第六話 〜Story of anonymous〜

 やがてクレアが落ち着くと、博士は僕達に向かって頭を下げた。

「キミらが何者か知らんが、色々と面倒を掛けたみたいだな。済まなかった」

「気にしないで下さい、勝手に上がり込んだのはこちらですし。それより今何が起こっているのか──」

「ああ、これを見ればおおよそはな」

 閲覧席に備え付けられている大型の表示部に屋敷の見取り図が映し出されており、一階部分は全て赤く表示されている。

 多分異常を知らせる色なんだろう。

「博士、私たちはこれまで色んな場所を旅してきました。でもこんな……」

「こんな想区は見たことがない、そうだね?」

「ええ……胸騒ぎはするけど、どうするのが正しいのか全く分からないんです。だから単刀直入にお聞きします。この屋敷に、クレアの故郷に何が起こったんですか?」

「……分かった、教えよう。但し娘にはあまり聞かせたくない」

 ここから先はクレアには辛い内容だということだろう。

 しばらく離れているように言われるが、自分にも真相を知る権利と責任があると、クレアは頑なに拒否する。

 娘の覚悟を前に、いつの間に大きくなったと顔を綻ばせた博士は、みんなにも座るよう促すと、椅子に深々と座り直し静かに語りはじめた。

 それは決して人々に語られることのない、主役以外の物語。



「さて、何から話したものかな……我々が暮らしていたガルディアは、これと言った物語のない、言わば主役のいない想区だ。敢えて挙げるとすれば、大図書館のための想区と言えるかもしれない」

「大図書館、ですか?」

「ああ。沈黙の霧の中に点在する全ての想区の物語が書き記された書物や、その物語の原典を保管管理する図書館でな、この世界に何箇所もある内の一つという話だ。図書館と言っても実際は誰も読むことが許されていないから、巨大な書庫でしかなかったが」

「そこで奥さんが働いていたんですね」

「ん? そうか、娘から聞いたんだな。妻のソフィアはそこで司書をしていたんだよ。と言っても書物の管理は全てオートメーションだから、ただ目録を作るだけの退屈な仕事だと言っていたがね」

 博士は時に懐かしみ、時に喜び、時に悲しみを語った。

 僕達が普段触れることのない物語の脇役、想区の住民の人生がそこにはあった。

 こういう言い方は語弊があるかも知れないけど、奥さんは典型的な想区の住民だったようだ。

 自らの運命に従い、やがて訪れる死をも受け入れる、そんな人だったらしい。

 病の床につくまで自分が不治の病に侵されて死を迎えることを明かさず、ただ二人の幸せを願い息を引き取ったそうだ。

 それが全ての始まりだったかもしれないと、博士は少しだけ悔しそうに呟いた。


 妻ソフィアの葬儀の際、死因を知った博士は驚愕する。

 すぐさまクレアに運命の書を確認させると、「ワタシもおかあさんとおんなじびょうきでしんじゃうんだって。じゅっさい、ってかいてあるよ?」と言うものだった。

 娘の幸せを願って死んでいった妻と同じ病が、その娘にも忍び寄っていたのだ。

「キミ達は空白の書の持ち主達だね?」

「ええ」

「我々ただの住民たちの運命の書が、どうなっているか知ってるかね?」

「いいえ……」

「皆ストーリーテラーに定められた運命に従い生きるとは言うが、大したことは書かれていないんだよ」

「どういうことですか?」

「どんな仕事に就くか、いつ結婚するか、いつ死ぬか、要するにその程度の予定しか教えてもらっていないのだ。言うなれば人生の一大イベントが書き記されているに過ぎない。その割には妻の葬儀を出すなんて言うのは書かれていなかったところを見ると、わざわざ書かなくても常識的に実行されるような事柄については、いちいち書かれないのかもしれないな。実際に見たわけじゃないがどうやら主役は色々と指示されているようだし、物語を紡ぎ出すために、結末へと導くためにはそれなりに細かな指示が必要だからだろう。それに比べて私の運命の書に書かれていたものは、運命だから、仕事だからとしか読み取れない曖昧なものばかりだった。大学で働くことも、何を専攻するのかも、目的の分からない何かの薬を開発しようとすることも、そしてそれが間に合わないということも書かれていた。だがまさか我が娘の病気を治すために畑違いの研究をはじめるなどとは思いもよらないだろう?」


