episode 6-3 生命の翼(後編)
スクリーンに、せき止められて四方八方に飛び散る光が映る。
歓喜のどよめきが沸き起こった。
「よっしゃ!!」
「耐えた……!!」
拳を握りしめる博士と、唇を固く結ぶ麗子。
「ぐっ……うぅぅ…………!!」
スクリーンの向こう側では、空が懸命に光の怒涛をバリアで防御していた。
しかし、都市を根こそぎ破壊する威力の前に、あえなく押し返されてゆく。
「やっぱ厳しいか……」
「このままじゃ持たない……!」
博士と麗子が額に汗を浮かべる。
「セレスティアのパーミッション・レート、100パーセント!これで限界です……!」
眼鏡の女性オペレーターが麗子のほうへ振り向いた。
スクリーンをじっと凝視する麗子。
空が張るバリアの傘は少しずつしぼんでいった。周囲に飛び散る光線が斜め下へと向きを変える。かつて都市の玄関口だったガラス張りの駅ビルが、上からじわじわと削り取られていく。
「ティア!!もっとあなたの力を……!!あなたのすべてを、私にあずけて!!」
無我夢中で空が叫ぶ。
”これ以上の干渉は君の思考領域に不可逆的な損傷を与える危険がある。それでも実行を許可するか?”
「皆を守れなきゃここにいる意味がない!!皆を救えるなら、私はどうなってもいい!!」
”……了解した。融合度の
セレスティアの体組織が限界濃度を超えて空の体内に溶け込んでいく。
それらが空の思考をより強く、より正確に読み取っていく。しかし同時にセレスティアの「思考」が、情報の奔流となって、空の思考に向かって逆流を始めた。
「……っああああああ!!!」
空の顔を、青い光の筋が根を張るように覆い始める。
思考への膨大な負荷に耐えきれず、少女の意識は薄らいでいった。
「……!!パーミッション・レート、100パーセントを突破!110パーセント、120パーセント……!」
「なんやて!?リミッタープログラムは機能しとらへんのか!?」
「それが……融合者自らの意思で解除されたようです!」
「あかん……これ以上は空ちゃんの思考回路がダメージを受ける……!」
そのとき、麗子の指令が響いた。
「バリア出力を120パーセントへ!!電圧計の値は無視して!!」
彼女の毅然と前を向く瞳には、押し殺した涙があった。
「しかし、それでは送電システムが持ちません!!」
オペレーターが振り返った。
「残念だけど、私たちの命運もここまでだわ」
麗子は彼女のほうを向いて言った。オペレーターをはじめ、指令室の全員がごくりと固唾を呑んだ。
「非戦闘員である彼女を犠牲にしてまで、この都市を守り抜くことに意味はありません。みんな、今まで本当によくやってくれたわ」
指令室の全員が、その言葉に悲壮な覚悟を決めて頷いた。中には泣き出す者もいた。
麗子は通信マイクに向かって、涙声で呼びかけた。
「空ちゃん!!もういいのよ!!あなただけでも他の都市へ逃げ延びて!!」
そのときだった。
「麗子、聞こえるか?俺だ!空ちゃんを楽にする方法がある!」
麗子のもとに伸也からの通信が入った。彼の乗機のコックピットからだった。
「あなた一人が出たところで、もう状況は変えられないわよ」
「『やれるだけやってみたっていい』だろ?今しがた、俺の乗機にありったけのEMP弾を装備させたところだ。その1発でも奴の発射口に当たれば、あの熱線も何パーセントか出力が落ちるはずだぜ」
「あなたはどうなるの?飛び上がったが最後、奴らの迎撃部隊に襲われるわよ!」
「そんなことは承知の上さ。それとも、大人しく穴ぐらの中で死を待てってのかい?ヒコーキ野郎として言わせてもらうが、そんな最期は御免被るぜ!俺を信じろ。信じて損はないだろう?」
麗子はふうっと息を吐いて、両手を握り合わせた。
「……わかった。出撃許可を出すわ。ただし二つ、約束して頂戴。絶対に攻撃を成功させること。そして……絶対に、生きて帰ってくること。いいわね」
前者は上官としての命令、そして後者は、大切な人への祈りだった。
彼女の左手の薬指には、伸也から作戦前に渡されたばかりの婚約指輪が、輝いていた。
「あったりめぇだ。必ず、成功させて戻ってくる。あんたと、空ちゃんと、皆のためにな」
「そうね。あの子と、ここに残った皆のために、これは絶対に負けるわけにはいかない戦いよ。……ご武運を」
伸也の乗った銀翼が、
真横には、地上に向けて撃ち下ろされる青い光の柱。目指すはただその放射点のみ。
「さあ、おいでなすったぜ!」
伸也はヘルメットのバイザー越しに、都市殲滅砲から放出された敵性体の発光を捉えた。その数、十体。その攻撃を全てかわさなければ、作戦の成功はない。
「測的修正……目標補足……」
バイザーのヘッドアップ・ディスプレイが、伸也の視界に敵の位置を重ねて表示する。
「交戦距離……今!」
伸也は操縦桿を横に倒し、機体を螺旋を描くように一回転――バレルロールさせた。
機体が半回転したその瞬間、伸也の頭上、機動を行う前の進路を青の光線が貫いた。
(いくら瞬殺の光線だからって、撃った後からじゃ射線は変えられねぇ……!さあ読めるか、この俺の動きをよぉ!)
