第4話 龍之介

○冬の寒い朝 大黒屋の店先


  店先を掃き清める大黒屋大番頭の春路(64)

  春路は背が低いので台を使わないとのれんを軒先にかけることが出来ない。

  だが、ひょいとのれんが持ち上がって、勝手に軒先にかかり、春路が驚いて後ろを振り返る。


龍之介「やあ、おはようさん」


 背が非常に高く、髪の毛が赤茶色の龍之介に、春路が驚く。


龍之介「……ここが大黒屋か」


  龍之介が、大黒屋の店先にかかげられた、と書かれた樫の木で出来た古い看板を見上げる。


龍之介「お父ちゃんは? おるか?」


  龍之介が店の中に上がりこむ。


春路「(慌てて)ちょ、坊主。勝手にあがってんじゃあねえよ。どこ行く気だい」

龍之介「どこ行く気やいうて、ここ、俺の家やないか」

春路「何いってやがんでえ、ここはお江戸一番の呉服屋、大黒屋だよ。お前みたいな小汚い格好したガキの家なわけねえだろうが。とっととけえんな」

龍之介「ここは大黒屋潮五郎の店と違うんか」


  龍之介は懐から手紙を取り出し、春路に預ける。

  手紙には汚い字で「たいこくや てふころうさま」とある。


春路「お前、名前はなんてぇんだ」

龍之介「龍之介」

春路「龍之介だって!?」

 

  春路、驚いて龍之介をまじまじと見つめる。


春路「来な。旦那様に会わせてやるから」


  龍之介、春路のあまりの態度の変化に驚くが、素直に店の中に入る。


× × ×


○同・潮五郎の部屋


  上座に呉服屋 大黒屋の主人である潮五郎(40)

  対面の下座には龍之介。

  ふたりの間の席に春路が座る。

  床の間には、龍之介が春路にさしだしたのと同じデザインの扇子が二つ、飾られている。

  春路から手渡された扇子を見つめる潮五郎。


潮五郎「へえ。じゃあお前さんが私の息子だってのかい。名は?」

龍之介「龍之介」

潮五郎「ほう。りゅうのすけ。どんな字を書くのか、知ってるかい?」


  頷く龍之介。

  潮五郎は春路に筆と紙を用意させる。

  龍之介は、少し考えるそぶりを見せた後で、紙に自分の字を書き付ける。


潮五郎「ほお……これは見事だ」


  龍之介の字は美しい。

  手紙と、扇子を眺める潮五郎。

  袖の中で腕組みする。


潮五郎「いや確かに、私には龍之介という息子がいましたよ。妾の子だったが、生ま

れてすぐに母親を離縁してしまったもんで、行方が分からなくなっていたんだ」


  少しのあいだ、考えるそぶりを見せる潮五郎。


潮五郎「いいでしょう。お前さんが私の息子だというなら、こちらで雇いましょう」


 喜ぶ龍之介と驚く春路が、同時に声を上げる。


潮五郎「たーだーし。(龍之介の方を制して)ふたつ、条件がある。いなくなったは、ここの家で生まれた。だから、お前が本当にうちの龍之介なのかどうかを確かめる証拠の品が、うちにあるはずなんだ。ところが、おつゆと離縁した折、三代目が小唄こうたの痕跡を嫌がって、色々処分してしまった。家内のおかえが三代目には内緒で龍之介のものはしまい込んだんだが、去年、家内おかえが亡くなって、それが何処にあるのかさっぱり分からなくなってしまった。丁度良いから、お前、自分で探してごらん。半年経っても見つからなかったり、お客様や他の手代達と何か問題を起こしたりしたら、やはりお前はうちのじゃなかったということで、出て行ってもらう。いいね」


  龍之介、頷く。


潮五郎「お前さんが本当にうちの龍之介だと分かれば色々考えるから、まずは手代から始めておくれ」

龍之介「はい。かしこまりました」


  潮五郎に、頭を下げる龍之介。


× × ×


○同 廊下


  たくさんの反物を持って廊下を歩く大熊と、春路に手代部屋まで案内される龍之介がすれ違う。


大熊「ああ! 火事場のドロボー!」

龍之介「え? ああ! あんときの、火事場のクマさん!」


  お互いを指さし合う、龍之介と大熊。


春路「知り合いかえ?」

大熊「婿殿と火事場の手伝いに行ったときに、って言う、ふてえ野郎で」

春路「お前さんの荷物を盗んで火事場に届けた? そりゃあ、良いことをしたんじゃねえのかい?」

大熊「あれ?」


  春路と大熊が同時に首をひねる。その場に通りがかる哲治郎。


春路「ああ、若旦那。今日から手代てだいで入りました、新入りの龍之介でございます」

哲治郎「へえ。今日入った子が、いきなり手代とは。龍之介、俺はここの婿の哲治郎だ。よろしくな」


哲治郎、龍之介の髪の毛を撫でる。


哲治郎「綺麗な色だなあ。紅葉の色だ。(顔をしかめて)だが、臭い。大熊、今日はこいつを風呂屋に連れて行ってやれ」

大熊「へい。承知しました」


  通り過ぎる哲治郎。

  その後ろ姿を、眺める龍之介。


大熊「かっこいいだろう? お嬢様の、おりさ様の婿殿だよ。元は、お武家さまで、北町のお奉行所の御同心ごどうしんだったんだ」

龍之介「(大声で)同心!?」

大熊「うわ、ビックリした!」

龍之介「すまん、いやでも、同心て」

大熊「お武家様を辞めて、商家に婿入りしたってんだから、よっぽどお嬢様に惚れたんだろうなあ」

龍之介「(小声で)どうしん……」


  哲治郎の背中を眺める龍之介。

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