 僕達は何も言えなかった。

 想区の物語を紡ぎ出す歯車の運命を与えられても、ただ盲目的に従っていればいい訳じゃない。

 それなのに僕は何の運命も与えられなかったことを不幸だと嘆き、自分を呪ってさえいた。

 再び余震に見舞われ、自問に囚われていた僕達は現実に引き戻された。

「それで博士はどうしたんですか?」

「妻の願いを叶えるために、治療薬の研究をはじめたのだよ」

「間に合わないと定められていても、ですね」

「ああ、二年半研究したがまったく成果もなく、焦った私は妻の遺した図書館のセキュリティキーを使い、所蔵品を盗み出したのだ。それも大量にな」

「盗み出した!? これ全部か?」

「いや、流石にここにある本全てって訳ではないよ。それでもかなりの量にはなると思うがね」

「随分思い切ったことするなー」

「人間追い詰められれば何だってするってことだ。ましてや娘のためならな」

「そして書物の中からエリクサーを見つけたと」

「そうだ。本当は別の物を探していたんだが……。色々な物語に伝承やお伽噺として伝わってはいるが、その製法まで見つけることが出来たのはこれだけだったのだ」

「確かにネクターは神々の飲み物だし、ソーマは材料も製法も曖昧だからね〜。錬金術で作れるエリクサーが妥当な線かもしれないわ」

「ほぅ、キミは色々と詳しいのだな」

「一応は魔女ですからね〜」

「自称だけどね……」


「博士、それからどうなったんですか?」

「材料も揃い、いよいよ調合という段になって事件が起きた。誰も想像だにしていなかった未曾有の災害、と言っても前兆がなかった訳ではないがね。時折黒い風が吹くという噂はあったが、誰も運命の書に書かれていない出来事に安心しきっていたのだ。何かあるなら書かれているはずという無頓着さが、想区の住民にはあるようだな。そしてそれは起きた。突如想区に黒い嵐が吹き荒れ、全てを飲み込んだ。気がつくと真っ暗な霧の中に屋敷しかなく、それ以来想区や住民がどうなったのか分からん。家族を心配して屋敷を出た使用人達も戻ってくることなく、クレアと二人きりになってしまった……」

「どうしてこの屋敷だけ平気なんでしょう?」

「うむ、この屋敷には極限下での自給自足を可能にするための設備を備えていてね。端的に言えば建物自体を特殊な力場で覆い外的要因から守りながら、時計台の屋根に設置したアンテナから様々なエネルギーを取り込んで動力などに使っているのだ。元々は大学で行う予定の実験だったんだが、狭い研究室しか与えられていなかった低予算の学部では、建物を使った実験の許可が貰えなかったのでこの屋敷を使ったという訳だ。まさか想区を滅ぼした男がこうして生き延びるなんて、とんだ皮肉だがな」

「私にはわからないんだよね〜。想区が滅んで屋敷だけ残ったのか、それとも屋敷だけが想区から切り捨てられたのか」

「たしかにな。しかし今となっては確かめようがない。真実は闇の中、だ」

「他にもわからないことがあります。何故今なのか。娘さんを治療するためにはじめた薬の開発は別として、図書館に忍び込んだり書物を盗み出したりした時に、その……裁かれるのなら分かるんですけど、屋敷がこうなった後、今まで平気だったのに何故急に……。もしかして私達空白の書の持ち主が来たせいじゃ……」

 調律の巫女と空白の書の持ち主の宿命。

 カオステラーによって歪められた運命を調律し元に戻す事が出来る反面、何事もなくストーリーテラーの書き記した通りに物語を紡いでいる想区に関わってしまえば、空白の書の持つ力により不用意に運命に干渉してしまうこともある。