雨あられと降り注ぐ光線のシャワーを、紙一重の高G機動ですり抜ける。脳内で分泌されるアドレナリンが、絶望的な状況を興奮の境地へと昇華させる。エースパイロットとしての操縦技術を遺憾なく発揮するこの瞬間が、人生で一番最高だと、彼は全身で感じていた。
(抜けたっ……!!)
最後の光線をすれすれでかわす。向かってくる敵性体の群れ。目くらましに
「最後の一発……喰らえっ!!」
伸也は満を持して、操縦桿の赤い発射ボタンを押した。
だが、最後のEMP弾は――発射されなかった。
コックピットの火器制御モニターには、
「発射装置の故障だとぉ!?」
伸也の表情が、通信を聞いていた麗子の表情が、一気に絶望の色に変わった。
数秒の空白の後。
伸也の通信が、麗子との個人回線に切り替えられた。
「……悪ぃな、麗子」
麗子がはっと目を見開く。
「二つ目の約束、守れなくなっちまった。だが作戦は必ず成功させるぜ……空ちゃんのことを、よろしく頼む」
「一人で突っ込む気!?冗談でしょ……やめて頂戴」
「冗談で済めばいいんだがなあ。これ以外に方法が思いつかん」
「……私も馬鹿ね……こうなるかもって分かってたのに、出撃許可なんか出して……」
「皆を救うにはそうするしかなかった。それでいい。何も間違っちゃいなかった」
「戦闘機乗りっていつもこう。あの人も……勇も、最後は民間人を守るために敵に突っ込んでいったって聞いたわ」
「守りたいものを守るためなら、身を投げ打ってでも守り抜くのが俺たちの仕事だ。麗子だって分かってるだろ?」
「出来ることなら、あなたの代わりに私が……!」
「おいおい、それこそ冗談ってやつだぜ?麗子には麗子の役割がある。俺には俺の役割がある。それが、これだ。じゃあな……あんたとあの子の未来に、乾杯」
伸也は束の間、すすり泣く麗子の嗚咽を名残惜しそうに聞いてから、通信を切った。
「……やれやれ。結局は俺も
前方に都市殲滅砲の外壁が近づいてくる。その表面にプラズマ砲が生成され、伸也の乗機を迎え撃つ。
光線を避けて操縦する伸也の口元は、それでも、笑っていた。
やがて、光線の一撃が機体を貫き――
伸也の体は、爆炎に包まれた。
その爆炎の中から飛び出した最後のEMP弾が、都市殲滅砲の砲口に向かって飛翔した。電磁パルスが炸裂し、砲口の一部が機能を停止した。
伸也の目的は、達成された。
「……あの、馬鹿……!!!」
それを見届けた麗子は、指令室のデスクに両拳を叩き付けた。うつむいたままの顔から、悲しみの雫が、とめどなく流れ落ちていた。
流入してくるセレスティアの思考の中、空の意識は奇妙な浮遊感を覚えていた。感覚が麻痺したのか、自分の意識が肉体から離れてしまったのか。青白い光の海を漂うような感覚は、不思議と心地良かった。
流れに身を任せ、仰向けに浮かんでいると、目の前におぼろげな映像が浮かび上がってきた。懐かしい姿と、懐かしい声。
自分に向かって優しく微笑みかける二人。
「お父さん……お母さん……!!」
二人はただ優しく、自分に手を振っていた。
空は二人に手を伸ばした。光の流れに呑まれて近づくことはできない。近づこうとすれば離れていく。
空はそれでも近づこうとして、抱きしめてもらおうとして、しばらく濁流の中でもがいていた……そして、気付いた。
決して近づくことはできない。
近づく必要は、ないのだと。
それは、セレスティアの思考が自分の思考と深く結びついた結果、空の無意識から呼び起こした記憶――心の中でずっと抱きしめ
空は穏やかな表情を浮かべ、二人に手を振った。
