第4話 超克

 地獄とはこの場所の事をいったのかと、雪兎は闇の中で一人考えていた。


 光、音、匂い、重力、時の感覚さえも無い魂の監獄の中で、永遠にも近しい孤独を意識しなければならないという苦行。


 天国なんて嘘ッぱちだったぞ大工の息子と強がって舌打ちしながらも、雪兎の心は既に闇に蝕まれ狂い始めていた。 息を吸っても、大声で叫んでも、駄目元で身体を痛め付けても何も感じる事が出来ずに途方に暮れる。


 しかし、それでも自分の意志が確かに存在するという事実が孤独と虚無に抉られつつある心を更に深く苛んだ。



「灯りを、誰か灯りを……!」



 誰も存在し得ない闇に向かって狂った様に叫びながら、ありもしない光を求めて雪兎は深淵を当ても無く走り回る。 傍から見れば醜さ極まった愚行であるが、この境遇が永遠に続くと考えると平静など保てる訳も無く、無限の暗黒の中を飽きる事無く走り続けた。


 何をやっても疲労を感じず、自らの呼吸どころか心音さえも感じられない虚無の世界で一人、浅ましく泣き叫び、もがき狂い、無様に足掻き続ける。



 だが、突如背後から轟いた咆哮が雪兎の意識を揺るがした時、狂気に蝕まれた心に理性の光が差した。



「……こんな所にまで奴等が?」



 瞬間的に雪兎は殺意を抱くも、死んでる者同士で殺し合いをした所で非生産的なだけだとすぐに思い直すと、咆哮の轟いた方角へゆっくりと向き直る。


 一切の明かりがないはずの空間に突如生まれた、白熱電球程度の明るさを感じる空間。 そこに居たのは、自らの身体を容易く引き千切った憎たらしい獣だった。



 先程木っ端微塵に吹き飛ばしたはずの爬虫類を象った化け物。


 それが雪兎の前で牙を剥き出しに漂っている。


 内心驚きはしたものの、雪兎は然程恐怖は感じなかった。


 否、それどころか地獄の共連れが出来たととても嬉しく思っていた。



「ざまぁ見ろ、てめぇも地獄逝きだったって事だ」



 思いがけない再会に雪兎は口端を吊り上げ意地悪く笑いながら目前の化け物を嘲る。


 するとその化け物は遠雷の如く轟く咆哮を上げ、開いた顎門を人体よりも遥かに巨大に成長させると、雪兎の方へと向かって凄まじい速度で迫り始めた。


 瞳には憤怒を宿し、カチ鳴らされる牙の合間からは汚らしく涎が滴っていく。



「僕が憎くて堪らないか? 良いさ、殺るならさっさと殺ってくれよ。 こんな所に放り込まれて永遠に放置される位なら完全に死んだ方がマシだ」



 段々大きくなって来るその影をジッと見つめながら、雪兎は乞う様に化け物に向かって語りかける。


 死んだ後にもう一度死んだらどうなるのだろうと間抜けな事を考えつつ、顎門の向こう側をしっかり見据えながら。


 しかしその矢先、闇に慣れた視界を眩い閃光が迸り、黒一色だった視界が突如真っ白に開けた。



「うぅ!?」



 完全に無に還るのかと思っていた雪兎の予想を外れ、失っていた感覚が肉体を認識し、意識が完全に覚醒する。


 焦点が合わずにぼやけた視界に映るのは、自身の血潮で真っ赤に染まった床。 先ほどまでの非現実的な空間からいきなり現実的な光景を見せ付けられたことに困惑し雪兎は何とか状況を把握しようと身を捩じらせるも、喉の奥に強い不快感を感じた為にほぼ反射的に咳き込む。


 すると先ほど自ら撃ち込んだ銃弾が吐き出され、固まり掛けた血の中に転がり落ちた。


 人体など容易く貫ける弾丸が何故体内に残っていたのかと雪兎は不思議に思いつつもゆっくりと上体を起こし、喉の違和感が偽りでない事を実感する。



「僕は生きているのか?」


『そうですユーザー、貴方は間違いなく生きています。


 ただ、人として生きているかは定かではありませんがね』



 朦朧とする意識の中で雪兎が呟くと、それに応えるように背後から幼い声が飛んで来た。



『おはよう御座いますユーザー。 ご気分は如何でしょう?


