第3話 遺跡



 彼方から水が跳ねる音がした。 冥府へとそのまま繋がっている様にも錯覚する深淵の底で、何かが水面に落ちる音がトンネル状の狭い通路の壁を伝って反響する。 そして、その音の波間を掻き分ける様に踏み鳴らされた雑音が神秘的にも思える水音のリズムを大きく乱し、狂わせた。



「何でこんな近場の馬鹿でかい遺跡を見落としてんだよ。 こんなん一人で探索させるモンじゃねぇって」



 カルマの躯から生成された対獣ライフルを構え、用意して来た暗視グラスで周囲を注意深く索敵しながら、雪兎は愚痴りつつも引き返す事無く地の底へと潜って行く。



 結論から先に言うと、今回の探索は大当たりだった。 老人から示された地点の先にあったのは、大規模な軍事研究施設の跡地。 あらゆる地下空間から隔絶するようにひっそりと存在していたその遺跡には奇跡的にも盗掘の痕跡一つ無く、半信半疑だったカルマをも忽ち笑顔にさせるほどの物資が溢れていた。




『いいじゃないですか。 私この仕事を引き受けて良かったと思っています。 天引きされる分を考慮しても、お釣りが来るほどの収穫があるんです。一体何が不満だというのですか?』


「別に不満なんて無いさ、このまま何事も無く仕事が終わればな」




 上機嫌なカルマとは対照的に、緊張感を保ちながら周囲を見渡す雪兎。 その心にはあまりにも都合が良すぎるという疑念が宿り、神経質なまでの歩みを無意識のうちに実行させていた。 証明は出来ないが絶対に何か厄介な物があるという確信が、雪兎の神経を否応が無しに研ぎ澄まさせ、無駄なストレスを蓄積させる。



『大気中毒素及び放射汚染レベル、共に異常無し。 敵生体反応も確認出来ません。 害獣が住み着いている訳でも無さそうです。 大丈夫ですよ、そんなに気を張り詰めないでも』


「本当かよ、水もあって温度も適度に保たれておまけに暗いなんて……。 奴等が繁殖するには持って来いの場所じゃないか」




 パワードコートの袖口に投影されるモニターを注意深く見つめながら雪兎が訝しげに聞き返すと、カルマは眉を顰めて頬を膨らかす。



『大丈夫ですって、私がずっと周囲を監視していますから。私に全てを委ねて安心して進んで良いんですよ? ……それともユーザーは私を信用出来ないんですか?』


「そういう訳じゃないさ。ただ僕はビビりだからね」




 コートの中から躯を出してむくれるカルマをやんわりと宥めながら、雪兎はモニターに表示された時刻を見て時間の感覚が狂い始めている事を理解する。 まだ昼のつもりで探索を続けていたが時刻は既に日没後を指しており、日を跨いでの探索になる事を覚悟しなければならないようだった。



「全く何でこんなトコに一人放り込もうと考えたんだよ。 自業自得って分かってるけど、どう考えたって効率悪いだろうがよ。少し位人員回してくれたって良かっただろうに……」




 今頃地上で酒を飲みながら女相手に戯れているであろう耄碌爺の文句をグチグチ呟きながら、雪兎は懐から取り出したレーション代わりの合成干し肉を腹の中に詰め込んでいく。 固い肉質を噛み千切る都度に塩辛い旨みが満腹感と引き換えに喉の潤いを奪った為、その辺を流れていた地下水で仕方無く喉を潤した。



 天然のフィルターで濾過された清涼な冷水が僅かに疲れた雪兎の身体を癒していく。 そんな中、何をするも無く暇を持て余していたカルマが唸るように、そして困ったように呟いた。



「どうしたカルマ、お前も何か喰いたいモンでもあるのか? お前が好きそうなモンなら掃いて捨てるように転がっているだろう」



 濡れた口元を拭い、あちらこちらに転がってる未使用のバッテリーやら弾丸やらを顎で示しながら雪兎は問う。 するとカルマは小さな顔を可愛らしく横に振り、ツインテールの髪をフリフリと揺らしながら返す。



