シーン9

 紗央梨は、美紀のところまでたどり着き、彼女がみる方角を見てみる。通りはまっすぐと抜けており、その脇に家屋が定間隔にみえる。さらに奥の方は、繁茂した街路樹が建物と建物の隙間を埋めるように並んでいた。初夏の強い日差しが木々の上ではじけ、樹葉の緑はより鮮明に輝いていた。


 左側手前は街路樹も少なく、大きな店の看板がよく見え、『Inn』とかかれていた。そこは宿泊施設であることは明白であり、どの町でも宿泊施設の周りには何かしら飲食店が必ずあることは、彼女らは今までの旅路の経験で学んでいた。


 美紀は、紗央梨が着いてきたのを確認すると、率先としてその通りに入っていった。


 予想通り、先の自動車修理工場の裏通りを超えてすぐに、飲食店らしい建物が右手に現れる。


 古い開拓時代の店構えをあらわした木製の軒下に、日曜大工の手作り感たっぷりの木製パティオが設置されていた。軒に小洒落た字体で店の名前が記載された看板が掲げられいてるが、すばらしく立体感がなく、まるで印刷されたかのような看板であった。入り口ドア右上部の小さな看板は、住所と店概要が説明されているが、これもまた印刷されたかのようなつくりで、平凡な字体でさらに洒落っ気のない。


――少ない資金でがんばって、こじゃれてみたんじゃねー……。


 紗央梨はその努力に同情したくなる。


 パティオ奥の広い窓から店内をのぞくことができ、電灯の光がともっているのがみえた。開店しているのは彼女らにもわかった。


 ただ、紗央梨が気になったのは、看板の最後に『Bar』とかかれていたことだった。パティオと窓ごしで店内を見るだけでも、テーブルだけではなく長いカウンター席もあり、中央にはビリヤード台が設置されているのがわかった。昼間の食事をすると言うより、ディナーやお酒をメインとした、夕方から夜中まで楽しむ感じのお店であった。


 ――ここに入ったら美紀が酒を飲みはじめるじゃろうな……。


 その紗央梨の予想は、確信に近い。別に美紀が酒癖悪いわけではない。ただ、自分は飲めない。自分自身が今日の残りをまだ運転をするかもしれないのにもかかわらず、横で酔っ払っているのが、紗央梨には癪であったのだ。


 そんな紗央梨の心配をよそへ、美紀はその店を通り過ぎ、 その店の左隣の庭をのぞいた。興味が、そっちに移ったらしい。その様子をみた紗央梨は、一安堵した。


 木の板でできた正方形のピクニックテーブルとベンチが、乾いた荒い砂地の地面に設置されていた。テントもパラソルもなく、野ざらしのまま。そのおかげで表面の塗装はすっかり剥がれ落ちており、最低限度の利便性を維持しているのが精一杯であった。その敷地となりに、赤と白のビニールの軒に、これまた半世紀もむかしのコミックを思わせられる字体で店の名前が書かれた、また小さなお店があった。


 美紀の興味はこの建物に写っていた。


『Bakery(ベーカリー)』ということは、『パン屋』さんなのだろう。こちらの店の面構えは、清潔感はあるがまったく小洒落た感はない。


「ティールーム、ライトランチってかいてあるね」


 美紀は、サインをみて呟く。大きく溜息をつき、


「昼食(ランチ)って、もともと軽い物なにねー」


「夜より、かるいかな?」


 紗央梨は、美紀のつぶやきに応答する。お酒もなさそうだし、ここにしよ、これが紗央梨の願いだった。――全くダサいけど。


「『ライトランチ』って謳っていることは、ここのオーナーは、普通の昼食がどんだけ重くなっているのかって、警告しているんだよ」と、さらに美紀の持論が続いた。


「カナダ(こっち)で外食ランチって、だいたいバーガー系かピザじゃん。いくらレタスやトマトが入っていても、チーズ、マヨネーズ、ソースたっぷりお肉系ハンバーガー。オイルたっぷりで揚げたフライドポテト。特大サイズの炭酸飲料(ポップ)。こんなに食べるんだよ。大体、太らないのがおかしい。」