 僕達は劇薬なんだ。薬にもなれば毒にもなる。

 力なく俯くレイナに、僕は掛ける言葉がなかった。


「フッ……優しいんだな、キミ達は。元はといえば私が禁忌に触れたのが原因かもしれないのだ、気にすることはない。それにだ」

「それに……?」

「私は他にも罪を犯している。多分な」

「一体何をですか?」

「キミらはこの世界にいったいどれ程の想区が存在するか知っているかね?」

「いいえ、数え切れないくらいたくさんあるという事しか……」

「ああ、それに同じ物語をモデルにした想区も複数あるってのは見たことがあるぜ」

「各想区が特定の物語を延々と繰り返し続けていると言うのは知っていると思うが、これは永遠にではない。崩壊し滅びることもあるのだ」

「カオステラーに物語を歪められるといずれそうなりますね。私の故郷のように……」

「なるほど、カオステラーと呼ばれているのか。しかしそれが全てではない。たとえ平和な想区にも寿命がある」

「実際に見たことはありませんけど、シェインも話だけなら知ってますよ」

「寿命を迎え想区が滅びるといずれ次の想区が誕生し、新たな繰り返し、物語を紡ぎ出すのだよ」

「ん〜〜? それと教授の罪とどう関係があるのか全然見えてこないんだけど?」

「この屋敷は黒い霧に覆われて、沈黙の霧の中を漂い続けている。いずれ何処か別の想区に流れ着けばと期待しながらな。漂いながら寿命を迎えた想区や崩壊した想区の残滓を集めてエネルギーとしているのだ」

「おぅ、究極のリサイクル、エコロジーです」

「ちょっと待って、それってつまりどういうことなの?」

「想区に終わりがあるだけじゃなく、始まりも当然ある。つまり私は新たな想区を生み出すためのエネルギーを勝手に使ってしまっているということだよ。それに集めていたのはエネルギーだけじゃない。沈黙の霧を漂う様々な情報も一緒にな」


 想区の辿る運命について考えてもいなかった僕達には、それが何を意味するのかすぐに飲み込めなかった。

 博士の言葉を聞くまでは。

 その後僕達が驚きと混乱に右往左往したのは言うまでもない。

 話をまとめるとこうなる。


一・屋敷が沈黙の霧を彷徨うことになった原因

 図書館から博士が部外秘の書物を盗み出したから。

二・今屋敷に起こっている危機的状況の原因

 博士が想区の原料を勝手に使ったから。

 一緒に集めた情報にまずいものがあったから。

 僕達空白の書の持ち主が大挙して訪れたから。


 もちろん他のことが原因という可能性もあるが、博士の言うように最早特定することは不可能だろう。

 想区が滅んだりヴィランに襲われる理由は単純でも、そのきっかけに事の大小など関係ないのだから。

 あるとすれば、ストーリーテラーにとって都合が良いか悪いかくらいだ。

「それで集めた情報でクレアを、娘さんを完全に治すことは出来そうなんですか?」

「いや、糸口になりそうなことは幾つか見つけたが、ただ具体的な解決には程遠くてな」

「もうあまり時間がない、ということですね」

「諦める気はないが、認めざるを得ないだろう」

「博士、彼女の運命の書ではもう……病気で亡くなっているはずよね? これは今やっている研究と何か関係があるの?」

「その逆だよ。屋敷が闇に飲まれる前から娘は体調を崩していてね、予定では薬の開発が間に合わずそのまま死ぬはずだった。だが黒い嵐を境に我々二人の運命の書は意味を無くしてしまったのだ。だから私はこう考えた。想区が滅んだにしろストーリーテラーから追放されたにしろ、見方によっては運命からの開放を意味するのではないのかとな」


