告白


「奇遇だな。俺も同感だ」

 キイスは表情をかき消した。地面を蹴る。

 闇と化した突風が突っ込んでくる。鋭利な爪で引き裂くつもりか。

 アリストラムは指を鳴らした。銀の火でその身を包む。空気の押し出される音ととも に戦闘用の装備──純白のコート、白銀の長杖、きらめく護符を甲にはめ込んだ白手袋──を完璧にまとう。

「侮るな。死に損ないが」

 キイスが殴りかかる。アリストラムが杖をかざすと、青金色の防御紋様が輪となって宙に浮かんだ。

 キイスの拳がその輪の一つ一つを砕いてゆく。振り払われた風が衝撃波となって舞い散り、洞窟の天井に突き刺さった。轟音がつんざく。瓦礫が降り注いだ。

 甲高い残響がゆらめき鳴り渡る。

「馬鹿め、本体ががら空きだ」

 キイスは高々と跳ね、剥き出しにした爪をぎらつかせて振り上げた。頸動脈を狙って振り下ろす。爪がアリストラムの首をもぎ取る──かと見えたとき。

「何っ……!」

 一見、非力な魔法使いにしか見えぬアリストラムの手が、大上段に振りかぶったキイスの手首をがちりととらえていた。受け止めた衝撃で、手から背中を通って地面にまで青白い放電が伝わり、弾け飛ぶ。

強化フォルトゥス

 アリストラムの手袋の背に聖銀の紋章が浮き上がった。強い輝きを放つ。

「私はいくつもの罪を犯してきました。ゾーイを裏切り、ラウを裏切り、今、また、自分をも裏切ろうとしていた。だから、今、この場で」

 アリストラムは、キイスの手首を掴む手になおいっそうの力を込めた。ぎりぎりと鈍い音が響く。

「私は告白する。私は悔い改める。私の罪は弱さ故に己の弱さを認めようとしなかったこと。だから、もう、二度と逃げない。私は弱い。弱きを知ったからこそ、弱さを知らぬ貴方に後れを取るような下手は二度と打たない!」