 紗央梨は、苦笑いしながら美紀の持論を聞いていたが、感心していたのは彼女が『炭酸飲料』を『ポップ(Pop)』と読んでいた点だ。これは、カナダ特有の英語方言である。よくいる留学生の特徴ではあるが、日本語同士での会話にもかかわらず、無意識に英単語が混ざってくる。滞在歴が長ければ長くなるほど、英単語交じりの日本語会話が増えてくる傾向である。たった四ヶ月の美紀でさえ、その中の一人になりつつあった。


「で、ここにする?」


 紗央梨は、美紀に訊いた。美紀は、無言で愛用の扇子を広げゆっくりと仰ぎながら、ベーカリーの軒看板を食い入るように見つめていた。入るかどうかを店の中を見るわけでもなく看板だけをみて判断しようとしている美紀の姿に、紗央梨はある意味滑稽さを感じた。


 彼女は、はんば呆れ交じりの短い溜息をつくと、考えている美紀より前にでて、このベーカリーの入り口ドアを開けた。


「えぇ!?」


 と美紀は、意表をつかれて声を上げた。その目は、まだ決めていないのに、という不満を込められながら、まっすぐに紗央梨を向いていた。紗央梨はドアを空けたまま、立ち止まり美紀の方へ返り向いた。


「うちはここにするけど、どうするの?」


 美紀は、口元を締めじっと紗央梨をにらみ、ほんの僅かな抵抗の意志を伝えようとしたが、すぐに表情をやわらげさせ、


「はいはい、わかりました」


 帰順し、後を追った。美紀は紗央梨の前を通り過ぎ、そのまま彼女が開けたドア先にくぐり抜けた。紗央梨は、微笑みともに溜息をつき、ドアを閉めながら続いて店の中に入った。


 店内は、十人の客が入れば混み合ってしまうほどの広さで、五つほどの丸テーブル席、窓際と対面側の奥には、ガラスのカウンター型ショーケースが厨房と隔ててるように二台並べられいた。この二つのショーケースはメーカーも違うもの同士で統一感もない。店内は明るく小綺麗にされているが、これといった工夫が内装に施されているわけでもない。ついでに言えば、テーブルの椅子も洒落気もみじんにみせない事務用積み重ね椅子(スタッキングチェア)であった。誰がみても、低予算的と機能性を重視された作りであった。


 すでに、老夫婦、帽子をかぶった中年男性、二人のティーンの男の子らがそれぞれの世界を作りながら、くつろいでいたい。ショーケースカウンターの向こうには、アジア系の中肉中背の中年男性が営業スマイルを浮かべて、紗央梨と美紀を迎えていた。彼がこの店の主人であろう、と二人の目には容易に判別できた。家庭的な設備、家具などはほとんどない店内ではあるが、決して無機質というわけではなく、彼女らはアットホーム的な雰囲気を感じとっていた。おそらく、この店に出入りする人々がそうさせているのであろう。


 紗央梨と美紀が店に入るなり、店内の客はつぎつぎと視線を彼女らに送り、明らかに地元の人間ではない二人へ怪訝な表情を見せたが、あまり気にもせずにすぐに自分らの世界に戻っていった。逆にこの無関心さが、紗央梨と美紀は安心を得ていた。


 店の主人がにこやかにかける前に、美紀は歓喜な叫び声をあげながら、カウンターディスプレイケースの寄り付き、へばりつくようにケース内を食い入るように見いっていた。ケース内には、色とりどりの菓子パン、ドーナッツ、カップケーキ類がトレイの上に並べられていた。トレイ前には、小さなカードに手書きで商品名と値段がかかれていた。美紀は、数分ほど吟味を重ね、閉じた扇子をぱしっと左の掌で受け止めると


「アイル・テイク・ワン・ノブ・ゾーズ、ザット・ワン、ディス・ワン(私は、あそこの一つと、あれとこれ、いただくわ)」


 そのうちの三点を指さしながら、店の主人に伝える。美紀が、その間に決して、商品名を言うことがなかった。


 後ろでその様子を眺めていた紗央梨は、溜息をついた。


――すべて甘いもんばかり……。さっき、太ももの肉付きを気にしとったんはどこにいったんやら……。


 店の主人がその指示に従って、ピックして新しいトレイにのせていると、


「ちょい待ち!」


 美紀は右手を挙げて“日本語”で店の主人に伝えると、そそくさとカウンターを離れ飲料商品が並べてあるクーラーへ向かった。美紀は、クーラーのドアをあけ、それはまた甘そうな炭酸飲料がはいったペットボトルを選ぶと、またカウンターへ戻った。その間、店の主人は待っていてくれていた。