 クレアを見ると、唇を噛み締めているが静かに話を聞いている。

 運命に従うことになんの抵抗もないとは言っていたけど、その心中は誰にも分からない。

 けれどもどんなに平静を装ってみたところで、ここからの話は確実に彼女の心を傷つけただろう。

 口火を切ったのは、他でもないファムだった。

「でもそうではなかった。でしょ?」

「ああ、その通りだ」

「ちょっとファム、いきなり何?」

「私が説明しましょうか……? 教授」

「いや、私が話そう。私にはその責任がある」

 博士はクレアの頭をそっと撫でると、その重い口を開き語りはじめた。


「先にも言った通り、運命の書とはかなり適当なものだ。いやむしろいい加減と言った方がいい。人生の予定表でもなければ台本でもない。せいぜい天気占い程度の役にしか立たないのだからな。ストーリーテラーを崇め、与えられた運命に従うことが常識という習慣があるからこそ、想区が維持できているに過ぎない。もしも想区の物語を円滑に繰り返すための歯車として我々が居るのだとしたら、何故時折臆病な主役や強欲な主役が生まれるのか考えたことはあるかね? 単に生まれてきた人間に配役を割り振り、場合によっては勇者の両親になる運命の夫婦から生まれただけで勇者の役割が与えられる。それは与えられるのが単なる役割や予定表に過ぎず、正義の心を持った逞しい人間自体を生み出すことが出来ないからだ。つまり、容姿が整い正義感に溢れ筋骨逞しい人物が必要ならそう書き込み、それに従い持ち主もそのように振る舞う人物になる。考えや趣味、運動能力に到るまで、細かく定めておく必要がある登場人物にはそれ相応の内容が書き記され、そこは別に拘らないという場合には、役割を与えられた人物自身の身に委ねられる。要するに運命の書に書かれてないことは、まったく関知されない、ストーリーテラーにとってはどうでもいいことなのだ。それが意味することはつまり、役割に相応しいかどうかに関わらず、持って生まれた性格や培ってきた価値観、そして身体的特徴や……」

「──遺伝的形質は運命とはまったく関係がない、ということ。そして……」

 そこまで合いの手を入れておいて、ファムが突然止まってしまった。

 どう見ても博士に助け舟を出したように見えたのに、さすがのファムでも言い澱むような内容なのだろうか。

 僕達は話が再開するのを黙って待った。


「そして、病気になる運命が記されていればその通りに病気になり、病気が治ると記述されていない限り治ることはない。運命からの開放とはな、その時点までの定めに従った状態をそのまま維持して、ただ運命から放り出されるに過ぎんのだ」

「それじゃクレアの病気は……?」

「そうだ、根本的な治療が必要ということだ」

「だったら、集めた情報の中から、治療技術の情報は得られなかったんですか?」

「ああ、高度な文明の残骸にも遭遇したことがあるが、物語に直接登場するような技術や情報以外は断片すらも把握できない有様でね。情けないことに結局治療薬の研究に逆戻りさ」

 完全には治せない。確かクレアがそう言っていた。

 博士の作った薬の効果は症状を抑えることしか出来ず、たとえ病気を起こす異常な遺伝子とは言え、クレアの身体の一部である以上は、薬の効果が及ばないということらしい。

 エリクサーとは言っても伝説に語られる不老不死の霊薬などではなく、後の錬金術師達がこぞって作り出した万能薬の方だったのだ。

 ファムが語ったソーマやネクター同様に、本物の神秘の霊薬たるエリクサーは伝説の中にしか存在しない。

 仮にその伝説の舞台の想区自体が存在するのならば、入手することも出来たかもしれないし、超高度な科学文明の想区に行ければ、あるいは遺伝子治療なる方法で直接治すことも可能なのだろうが。