『先程奴等の生体反応を感じないと言いましたよね? それだけじゃないんです。 普通ならネズミや昆虫等の小さな生体反応がある筈なのにそれすらも感じない。 まるで何かが定期的に駆除清掃を行っているような、そんな感じがします』


「そりゃ確かに妙だな、こんな環境下でG一匹居ないなんてあり得ない」


『取りあえず何か不審なものが無いかサーチして見ます。 ユーザーは念の為、周囲の警戒をお願いします』



 違和感の正体を把握すべく、カルマは黙り込んで索敵に集中する。 その間に雪兎は確実な安全を確保すべく周囲の障害物を蹴り退かし、視界を開けさせた。



 ここに入り込める程度のサイズの害獣相手ならば、不意打ちをされない限り殺されることはないとコンクリートの欠片を蹴飛ばし、ざらついた地面を踏み締める。



「……?」



 その瞬間、何かに引っかかった様な感触が雪兎の気を引いた。



「何だこれ、糸?」



 思わずその場にしゃがみ込み、足元を伝って張られた髪の毛のように細い何かを振り払うと、それに伴って残りの糸くずの様な物がゆっくりと宙に浮き、闇の中へと消えていく。



「……考えすぎだったか」




 緑色の視界を自在に飛び回るそれを目で追いながら、雪兎は頭を掻いて再び歩き出す。 しかしその時雪兎は気が付かなかった。 目の前を飛び回る糸くずの影に隠れ、頭上から不自然に砂塵が零れ始めていた事に。



『!!!』



 刹那、雪兎の頭の中を警告を促すアラームが鳴り響き、カルマの切迫した声が耳元を埋め尽した。



『熱源の存在を確認! 真上です!』


「チィッ!」



 警告に従い雪兎が付近の遮蔽物の向こう側へと回りこんだ瞬間、黒色の装甲に包まれた巨大な何かが、雪兎達がいた場所を粉みじんに砕き着地する。



「何だコイツは……」



 濛々と立ち昇る砂煙の間から垣間見える生体組織と機械が織り交ざった様な異形を見上げながら、雪兎は動揺を抑えられずに呟く。 各部に大型の機関砲を備え付けられ、毛だらけの強靭な節足を有する、ただの防衛用には余りに大袈裟過ぎる武装満載のアシダカグモ型ガードメカ。 それは8つのアイカメラを凍り付いた雪兎の顔へと向けると、抑揚の無い無機質な電子音声で物騒な言葉を紡ぎ始めた。



『網膜情報及びデータバンク内に合致する資料無し。 敵工作部隊と認定、速やかに之を撃滅します』


「くっ、やっぱこうなるか!」




 雪兎は咄嗟に銃口を上げ、有りっ丈の弾を敵に叩き込もうとトリガーに指を掛けるがカルマの警告が踏んじばっていた足を逃走へと転じさせた。




『そんな豆鉄砲をいくら撃ち込んだって無駄です! 逃げて!』




 そうカルマが言い終わるが早いが二人の頭上を丸太の様に太い足が通過し、振り抜かれたそれがトンネル横の壁を難無く崩落させた。 破壊の余波で大量の埃や破片が雪兎の頭上を舞い、黒い髪が灰色に塗れる。




「ええいクソ、こっちが下手に出れば好き勝手やりやがって……」


『私に考えがあります。 今から示すロケーターに従って走って下さい』


「へっ、ケツまくって逃げろってか?」


『考えがあると言ったはずですが』


「……チッ」




 有無を言わせぬカルマの進言に雪兎は渋々従うと、ガードメカに背を向けて一発のグレネードを置き土産とばかりに投げ寄越した。 破壊するには至らないが、姿勢を崩すには十分な衝撃にガードメカが気を取られている隙に、雪兎は役立たずのライフルを投げ捨て全力で走り出す。 カルマが示したロケーターの終点を目指して。