――通じている……。


 あらためて、ボディランゲージの威力を思い知らされている紗央梨であった。


「アイル・テイク・ワン・トゥー(これもいただくねー)。それで、そこで食べるね」


 と、美紀はそのボトルをカウンターに置きながら、窓際テーブルを指さし、彼に伝えた。


 主人は何も聞き返すことなく、美紀が選んだ菓子パンを皿に移し替えて、ボトルといっしょにトレイに載せてあげた。そして、スムーズに彼女の会計をすませる。


 美紀は、新しい甘さへ期待でいっぱいに、うきうきとそのトレイを持って窓際のテーブルに座った。


 次に紗央梨の番だ。


「ハーイ」


 と紗央梨は笑顔で店の主人に声をかける。彼もにこやかに応える。彼女はその笑顔みると、おそるおそる


「あのー、日本語わかるんですか?」


 と日本語で彼に訊いてみた。彼は、彼女が何を言っているのか全くわからない顔で、「Pardon?」って聞き返した。


――やっぱり、そうですよねー……。


 紗央梨は、美紀の言葉でなく、表情と仕草でコミュニケーションをとれる人間だと再確認をした。


「ザッツオッケー、ジャストマイイマジネーション……」と紗央梨は苦笑いともに言葉を濁しながら、カウンターの背後の壁に掲げてあるメニュー看板を見た。看板は黒板でできており、チョークでメニューが記載されていた。もちろん、ショーケース以外のランチメニュー、ドリンクも記載されていた。紗央梨は、サンドイッチにTuna(ツナ)という文字を見かけたので、小腹も空いているので、それを注文することにした。店の主人に、伝えると、グリルするかどうか訊いてきた。彼女は、焼いてほしいとお願いした。もちろん、全て英語で(片言ではあるが)。


 紗央梨は、会計をすませると、コーヒーカップを手にしながら、美紀のもとにやってきた。美紀は、紗央梨がホットコーヒー以外何ももっていないのに気づき、


「きったかさん、コーヒーだけ?」


「ツナサンドを頼んだけど、後でもってきてくれるって。しかも、グリルしてくれるって」


「そう」


 美紀は、意外なことをするんだと感じているようだった。少し間をあけて「ツナサンドって、けっこう食べるねー。お腹減っていたの?」と聞いてきた。


「すこしね。それより、美紀こそ、あまいものばっかやん」


「こんなにきれいにクリームやらチョコでデコされたものを目の前にされると、たまらないんだよねー。ついつい買っちゃった。地味ぃなお店だけど、商品の見栄えはそんじゃそこらとは優るとも劣らずの一級品だよ!」


「ほうじゃね、でもカロリー高そう……」


 美紀がほんの一瞬動きが止まるが、すぐに復帰する。


「気にしない、気にしない!」


 と、彼女は、生クリームがたっぷり挟んだ菓子パンにかじりつき、その甘みを身体中にしみこませるかのように肩を揺らしながら、「ほっぺ、落ちそう!」とたるんだ笑顔を思いっきり見せつけていた。


「甘さは正義だよ。うん、ほのかに甘みが抑えられたクリームに、さくさくしたパン生地……。手作りって感じだね」


 彼女は、甘い幸せをよく噛みしめていた。


 紗央梨はその幸せそうな美紀の笑顔を見つめながら、コーヒーをすすった。


「きったかさん、コーヒー好きだよねー。しかもブラックでしょ」


 美紀はボトルに入った炭酸飲料を一口飲み込む。


「こんな暑い日にホットで飲むなんて、なんか……、“おばあちゃん”っぽい」


 紗央梨は、その美紀の言葉に苦笑いを浮かべた。


「はは、失礼ねー」


「だって、おばあちゃんって、真夏の暑い日でも、熱いお茶じゃん」


「たしかに、うちのおばあちゃん、おじいちゃんら熱いののんどるね」


 紗央梨は、祖父と祖母が、真夏の田んぼ仕事にもかかわらず、魔法瓶に熱いお茶をいれてもってきて、休憩中にたしなんでいる姿を思いだしていた。また、数年前まではアイスコーヒーを好んで飲んでいた自分自身も思い浮かべていた。いつから、夏でもホットコーヒーを飲むようになったのだろうか? と、紗央梨は自問自答をしていた。


