第12話 続けさせない

 美蘭みらんが呼んでいる。

 そんな気がして目が覚めると、午後の日が差し込む教室には僕一人が取り残されていた。重ねた腕には日本史の教科書が下敷きになって、とうの昔にやったはずの大化の改新あたりが開いてる。誰か起こしてくれてもいいのに、と思うけど、実際のところ簡単には起きないので、皆も僕のことをよく判ってるというわけだ。

 そろそろ帰ろうかと立ち上がったけれど、やっぱり頭のどこかで、美蘭が呼んでいるという感じがする。それをはっきりさせるため、僕は屋上に出てみた。風もなく、いわゆる小春日和って感じの穏やかな天気。園芸部が作った屋上花壇の間を抜けてフェンスまで近づくと、そこにもたれて目を閉じる。

 ふだんは美蘭がどこで何してるかなんて気にもならないけど、彼女が「力」を使っている時は、どうしたってノイズのようなものが僕の頭の奥をひっかく。別に呼ばれてるわけじゃない。だって彼女は僕の事なんか必要にしてないから。でも、僕の頭はノイズをそんな風に錯覚するらしい。その微妙な感じが中途半端に気持ち悪くて、僕は彼女がどこで何をしているのかを探る。

 学校の屋上から同心円状にゆっくりと、僕は感覚を広げてゆく。要は、猫を探すのと同じ方法だ。美蘭は猫よりずっと強烈であくどいから、すぐにどの方向か調べはついた。彼女はあの、莉夢りむを逃がした時に僕がウツボを操っていた公園にいるみたいだ。でも場所は判っても、一体何をしてるのかが判らない。

 ゆっくり目を開くと現実が戻ってきて、フェンス越しに、グランドでボールを蹴っているサッカー部の連中が見える。僕は身体の向きを変えると、フェンスにもたれて腰を下ろし、美蘭のいる公園から遠くない、駒野こまのさんの家へと意識を向けた。

 細い道路に面して、押し合うように小さな一戸建てが並んでいる住宅地。ちょっと古びた家の二階にある、日当たりのいい六畳間。猫たちは思い思いの場所で昼寝をしている。サンドはキャットタワーの指定席で干物のように広がり、ウツボは出窓に置かれた籐のバスケットで丸くなっている。どちらを指名しようか少し迷ったけれど、やっぱり一度使ったことのあるウツボに決めて、僕は彼女を昼寝から目覚めさせた。

 顎が外れそうなほどのあくびと、渾身の力をこめた伸びをしてから、僕とウツボは階段を下り、ワイドショーを見ながらうたたねしている駒野さんに気づかれないよう居間を横切り、勝手口の猫ドアを目指した。そこはサンドの迷子事件のせいで一度は封鎖されたけれど、外に出たがる猫達に根負けして、また開放されたらしい。まあ、もしも迷子が出たら再び僕が呼ばれるだろうし、美蘭もサービスで少しは値引きするかもしれない。

 ウツボは嫌がりもせず、大人しく僕の命令に従ってあの公園を目指した。なるべく道路を使わず、家の隙間や裏庭、ブロック塀を伝っての最短コース。枯れた雑草だらけの公園は、小柄な猫にはちょっとしたジャングルだ。その中へと分け入ってゆくと、錆びた金具のたてる軋んだ音色が聞こえ、塗装のすっかり剥げ落ちたブランコに座っている美蘭が見えた。

 制服のままで、背筋を伸ばし、かるく顎を上げて空を眺めながら、彼女は前へ後ろへと緩やかにブランコを揺らしていた。僕とウツボが踏む雑草の乾いた音に気付くと、彼女は視線をこちらに向ける。どうやらウツボは彼女のことをちゃんと憶えているらしくて、かすかな鳴き声をあげると駆け寄って、僕が止める間もなくその膝に飛び乗った。スカートの生地越しに伝わってくる、肌の暖かさ。

「ウツボ、いい子ね。お前だけなら抱っこしてあげるけど、今日は変なのが憑りついてるから、駄目」

 美蘭は容赦なくウツボをつまみ上げて地面に下ろすと、またブランコを揺らし始めた。どさくさ紛れに蹴られそうな気がしたので、僕はウツボを十分に後退させる。美蘭の視線は再び、澄み切った空に向けられ、少しだけ開いた唇からは細く、とても高い音の口笛が流れる。ウツボはその音色にじっと聞き惚れているらしくて、その場に蹲って動こうともしない。ブランコの鎖が奏でる調子の外れたリズムと、途切れることのない美蘭の口笛は、夢の中の音楽みたいに広がってゆく。