「戯言を」

 キイスは獣の形相で吠え、アリストラムを振り払おうとした。アリストラムは表情ひとつ変えず、キイスの手首を強引に逆方向へとひねりあげる。

 ゆがんだ腕がめきめきと音を立て軋んだ。

「魔妖が人を刻印で縛るように、聖銀アージェンは、その封印で魔妖を縛る。もしかしたら、私たちは」

 聖銀の光がキイスを照らし出す。

「他者を冒涜することにかけては表裏一体、共に許されざる存在だったのかもしれませんね」

 キイスは愕然と吠え猛った。

「放せ、聖銀」

「キイス、貴方は刻印に何を望んだのです」

 アリストラムは酷薄にすら聞こえる声で言い放った。

拘束オブリガティオ

 目にも止まらぬ速度で指先が空を叩き踊り、中空に呪の琴線を描き連ねてゆく。

 見開かれたキイスの眼に、巨大な檻にも似た聖銀の紋章が映り込んだ。

「やめろ……!」

 照り輝く巨大な聖銀の刃が頭上の闇に生まれた。列を成し、轟音を上げて地面に突き立つ。

 息つく間もなく光糸が紡がれ放たれる。

 乱反射する軌跡を描き出しつつ、光の糸はキイスの全身を針金のように縛り上げた。その姿が土煙に呑み込まれる。

 瓦礫が地に跳ねて転がる。

「憎しみ、絶望、孤独、それとも欲望そのものですか」

 銀の光糸に、腕を何重にも縛り上げられたキイスは、咆吼をあげて牙を剥いた。凄まじい形相で自らの手首ごと食いちぎろうとする。

「刻印は人を縛る枷であると同時に、かけた魔妖自身をも命の契約で縛る強い反作用の枷となる」

 アリストラムの表情が険しく変わった。張りつめた光糸を高々と逆手に引き絞って締めあげる。キイスは腕を吊り上げられ、むなしくもがいた。

「放せ!」

「刻印は自らを写す鏡。他者を憎悪で縛る刻印は、自分自身に新たな憎悪の矛先を向けるに等しい」

 アリストラムの足元で狼が身を震わせた。もつれる足で起きあがり、ふらつきながらアリストラムの足を頭で押し、肩でもたれかかって何処かへと追いやろうとする。

 狼の喉からくるしげな遠吠えがもれた。

 そのとき。


 からり、と。

 小石の崩れ落ちる音が反響した。


 乾いた靴音とともに、伸び縮みする影がゆっくりと近づいてくる。ゆらめく銀の霧が渦を巻いて足元に流れ込み、よどみ始める。

 ぞくりと這う、冷たい感触。

「キイス」

 かぼそくふるえる――だが、あからさまにみだらな誘いを甘く潜ませた少女の声が、闇に反響した。

 キイスの表情が、かたくこわばる。

「ミシアか」

「……キイス、どこ? どこにいるの?」

 はかなげに呼ぶ、ちいさな声。

「暗くて……何も見えないの……ねえ、怖いわ……お願い、助けに来て」

「ミシア、ここだ、俺はここにいる」

 キイスはアリストラムが張り巡らせた聖銀の結界に取りすがろうとした。触れた手が音もなく燃えあがる銀の火に包まれる。キイスは呻き、はじかれるようにして後退った。

「ここから出せ」

 キイスは結界を強引に蹴破ろうとした。

 ミシアが、狭い洞窟を抜けて現れる。

 その姿を見た瞬間、キイスは息を呑んだ。

 おぞましいまだらとなった漆黒の刻印が、片肌脱ぎの肌の表面を覆い尽くしている。汚濁の墨を全身に浴びせかけられたかのようだった。

 もはや体表を這うのにも飽きたらぬのか、奇形めくほどぶくぶくと異様に膨れあがった刻印の紋様が、赤黒い浮腫となって、心臓から首へ、顔へ、腰へ、下半身へとぐねぐね巻きつたってうごめいている。

「ミシア」

 キイスは愕然と呻いた。変わり果てた恋人の成れの果てを食い入るように見つめる。

「どうしたんだ、その姿は」

「そいつを殺せ、ミシア」

 ぞっとする声が響いた。ミシアの足元から、ゆがみきった影が黒々と伸びてゆく。

「はい。レオニスさま」

 意志を殺された少女の眼に、涙が珠を結ぶ。

解放ソルート!」

 アリストラムは手を払って銀の光糸をたち切った。キイスを拘束していた聖銀の紋章結界が瞬時に消え失せる。

「死んで下さいませ」

 伸ばしたミシアの指先から、鮮烈な銀の輻射光が放たれる。光条が四方八方に奔り付いた。

キイスは前のめりにつんのめって縛めから逃れた。土煙がキイスの姿をかき消す。

 キイスはアリストラムへ視線を走らせた。目が合った。すぐに眼をそらす。

「恩を売ったなどと思うなよ」

 肩で息をしながら、吐き捨てる。

 アリストラムは昂然と燃え上がる眼を上げた。ミシアの背後を見据える。

「レオニス、ミシアを解放してください」

「馴れ合いは終わりだ、欠落者アリストラム」

 傲岸な笑いが響き渡った。ミシアのくちびるが銀のぬめりを帯びて光る。

「皆殺しにしろ」

「はい、レオニスさま」

 ミシアは胸に手をあてた。喘ぐように口を開く。

 胸の刻印に、深いひびが走った。

 朽ちた木が倒れるかのように膝から崩れ落ちる。刻印を押さえるミシアの顔が激痛にゆがんだ。ひび割れた身体の内側から銀の光が放出されてゆく。

「ミシア」

 キイスはミシアを抱き、その光を押さえ込もうとした。

「俺の声を聞け。聞くんだ。眼を覚ませ、ミシア」

「……我が主は、全員、死ねと仰せになりました」

 ミシアが泣き笑う。

「ミシア!」

 刻印の放つ銀の光に焼かれ、溶かされてゆきながらキイスは愛する娘の名を呼ぶ。呼び続ける。ミシアの笑い声が重なる。

 視界が白く焼きつく。


 あのときと――同じだ。

 あのときも、誰かの声だけが脳裏に響き渡っていた。


 ラウの記憶。アリストラムの記憶。二つの記憶が一つに交わる。


 銀の炎。かすれ飛ぶ悲鳴。最期の瞬間、めくるめく白い闇が夜を染めぬいて膨れ上がったあの日あの瞬間へと。

 記憶が巻き戻ってゆく。


(戻って来て。眼を覚まして)