「しゃべり方も、おばあちゃんぽいし」


 美紀が、さらに言葉を追加する。


「広島弁のこと?」


「うんうん、関西弁でもなく、東北弁でもなく、なんか昔話に出てくるような口調。」


「はは、それは褒めとるん?」


「褒めているよ」


 美紀は、円満な笑顔を見せた。紗央梨は、あまり釈然としていない。「そこが、きったかさんが『かわいい』って思う所なんだよねー」


 六つも歳下の女の子に『かわいい』って言われても『おばあさん』っぽいっていうのが前提となっているので、素直に喜ぶべない紗央梨であった。


 無言で熱いコーヒーをすすりながら、美紀のトレイを見つめた。


「美紀、昨日もティムで甘い物ばかり食べとらんかった?」


『ティム』とは、Tim Hortons(ティム・ホートンズ)といい、カナダ国内最大のドーナッツ屋さんである。


「そんなこと言っても、カレーパンとか、揚げパンみたいなの全くないじゃん」


「ほうじゃね。でも、選択肢に菓子パン以外はないん?」


「ベーカリーといったら、メロンパン、カレーパンとかは必ずあるでしょ!こっちのパン屋って、そんな日本の定番菓子パンってまったくおいていないじゃん。だから、こういうクリーム系とチョコ系とになっちゃうの!」


 美紀の語りがおわるころに、先ほどの店の主人が、紗央梨が注文したツナサンドを持ってきてくれた。紗央梨は、店の主人にお礼を伝えると、彼は「Enjoy」と返して、カウンターへ戻っていった。


 紗央梨が注文したのは、長楕円形の固めのパン生地の間にツナ、レタス、トマトとチーズがはさみ、パニーニトースターグリルで焼き上げられていた、サンドイッチだった。


「でも、こういうサンドイッチも良いじゃん。カロリーは低くないけど、そんなお菓子系のパンよりは、栄養価高いと思うよ」


 美紀は、紗央梨の前におかれたさらの上のサンドイッチを見つめた。パン生地に間に溶けたチーズの匂いが、美紀の鼻についてくる。それは、決して彼女にとって、不快なモノではなく、食欲をさらに進めていた。彼女は口を固く閉じながら少し考えた。


「でも、あの状況でそれは考えられない!あんなショーケースに並べられた美味しそうなモノを見つめられたら、飾ってもいないサンドイッチを選ぶなんて、私にはできない!」


 美紀は、チョコレートがたっぷりと載っかったクロワッサンにかじりつき、もぐもぐと食べ始めた。紗央梨は、後ろを振り返り、ショーケースを見つめて、その裏に掲示されているメニュー看板を見つめた。その黒板にチョークでかかれているのは、絵でもなくも、英文字と数字だけである。一つの回答が脳裏に浮かび上がった。


――あ、単純に、英語で説明できんけーじゃ。


 美紀は英語で説明しないといけないものを避けて、ボディランゲージで表現できる程度の注文しかしていない。人に頼らずに、彼女なりの見栄と努力がこの注文結果なんだと、紗央梨はあらためて認識した。