 どれだけの間、そうしていただろう。やがて青い空の向こうから、一匹また一匹とスズメバチが集まってくる。黒とオレンジの甲冑に身を包んだ、美蘭の忠実な従者たち。蜂たちは主の傍に集まると、群れ全体で小さな雲のように伸びたり縮んだりを繰り返して宙を舞っていたけれど、口笛が止むと同時に求心力を失い、飛び去っていった。

 唸るような低い羽音が遠ざかってしばらくすると、その向こうからサイレンの音が響いてくる。それは一つだけではなくて、あちこちで泡が立つようにぽつりぽつりと叫びを上げ、競い合うようにこちらへと近づいてくる。異変を感じたウツボは、草むらの中で小さな身体を更に縮め、耳だけをあちこちに動かして様子を探っている。

 サイレンの音は今やうるさい程に響きわたり、重なり合って空気を震わせている。僕は蹲っていたウツボの背筋を伸ばし、雑草の隙間から辺りを見回した。ちょうど公園の前を走り抜けてゆく消防車と、それを追いかけるように集まり始めた野次馬が目に入った。

 心配そうな老人たちと、興奮を隠しきれない様子で自転車をこいでくる小学生の男の子たち。どんどん走ってくる消防車の一台は公園の前にも停まって、傍にいる消防士は家から飛び出してきたおばさんから質問攻めにあっている。しかし彼らがお互いの声を聞き取れないほど、鳴り交わすサイレンは大きくて、空には黒い煙の柱が、少しだけ西に傾いで立ち上がっていた。

 周囲の騒ぎなんてまるで関係ないみたいに、美蘭はまだブランコに座り、ゆっくりと揺れている。ふいに、サイレンの隙間から乾いた羽ばたきが聞こえ、大きな鴉が舞い降りるとブランコの上にとまった。美蘭はそれに気づくと、軽く肩をすくめてブランコを止め、僕はそろそろ退散しようかと、ウツボを身構えさせた。

「一体何のつもりだい」

 鴉は首を伸ばし、美蘭に向かって大きく嘴を開いた。

「何かっていうとすぐに燃やすんじゃないよ。全く、馬鹿の一つ覚えみたいに」

 美蘭は涼しい顔で「駄目なのよ。生理前になると、火が見たくなっちゃって」と答えた。

「嘘をお言い。あと十日はあるはずだ」という鴉の反撃に、彼女はほんの少しだけ眉を上げ、「つまらない詮索しないでくれる?」と顔をしかめた。

「うるさいね。何かあれば面倒は全部こっちに回ってくるんだ。文句は独り立ちしてからにしな」

 忌々しげに舌うちする美蘭を見下ろし、鴉は艶のある翼を広げて羽ばたくと、煙の立っている方へと飛び立っていった。黒かった煙はいつの間にか灰色になり、徐々に白さを増してゆく。辺りの空気にはいがらっぽい、焚火のような匂いが混じり始め、その匂いは僕の記憶の中の景色へとつながっていった。


 あれは僕と美蘭が六年生の時の夏休みだ。いつもならスイスのサマースクールに送り込まれるところを、エージェントの手違いとやらで登録できず、山梨で行われているキャンプに途中から押し込まれたことがあった。まあ、僕らにしてみれば、母親の傍にいなくて済むならそこが安全圏なので、外国でも日本でも異存はなかった。

 キャンプに参加していた子供は、三十人ぐらいだったと思う。男女半々でみんな五、六年生。冬場のスキー客向けの小さなホテルに寝泊まりして、ハイキングに乗馬、ボートに料理に天体観測と、高い費用を払った保護者を納得させるためのプログラムが毎日ぎっしり詰め込まれていた。

 美蘭も僕もそんな活動にはうんざりで、本当は一日中ぶらぶらして過ごしたかった。でも、そんな事をして送り返されてはもっと困るので、叱られない程度に参加して、あとは仮病や何かでごまかしてやり過ごした。僕はいつも通り、親しい子もできないままにぼんやりと過ごしていたけれど、美蘭は女の子たちとうまくやっていたみたいだ。中でも、サホコという同い年の子と仲が良かった。

 子供たちの中にいて、サホコはとても目立っていた。大きな黒目がちの瞳と、まっすぐに切り下げた髪のせいで、まるで人形みたいだったという事もあるんだけれど、何より彼女を際立たせていたのは、もうすっかり大人といっていいほどの体つきだった。黙っていれば高校生といっても通用するだろうし、ちょっと化粧をして制服でも着れば、銀行の窓口にいてもおかしくない感じ。子供たちみんなが集合すると、彼女ひとりが引率の先生みたいに見えた。

