シーン10

 紗央梨と美紀のケーキ談義が一段落したころ、美紀の視線が窓の方で固定した。何やら見つけたようだった。


「あれ?」


 美紀は、窓にへばりついて通りの方を見ていた。通りの反対側に一階建てのこじんまりした建物があった。通りと入り口の間には、手入れがほどよくされた芝生の敷地があり、その中央にカナダ国旗を掲げたポール。小さい建物だが、住居ではなくオフィス系であることは間違いない。


「どうしたん?」


 と紗央梨が訊く。


「あれ、さっきの警察(ポリス)のクルマが入っていったよ」


 と美紀は建物横にある細い駐車場を指さした。紗央梨も目を向けると、確かにRCMP(カナダ連邦警察)車両が駐車していた。だが、それはSUVタイプで紗央梨らがさっき閉じ込められたクルマ(セダン)とは大違いだった。


「確かにあれはRCMP(警察)のクルマじゃ。でも、あれじゃないよ」


「ううん、さっきのクルマだって! 今奥に入っていった。ほら」


 美紀の指摘通り、奥にも警察車両が数台駐まっていた。そのうちが数台がセダンだった。セダンタイプの警察車両は、ごく一般的でカナダ中どこでも見かけるものである。


「あん警官らがおった?」


「おったおった、腹のでけーのがおった。あん顔はまちがいないじゃけよ」


 美紀が、広島弁を真似て返事をする。紗央梨がきくと、彼女のアクセントは非情におかしかった。


「まだまだじゃね」


 紗央梨は、にこっと美紀にスマイルをおくる。


「えー、『けー』とか『じゃけ』をつければいいんじゃないの?」


「うーん、なんか変」


「もっと変なの? きったかさんのイントネーションって変なだけど、真似ると難しいんだよね」


――変なイントネーションかぁ……。こればっかりは、二十七年以上、福山にすんでおったから、そう簡単に抜けられんかな。


 半分諦めの溜息を紗央梨はつく。


 紗央梨は、カナダに来て他の都道府県の日本人とあうことが増えるにつれ、自分自身の言葉が標準語から予想以上にかけ離れていることに思い知らされいた。この半年の間、それを指摘されることには慣れてきていたが、あらためて美紀に『イントネーションが変』といわれると、やっぱりショックだった。もちろん、悪意がある真似事ではないことはよくわかっていた。


「そんなことより、英語の方をおぼえんさい」


 その紗央梨の言葉は、美紀の心に鋭く刺さる。


「きったかさんが、意地悪するぅ」


「うちら、カナダにいるんだよ。広島弁より、英語学習が優先やろ。さっさと自分一人で宿の予約取れるようになりんさい」


 紗央梨の指摘がごもっともである。ちなみに今までの宿の予約手配は、美紀ではなく、すべて紗央梨が行っていた。


「でもさ、十代をすぎたら学習能力が落ちるのよ! どれだけ、ハードなことかわかる?」


「うち、アラサだし。もっと苦難だよ。美紀の方がわかいんだから、習得が早いはずじゃって」


「でも、ブランクが長いんだよ」


「英語のブランクはうちの方が長いって」


 紗央梨が大学卒業後社会人二年目までは、美紀は高校生現役だった。


「うう……。高校のころ遊んでいたから、あんまり英語は……」


「いやそれでも、うちの方がブランク長いよ」


 紗央梨は、大学生前半のころ一般教科として英語受けていた。そのころ、美紀は義務教育の中学生として英語の授業を受けはじめていたころ。


「(日本の)大学の一般教科って、あんまり熱心じゃないんだよ。単位取れればいいってかんじゃったしね。うちの最後の英語授業が終わるころ、あーたは高校受験をはじめたばかりじゃろ」


 紗央梨の指摘で、美紀は高校受験で英語を勉強していた記憶を蘇らせ、ブランクが自分のほうが短いことに把握する。ますます勉強しなかった学生時代を過ごしていた事を暴露する美紀であった。