「どうして教えてくれなかったの!?」

「済まなかったな、私が不甲斐ないばかりに」

「お父さん……」


 葛藤と自責が交錯する中、沈痛な面持ちの二人には聞こえないように、シェインがヒソヒソと話しかけてきた。

 どうやら彼女なりに気を使っているらしい。

 僕らは頭を寄せ合い、シェインの話に耳を傾けた。

「あの、ちょっと気になるんですけど」

「どうかしたの? シェイン」

「ここが想区の残骸だとすれば、ストーリーテラーはどちらに?」

「仮にガルディアが崩壊したのなら、ストーリーテラーはもう居ないわよ。想区の崩壊は役割を終えたり寿命を迎えたりした時、あるいはストーリーテラーの死を意味するから」

「それでは博士がやらかして、想区からこの屋敷が切り捨てられたとしたらどうです?」

「もしそうなら屋敷を建て直して新しい博士が登場してるんじゃないかしら。物語に深く関わるならばね」

「最後の質問です。この屋敷にカオステラーはいますか?」

「どういうこと?」

「新入りさん、気づきませんか? この不自然さに」

「……見たこともない黒い霧とかのこと?」

「にぶちん」

「えー、そんな〜」

「それじゃヒントをあげましょう。落第したらご飯抜きです」

「いやいや……」


「ヴィランが襲ってくるのはどんな時?」

「カオステラーが歪めた運命を守るための尖兵として。それからストーリーテラーが順調に治めている想区で、空白の書の持ち主が運命に干渉しないように追い出そうとする時。だよね?」