「ありがとう。お母さん。お父さん。……私、行ってくるね」
二人も穏やかな笑みを浮かべ、手を振り返した。二人の姿は、光の海に溶けていった。
空は大きく息を吸い込み、光の海の中に、飛び込んだ。
意識を覚醒させると、そこは虚無の空間だった。暗闇の中で、温かく黄色い光となった意識は、一糸まとわぬ少女の姿をして浮かんでいた。寒さは感じなかった。ここは、思考だけが存在する空間。
眼前に、周囲から冷たく青白い光の粒が集まり、人の形を作った。その姿はセレスティアに似ていて、少し違った。蜂めいて非人間的な細さと長さを持つ容姿だった。
「あなたは誰?」少女は問いかけた。
“君たち人類と同じく、自己認識を持ち思考する存在”それは言った。
「私は瑠璃光 空。あなたの名前は?」
“君たちのように『個』という概念が存在しない。ゆえに、私は『私』と表現することしかできない”
その存在は言った。
「いま、私に何が起きているの?」
“君がセレスティア、あるいはティアと呼ぶ、接続認証外の構成体により、君の脳内の情報処理体系は私と同じものに再構築された。ゆえに、私の思考と君の思考が、その構成体を経由して接続した”
「だからあなたと会話ができる……。現実の世界はどうなってるの?」
“現在、君たちの地下都市が展開した電磁防壁は、出力の増加により、君を私のプラズマ照射から完全に防護している。だが、都市からのエネルギー供給は君たちの時間単位で1秒以内に尽きる。私のプラズマ照射時間はあと10秒残っている。その間に地下都市は融解し、消滅するだろう”
「そんな!今すぐ私の意識を元に戻して!」
“この思考領域では主観時間の速度が鈍化している。現実空間の1秒はこの領域では約1024秒に相当する”
「話す時間はまだあるってことね……」
空は単刀直入に尋ねた。
「どうしてあなたは私たち人類を攻撃するの?」
“君たちの存在は、この宇宙の生態系を乱しうる
「生態系!あなた以外にもたくさんの生命が宇宙にいるのね!混沌って、どういうこと?」
“私の存在目的は、この宇宙に存在する生命体を探索し、観察し、必要であれば保護することだ。私は、君たちの時間単位で一万年以上のあいだ、君たちの営みを観察してきた。私はそこで無数の破壊と、個体同士の相殺行為を見た。そして結論を得た。異なる思考回路をもつ個体の集合として存在する君たちの種族は、将来この宇宙の生態系に取り返しのつかない破壊をもたらすと”
空はこれまでの体験――自分に差し出された人々の手を、思い返した。
母が最期に自分を救った手。
混乱の中、道端で泣きじゃくる自分の前を通り過ぎていった人々の手。
そこに児童擁護施設の人々が差し伸べてくれた手。
蛍が自分を胸ぐらをつかんだ手。
分かり合い、お互いに抱き合った手。
父が自分たちを護るため、最期まで操縦桿を握り続けた手。
麗子が、伸也が、博士が、皆が自分に差し伸べてくれた、救いの手。
空は真っ直ぐに目の前の存在を見据えた。
「確かに、私たち人類はたくさんの破壊と、悲惨な争いをしてきたわ。その歴史は変えられない。でも、それだけじゃない。一人一人の違いはあっても、私たちの意思は、一つになれる」
“どうやってそれを証明する?”
「私たちに時間を与えて。あと百年でいい。戦争を起こさない時代を作ってみせるわ」
“私が観察に基づいて構築した君たちの行動予測モデルでは、百年間に人類集団同士の相互破壊活動が発生しない確率は限りなくゼロに近い”
「その奇跡を起こしてみせるわ」
“実現できる保証はあるのか?”