 抱きしめてくれた誰かの絶叫を、刻印が焼き尽くしてゆく。目の前で炎に呑まれてゆく。動けないまま、なす術も無く、視界が誰かの背中に遮られる。

 爆風に逆巻く鋼色の髪。豪奢な聖神官の装いをまとい、聖銀の杖をさながら槍のように擦り構え、耳障りな嘲笑を解き放っていた、


 違う――


 アリストラムは凄まじいまでの確信を持って、過去の記憶を塗り隠した偽りの情景を

 作られた幻想。

 錯覚の過去。

 それらすべてを音を立てて引きちぎる。

 ゾーイを焼き殺し、刻印から解放されて狂ったように笑っていた過去の自分。

 嘘で嘘を塗り重ねた記憶の壁紙を、渾身の力を込めて一気に剥ぎ取る。


 その下から現れた真実の絵は。


 音もなくただ圧倒的に膨れ上がる光の圧力に耐えきれず、洞窟全体に無数の細かいひびが走った。

 甲高く軋りあった岩盤が左右互い違いにゆがみ、剥げ落ちて凄まじい火花を撒き散らす。

 アリストラムは横飛びにとびついて狼の身体を抱きかかえた。

 悲鳴と轟音が錯綜する。

 爆風に吹き飛ばされ、どこまでも転がる。

 風が吹き下ろしてきた。

 地下水が天井からあふれて、底抜けの滝のように降りしきる。床が水浸しになった。

 アリストラムは四方を見渡した。頭上から落下する岩は、ほんのひとかけらがかすめただけでも命を吹き飛ばすに十分な重量と巨大さをもって洞窟を埋めつくそうとしていた。

 床に黒いひび割れが入った。地下水脈はごうごうとなだれ落ちる滝となって、遙かに暗いさらなる地下へと落ちてゆく。

 また巨岩が落ちた。

 激しい水しぶきが上がる。

 地面が揺れ動く。

 アリストラムは水の流れに押し流され、よろめいた。抱きしめた狼の身体はぐっしょりと濡れ、ともすれば腕の中から滑り落ちそうになる。

 床全体に巨大な神渡りの亀裂が走った。地面が三角波のようにへし折られ、粉々に砕けてゆく。何もかもを飲み込む暗黒の裂け目が空いたように見えた。

 アリストラムは喉をごくりと鳴らして息を飲み込んだ。

 巨石の落下に巻き込まれれば即死だ。かといって、ただ手を拱いてみている訳にもいかない。いつかは洞窟の天井そのものが崩落する。

 アリストラムは背後の奈落を振り返った。聞こえてくる轟音は頭上からのものばかり。地下からは地鳴りのような音が伝わるばかりで、何一つ、転がる音がしてこない。

 いったいどれほどの深さがあるのか。

 冷や汗と同時に、こわばった笑いが漏れる。

「これは、困りましたね……?」

「生き恥を曝すな、アリストラム。貴様も聖神官の端くれならば、潔くこの場で死ね」

 もはや表情を取り繕うこともしなくなったレオニスが、瞋恚の炎を目に宿らせて近づいてくる。

「残念ながら、その提案には承服いたしかねます」

 アリストラムは平然と返した。腕に抱いた狼の身体を、なおいっそう強く抱きしめる。

「ならば、この俺が自ら調伏してやろう」

 レオニスの手に青白く光る十文字槍が現れた。刃が嗜虐の光を帯びる。

「跡形もなく、な」

「……そんな、蛇みたいにしつこくしていると、女性に嫌われますよ」

「抜かせ!」

 十文字槍から浄化の炎が放たれる。

 炎が目前に迫る。アリストラムは身をのけぞらせた。確信を持って背後へと一歩、後ずさる。

 ふと、足の下の地面の感触が失せた。最後の瞬間、地面を強く蹴って、自ら闇へと身を躍らせる。

 アリストラムは背中から落ちてゆきながら笑って怒鳴った。

「お願いですから、付いてこないでくださ──」

 軽口を叩いてみせるその頬を、巨大な十文字槍がごうっと音を立ててかすめた。銀の火花が散る。

 アリストラムは十文字槍に弾き飛ばされ、錐揉みしながら落ちていった。

 狼とともに、遙か地下の奈落へと。

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