「ふんだ。いいとこの学校を出たきったかさんにはわからないんだ!」


 美紀は、ふてくされた。確かに紗央梨がでた高校は地元でも進学校だったが、入った大学はそうでもない。


――美紀は、何でカナダへ語学留学しようとしたんじゃろ……。美紀の渡加理由をあらためて知りたくなった、紗央梨であった。


「そんなに、はぶてんでも……」


 紗央梨は、ふてくされる美紀に慰めの言葉をかけようとした。


「『はぶてん』?」


 美紀の顔から、先ほどのすねた表情が一気になくなり、その瞳には興味津々の輝き宿してきはじめた。


 ――地雷を踏んだかもって、紗央梨は感じ始めた。


「え? 『はぶてる』だよ。」


 紗央梨は、唐突な質問に答えるが、


「なに? なに? 『はぶてる』って?」


 美紀は形勢逆転のチャンスをつかんだかのように攻勢に出てきた。


 紗央梨は、徐々に真意に気づきはじめた。


――もしかして、『はぶてる』も『広島弁』?!


「えーと、『はぶてる』って、『はぶててる』ことをいうんじゃない……?」


 彼女には、その意味も広島弁でしかなかった。


「だから、『はぶててる』って? なんか、ハブ(へび)みたいな状態?」


 美紀が無邪気に突っこんでくる。「すばしっこい、ねたんでいるとか、ずるがしっこいとか? でも、何かぴんとこないねぇ、なんだろう」


 その口調には若干厭味も含まれている。


「うーん」


 紗央梨は、色々言葉を頭の中でめぐりまわすが、『はぶてる』に代替えするような言葉が見つからなく、うなり声をあげていた。


「じゃけぇ、急に不機嫌になったり、不快に思うようなこと、なんていうの?だから、『はぶてる』じゃん」


 慌てふためいて説明する紗央梨。その説明と先ほどの状況をみて、美紀は思いつく。


「『拗(す)ねる』?」


「そうそうそう! それそれそれ、『拗ねる』!」


 ようやくマッチする言葉が紗央梨の頭に響いてきた。


「『はぶてる』ってそんな意味なんだー。『はぶてん』、『はぶててる』……。広島弁ってかわいい!」


 美紀は勝ち誇った笑いを浮かべた。紗央梨は、また美紀のペースに戻されてしまった軽い敗北感を味わっていた。


 二人はそれぞれの思い持ちつつ、それぞれの飲み物を口にしながら、外の方へ顔を向けた。『RCMP』の車両に例の『出っ腹の警官』がいたかどうか、話題に戻すつもりであったのだが、否応なくその回答は現れた。


 窓の外に、その彼が突っ立っていたからである。サングラス越しで彼女らを眺めていた。紗央梨と美紀は突然の出現に、目を丸くし唖然とその彼に見いっていた。彼女らと目が思いっきりあっていながらも、彼は無表情のままであった。


 それと同時に、カフェの入り口のドアが開き、同じくハイウェイであった若い警官が店内に入ってきた。こちらの方は、白い歯をのぞかせ笑顔を振りまきつつ、手を振りながら現れてきた。


 紗央梨は、予想外の再会に驚きながらも、作り笑いで手を振って応えた。美紀は、どちらかというと満面な笑みで挨拶を返した。出っ腹の警官も、無表情のまま店内に入ってきた。彼らは、店の主人と挨拶を交わしていた。


