第18話 この世の終わりみたいな

 美蘭みらんが溜息をついた。

「あら珍しい、今日は何だか元気がないわね」

 ママはそう言って彼女の顔を覗き込んだ。美蘭は少し慌てた素振りで「ちょっと思い出しちゃって」と言い訳すると、出されたばかりのパンケーキにメープルシロップをかけた。

「さっきこの店に入る時に、レジで大柄な女の人とすれ違ったでしょ?帽子をかぶったおばさんと一緒にいた、ちょっと派手な感じの人」

「ごめん、私ぜんぜん憶えてないわ。パンケーキをストロベリーとチョコバナナのどっちにするかで頭がいっぱいで」

 そう言うママが食べてるパンケーキは何故かラムレーズンとホイップクリーム。美蘭は少しだけ微笑むと、「あの女の人、元は男だったと思うの。声も太かったから」と言った。

「それって、オネエの人ってこと?やだ、何で言ってくれなかったの?見たかったのに」

「でも別に、タレントとかじゃない感じ。おばさんをママって呼んでたから、親子かな」

「あらあ、そういう人って本当にいるのね。こんど見かけたら、ぜったい教えてよ。でも美蘭ちゃんはそれで、何を思い出したの?」

「うちの弟のこと。本当言うと、妹なんだけど」

 そこで美蘭は言葉を切り、パンケーキを食べる手を休めて遠くを見た。ママと背中合わせに座ってる俺は、振り向いた肩越しにその様子を見ながら、彼女は本気で女優になれるなと、半分感心し、半分呆れかえっていた。


 あれは先週の金曜だった。いつも通り、学校帰りに電車の中で沙耶さたとラインのやりとりをしてたら、「ヤバいよ、告白されちゃった」というメッセージ。相手は研吾けんごって奴で、彼女と同じコースをとってる。これまでも時々話には出てたけど、ただの同級生ってノリだったのに。何でいきなり?

 俺はもう心臓がバクバクして、「研吾って、かなりおバカな軽い奴じゃなかった?」と返したんだけど、「でも告白されちゃうと、なんか少しいいかな、とか思えちゃう。顔はけっこうイケてるし」という言葉が戻ってきた。

「きっと受験ストレスだね、いますごく恋愛したいの」

 沙耶が打ってきたそのフレーズに、「俺じゃ駄目かな」って切り出す勇気があれば、こんなに苦しい思いなんかしなくていいのに。臆病な俺は「で、返事どうするの」としか打てなかった。

「まだ考えてる。今から授業で顔合わせるし、マジヤバいよ。ノリでOKしちゃったら笑ってね」というのが彼女の最後のメッセージで、このままじゃ絶対に頭がおかしくなると思ったから、俺はすぐ美蘭に助けを求めた。


 朝から授業をサボっていた彼女は、何故か白いセーターにモスグリーンのフレアスカートという、いつになくお上品な格好で、ホテルのロビーに座っていた。普段は何があってもつかまらないのに、緊急事態にはちゃんと現れるのだ。

「この世の終わりみたいな顔してるわね」

「だって本当にそうだもの」

 俺の情けない答えを聞くと、彼女は「あらまあ」という感じに眉を上げ、「部屋行こうか」とエレベータに向かった。彼女の家出は継続中で、フロントともすっかり顔なじみ、廊下にいた掃除のおばさんも「あら美蘭ちゃん、お友達?」なんて声をかけてくるぐらいだ。

「慣れちゃうとホテルの方がいいんだよね。トイレットペーパー切れても、替えてもらえるし」と言いながら、美蘭は七階にある部屋の鍵を開けて俺を招き入れた。ワンルームマンションほどのシングルルームで、机の上には山積みの本とノートパソコン。その脇にあるチェストの上には大きなスーツケースが横たわっている。

 美蘭はベッドに腰を下ろすと、俺にも座るよう促した。

「なんか飲む?といっても水とジャスミンティーしかないけど」

「いらない」

 俺はただぼんやりと、足元の絨毯を眺めていた。

「で、何が最悪の事態なわけ?」

 俺の隣で前を向いたまま、美蘭はそう尋ねた。俺は沙耶とのやりとりを繰り返し、「もう、ライン見る勇気ないよ」と白状した。

「でも、まだそうと決まったわけじゃないでしょ?」

「そうだよ。俺には判るんだ。研吾のことなんか別に好きじゃなくても、沙耶は恋愛したいんだ。あの子自分で言ってるんだ、恋愛体質だって。ただ今は受験だから封印してるだけ」