『心配はいりません、必ずや貴方の命をお守りいたします。 それが兵器である私の大事な仕事なのですから』


「絶対だぞ! 忘れんなよ!」



 瓦礫を乗り越え、隙間を這い、上から下へと大立ち回りを演じながら逃げ続ける雪兎。 しかし幾ら身体が丈夫であり、尚且つナノマシンによるブーストがあろうと、人間である以上いつかは息が上がり追い付かれて挽肉にされるのは自明の理であった。



 満腹のまま延々と走らされ続け、口端からだらしなく唾液を零しながら雪兎は文句を言うも、カルマは何一つ返事を返さない。



 そうするうちに限界が訪れる。




「うぅ……!」



 体内のナノマシンが処理しきれずに飽和し拡散した大量の乳酸が、今まで軽快に動き回っていた雪兎の心身を急速に疲弊させた。 その弾みで雪兎は僅かな段差で転倒し、装着していた暗視グラスを派手にふっ飛ばしながら無様に埃まみれの地を舐める。



「は……は……」



 ナノマシンの過度の使用によって普段とは比べ物にならないものとなった過労が、床に這い蹲る雪兎の身体を容赦なく縛り付ける。 まさに絶体絶命の危機。 しかしその状況の割りには雪兎の表情は至極明るかった。 眼前で太い節足が振り上げられ今にも踏み潰されようとしているにも関わらず、瞳の中には絶望の欠片も無い。



「まだ気付かないのか……馬鹿が……!」



 余裕綽々で近づいてくるガードメカを嘲笑いつつ、雪兎はこれみよがしに中指を立て、ダブルで突きつける。 機械に効くかどうかなど関係無く、ただ敵を煽りたいだけという単純な思考が生んだ奇行。 それは雪兎の思惑など関係なくガードメカの注目を引き付け、突撃という攻撃的な行動を誘った。



 エリアを隔てる溝を飛び越え、蜘蛛は雪兎を磨り潰さんと身体を跳ね上げた。



 ――刹那、擡げられていた上半身が突如作動した隔壁に挟まれ、千切れ飛んだ。 切断面から吹き出した血とも燃料とも取れる液体が硬質の床を赤黒く染め上げる。 死角から攻撃を受け、暫しの間カメラを忙しなく動かしていたガードメカ。 敵を排除することしか能が無いガラクタは許容ダメージが限界に達した事を悟ると、驚くほどあっさり動作を停止した。




 人造の災厄の命が絶え、再び無音に包まれる地下空間。 その中を雪兎の苦しげだが満足げ息遣いだけが細々と響き続ける。 しかし周囲の敵反応が無いことを確認したカルマが表へと出てきた事で、重苦しい沈黙を湛えていた暗闇が途端に騒がしくなった。




『すみません、この程度の事で手間取らせてしまって。 でも約束は守りましたよ』



 ここまで疲労困憊にするつもりは無かったとカルマは申し訳無さそうに頭を下げると、未だに地に這い蹲って荒い呼吸を続ける雪兎の身体を支え、その辺に置かれていたボロ革のソファーの上へと押し上げようと試みる。



 最も力仕事には適さないはずの形態での一仕事にカルマは顔を真っ赤にしながら華奢な躯を酷使して必死に頑張るも、引っ張っていた服から手がすっぽ抜けた反動で転倒し、固い床へと顔面から思い切りダイブしてしまった。



『へぷっ』っという間抜けな悲鳴を最後に暫しの間突っ伏し続けた後、額と鼻面を赤く腫らし、涙目で立ち上がるカルマ。 その健気な様を見て、雪兎は思わず苦笑いを浮かべると目の前で揺れる小さな頭を優しく撫でてやりながら目を細めた。




「ありがとよ。 お前が居てくれなかったら間違い無くお陀仏だった」



 埃を被り薄く汚れたカチューシャの上から雪兎がわしわしと不器用に優しく撫でてやると、カルマは満更でも無い表情で大人しく撫でられ続ける。



『別に褒められる様な事はしていません。私はただ怪しげだった隔壁の制御を奪ったまでです。 ……それにどうやら彼のお陰で当たりを引けた様ですよ』




 やがて気が済んだのか、カルマは自らの躯を液状化して雪兎の手の中から抜け出すと、隔壁とはまた別に制御を奪っていた室内の照明を点灯させ、闇の中に隠されていた物を一斉に晒け出した。



