第12話 20文

○水無月 大黒屋


  すでに開店している店内。

  店の中では、手代達が客の相手をしている。

  女性客が、りさのお腹を見つめる。


女性客「おりさちゃん! おなか、目立ってきたねえ。犬帯は巻いたのかい?」

りさ「ええ。この間、お寺で安産のご祈祷をして、巻いていただいたわ」


 潮五郎が二人の会話の間に入る。


潮五郎「ウチの大事な跡取り、おなかにいるときから可愛らしいでしょう!」

りさ「ちょっと、おとっちゃん!」

女性客「婿があんなに大きいんじゃあ、男の子でも女の子でも、大きい子が生まれるだろうね。おりさちゃん、いまからしっかり食べて、体力付けなよ」


  りさ、嬉しそうに頷く。


○数日後 夕刻 大黒屋 庭の蔵


  一人で蔵の中を大掃除する龍之介。大量の本が、龍之介を襲い、頭から大量のほこりをかぶる。


龍之介「くっそ!」


  落ちてきた本を蹴り飛ばす龍之介。

  気を取り直し、蔵の中を丁寧に掃除する。

  

  哲治郎が通りかかるたびに、龍之介が出したものをチェックしていく。


× × ×


哲治郎「古いかんざしだなあ」


  鼈甲べっこうの簪を持ち、『処分』と書かれた箱に入れる哲治郎。


× × ×


哲治郎「なんだこれ。鼻緒が切れてるじゃないか」


  桐の高級下駄を、『処分』に入れる哲治郎。


× × ×


哲治郎「龍之介、蔵の整理は出来たのか」

龍之介「一棟は出来ましたわ」


  綺麗になった蔵の中を哲治郎に見せる龍之介。


哲治郎「ほう、綺麗になったじゃないか」


  『処分』と書かれた箱の方を、通りがかった大熊だいくまに渡す哲治郎。


龍之介「そんながらくた、どないしはりますん?」


× × ×


○数日後 朝 大黒屋 店前


  店前に台を出し、がらくたを並べる龍之介。

  通りがかる人々が、そのがらくたを手に取る。渡された品物を一つ二十文で売り捌く龍之介。


男性通行人A「ボウズ、この帯留め、いくら?」

龍之介「へえ、ここにある品物は、すべて二十文(一文・32円)で売るようにと、主人から申しつけられております」

男性通行人A「はあ!? これは碧玉エメラルドの帯留めだよ? 五両(一両・13万)はする品物だよ?」

龍之介「ええ!?」

男性通行人A「買った。買ったからね。あたし、これ、買いましたよ!」


  龍之介に二十文を押しつけ、逃げるように去って行く通行人A。


龍之介「ちょっと、おっさん!」

通行人B「あ、兄ちゃん、この鼻緒の切れた桐の下駄。もらっていくよ」

龍之介「ちょっと待ておっさん、それ、もしかして高級品か……?」

通行人B「ああ。良い木を使った下駄だねえ。鼻緒を直して、ウチの店で二両で売るよ」


  龍之介に二十文を押しつけ、逃げるように去って行く通行人B。



龍之介「お、おい、ちょっと待てやおっさん!」


  龍之介の声を聞き、潮五郎が店先に顔を出す。


潮五郎「龍之介、どうしたね」

龍之介「だ、旦那様……助けて……」


  潮五郎、棚に並べてある品物を見る。


潮五郎「ああ! これは玻璃はりの帯留めで! ああ! こ、これは瑪瑙めのうの……冗談じゃない、龍之介、これと、これと、これは早くしまいなさい!」

龍之介「へ、へい」


  潮五郎に手渡された品物を、別の箱にしまい直す龍之介。


× × ×


○同日 夕刻 店先


  台の上に置いてあった品物をすべて売り切ってしまった龍之介。


潮五郎「おやまあ、一人で……上手に売ったものだね」

龍之介「へい。明日はもう一棟の蔵の荷物を売り出すつもりで……。旦さんには売るもんを選んでもらいましたが、大旦那様も見ていただけますか?」

潮五郎「ああ、そうしよう、そうしよう」


× × ×


○同日 同刻 庭 蔵の中


  倉の中に立つ潮五郎と龍之介。


潮五郎「(綺麗になった蔵の天井を見上げ)これだけのことを、お前一人でやったって言うのかい」


  ネズミが走り、棚の上の荷物が落ちる。龍之介がそれを拾う。

  小さな箱に気付いて、それを窓からこぼれる日の光にかざす。


潮五郎「どうしたんだい」

龍之介「(箱を隠す)ああ、いえ。なんでもおまへん」

潮五郎「そうかい。で、荷物は何処?」

龍之介「へい、こちらに」


  潮五郎を商品を置いた場所に案内する龍之介。

  手には、先ほどの箱。ほくそ笑む口元。


× × ×


○翌日 早朝 庭 離れの前

桶を持って、水を流そうと離れの庭先に出るりさ。


龍之介「お姉はん、おはようさん」

りさ「(むっとして)おねえはん?」

龍之介「旦さんには、お姉はんには言うなっていわれてたんやけど、もうええよな」


  龍之介は、懐から扇子と小さな箱を取り出す。


龍之介「アンタ。お父はんのほんまの子や、ないんよな」

りさ「何を言ってるの?」

龍之介「よその男のこどもを孕んで、お父ちゃんに嫁いでくるやなんて。あんたのお