「じゃあまだ封印中じゃない?国公立の合格発表まで、まだかなりあるじゃん」

「でもきっとダイエットやなんかと一緒で、ちょっとだけならいいかもって、それで…」

「止められずに、ドカ食いしちゃうかもしんない、ってこと?」

 俺はただ俯くしかなかった。判るのだ、研吾に告白された沙耶が、何だかハイになってるのが。

「美蘭、俺もう、女でいるの無理だ。すぐにでも男になりたい。それが駄目だっていうなら、もう自分を消したい。これ以上みじめな思いしたくないんだよ。目の前で何が起きても、ただ見てるしかないっていう、幽霊みたいな生き方しかできないなら、死んだ方がましだ」

「研吾より俺を選んでくれって、彼女にそう伝える選択肢はないわけ?」

「無理だよ」

「やってみないと判らないじゃない」

 美蘭は目の前の窓を見つめたままでそう言った。外はもうすっかり暗くなっていて、向いのビルには明かりが灯っている。

「嫌だ。女の身体のままで沙耶に告白するなんて、そんなみっともない事できない。絶対に嫌われる」

「でももしかしたら、勇斗ゆうとが男に戻れる時まで待ってくれるかもしれない」

「そんなの、いつになるか判らない。もしかしたら、一生無理かも。美蘭、俺ほんとうに怖いんだよ。このまま、この変な身体に閉じ込められたままで、ずっと年とって死ぬんじゃないかって。そんな悲惨な目に遭うくらいなら、今のうちに死にたい。もう生きていたくない」

 俺はそれ以上言葉を続けることができなかった。何か言おうとすると、それが涙になって溢れてくるのだ。女の前じゃ泣かないでおこうなんて、ふだんは思っているのに、もうどうしようもなく悲しくて、悔しくて、惨めで、情けない。美蘭は黙っていたけれど、静かに腕を伸ばすと、俺の肩を抱き寄せてくれた。俺はそれでもまだ足りない気がして、彼女にしがみついて泣いた。俺の方が体重があるし、両腕で思い切り抱きついたもんだから、そのままベッドに倒れ込んでしまって、それでも俺はまだ泣き続けた。

 俺の涙は美蘭の白いセーターに浸み込んでいった。その下で、彼女のうすい胸は呼吸を続けている。ひとしきり泣いて、ようやく気持ちがおさまってくると、俺は少しだけ身体を起こして、横たわっている彼女の顔を見下ろした。無表情にも見えるし、何か言いたそうでもあるし、なげやりな感じにも思える。

 そのいつになく無防備な様子に、俺は何故だか気持ちが高ぶって、気がつくと唇を重ねていた。最初のうちは軽く、何度か。それから舌を絡め、貪るように吸って、セーターの下に手を入れる。

「美蘭、お願いだ、助けて」

 もしかすると、彼女も心の底でこの成り行きを見透かしていたから、この部屋へ俺を連れてきたのかもしれない。でもそれなら、窓のカーテンぐらい先に閉めておいただろう。俺はちらりとそんな事を考えながら、彼女の服を剥ぎ、自分の制服のボウタイでその両手を縛った。そうやって彼女を思いのままにすることで、俺の自信は砂時計の砂のように積もってゆく。次の瞬間にもひっくり返って、また消え去ってしまうであろう、まやかしの、俺の強さ。

 舌の先に感じる彼女の柔らかな内側と、耳で受けとめる切ない声。彼女の喉から漏れる吐息の分だけ俺の涙が乾いてゆく。こんな身勝手なやり方でしか自分を確かめられない情けなさ、それがつまり俺が男であるということの証だ。そしてその俺を受け入れている誇り高い美蘭は、女の中の女だ。