「そしてここにカオステラーは居ないわ」

「え!? それってどういう……」

「バカだね〜。いくらうちのお姫様がポンコツだからって、カオステラーの気配に気づかない訳ないじゃない」

「ポンコツは余計よ。それとお姫様は禁止!」

「カオステラーはいない。ストーリーテラーもいない。だったら誰がヴィランを寄越してるんですかね?」

「それってつまり……?」

「シェインには他の誰かが関わってるような気がしてならないんですが」

「まさか、カーリー達が!」

「はーいストップ。カオステラーしか生み出せない変態仮面は、今回無関係だと思うよ」

「それじゃ一体何なのよ?」

「そうですね。どちらかと言うとこの世界を治めるなにか、有り体に言えば大いなる意思といったところでしょうか」

「おやおや奇遇だね〜。私もちょうどストーリーテラー以上の存在を思い描いてたところでね〜」

「大図書館の書物や、想区を漂うエネルギーに情報。それってつまりこの世界の秘密そのものですよね?」

「でも博士が原因とは……!」

「新入りさん、落ち着いて下さい。多分そこは重要じゃありません。想区には強盗や人攫いも居るんですから」

「そうだね。問題は都合が良いか悪いか、だろうね〜」

「つまりは想区の存続なんて目じゃないような、重大な何かってことね?」

「悪い、誰か後で説明してくれ……」

「だからって二人をこのままにするなんて!」


 それはなんの前触れもなく訪れた。いや訪るべくして訪れたというべきか。

 それまでのグラッと来る揺れや、ユサユサといった揺れとは明らかに違う激しい揺れ。

 突然地響きのような轟音とともに屋敷全体が激しく突き上げられる。

 本棚から大量の書物が降り注ぎ、今までの地震とは規模がまったく違うことを意味していた。

「ねぇ、いい加減脱出しないとまずいんじゃない!?」

「シェインも賛成です」

「ああ、もう後がないって感じだな」

「でもレイナ、どうやって脱出するの?」

「えぇ!? ちょっと、私に振らないでよ! 私だってこんなこと初めてだもん、分からないわよ!」

「ファムは何か方法思いつかないの?」

「ん〜〜さすがの私もこれはお手上げだね〜」

「おいおいマジかよ!」

「何よ、頼りにならないわね! このなんちゃって魔女!」

「キミ達、娘を連れて時計台へ向かいたまえ」

 見ると閲覧席の端末で、博士が何やら操作をしている。

「防護システムが生きてるうちに磁場を反転させれば脱出できるはずだ」

「博士はどうするんですか?」

「なに、心配はいらん。準備が終わったらすぐに後を追うさ」

「わかりました、みんな行くわよ!」

「お父さんも早く来てね。約束よ?」

「分かっている。さぁ早く行きなさい」


 僕達は揺れに耐えられなくなり落ちてくるシャンデリアや、剥がれ落ちる壁の破片からクレアを守りながら、屋敷の中を駆け抜け時計台へ向かった。

 地震の揺れ自体もかなりのもので、断続的に屋敷を突き上げたり揺さぶったりしている。

 走ろうにもろくに走ることさえままならない、そんな激しい揺れが続いた。


 もう到る所に闇が溢れ出しヴィランが襲いかかってくる。

 時に蹴散らし時に薙ぎ払いながらやっとの思いで時計台に辿り着くが、なかなか博士が現われない。

「なぁ、博士ほんとに間に合うのか? これどんどんひどくなってきてるぞ」

「絶体絶命ってやつですね」

「大丈夫だよ、クレア。博士を信じよう」

「うん……」

 その時、耳を劈くような甲高い耳鳴りがしたかと思うと、時計台の中央に突如青白い球体が出現した。

 それは見たこともないような淡い光を発しながら床から少し浮いている。

 するとようやくコンソールから博士の通信が入ったが、雑音が混じり声が聞き取りにくい。

『待たせてすまな・。そこ・あるフィールド・入ってく・たまえ。すぐに脱・させる』

「はい、博士も急いで!」

『私は……一緒に・くことは出来・い』

「博士!?」

『こう・ってしま・たのは全て・の責任だ』

「そんな……」

「お父さんの嘘つき! すぐに来るって言ったじゃない!!」

『す・ないな、・レア。でも・かがやらな・ればなら・い。大人と・てきちん・ケジ・をつけん・な。・れに・う、闇・書・の中・で来・い・のだ。小・達よ、……を……頼ん・ぞ……』

「お父さん!!」

 かろうじて聞こえてくる博士の言葉に耳を傾ける僕らは、やりきれない気持で何も返すことが出来なかった。

 ますます通信に交じる雑音がひどくなり、ついには博士の声もかき消される。

 そこには吹き付ける風の音と地震で歪む時計台の軋みに混じって、コンソールからの耳障りな雑音しか残っていなかった。


 そして、もう声が届かないと知ってか知らずか、博士は天井を仰ぎ見ながら呟いていた。

「我が愛しの娘、クレアよ。幸せにしてやれなくてすまなかったな」



 時計台の揺れも更に酷くなり、このままだと闇に飲み込まれる前に崩れてしまう恐れもある。

 コンソールの表示が脱出までのタイムリミットを示す。残り時間は僅か五分。

 それはこのフィールドの出発予定なのか、それとも時計台の崩壊までのカウントダウンなのか……

「しかたねー、お前ら行くぞ!」

「そんなこと言ったって博士が!」

「馬鹿野郎! 男が自分で決めたことだ! 尊重してやれ!」

「そうかもしれないけど!」

「新入りさん、駄々をこねないで下さい」

「もたもたしてると闇に飲み込まれるか、あいつらにやられるかどっちかよ!」

 目前に迫る数多のヴィラン。

 メガ・ファントムをはじめメガヴィランの姿も確認できる。

 僕はやり場のない怒りに任せ、ヴィランの群れに飛び込んだ。

 戦略も連携もあったものじゃない。

 ただ闇雲に敵に向かって突っ込み、攻撃を喰らうのも厭わずにヴィラン共を切り伏せていくだけ。

 単身飛び出した僕に、みんなは何も言わず黙ってフォローに入ってくれた。


 夥しい数のヴィランを全て屠り、ぎりぎりなんとかエネルギーフィールドに飛び込む僕達。

 しかしそこにクレアの姿はなかった。

 振り返ると屋敷へと向かうはしごを降りていくクレアの姿が。

 後を追おうとするが、フィールドに阻まれて僕は出ることが出来ない。

 僕は声も枯れんばかりにクレアの名前を呼ぶ。叫ぶ。

 激しい怒りに任せて殴りつけるが、僕の思いが届くことは決してなかった。

 無言で首を振るレイナと押し黙るみんな。

 時計台の鐘が猛り狂ったように鳴り響くとともに強烈な光が溢れ出し、それまで屋敷を覆っていた闇を一気に打ち払う。

 そしてゆっくりと時計台を離れていく青白いフィールド。

 やがて光が収まると、屋敷は再び闇に飲み込まれていった。



「お父さん!」

「クレア! 何て馬鹿なことを!」

「ワタシね、お父さんが一緒にいてくれるだけで、ずーっと幸せだったよ?」

 闇に飲まれた書斎には、手を取り合う親子の姿があった。

「だからもういいの。だから、ね?」

「クレア……」


 娘を抱き寄せる父親。


 少し照れくさそうにはにかむ娘。



 そして全てが闇に飲まれていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る