「……!」




 その光のもとに、現われ出た二つの巨大な影に雪兎は瞠目する。 凍り付いた雪兎の視線の先、そこには体表の半分を拘束具に覆われた二匹の龍が冷たい地に横たわり、とこしえの眠りへと就いていた。



 片やギリシア彫刻の様に隆々とした勇ましい四肢と鮮やかな紅色の頑強な装甲を持ち、片や蛇の様に艶やかな肢体と水晶の様に透き通る蒼く美麗な鱗に覆われた、自分達とは明らかに格が違う化け物共。



 その圧倒的な存在感に、雪兎は思わず息を呑む。



「神話級害獣だと? どうしてこんな奴等が旧都の地下に……」


『分かりません、しかし随分ときな臭い仕事をしていた事は確かな様です。 その辺のカプセルをご覧下さい。 人や害獣の残骸と思われる物体がフヨフヨしてますよ』



 促され、雪兎はふと視線を巡らせるとグチャグチャに折れ曲がった腕の群れやら破裂した子宮をかき集めたような肉塊やらを直視してしまい、思わず目を背けて呟いた。



「何なんだよこれは、ここに居た連中は一体何をやってたんだよ!」



 今すぐ吐きたいような思いを飲み込んで、雪兎は肉塊になってしまった人々を悼む様に俯き表情を曇らせる。 その悲しげな声を聞きながらもカルマは動じる事無く、部屋の中央に置かれていた大型コンソールに近寄って自らの躯から伸ばしたケーブルを繋げると、苦々しい表情を浮かべた雪兎へ声を掛けた。



『兎に角資料を集めない事には分かる物も分かりません。ですので取り敢えずここに遺されているデータ全てを拝借します。 ちょっと時間が掛かりそうなので待っていて下さいね』


「あぁさっさと済ませてくれ。 こんな所一秒も長く居たくないからな」



 優しげながらも何処か無遠慮なカルマの言葉に無愛想に返答しながら、雪兎はふらつきながらもゆっくりと立ち上がり、肉塊まみれのカプセルが視線に入らぬよう逃げる様に顔を伏せる。



 だが、突如としてカプセル群が存在する方角より強い視線を感じると、反射的に対獣カービンを構えて勢い良く振り返った。 場所が場所だけに非常に不気味なものを感じ、無意識のうちに冷や汗を流す。




『どうしましたユーザー? 何か気になることでもあったのですか? こちらのレーダーには何も映ってはいないのですが』


「……いや何でもない、恐らく僕の勘違いだ。 お前ですら探知出来ない存在を、僕が察知出来る訳がないからな」



 怪訝な顔をして視線を上げたカルマを誤魔化しつつ、雪兎はちょっと気晴らしに歩いてくると伝えると再びコンソールを弄り始めたカルマの脇を通り過ぎ、気配を感じる方へ向かって歩き出した。 一歩進むごとに己を貫く嫌な気配が強さを増していくが、恐怖よりも好奇心が勝り、その歩みを加速させる。 比較的臆病な自分が何故このような気持ちになるのかと雪兎には理解出来なかったが、いざ気配の根源に辿り着くとそんな疑問は忽ち霧散してしまった。



 気配と好奇心に導かれるままに雪兎が誘われたのは、円を描くよう等間隔に配置された7つの培養槽。 その内の一つに自然と意識を持っていかれる。 唯一中身が存在していた培養槽の中に格納されていたのは、この世に現存する爬虫類全てを混ぜ込んで凝縮した様な姿をした醜い有機物の塊。



 大きな目玉が印象的なその生き物のような何かが、緑色の液体の中で孤独に揺蕩い続けていた。



「なんだこれは、コイツも害獣なのか?」



 教本にも記されておらず、自らの経験でも見たことが無い謎の生物に戸惑いを隠せず、雪兎は慎重に培養槽へと近づき中を伺う。 身体を丸め、目を閉じ、昏々と眠り続けている小さな怪物。