 俺がシャワーを浴びて戻ってきても、美蘭はまだベッドの上で白い身体を晒していた。向いのビルから覗かれたりしないのか、少し気になって窓を見ると、大きな鳥の影が外の明かりに照らしだされている。

「カラスって、暗くなっても飛ぶんだな」

 なんとなくそう言ったら、美蘭は弾かれたように身体を起こして、軽く舌打ちするとまたひっくり返ってしまった。それに反応したみたいに、カラスは飛び立ってゆく。

「カラス、嫌いなのか。まあ好きな奴もいないだろうけど」

「嫌いも嫌い、大嫌い」と、美蘭は歌うように言って両手で顔を覆った。手首を縛った痕がまだほんのり紅い。俺はベッドに腰を下ろすと、彼女の波打った髪に指を滑らせた。

「ごめん。なんか、強引すぎて。ずるいと思われても仕方ないよな」

 今更のように、泣き落としの言い訳。美蘭は「謝らないで」とだけ言って、両手を伸ばすと俺の頬に触れた。

「いま勇斗に死なれると困る。きのう言ったでしょ?莉夢りむのDVD作ることになったって。あんたにも手伝ってもらわないと」

「うん、それはやるけど」

「それに何より、お父さまとお母さまが悲しむ」

 言われなくても、痛いほど判ってる。だから余計に辛いんだ。美蘭はそんな俺の気持ちを見透かしたような目をして、「とりあえず、伏線はってみよう」と言った。


 これの何がどう「伏線をはる」なのか、いま一つよく判らないまま、俺は美蘭に借りたセミロングのウィッグに黒縁眼鏡で変装し、「デート」している美蘭とママの会話に耳を傾けていた。美蘭はまた一つ溜息をつくと、「うちの弟ってね、生まれた時は女の子だったの」と言い、ママは「あらやだ、どういう事?」とがっぷり食いついている。

「要するに私たち、一卵性の双子なんです。もちろん二人とも女の子。のはずだったのに、妹はもう小さい頃からずっと、自分は男だって思ってたみたい」

「つまりその、男の子になりたい女の子ってこと?自分をボクって呼ぶ子はけっこういるわよね」

「なりたい、じゃなくて、男なのに間違って女に生まれちゃった感じ、なんですって。だからもう、スカートなんか大嫌いだし、バレエやピアノのレッスンもすぐ辞めちゃって、男の子の遊びばっかり。周りからは、見た目はそっくりなのに中身は正反対だねって、よく呆れられたの。ほら、これが幼稚園の頃の写真」

 美蘭はスマホを取り出して、ママに何やら見せている。

「可愛い!本当にそっくりね。私、こんな子が生まれたら、毎日朝から晩まで眺めて暮らしちゃう」

「うちの母は残念ながら、そうじゃなかったの。もし妹が普通に女の子として育ってくれたら、違っていたかもしれない。母は、娘しか欲しくなかったの。子供の頃に、乱暴な男の子からいじめられたのがトラウマらしくて。おまけに彼女の父親は単身赴任でほとんど家にいなくて、大学までずっと女子校って環境。もうとにかく男の人が苦手なの」

「でも、結婚はなさったのね。不思議な話だけど、そういう人の方がお嫁に行くのは早かったりするものよ。私のお友達にもいるけど、男嫌いなんかケロっと治ったし」

「ええ、うちの母も、周りからすすめられて、二十四で結婚したの。でも、男の人が苦手なのはずっと克服できなくて、実を言うと私たちは体外授精で生まれたの」

「それ、お母さまから直接きいたの?」

「ええ。母はかなり精神的に不安定な時期があって、勢いにまかせて、って感じで言っちゃったの」

「で、でもね、お母さまはお父さまのことは大切に思っておられるはずよ。夫婦のかたちなんて百組あればそれぞれだし、気にすることないわ。それに、美蘭ちゃんたちが大事な子供であることに変わりはないし」

「そう言ってもらえるのは嬉しいけど。とにかく、妹は小学校の五年生ぐらいになると、自分は男の子だって頑なに言い張るようになって、髪はベリーショート、服はジャージ、放課後はサッカーで泥まみれ。でも母にとって家の中に男の子がいるってことは、耐えられない嫌悪感と恐怖。私はそれが判っていたから、ちゃんと女の子でいるよう、妹に何度も言い聞かせたんだけど、彼女にはそれがまた耐えられなかったみたい。

