって言って!」

「はい、好きです」

「気持ちがこもってない! もう一回!」

「好きです」

「ううん、やっぱエロさが足りない! もっと激しく!」


 明るい笑い声が響いた。自由奔放にじゃれつき合う。


「何度言っても分かってもらえないのですね。致し方有りません。では、お望み通りに」

 アリストラムは小難しい表情を作ってみせる。

「服従の姿勢を取りなさい、ラウ」

「きゅう……ん」

 ラウは無意識に身をのけぞらせ、おなかを見せて、伸びやかな裸身を見てもらおうと身をくねらせた。甘えた尻尾が、ぱたぱたと動いている。

「あ?」

 自分の取った体勢の意味に気づいて、頬を赤らめる。

「あれっ、あたし、何で?」

「好きですよ、ラウ」

 アリストラムがにこにこと覆い被さってくる。

「ええーーっ! 何か違うっ!」

「じゃあ、もう一回、服従の姿勢」

「きゅうんっ! って、あれっ……!?」


 二人の足に押しのけられたテーブルから、役目を終えた銀のカギが蹴っ飛ばされて落ちる。

 銀のカギはベッドの下へと転がってゆき。

 キラリ、白く光って見えなくなった。


【おわり】

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【完結】狼と神官と銀のカギ 〜見た目だけは超完璧な聖神官様の(夜の)ペットとして飼いならされました。 上原 友里@男装メガネっ子元帥 @yuriworld

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