 だがそれは雪兎の気配に気付いたのか、唐突に目を開き不用意に近づいて来た馬鹿を嘲笑うかのように牙を剥きだしにすると、分厚いガラスを難無く破壊し雪兎の顔面狙って飛び掛かった。



「なっ!?」



 警戒心が僅かに和らいだ隙を見計らっての奇襲に雪兎はもろに斬撃を喰らい、顔面に深い傷を付けられた。 噴き出した鮮血が片目に入り一時的に視界を奪われ劣勢に立たされる。



「くぅ畜生、なめやがって!」



 顔面を庇いつつ、雪兎は反撃とばかりに後方に飛んでいった化け物にマガジン一杯の銃弾を浴びせる。 ジープ程度ならば難無く穴だらけに出来る弾が金色の光を帯びて宙を駆け、化け物の肉体深くへと突き刺さる。 通常の小型害獣ならば間違い無く死んでいるであろう量の弾丸を喰らい、全身から赤い血を垂れ流す化け物。 しかしそれでも尚、醜い化け物は弱った素振りを見せる事無く悠々と向き直ると、短い四肢をバタつかせながら再び雪兎に喰らい付こうと身体を跳ね上げた。



「そう何度もやられると思ってんのかボケ!」



 一度は貰ってしまったものの攻撃のパターンは突進の一つだけだと踏んだ雪兎は突っ込んできた化け物の噛み付きをリロードをしながら避け、反撃の為に身構える。 だがそれは早計だった。



 ダッキングして避けた単調な突進。 しかし化け物は最小限の動きで避けられる事を理解していたらしく飛び掛った瞬間に顎を大きく成長させ、完全に避けたと思い込んでいた雪兎の左腕に深々と喰らい付いた。



「くっ……、誰が気安く喰い付いていいって言ったよ。 てめぇなんぞに食わせてやるほど安い肉じゃねぇ!」



 精神的に許容出来る痛みの限界を超えたことで雪兎は激昂し、懐から抜いたグルカナイフで化け物の頭を滅多刺しにする。 しかし当の化け物は雪兎の左腕をがっちりと銜え込んだまま決して離そうとはしない。 ナイフで滅多刺しにされて尚、死ぬ事無く腕に喰らい付き続ける化け物に雪兎は軽い恐怖を覚えるが、決して手の打ちようが無い訳では無かった。 力で引き剥がせないのならば対処法は一つ、根元からふっ飛ばせばいいだけの話である。



「まだ終わっちゃいねぇぜ化け物……」



 腕の肉を喰らいながら肩にまでその魔の手を伸ばそうとする化け物に吐き捨てる様に言いながら、雪兎はカービン銃の銃口を噛まれた腕の付け根へと当てる。



 その行為に一瞬戸惑い判断が遅れる化け物。 それが運命の分かれ目となった。



「蜥蜴の尻尾切りってのはこうやるんだよ!」



 雪兎の絶叫が遠くまで高々と響いた刹那、撃ち出された弾丸が左腕ごと害獣の大顎半分を吹き飛ばし、その衝撃で化け物の目玉が文字通り二つに裂けた。



「痛ッッ……!」



 筋肉の断裂面から迸った大量の鮮血と、言葉に出来ない程の激痛が雪兎の痛覚を出鱈目に掻き毟る。 だがそれに怯む事無く、雪兎はカービン銃を虫の息となった化け物に向けると弾倉全ての銃弾を叩き込み、背後にあった装置ごと粉砕してやった。



「見たかクソ野郎! ざまぁ見さらせ屑野郎ォ!!」



 ズタズタになった死体を滅茶苦茶に踏み躙りつつ雪兎は嘲る様に大声で笑うと、そのまま糸が切れた様にどうっと倒れこむ。 敵が死んだ事による緊張からの解放と、吹き飛んだ左腕の付け根から溢れ出る大量の血潮が異常に冴えていた意識を急速に混濁させ始めていた。