「保証はできない。でも、可能性を示すことなら、できる」
空の声は、純粋な固い決意に満ちていた。
「さっき、都市の電磁防壁はもう持たないって言ったわね」
“肯定する”
「もし私が残りの10秒間、あなたの攻撃を防げたら、この
“それは君にとって不可能だ。プラズマの総出力は君が防御していた熱量の二十倍に達する。私の計算では、君は百分の一秒と持たず蒸発するだろう」
「それでも、もし、私が止めたら……?」
“……その場合は君の提案に従う。事象の発生確率と、それがもたらす結果を総合的に判断した結果だ」
「ありがとう。約束よ」
空は黄色い光で出来た小指を目の前に存在に向かって差し出した。
“その行動には何の意味がある?”
「私たちの文化で約束をするときの仕草よ。小指と小指を結ぶの」
“行動自体に効果があるとは考えられないが……それが君たちにとって契約の正式な締結を意味するのならば、応じよう”
青白い光の存在も小さな指先を作り出し、空の小指に絡めた。
「最後に一つだけ聞かせて。これは純粋な興味からだけど――あなたはどこから来たの?」
“私の思考現象が自己認識を獲得した空間座標について、天文学的に定義することは難しい。私が恒星間を渡り歩いてきた五十億年のあいだに、君たちが天の川銀河と呼ぶ天体の中で恒星の位置関係は原状を留めないほどに変化した」
「五十億年!この地球よりも長生きなのね!すごい!」
空は好奇心で声を弾ませた。
“……君の思考を生体へ戻す前に、私からも提案したい。君の思考体系は人類個体の中でもとりわけ平和的かつ知的探求心が高いと判断できる。私と君が思考面で協力すれば、この宇宙の生態系に、破壊ではなく安定と進化をもたらすことができるだろう。このまま君の意識を私の構成体の中に保存し、人類の代表としてこの宇宙を共に探索しないか?”
「人類の代表だなんて、光栄ね。新たな生命を探してこの先何十億年も宇宙を旅する……とっても魅力的だと思う。だけど、できないわ」
“理由は何だ?”
「私には、守りたい人たちがいるから。麗子さん、伸也さん、博士さん、蛍ちゃん、田中先生……。みんな、私にとって大切な人だから。お父さんが言ってたの、『皆のために生きるんだ』って。私は、それが人類のいいところだと思うの。自分だけじゃなくて他の誰かのことを想って、その誰かのために行動できるのが、人間だから」
空は両手の間に黄色い光の球を作り、そこに
“だが、私が観察してきた人類には独善的で冷酷な側面もある”
その存在は青白い光の球を作り、凄惨な戦場の
“私の言う側面が勝るか、君が言う側面が勝るか。それは、これからの君たち次第だ”
空の意識が現実に戻ってくる。
最後の力を振り絞っていた電磁防壁が破れ、膨大な熱量が光の面となって空に襲い掛かった。
……ごめん、みんな。さっきはやれるだけやってみようと思って、大言壮語を吐いてみたけど……これは、無理かも。
結局私は、不幸体質で、誰の役にも立てない、存在感ゼロの疫病神なんだ。
そもそも私がティアと出会わなければ、平穏な生活も、何もかも今まで通りだった。
迫りくる閃光から目を背けつつ、精一杯両手を頭上に伸ばす。最後のあがき。
私の命も、あと一瞬――
――では、終わらなかった。
空の頭上には、一対の巨大な翼を広げた、燐光の天使がいた。
銀の羽毛の隙間から生み出された眩い光の霧が、上方で円を描くように集合し、青白い光の
「ティア……!!!」
その天使――セレスティアは、サファイアブルーの瞳に、固い決意を込めた。
翼の羽毛が、光の霧を生み出すだけでなく、それ自体が光の霧と化して、光の環の一部となってゆく。
通常は星間物質や空気をエネルギーに変換するセレスティアの体内組織が、彼女の構成体それ自身を、エネルギー源として消費していた。
徐々にぼろぼろになって、崩れゆく翼。
やがて、その崩壊がセレスティアの全身に達したとき――
敵の攻撃は、終わりを迎えた。
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