母ちゃんも図々しい女やなあ」

りさ「違う! おっかちゃんはそんな人じゃない!」

龍之介「俺は、正真正銘、潮五郎の子なんよ」


  驚くりさ。

  龍之介は手に持った扇子を広げる。潮五郎の部屋にあるのと同じものである。


りさ「こんな扇子ひとつで弟だって名乗られても。おとっちゃんだったらこんなの、吉原中の花魁にばらまいてるわ」

龍之介「そうなんよなあ。俺も、この扇子とおかんの手紙以外で、お父はんの子やって名乗れる、証拠がなかったんよ。そうやけどな。見つけた。見つけたよ」


  龍之介は小さな箱をりさに見せる。【りゅうのすけ】とひらがなで書かれた箱。

  中身は、小さなへその緒と、金色にも見える毛束。


りさ「りゅうのすけ……」

龍之介「俺のへその緒や。この家にあった。ほれ、この髪の色、見てみ? こんな色した赤子、そうはおらんやろ。俺の髪の毛や。紛れもない、俺がこの家に生まれた証拠や。お前なんか、お父はんのほんまの娘やない。俺はほんもんや。この大黒屋は、俺のもんじゃ」


  龍之介がりさににじり寄る。りさが後ずさる。


りさ「あたしは大黒屋の娘よ」

龍之介「うそこけ。お前のほんまもんの親父は、北町奉行、澤山助右衛門! 証拠も挙がっとんじゃ!」


  龍之介が、りさの手首を掴む。桶が土に落ち、りさと龍之介の裾が水で濡れるが、龍之介はまったく意に介さず、りさから目を離さない。


りさ「なにすんのよ」

龍之介「俺が本物で、お前が偽物と決まった今。お前に出て行ってもろうてもええんやけどな。いくら何でも、それじゃあお父はんが可哀想や。な、りさ。お父はんが、俺もお前も失わんですむ一番ええ方法がある。このまま、俺と結婚しよう。あんなウドの大木とは、別れてしまえ」

りさ「バカ! あたしのお腹の中には、そのウドの子が入ってんのよ!」

龍之介「知っとるわ!」


  龍之介がりさを離れの壁に押しつける。


龍之介「(心底、りさを憎みながら低く、呻くように)お父はんも旦さんも……俺が欲しいもんは、なんでもかんでも、お前が持ってって……」


  強引にりさに口づけする龍之介。


龍之介「別にかまへん。ウドの子、俺の子として育てたる」

りさ「ちょ……やめて……」


  りさが龍之介の首元に手を伸ばし、その細い首に爪を立てる。


龍之介「痛いやんか(あざけるような笑い)」


  次の瞬間、龍之介が哲治郎に殴り飛ばされる。

  自由になったりさがその場に座り込む。

  りさを、哲治郎が抱き上げる。


りさ「テツジさん……」


  哲治郎、無表情のまま龍之介をにらみ付け、離れの家の玄関を開ける。


龍之介「おいコラ待てや!! テツジ! お前、婿の分際でこの家のお坊ちゃまに傷負わせて、黙って行くんかい!!」

哲治郎「大黒屋が欲しいならくれてやる。明日には出て行ってやるから、お前は父上と親子の名乗りをあげて、大黒屋の五代目を継ぐが良いさ」


  哲治郎はりさを抱えたまま、家に入る。


龍之介「旦さん……テツジ!! 待って!」


  龍之介が、哲治郎の袖を掴む。


龍之介「見つけたんや。ほら、(懇願するように)これ見て。俺のへその緒。俺は、この家で産まれたんや」


  哲治郎、龍之介を振り返る。


哲治郎「(にこやかに)へえ! そうか。良かったじゃないか」


  哲治郎、真顔に戻る。


哲治郎「父上と、親子仲良くしろよ」


  哲治郎、玄関の引き戸を閉める。


龍之介「違う!! 俺は!!」


  龍之介が、離れの引き戸を勢いよく開ける。

  哲治郎とりさが玄関の上がりがまちに座り込み、口づけをかわしている。

  それを見つめる龍之介。


哲治郎「まだ何か用か」

龍之介「(甘えるように)いやや……出て行かんといて」


哲治郎が龍之介を睨み、龍之介が哲治郎を見つめる。


哲治郎「(優しく)見せてみろ」


  龍之介はへその緒の入った箱と、扇子を手渡す。

  扇を広げる哲治郎。箱の名前を覗き込むりさ。


りさ「あれ? これ、おっかちゃんの字だ」

哲治郎「なんだ? りさの母上が、龍之介を産んだのか?」

りさ「そんなわけないじゃない。(呆れたように)おとっちゃんにお妾さんがいたなんて初めて知ったわ。おっかちゃん一筋の人だと思ってたのに」

哲治郎「まあ、良いじゃないか。この髪の色、確かに龍のものに間違いない。動かぬ証拠だ。(龍之介の手を掴み、心底嬉しそうに)おめでとう。今日から、お前が大黒屋の若旦那だ。(りさに向き直って)りさ、俺はもう大黒屋には用なしだ。明日には出て行くことにするが、お前はどうする」

りさ「本当の跡取りが出てきたんだもの。あたしはテツジさんに付いていく。明日からあたし達、日本橋の下で暮らしても良いよね」

哲治郎「お前と一緒ならどこでもいいや」


  哲治郎が笑う。

  見つめ合って微笑みあう二人を、龍之介が見つめる。

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