 とは言っても、お腹一杯に弾丸を叩き込まれた後で良い訳がないですが』


「あぁ全く最悪の気分だ。 肉ならともかく腹の中に鉛なんざ詰め込んでもな。


 鉛弾をぶち込まれるのはケダモノだけで十分だっての」


『そうですね、しかしユーザー。 貴方自身がケダモノでは無いと本気で言い切れますか?』


「さっきからお前は一体何を……」



 彼女らしくない物々しい言い方に違和感を感じ雪兎は訝しみながら背後を向くと、黙ってホールドアップの姿勢を見せながらカルマの顔を睨みつける。


 雪兎が目にしたのは一見普段どおりのカルマの姿。 だが瞳の中を動き回る走査線が赤い警告色に染まっており、怪しい素振りを見せた瞬間殺すという明確な意志を雪兎に示していた。



「何のつもりだカルマ、味方を殺そうとしてどうする。


 いやそれ以前に何で僕は生きている? 喉をぶち抜いて間違い無く死んだはずだ」



 カルマに害意が無いことを改めて示しつつも、雪兎は自分が生きていることに納得がいかないのか眉間に皺を寄せて問う。 人間どころか害獣の首を吹っ飛ばすことも可能な弾を急所に喰らっておいて生きているはずがない。 何故生きているのかと。 だが、カルマの返事を待っている間に再び喉の奥に違和感が生まれる。



「あぁクソ、煩わしいな」




 今度こそ異物感を取り除くべく雪兎はさっきよりも力強く咳き込んだ。 途端に体内に残っていた弾が勢い良く射出され、目の前に居たカルマの頭を木っ端微塵に吹き飛ばす。



「……は?」



 まるでコメディのような馬鹿げた光景に、驚くよりも先に呆れたような間抜けな声が無意識に絞り出される。



『どうですか? ご理解して頂けましたでしょうか? これが現実です。


 貴方がいくら言葉で否定したとしても、貴方が既に普通の人間ではないという事実は決して覆らないのです』



 頭を吹っ飛ばされ一時活動を停止していた胴体から、冷徹なまでの宣告が響く。 そして一拍置いた後に切断面から大量の金属繊維が伸び、小さく愛らしいカルマの頭部が再び雪兎の前に現れ出でた。



「馬鹿な、どうなってるんだ僕は一体!?」



 喉に残る激痛を歯を噛み締めて耐え、ふと視界に入った金属板に駆け寄る。


 そしてそこに映し出された現在の自身の姿を見て瞠目した。


 きっと何かの見間違いに違いないと、往生際悪く己の姿を何度も見返す。



 しかしそれは夢でも幻でも無く、雪兎の身体は以前とは大きくかけ離れた姿へと変貌を遂げていた。


 一度死亡する前に見せ付けられた侵蝕の跡が所々に残る肉体と、銀色の鱗に塗れ肉食獣のそれの様に太く強靭になった左腕。


 そして頭蓋を突き破って生えた2本の異形の証が雪兎を絶句させる。



『侵蝕がいきなり止まったのですよ、貴方が自分自身を撃った瞬間に』



 思わず黙り込んでしまった雪兎の耳にカルマの事務的な説明が飛び込んでくる。



「何だと? 何故わざわざそんなことをする必要がある?」


『恐らく貴方に死んで貰っては困る為に、敢えて脳を乗っ取るよりも先んじて肉体の強化を敢行したのでしょう。 いくら身体を奪ったとしても、死にかけの身体を奪っても何の得も意味もありませんから』



 金属板に映し出された虚像を前に立ち尽くす雪兎の様子を眺めながら、カルマは悪びれる事無く語り、異形と化した雪兎の左腕にそっと触れる。



「なるほど、つまり体力が戻り次第また身体を奪おうとする訳か。


 畜生の分際で無駄に知恵を巡らせやがってよ」



 運良く拾った命を近いうちに捨てなければならないことに溜め息をつく雪兎。


 それに対しカルマは心配は無用だとばかりに首を振ると、主人の疑問に事務的な口調で淡々と答えてやった。



『大丈夫です。 万が一ユーザーが憂慮する事態になってしまった際には貴方の体内に存在するグロウチウムを即時爆破して肉塊に変えて差し上げます。 故に貴方が肉体を奪われた後の心配は無用です』