 無理に女の子らしくさせようとすると、自分は死んじゃった方がいいんだって、壁に頭をぶつけ続けたり、もう大変。母は母で、自分の子供なんだから受け入れなきゃだめだって、努力はしたみたいだけど、やっぱり駄目で。私たちが中学の時、母はついに、妹を殺そうとしたの。自分も死ぬつもりだったから、無理心中ね。

 母はその頃精神科にかかっていたから、貰ったお薬を呑まずにずっと貯めておいて、妹の食事に混ぜたの。父は月の半分は出張だったし、私はちょうどお友達の家に泊まりに行っていて、母はきっとその日を待っていたのね。次の日に帰ったら、お昼近くなのに二人とも死んだように眠ってて、揺すっても叩いても起きないの。私は泣きながら救急車を呼んだわ。

それで、二人とも命は助かったんだけど、母は殺人未遂って事で起訴されて、執行猶予でそのまま入院。妹は人が変わったみたいに暗い子になってしまったの。それでもやっぱり、自分が男だっていう意識は変わってなくて。

 ただ私たちにとって救いだったのは、父がすごく冷静な人だったって事。彼は専門家の話も聞いて、妹の名を亜蘭に変えて、男の子として扱うことにしたの。ちゃんと病院で男性ホルモンの投与を受けたりして、あっという間に驚くほど男っぽくなったわ。治療、って敢えて言うけど、治療を早く始めたせいで、女の子として生まれたなんて、今じゃ誰も信じないと思うわ」

「そうだったの。色々と大変だったのね。だから今も、ご両親と離れて住んでいるの?」

「ええ。妹は中学にほとんど行かなくて、リセットするために高校から有隣館に変わったの。相も変わらず暗いままだけど、自分の願い通りに男でいられるんだから、ずっと楽になったと思うわ」

「そうよね。風香ふうかだって、弟さんが女の子だなんて夢にも思ってないわよ」

「だといいけど。でも、本当いうと私はまだ受け入れられないの。やっぱり元は姉妹だし、一緒に出掛けたり、お揃いの服着たり、気になる男の子の話とかしたかったのに、なんて思っちゃうの」

「まあ、それは仕方ないかもね。私も風香が生まれた時は、姉妹みたいな親子になりたいって、それこそ色んな事を楽しみにしてたのに、何ひとつ叶わなかったもの。

 でも、そういう意味じゃ風香もちょっと弟さんに似てるかしら。女の子らしい服は嫌がるし、髪はずっとショート。ショッピングなんか全然つきあってくれないし、ずっとバスケット部で、私服はジャージかジーンズでしょ?もう諦めの境地ね。それでも、美蘭ちゃんとこうして、娘と楽しみたいって思ってたことが実現できてるんだから、よしとしなきゃ」

 全く、ママって超鈍感というか、おめでたい人だ。それでも、俺は少しだけほっとしていた。ママもそれなりに、俺が期待通りじゃない事を受け入れてるみたいだから。

「それで、お母さまは今も病院に入ってらっしゃるの?」

「いいえ、祖母が元気なので、実家のお世話になってるの。私を見ると亜蘭の事も思い出すらしいから、ずっと会ってないけど」

「それは寂しいわね」

「でも正直いって、私には亜蘭の方が大事なの。母には実家があるし、自分の両親も夫もいるけれど、亜蘭には私しかいないって気がするから。何より、私はあの子がいないと生きていけないの。

 今もたまにだけれど、夢に見るのよ、あの子が死にそうになった時の事。怖くて、心臓が破れそうになって目が覚めると、震えながら確かめに行くの。あの子がちゃんと息をしてるかって。そうしないと、朝まで一睡もできない」

「判るわ。私もいまだにテストの夢で飛び起きることがあるもの。大学でね、もう就職の内定までもらってたのに、語学をずっと落としてて、やっとの思いで卒業したのがトラウマになってるのね。もう二十年以上になるのに」