 紗央梨は、カットされたサンドイッチの右半分の片割れを美紀のトレイに置いた。


「たべる? うちにはこんなに食べられんけぇ、半分食べて」


 美紀は、トレイに載せられたサンドイッチの片割れを見つめながら、


「あ、ありがとう」


 とつぶやき、さっそくかぶりついて、よく噛みしめていた。すこし、美紀の頬が赤らめていた。


――やっぱり欲しかったんだ。


「とろけたチーズとツナが微妙に交ざり合って、美味しいでしょ」


 と紗央梨も後に続くようにかぶりつき、美紀へ笑顔を送った。


「……うん、美味しい」


 美紀ははにかみながら笑顔を浮かべ、紗央梨と笑みに応えた。


「きったかさん、やっぱり、おばあちゃんぽい」


「まだ子供ももってらんのに、孫をもつ気持ちをあじわっとる気分」


 紗央梨は笑顔は苦笑いとなった。


「私は孫かい」


 美紀が一口を口の中に含んだまま、突っこむ。


「そのまえに『旦那』を見つけないと、きったかさん」


「『旦那候補』はいたんじゃけどねー」


「それは、『やっくん』?」


「あ、う、うん……」


 紗央梨は否定はしなかった。その彼とは、彼女は去年まで付き合っていたのだ。――五年も……。彼女は、そのことを美紀には話していない。


 気づくと、美紀はくりくりとした瞳でじっと紗央梨を見つめていた。その瞳には、何かを感じとっているかのように思えた。


「『旦那候補』だったんだ」


 美紀は、意外なところで意味をくみ取る。


「うん……。でも、婚約はしとらんかった」


 紗央梨は人差し指でマグカップの縁をつつく。


「で、ふったんだ」


「うん、ふった」


 紗央梨は、あっさりと美紀の言葉に同調する。


「へー。もったいないことをしちゃったね、『やっくん』は」


 この美紀のつぶやきの直後、紗央梨は前の彼氏とのいきさつをいままで話したことがないことに気づいた。


「なんで、しってるん?」


 少し驚きのまなざしで、紗央梨は美紀を見る。


 美紀は右頬にしわを寄せるようににっと笑いながら、


「女の勘よ」


 と誇らしげに扇子を開き、自分に仰いでいた。


「きったかさんって、『いいオンナ』だよ。私が男だったら、ほっておかないって」


 美紀がいう『いいオンナ』が自分にも当たることを、紗央梨はあまり納得できない様子だった。目の前の美紀は、愛くるしいほど目ヂカラがある瞳を持ち、均整のとれた鼻、ふっくらとした唇、ほれぼれするほど均整の取れたピチピチした小柄な肉体を持つ。今は女だけの二人クルマ旅行というのもあり、すこし野暮ったい格好しているが、バンクーバーの街中で見かける美紀は、かなりメイクアップスキル、ファッションセンスをみせてくれる。紗央梨の女性から見ても、かなり『いいオンナ』の部類なのだ。――性格には癖があるけど……。


「えー、またまた、うちは田舎娘だよ。美紀と比べると、ださださだって」


 紗央梨は、一応謙虚な姿勢をみせる。


「うん、眼鏡はださいし、胸は私より小さい」


 美紀の指摘に、紗央梨は軽くショックを受ける。――眼鏡はださいんだ……。


 美紀の紗央梨へのレビューは続く。


「貯金もしっかりしていたし、料理ができて、家事洗濯は一通りこなすし、ノーメイクでもしっかりみせられる顔の作り、しかも、私より十九センチ背が高い!」


 紗央梨は返す言葉もなかった。なぜにそこまで細かくセンチで差をいう? 疑問は何点か浮かぶが、圧倒する美紀の褒め言葉を聞き入っていた。


「鴨脚のようなスリムなふとももで、やや筋肉質なお腹、憧れるなぁー」


「美紀のほうが、かわいいし、ナイスボディしているじゃん。胸の大きいし……」


 紗央梨は褒めの反撃を一応試みた。


「いやいや、きったかさん。あったらあったで、そんなにたいしたことないよ。肩こるし、スケベ男を惹きつけるだけだよ」


 美紀は扇子を口元に隠し、「まぁ、それで稼がして貰いましたが」そこだけ声の口調を落とし、呟いた。


 紗央梨は、その美紀の最後の言葉が耳に入ったとき、笑顔が少し引きつらせていた。


――聞かんかったことにしとこう。


 美紀は声の元気をもどし、


「どちらにしろ、もう背が高くならないのよ! その背は神様の賜物なのよ! その地味な顔立ちと格好は、メイクと服でどうでもなるのよ!」


 いつもの感じで紗央梨を押しまくっていた。さらに自分の胸をおしあげ、「胸なんて、もればこれくらいなんとななるよ!」


 美紀は、閉じた扇子を紗央梨の左胸を差し、「このくらいでいいんだよ。あればあればで悪運の元になるって」


 紗央梨は、彼女の話を聞きながら、美紀の向こう側のテーブル座っているティーンの三人組の少年たち、横のテーブルに座っている帽子の中年男性がちらちらとこちらを見ている事に気づいた。男に変な目で見られている不安を抱いていた。