「乗っ取られかけた本人目の前にして恐ろしいことを平然と言うなお前は。


 だがその考えは間違っちゃいない。 大勢死ぬ位なら被害が少ないほうが良いに決まってる」



 残酷なやり方だがこれ以上有力で確実なセイフティは存在しないだろうと雪兎は観念すると、未だに瞳の中に赤い走査線を奔らせ続けるカルマを上目遣いで見ながら告げる。



「もしもの時には頼むぞカルマ。 こればかりはお前以外に託せないからな」


『えぇ勿論、私の名誉にかけて遂行して差し上げますとも』



 覚悟を決めた雪兎の凛々しい顔を見てカルマは静かに頷くと、雪兎の首元にギュッと抱きつきながら快諾する。 雪兎が自分に絶対に近い信頼を寄せてくれていることを喜んでいるのか、重い話の内容とは裏腹にその表情はとても明るかった。



「何が嬉しいんだよ全く。 話が終わったんなら仕事に戻ってくれよ」



 赤く染まっていた瞳を元通りのカラーに戻しつつ、しつこいくらいに頬ずりしてくるカルマの躯を抱きかかえ、雪兎は調査途中だった大型コンソールの元へ再び歩き出す。 すぐ傍で身体を横たえた二匹の龍の死骸やら剥製やらに内心竦み上がりながらも、動かないことだけを心の支えに平静を保ち続けていた。



「なぁカルマ、もしコイツらがいきなり襲ってきたらどうなると思う?」


『即死ですね。 現在私が生成出来るあらゆる兵器を使ったとしても傷一つ付けることも出来ないでしょう。 万が一襲われた時は諦めてください』



 そう言いつつカルマは雪兎の腕の中から滑り抜けて中央コンソールへ歩み寄ると、機嫌良く鼻歌を歌いながら作業を再開する。


 黒い背景の上に浮かび上がる0と1の羅列がディスプレイ内を踊り、繋がれたグロウチウムのケーブルを通してデータが取得される毎にカルマの躯の表面を緑色の光が這い回る。



「事実だとしても、多少はオブラードに包んで言って欲しかったがな」



 肩を叩いたり呼びかけても反応一つしなくなったカルマを憎憎しげに一瞥し、軽くため息を付くと、雪兎は眼前に鎮座し眠り続ける2匹の龍を不安げに見上げる。


 かつては害獣と互角以上の戦い繰り広げていた人類を赤子の手を捻るが如く殲滅した害獣の進化形態の一種“神話級”



 何万もの人間を数秒で抹殺出来る存在がこんな身近に2匹も潜んでいたかと思うと、雪兎は思わず身震いをする。 現在よりも遥かに科学力が発達していた時代の人類を難無く破った存在が今ここに現われれば、疲弊した人類などいとも容易く滅ぼされるだろうと簡単に予想が付いた故だった。


 そして自分も何時かはこいつ等の同類へと変わってしまうかも知れないと思うと、再び気が重くなり始める。



「何年、いや一体何ヶ月ほど人の形を保っていられるんだろうな」



 白銀に輝く左手を強く握り締めて雪兎は独り言ちる。 人から外れた存在となった今となっては以前のような生活を送ることは出来ないだろうと思うだけで無く、些細な疑問が次々重なっていくうちに、不安もそれに比例して大きくなっていく。


 だが、突然響き渡った警報がそのネガティブな思考を強制的に遮った。



『フラグの成立を確認。 管理者より提案された最重要命令を執行。


 最重要保管サンプル“”紅蓮“及び“碧霄”の魂魄封印を解除します』



 エリア内に鳴り響くサイレンと共に流される音声に困惑しながらも、コンソールの前で動かしていた指を硬直させたカルマが直接の原因であろうと悟り、雪兎は無意識に眦を吊り上げながら語り掛ける。



