第11話 竜胆

○同日 夕刻 江戸の町 甘味屋薩摩屋の前


  大黒屋への帰り道。

  龍之介が伸びをしながら、欠伸を一つ。


龍之介「ああ。疲れた」

哲治郎「りさも龍もよく働いたな。汁粉でも奢ってやろうか」


  哲治郎が笑いながら甘味処の薩摩屋を指さす。だが、龍之介が持つ桃に気付いて、哲治郎が目を見開く。


哲治郎「お前、その桃、どうした」

龍之介「え? どうしたて。腹減ったから、そこから……」


  龍之介の指さす先には八百屋がある。


哲治郎「売り物だろう?」

忠直「ええやん。ようさんあるんやし、一個くらい」


  哲治郎とりさが同時に驚き、哲治郎は龍之介にげんこつを喰らわせる。

  りさが八百屋に代金を支払いに行く。


龍之介「喉かわいとったんやん。欲しいもんを欲しいときに手に入れて何が悪い!?」

哲治郎「欲しい欲しいと、もらえるまで泣きわめく、欲しいからもってっちまう。そ

んなことが許されるのは、五つ六つのガキまでだ。お前はもう十九だろう? 欲しかったら自分で買え」


  哲治郎と龍之介が、顔を見合わせて睨み合う。

  通行人達が二人を笑いながら通り過ぎる。


りさ「テツジさん、やめなよ」


りさが哲治郎の袖を引く。哲治郎はりさの手を掴み、踵を返す。


龍之介「なんや、あのくそじじい」


  哲治郎の背中に向かって、龍之介が舌を出す。

  

  黒い三度笠をかぶった男の子が一人、龍之介の舌を出す先を、じっと見つめる。


× × ×


○三日後 夕刻 江戸の町 薩摩屋の前


  薩摩屋の客が何人か、お茶菓子を楽しんでいる。

  ご隠居が一人、薩摩屋の台に腰掛ける。女将が出てきて、ご隠居にお茶とお茶菓子をおいていく。ご隠居の横に、小さな体の少年、竜胆りんどうが座る。


女将「(竜胆に気付いて)おや、坊や、おっかさんは?」

竜胆「いない」

女将「あら?(憐れみを込めて)」

竜胆「(女将の背中側を指さして)ねえ、おばちゃん。あれ、なぁに?」

女将「え?」


  竜胆が指さす先を振り返る女将。

  大きな音がして、女将は竜胆の方を振り返る。台が倒れ、ご隠居が倒れている。

  店頭に置いてあったお茶菓子がいくつも盗まれている。


女将「きゃぁぁ! どろぼぉぉぉぉ」


  女将の金切り声に耳を塞ぐ客達。

  哲治郎と、お供の丁稚A(12)が通りかかる。


哲治郎の声「任せろ!」


  竜胆を追いかけて走る哲治郎。

  竜胆の足は速いが、哲治郎がいとも簡単に追いつく。


○同時刻 路地


哲治郎「(肩で息をしながら)あの店で無銭飲食たあ良い度胸してんじゃねえか」


  哲治郎が捕まえた竜胆のはだけた着物から覗く、緑の貌の般若の刺青。


哲治郎「お前……これは……」


  哲治郎は、大小様々な武器を持った少年たちに囲まれていることに気付く。


哲治郎「お前らもか? ひい、ふう、みい……十五!?」


  総勢十五人の少年を前にして、竜胆が哲治郎をにらみ付ける。


竜胆「……おかしらに、恥かかせて」

哲治郎「お頭?」


  背の高い少年Aが、持っていた木刀を振り下ろす。

  哲治郎が身を翻すと、少年Bの肩にその木刀が当たる。


少年B「ぎゃ!」


  少年Bが倒れる。

  少年Cが、大きな角材を振り下ろす。

  またも軽々と身を翻すが、多勢に無勢、キリがない。

  哲治郎は少し身を引きながら、引きつった笑いを浮かべる。


× × ×


○四半刻後 同路地


丁稚A「龍さん、こっちです!!」


  お供の丁稚から話を聞いた龍之介が、現場にたどり着く。

  十三人の少年達が地面に寝転び、うめいている。

  路地の一番奥に、右の頬を真っ赤に腫らした哲治郎がいる。


哲治郎「だ。二人逃した」


  哲治郎は自分の鼻血を懐紙でぬぐい、痛めた左足を気にする。

  龍之介、倒れている少年たちの顔を確認する。


龍之介「これ、旦さん一人でやったんか?」

哲治郎「そうだよ。丸腰のか弱いおっさん一人によってたかって……ひでえガキ共だ。刺青なんか入れて……よっぽど、腕の悪い職人に当たっちまったんだな、可哀想に」


  子ども達のはだけた着物の背中から覗く色とりどりの不細工な般若に顔をしかめる哲治郎。


龍之介「その顔。りさが怒るで」


  哲治郎の腫れた顔を指さして笑う龍之介。


哲治郎「(自分の顔を押さえて)そんなにひどいか?」


  哲治郎、懐から財布を出し、龍之介に渡す。


哲治郎「気付け薬とか、膏薬とか買ってきてやれ」


× × ×


○同日 同刻 大通り


  哲治郎、逃げた竜胆を見つける。

  竜胆の方も哲治郎の姿を捕らえ、身を翻す。


哲治郎「おい、お前の般若、一体何処で……彫ったんだ!」


  哲治郎は竜胆が駆けよった、母親らしい女と目が合う。

  女が哲治郎に微笑み、哲治郎に頭を下げると、竜胆を促して立ち去る。抜きの大きな着物の背中に、白い般若の刺青がひとつ。

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