――日本語がわかっとらんとは言え、それはやばいんじゃ……。


「美紀、うしろ、思春期の男の子たちよ、刺激をあたえさんな」


 紗央梨は、静かになだめるように言った。「ちらちら、こっちを見ているよ」


 美紀は、紗央梨の忠告で、ゆっくりと目を細めながら、周りを見わたす。


 後ろのティーンが、何やらざわついている様子。その雰囲気だけでも、美紀は彼らが性的な好奇心を丸出ししているのを感じとっていた。彼女は、大きく溜息をついて、


「まったく……。おとこって、こうもスケベどもばかりなんだろうか」


 首を横に振って、ペットボトルの炭酸飲料を一口飲んだ。


「ともかく、きったかさんをふるなんて、考えられない。絶対キープにまわすよ」


 美紀は、話を戻した。


 紗央梨は苦笑いをしつつ、

「それが、うちが彼をふったと思う根拠?」

 と聞き返した。


「うーん。どっちかがふったのは間違いなんでしょ。『やっくん』がしなかったら、『きったかさんがふった』しか残らないじゃん。でも、ふった理由って、そこらへんにあるんじゃない? キープ扱い。おとこなんて、安心するとろくな事をしないからね」


 美紀の推測に、紗央梨は言葉をつまらせた。彼女の推測は、遠からず外れていないのであった。六歳も年下でまだ二十二の若い子が、男女関係に関して自分よりずいぶん大人な思考をもちあわせていることに、紗央梨は顔色なからしめせた。


 美紀が最後のドーナツを食い終えたところ、紗央梨の後ろに窓際の壁にかかっているコルクボードに色々写真が飾ってあるのに気づいた。彼女はテーブルに身体をのりだして、紗央梨の後ろののぞき込むように見つめた。紗央梨はその様子に気づくと、身体をひねらして、そのコルクボードをみつめた。


 コルクボードには、十数枚の写真と新聞の切れ端がピンで留められていた。写真には、この店が過去に作ったさまざまな特別ケーキが写っていた。可愛らしいウェディングケーキ、お城を模したケーキ、町の建物を精巧に模写したケーキ、遊園地みたいなケーキ、ここの主人が作り上げた過去の力作を紹介していた。


 美紀はテーブルから立ち上がり、その掲示板の前に立った。


「色々ケーキも作っているんだねー。どれもすごく美味しそうで甘そう!」


 美紀はほっぺを落ちそうなくらいな表情を見せていた、まだ食べてもいないのに。


「かわいいケーキじゃね……」


 紗央梨の視線は、新郎新婦のちいさなフィギュアが載せられた四段ウェディングケーキに釘つけになった。

 

「『やっくん』とは、ケーキの相談したの?」


 美紀は、にたっと笑みで訊いてきた。


「しとらんって!」紗央梨は、顔を赤らめながら否定をした。


 店の主人が、いつの間にかちかづいてきて、彼女たちに声をかけてきた。英語で、日本から来たのかい、と訊いてきた。もちろん、英語で。紗央梨と美紀は肯定したが、


「ハウ・ディジュ・ノウ?(『よくわかったね』くらいの意味合いで)」


 美紀は、彼に訊いてきた。彼は、アクセントが日本なまりだからと回答した。紗央梨は、――それ以前によー日本語をしゃべりまくってんじゃん。とくに、美紀が、と内心思うところがあったが、黙っておいた。


 この町には、観光かい? と、彼は訊ねる。紗央梨は、自分の車が壊れて、この通りの角の工場で修理して貰っていると伝えた。彼は、そこのオーナーと近所つきあいでよく知っているらしい。紗央梨は、自分らがバンクーバーからクルマで来ていると言ったら、すごく驚いていた。カナダ人(カナディアン)でもない海外からきた女子二人で大陸横断を試みていることに、非常に意外性をもっていた。


――誰に話しても驚かれるんじゃね……。うち、むちゃ無謀なことしとるんじゃろうか……。


 店の主人は白人系ではないがおそらくカナディアンであろうと言うことは、紗央梨には推測できた。彼の英語が流暢すぎで、他の言語からの移民者特有のアクセントが見られないからだ。日に焼けたようなやや褐色系の肌をもち、豊かな口髭を生やしている。中東系と言われれば中東系、ラテン系と言われればラテン系、東南アジア系と言われれば東南アジア系と見られる容姿なのだが、話をしてみるとルーツは中国系とのこと。紗央梨と美紀は、驚いた。