「また、会っちゃったのね。これは運命かな?」


 と美紀が言う。「や、偶然じゃろ」と即座に紗央梨は否定をする。


「若い方の警官ってけっこうイケメンだし、まじめそうだし。これは、チャンスだよ」


 美紀の目が輝きを増す。


 確かに若い警官は、赤茶の髪で背が高く、優しそうな顔持ちの青年だった。美紀よりは年上だが、自分より年下かもしれないと紗央梨は感じた。


「しかも、公務員だし、将来安泰だよ」


「美紀、そんなところまで考えてんの?」


「乙女は奥深しいのよ」


 美紀は扇子で口元を隠しながら、流し目線で紗央梨に返す。


——何か意味が違うし、それ腹黒いよ、紗央梨は内心で呟く。


「二人とも、指輪していないから間違いなく独身よ! きったかさん、チャンスよ!」


 美紀が、扇子を立てて小声で伝える。

「何が、チャンスなのよ」


 紗央梨は、その警官二人の左手に視線を送ってみた。——たしかに、二人とも指輪をしていない。「ほんとじゃ、美紀って、よう見とんな……」美紀の意外な観察力に驚く。


「若い方は、私。出っ腹はきったかさんね」


「いや、うちは遠慮しておく」


「あ、きたきた」


 美紀が、紗央梨の左手をたたく。


 若い警官が、紗央梨らのとなりのテーブルに座った。若い警官が、彼女らに声をかけた。クルマは角の駐車場で直して貰っているんだろうって、訊いてきた。


「イエース。だから、ウィア・ウェイティング・ヒア(そーです。だからここで待ってまーす)」


 と美紀が元気よく答える。そのまま、美紀は今ごろランチタイム?と彼らに訊いた。


「Just taking coffee break (コーヒー休憩だよ)」


 と彼は答え、ランチはすでに済ませたよ、とのこと。


「さぼってんだー」


 美紀は日本語で言う。彼は、コーヒーをすすりながら、署(Detachment)はすぐそこだからと、窓の外の建物を指さした。


 紗央梨と美紀は、その指の方向を振り向く。先ほど彼女らが見ていた地味なオフィス系の建物がそれであった。その言葉を聞いて、その建物の堅苦しい雰囲気がましてくるように見えてきた。


「まさに、お役所みたいな感じだね〜」


 美紀のその感想には、紗央梨も同意見である。


「そうじゃね、こんなに近かったら、ここでコーヒー休憩もわかるわ」


 と紗央梨が呟く。


 若い警官の同じテーブルに、出っ腹の警官が座る。細いステンレススチール製のフレームの椅子は、彼の体重を受け止めミシミシと音をたてた。トレイにドーナッツを六・七個ほど載せられていた。彼女らは、椅子が受け止められるかどうかの心配より、出っ腹の原因に納得していった。

 

「すんごい数! おっさん、これ一人で食べるの?」


 と美紀が声を上げた(日本語で)。それでも、出っ腹の警官はその意味をくみ取ったのか、二個は持って帰ると英語で答えた。サングラスをゆっくりとはずし、テーブルの上に置く。身体に似つかわしいくらい、彼の目は細長で鋭い眼光をもっており、厳格な性格を思わせる顔つきをしていた。彼は、ゆっくりと最初のドーナツにかじりついた。