「ちょっとやばいな……これは……」



 朦朧とする意識の中、足元で広がっていく血溜まりに己の身体を染めながら後先考えずぶっ放した自分のアホさ加減を自嘲しつつ目を閉じる。 身体の感覚が次第に遠ざかるに従い、己が意志に反して増して来る眠気に耐えられず意識が闇に解けようとするが、突如耳の中に飛び込んで来た幼い声が完全に意識を手放すことを許さなかった。



『ユーザー!?』


「何だカルマ、もう終わったのか?意外と早かったじゃないか……」


『そんな事悠長にしている暇は無いでしょう!? 今すぐ接合を行いますから動かないで!』




 自身の状況を気にも留めずに喋ろうとする雪兎を黙らせながら、カルマは周囲にばら撒かれた左腕のパーツを瞬く間に拾い集めて繋ぎ、左肩を庇う様に蹲った雪兎の傷口と合わせて再生しようとする。



 しかし千切れた腕と傷口の細胞を活性化させる為に放射されたレーザーが、断裂面に僅かに付着していた化け物の細胞を活性化させた瞬間、腕の切断面から先程殺した筈の化け物の大顎が生え、接合中の左腕を思い切り噛み潰した。



 折角元通りに繋ぎ合わされた左腕を目の前でミンチにされ二人は思わず黙り込む。



『そんな……』


「イカれてる、どうなってるんだよ!?」




 余りに理不尽で理解不能な出来事に怒りを隠せずに憤る雪兎。 しかし事態はそれに留まらなかった。左肩に留まっていた痛みが突然消失すると、髪が、歯が、爪が忽ちの内に抜け落ち、新たな物にへと入れ替わりを開始する。



 左肩の切断面から不自然に生えた大顎は鱗まみれの左腕へと変態し


 黒い髪は透明感のある長い鋼色の髪へと生え変わり


 抜け落ちた歯の跡には肉食獣を思わせる強靭な牙が生え


 剥がれ落ちた爪の跡からはナイフの様に鋭い刃が、指の中から皮膚を貫通して直に生えてくる。



 その瞬間、雪兎の脳裏を最高に嫌な考えが過ぎった。



「身体を奪うつもりか!?」



 頬を、背を、そして腹を鱗の様な何かが侵蝕し人間らしい器官全てを奪っていく中、雪兎は悲しげな目で自身を見つめるカルマを一瞥すると、自らカービン銃の銃口を咥え込み、身体の中で暴れ続ける化け物へと言い聞かせるように呟いた。



「残念だったな、この身体は死ぬまで僕のモンだ。 てめぇみてぇなクズに渡す位なら死んだ方がマシなんだよ……!」



 人様の身体という神聖な領域さえ奪おうと画策する化け物を徹底的に罵倒し、再びトリガーに指を掛ける雪兎。 その勇ましい口調とは裏腹に、浮かべた表情は無意識のうちに死の恐怖に凍り付いていたが、それは当然でもあった。



 死に直面した人間が上辺を飾れる事など出来る筈が無かったのだから。 しかし身体を侵蝕する害獣はそれを待ってはくれず、完全に思考を奪おうと侵蝕の速度を飛躍的に高める。



 最早猶予の余地など無かった。



 雪兎は覚悟を決めると、汗と涙を流し呻き声を上げながらトリガーを引く。



「――ッ!」




 一時の沈黙の後、ダァンッという重い火薬の破裂音と共に半分化け物と化した身体がゆっくりとその場に崩れ落ちる。 頭を襲った衝撃に意識を掻き乱され、眼をだらしなく半開きにする雪兎。 その視線の先には悲しげな表情を浮かべ、黙って雪兎が死に逝く様を見つめているカルマの姿があるが、この時雪兎は全く異なる影を彼女に見出していた。



 帰るべき場所で待ち続ける大切な人の笑う顔を、何時も通り必ず帰ると約束した乙女の姿を。



「死にたくなかったな……まだ……」



 力が抜けゆく手を必死に伸ばしてそれに触れようと足掻くも適わず、伸ばした手は宙を切って、やがて動かなくなる。



 消えゆく力、消えゆく音、消えゆく光。



 全ての感覚を失って尚、死にたくないという思いだけが何処までも続く闇の中で、何時までも鼓動を続けていた。

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