 俺はつくづく、美蘭の話が嘘でよかったと思った。ママのこういう天然なところ、人によってはかなり苛立つだろうから。でも、嘘にきまってるのに、美蘭の言葉は奇妙なほど深く、俺の心に突き刺さった。

 それにしても、随分と深刻な話をしていた筈なのに、美蘭とママはパンケーキをいつの間にかきれいに平らげていた。これだから女って奴は得体が知れない。そして話題はいきなり、ママの友達が始めたネイルサロンに行ってみよう、なんてところに飛んでいた。

 俺はこっそり立ち上がると、美蘭に目配せだけして、店を後にした。ママが話の主導権を握ると、どうでもいいネタが延々と続くからだ。まあ、この「伏線」がどれだけ使えるか判らないけど、何もせずにいるより気が休まるのは確かだ。

 外に出ると、俺はスマホをチェックする。本当のところ、今はとにかくラインを見るのが怖くてたまらないけど、放っておくのも耐えられないから。

 沙耶はあれから研吾の告白に対して、「それ本気?悩む」と思わせぶりな返事をしておいて、実はもう相当乗り気だった。軽いと思われたくない、という理由で引っ張り、ようやく「つき合う選択もありかな」と返事をしたのが一昨日。今日はどこまで進展してるのか、逐一報告されるのは恐ろしくもあり、みじめでもある。

 でも、今日は「ちょっと聞いて!」とだけあって、あとは着信記録になっている。さっき店にいた間だ。俺は慌てて電話をかける。

「あ、沙耶?ごめん、すぐ出られなくて」

「ううん。授業とかだった?」

「いや、歯医者さん。どうかした?」と、平静を装ってみるけど、足が震えそうなほど不安だ。研吾ともう寝ちゃったとか、そんな話だったらどうしよう。

「それがひどいの。研吾ったら、いきなり乗り換え」

「乗り換え?」

「そう。せっかくこっちがつき合おうか、なんて言ってあげてるのに、今日になったらテンション下がってて、やっぱり俺たち受験生だし、この話なかったことにしよう、とか言い出して。まあ、昨日は模試の結果が出て、あいつランク落としてたから、そのせいかと思ったの。でも、なんか変なのよね」

「女の勘ってやつ?」

「そうよ。で、他の子に探りを入れてみたら、どうも別の女がいるらしくて」

「つまり二股」

「ていうか、知らない女の子が研吾のこと、門のとこで待ち伏せしてたんだって。なんかさ、近くの大学病院にずっと入院してたけど、毎日研吾のこと窓から見てたとかって。それで、ようやく退院して神戸に帰るけど、どうしても直接会って話がしたかった、なんて言ったらしいの。もう研吾の奴、舞い上がっちゃって、これからもずっと連絡とろうよとか何とか、つなぐのに必死だったらしくて」

「そんなに可愛い子だったの?」

「なんかね、背が高くて細めの美人だって。ショートカットで色が白くて、モデルみたいなクールビューティーらしいけど。普通の男なら一発で落ちるし、屈折した男なら、何か裏があるって疑うような高スペック」

 そう言われて、俺が頭に思い描く女は一人しかいない。嫌でも浮かんでくる笑いを噛み殺しながら「で、沙耶はどうするの?」と聞いてみる。

「もう完全無視ね。一瞬でもあいつと付き合う気になってた自分が嫌になる。あんなチャラい奴」

「まあさ、受験で煮詰まってるから仕方ないよ」

「そうだよね。いま普通のアタマじゃないって、つくづく自覚しちゃった。もう絶対、受験終わるまで恋愛封印。ねえ、私本当に、風香が男だったらどんなにいいだろうって思うよ」

「え?どうしたの、急に」

「いや、マジな話。気が合うし、嘘つかないし、私のこといつも気にかけてくれて、優しいし、ねえ、聞いてる?」

「うん、聞いてるよ」

「ねえ、笑ってるでしょ?馬鹿にされちゃってもいいけど、そう思ったの!本当に」

 俺はもう笑ってなんかいない。ただ、いきなり道端で泣きださないよう、必死の努力をしていたのだ。でもそんなのとうてい無理で、仕方ないから目にゴミが入ったふりをして、速足で歩き続けるしかなかった。



 



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