「これは一体何の騒ぎだ? カルマお前一体何をやったんだ? 」


『申し訳御座いません私が迂闊でした。 何者かは知りませんがこのコンソールを操作することをトリガーとして、厄介者が起きるよう組み込まれていたようです』


「厄介者だと? まさかさっきの蜘蛛みたいな奴がまた出てくるのか?」



 つい先ほどの逃避行を思い出したのか苦虫を噛み潰したような顔をして雪兎はカルマの傍に寄るが、彼女は押し黙ったまま首を横に振るばかり。


 ならば一体何だと雪兎は再び問い掛けようとした瞬間、背後から凄まじい殺気に当てられ、全てを悟った。



 畏怖すべき絶対なる強者が、とこしえの眠りより目覚めたことを。



「何てこった……」



 とんでもない事を仕出かしてしまったと思う間も無く、全てを平伏させる豪壮な咆哮と、ソプラノの様に美しい旋律が衝撃波と共に迸り、天井を形成する岩盤をいとも容易く消し飛ばした。 その拍子で地上まで続くが縦穴が掘り上げられ、今まで隠されていた星空が姿を覗かせる。



「滅茶苦茶だ、咆えただけでここまでの力を出せるなんて!」



 衝撃をモロに受ける寸前にカルマを抱いて退避したお陰か雪兎は致命的な外傷から逃れられたものの、地力が圧倒的に違う絶対強者の放つ威圧に本能が竦み、大量の冷や汗を垂れ流す。


 だが当の怪物達は虫けらなんぞに興味無いとばかりに穴の向こう側にある空を見上げると、空の名を冠する蒼い龍が一足先に穴の中へと飛び込み姿を消した。



 見逃してくれたのかと淡い期待が雪兎の神経を宥める。


 ――が、大量の人間を前にした害獣が何を為すかを考えた瞬間、そんな甘えた考えなどあっという間に消し飛んでしまった。


 腹を空かせた害獣が画策することなど、たった一つしかあり得ない。



「人を狩りに行くつもりか! ふざけやがって!」



 二匹まとめて止められるチャンスを不意にしたことを悔やみながらも、雪兎は恐怖を忘れて物陰から身を乗り出す。 一匹だけ残された化け物 “紅蓮” に対する敵意を抱いて。



「せめてもの償いだ。 コイツだけでもここで食い止めてやる」


『やめて下さい無謀過ぎます! 殺されたいのですか!?』



 どう足掻いても勝てるはずが無いと、腕に抱かれたままのカルマが必死になって引き止めるが、仕事の関係上どうしても助けられず食い殺された人の死体を何度も見て来た雪兎にとって、自分のミスのせいで大勢の人間が死ぬことはどうしても許しがたいことだった。



「一度は捨てたはずの命だ。 今さら惜しむことなんてあるかよ!」



 大勢の人に理不尽な死を撒き散らそうとする怪物に対する “憤怒” が雪兎の身を焦がし、絶対なる力を持つものへと立ち向かう勇気を齎す。 普通なら蛮勇だと切り捨てられてもおかしくない行為だが、ただの人では無くなった雪兎にその論理は通らない。 その事実に真っ先に気が付いたのはカルマだった。



『これは一体!?』



 自殺行為に及ぼうとする主人を強制的に止めるべくカルマが雪兎の神経に接続した瞬間、莫大なエネルギーが堰を切ったように自身のリアクター目掛けて注ぎ込まれて来るのを実感する。 生物どころか大型の発電所であっても捻出し切れないほどの圧倒的なエネルギー。 それは希望的観測という人間の悪癖を完全に排除したはずのカルマにも仮初めの期待を抱かせた。



 確立はあまりにも低い。 だがもしかしたらと。



『仕方ありませんね、今回だけですよ』



 半場ヤケクソなカルマの覚悟を得て、雪兎が纏った外套が周囲の物質を無秩序に食い散らしながら進化を強行する。


 雄々しくも荒々しい鋼の龍、ドラグリヲ。 それは雪兎の激情に呼応するように咆哮を上げると敵に向かって一直線に走り始める。



 敵の姿を視界に入れ、嬉しげに拳を握る赤き龍 “紅蓮” 目掛けて。



「殺してやる、僕の命を賭してでも!」



 コックピットの中でそう口走る雪兎の心に恐怖は無く、 ドラグリヲの出力を急上昇させると全力で躍り掛からせた。 己のプライドだけでなく、名も知らぬ誰かの命を守る為に。

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