「え! おっさん。なに人でも通用するよ!」


 と美紀は“日本語”でいった。彼は口髭を押し上げるくらいの笑顔で、「I know」といった。


「おっさん、ユー・メイド・ゼム?(これつくったの?)」


 と美紀は、掲示板に貼り付けてあるデコレーションケーキの数々の写真を指さした。彼は、「Yeah, we made em!(わたしたちが作ったよ)」と返した。彼はそれぞれのケーキのシチュエーションを説明してくれた。もちろん、英語で。彼女らが、その話をどのくらい正確に理解しているのかは不明ではあるが。紗央梨は、片言の英語で精一杯会話をした。


 美紀は、おっさんのケーキ、ドーナッツ最高って褒め称え、私のウェディングケーキも作ってね、と伝えた。八割日本語で。店の主人は、否定もせずに、大笑いしながら、同意していたようだ。


 ――やっぱり、美紀の会話能力はすばらしいもんがある。


 その様子をみた紗央梨は感心した。


 店の主人は、区切りを見ると、店の仕事に戻っていった。


 美紀は無邪気な笑顔を浮かべ、


「きったかさん、ウェディングケーキをここで決まりね!」


「さっき、美紀がオーダーするって言っとたん?」


「年齢から考えて、きったかさんが先でしょ。二十代残り少ないんだから」


 美紀の言葉が紗央梨のやや痛いところを突いてきた。


「いやいや、わからんよー。美紀の方が先に来るかもよー。同級生で結婚してん人、何人かおるでしょ」


 紗央梨も負けずと言う。


 美紀の万遍な笑顔が、苦笑いを含めはじめた。紗央梨も、引きつられ、笑いをあふれさせた。


 とりあえずその日が来るかどうかわからない事をさておいて、きたとしても、こんな遠い国外の旅行でみつけた最中の片田舎のベーカリー屋さんにウェディングケーキを頼む自分の行為を想像すると、その滑稽さに、紗央梨は笑いをこみ上げさせていた。


「もし来たとしても、ぼろげー遠距離なオーダーになるよー」


 紗央梨は、笑いを漏らしながら言った。


「いやいや、カナダで結婚もあり得るでしょ。それに、ここのケーキの味は確かだよ。どの菓子パンもドーナッツも味は上出来だよ!美紀が保証するよ」


 すでに、美紀のトレイの上に菓子パンは、きれいに平らげられていた。


「なに言っとんの。ここら(この町)へんに嫁がんといけんじゃろ」


「おぉ! それもいい案だね! この辺りのカナディアンとっ捕まえる?」


 二人は笑いは、徐々に上向いてくる。


「美紀なら『みやすい』んじゃない? うちは、無理無理。そんな度胸がないよ」


「私なら『見やすい』ってどういう意味よ!? 私って、そんなに安く見られるの?」


 ケラケラ笑いながら、美紀は訊いた。紗央梨もケラケラ笑いながら、


「ううん、これ方言。『簡単』だって言う意味だよ。美紀なら、簡単にカナディアン落とせるよー」


「あー、そういう意味なんだ。広島弁っておもろい!」


 美紀の笑いが高くなる。「きったかさんも、大丈夫。落とせるってー。落とせても、長続きしないとダメじゃん。きったかさん、料理うまいし!」


「そう? 人並みだよ」


「私、人並みもできないからー。ルームシェアはじめたころ、きったかさん作ってくれたじゃん。あれ、うまかったよ!私、大好きだなー」


「シェアはじめたころだけじゃのうて、ずっとうちが作ったのをたべとるじゃん、美紀」


「あ、そうだね。でも、住み始めたころ、肉じゃがを作ってくれたじゃん。あれが好き!むっちゃ美味しかった」


 紗央梨は、美紀といっしょにアパートルームシェア開始から二日後の調理道具をそろえた日に作ったのを思いだした。作りすぎて、次の日の弁当にも、その次の日にも、肉じゃがつづきとなったのを。彼女は、美紀が無邪気に喜んでくれているのをみて、嬉しさがこみ上げてきた。


「ありがとう。次、泊まるところにキッチンがあったら作ってあげんね」


「やったー! 旅行中、きったかさんの手料理にありつけなかったからなー。楽しみ!」


十歳ほど若返ったかの如く、美紀は両手を挙げて喜んでいた。「ほんと、こんな『いいオンナ』を逃す『やっくん』はもったいないことをしたよ」


「『やっくん』は、もういいって」


 とツッコミを入れる紗央梨だが、その顔に嫌気は全くなかった。

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