「美紀より、甘党だね、彼」


 と紗央梨が呟いた。


 若い警官は彼を『デーヴ』と呼び、彼はここのすべてのドーナッツ、ケーキを三日で制覇し、それくらい、スウィートばかり食べているよ。と説明した。


「『デーヴ』が『デブ』か……」


 が美紀がとっさに日本語で呟くと、そのデーヴはキッと美紀をにらみつけた。


「いえいえ、何でもありません」


 とあわてて美紀は否定をする。


 デーヴはそんなに気にした様子もなく、無表情のままコーヒーを飲み続ける。


 その様子をみた紗央梨は、やっぱり美紀にはテレパシーみたいな能力を持っているのかもしれないと、感心していた。


「おっさん、スイーツラバーだね。ユー・マスト・ラヴ・ティムね!(絶対ティムすきでしょ!)」


 デーヴは、もちろんだと答えた。月に一回は行っている。


「オンリー・ワンス・ア・マンス?(たった一ヶ月に一回)。私は、一週間に数回は行くよ!」


 と美紀は疑問を投げかけたが、若い警官はその疑問にすぐに答えた。


 この町には、それがないと。


「カナダで、ティムがないところがあるなんて!」


 と美紀が大げさな驚きをみせた、日本語で。


 さらにアメリカ最大手バーガーチェーンもない、と若い警官は補足した。


「オーマイゴッド! マックもないなんて! そんな、わたしたちは田舎に取り残されたのね!」


 紗央梨は別に驚きもせずに、『田舎を思い知れ』と、こころのなかで美紀につぶやきを投げかけた。


 若い警官は、デーヴに、次はいつ行くんだいって、聞くと、


「Next weekend」と答えた。また娘さんとかい?」


「Yap(ああ)」


 デーヴは短く答えた。


 美紀と紗央梨は、若い警官の発言に「Daughters(娘たち)」という言葉がふくまれていたのを聞き逃さなかった。


「おっさん、娘さんがいるの?ハウ・メニー (何人)? ハウ・オールド(いくつ)?」


 美紀は隙もなく質問する。


 デーヴは無表情のまま、二人で八歳と四歳だと答えた。カイルは、彼は月に一度娘さんらと遠くの町のティムへつれていくんだと、説明をした。


「ワオ、意外だー。きっとかわいいんだろうねー。ユア・グッド・ダディ(いいお父さん)だね!」


「Not so much」


 とデーヴは呟くように答え、次のドーナッツを食べ始めた。若い警官は、言葉を濁すような感じで無言の微笑を返した。


「きったかさん、残念だね。結婚しているんだって」


 美紀は、紗央梨へ非常に残念そうに語った。


「いや、うち、そんな対象と見とらんから」


「奪略婚という手があるよ」


「それ以前に、若い方という選択肢がうちにはないんじゃね」


 と紗央梨は呟いたが、美紀は全く聞かずに


「ホワッツ・ユア・レコメンデッドドーナッツ?(どのドーナッツがおすすめ?)」


 と話題を変え、デーヴに訊ねる。彼は、ティムのか?、ここのか?と聞き返すと


「もちろん、ヒア!」


 美紀は、この店のカウンターショーケースを指さす。“今日は”Cinnamon Bun(シナモンバン)だな、とデーヴが答えると、すかさず「そっか!」と立ち上がり、カウンターの店の主人にそっそく注文しに行った。


 紗央梨は、彼のトレイにはシナモンバンはなく、他の甘そうなドーナッツばかりしか載っていなかったということにすでに気づいていた。


——ということは、もう、今朝ぐらいに、すでに食べとるんじゃね、この人。この腹は、お酒じゃなくて、砂糖でできていそう。紗央梨は、テーブルの角にめり込みそうな勢いのデーヴの腹を横目でみていた。


「今日は、すでにソールドアウトだって……。残念」

 美紀がまた残念そうな面構えにて、テーブルに戻ってきて、椅子に座って炭酸飲料を口にする。


「もう、三個食べとるんじゃけ、じゅうぶんじゃん。この人みたいになるよ」


「そういえば、おっさん、ユア・デーヴ、だよね。アイ・ドント・ノー・ユアネーム(あんちゃんの名前をまだ知らない)」


 美紀は、話題をすり替えるのがうまい。


 赤茶髪の青年警官は、満面な笑みを浮かべ、『カイル』と自己紹介した。カイルが握手の手をさしのべたとき、美紀は素早くその手を強く握り返し、


「私らの自己紹介していなかったね、マイネームズ・ミキね。フロムトーキョーです。ナイスミーチュー(私の名前は、みき、よろしく)!」


 休憩中の警官に自己紹介をする。美紀の手は、なかなかカイルから離れそうもなかった。


「美紀、もうええじゃろ。彼困っとるよ」


 紗央梨は、美紀の背中をたたいて、手を離すように促した。美紀は照れ笑いをみせて手を離したが、紗央梨にはそれが思いっきり『作り笑い』というのが感じとった。ちなみに、美紀の出身は東京ではなく神奈川県川崎であり、わかりやすく説明しやすいので、もう『トーキョー』でいいや、って感じになっている。


 なぜに警察車両の後ろにいたときに自己紹介をしなかったのかも不思議に思ったが、紗央梨も一応自己紹介をし直し、二人に握手を求めた。


「アイム・サオリ。アイ・シンク・ユーノー・ザット(たぶん知っていると思うけど)」


 警官二人は、知っているよっと答えながら、軽い握手を返した。思いっきり彼女の運転免許をみて、それを警察ネットワークで照合しているのだから。


 カイルが、日本のどこから来たのか?と紗央梨に訊いてきた。とりあえず、彼女は『ヒロシマ』と答えた。実際はほぼ岡山よりの『福山(ふくやま)』であり、文化も経済圏も福山で広島市とは一線を引いて、岡山寄りに入っている。方言も若干違うので

、『広島(ひろしま)』出身と名のるのも、何かしら抵抗があった。ただ、生まれたのは広島市内というのは間違いないし、良くも悪くも『ヒロシマ』が『トーキョー』並に世界中に知られている名前であるため、彼女は『広島(ひろしま)』出身といつも答えていた。


 カイルはやはりその名前の街を知っておる様子で、そのため深くは追求しないような表情をみせた。そこらあたりが、若手警官らしいまじめさがうかがえられた。紗央梨は、そういう反応にはすでに慣れた感があった。他の国の人が『Hiroshima』と言われ連想するのは、『原爆(アトミックボム)のヒロシマ』なのだ。


 ただ、紗央梨が驚いたのは、『デーヴ』の反応だった。彼女の出身地をきいて、彼が発した言葉は、


「You're from same as a Miata(ミアータといっしょの出身だね)」

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