 でもまあ、子供にとってそんな存在は異分子でしかない。男の子は彼女を完全に別世界の住人として敬遠していたし、女の子から見ると、早すぎる成長は憐みの対象にしかならないようだった。さらに皮肉なことに、サホコの性格は他の子よりずっと幼く、内気で、人目につきすぎる身体の隠し場所を探すように、いつもおどおどしていた。

 子供たちは男女別々の二人部屋で寝起きしていたけれど、人数割りの関係なのか、サホコは一人部屋だった。僕と美蘭は遅れてきたのと、双子だからという理由で同じ部屋に放り込まれて、それが面白くない美蘭は、よくサホコの部屋にもぐり込んでいた。二人が仲良くなったのは、たぶんそんな理由からだと思う。

 美蘭といる時には、サホコはふだん見せないような笑顔を浮かべたし、声をあげてはしゃぐこともあった。でも、彼女は常に影のようなものを漂わせていて、もしかすると外見よりもその事の方が子供たちを遠ざけていたかもしれない。

 僕が彼女の影についてはっきりと意識したのは、ほんの偶然からだった。サホコに負けないぐらい、他の子から浮いていた僕の遊び相手といえばやっぱり猫で、ホテルの食堂で餌をもらっている白黒猫と仲良くしていた。といっても別に撫でたりなんかするわけじゃない。消灯時間を過ぎてから、白黒の身体を借りてあちこち探検するのが僕の楽しみだった。河原を散歩したり、壁から落ちたヤモリを追いかけてみたり、近所の空き家に潜り込んだり。そんな事をして遊んでいた時に、真っ暗な中庭を歩いているサホコと出くわしたのだ。

 そんな時間に一人で出歩くのは禁止されている筈なのに、彼女は水色のワンピース姿で、裸足にサンダルを履いていた。足取りはどこか覚束なくて、自分が行くべき場所がよく判らないような感じだった。彼女は僕が身体を借りている白黒猫に気づくと、ゆっくりとしゃがみ込んで手を伸ばし、「おいで」と呼んだ。白黒は人を怖がらないし、僕も好奇心に後押しされて彼女に近づいていった。

 彼女はどうやら家で猫を飼っているらしくて、慣れた様子で白黒を抱き上げた。初めて近くで見る彼女の睫毛はとても長くて綺麗だった。悲しいことでもあったのか、眼を赤く泣き腫らしていたけれど、僕を驚かせたのは別なものだった。

 猫の身体を借りていると、普段は判らないような、かすかな匂いまで感じ取ることができる。誰かのそばに行けば、何を食べて、どこにいたか、そんな事まで判ってしまう。だから僕は、サホコの身体にまとわりついた男の匂いに面喰っていた。それは知らない人間じゃなくて、キャンプのスタッフである仁科にしなさんの匂いだったからだ。

 仁科さんはスタッフの中でも中堅らしくて、たぶん三十代だったと思う。日に焼けていて、サッカーが得意で、よく冗談も言って、男の子には人気があった。子供たちのとは別の棟にあるコテージに寝泊まりしていて、朝は一番に起きて庭でラジオ体操を始めるのが日課だ。でも、どうしてサホコから仁科さんの匂いがするんだろう。しかもその匂いは彼女の服ではなく肌にしみついていて、触れるどころか、舐めでもしたんじゃないかというほど、はっきりとその痕跡を残していた。

 それ以来何度か、僕と白黒は夜の散歩のさなかで彼女に遭遇した。彼女からはいつも仁科さんの匂いがして、僕はぼんやりと、何か悪い事が彼女の身に起きているのを感じるようになった。だから、余計なお世話かもしれないと思いながら、美蘭に話してみることにした。

 夕食前の貴重な自由時間、美蘭は庭の外れにある大きな木の枝に腰掛けて、二、三日前から姿を見せ始めた赤とんぼを操って遊んでいた。木の上から片方だけ垂らされた彼女の裸足の爪先を見上げて、僕は「あのさ、サホコが夜、中庭を歩いてるの知ってる?」と尋ねてみた。

「知ってるよ」と、あっさり返事して、美蘭は僕の頭に赤とんぼを一匹とまらせた。

「どこ行ってるかも知ってるし、誰と会ってるかも知ってる」

「仁科さん?」

「わざわざ言うんじゃないわよ、その嫌な名前」と、赤とんぼがもう一匹僕の頭にとまる。

「呼び出されて、怒られてるの?」

「あんたは余計な事考えなくていいの」

「でも、泣いてたよ」

「それでも逃げられない時って、あるんだよ。大人はずる賢いから」と、三匹めの赤とんぼ。美蘭は少し身体の向きを変え、垂らしていた足を引き上げた。かすかに衣擦れがして、彼女がいつも持っているカッターナイフの刃を出す、カチカチという音が聞こえる。

「じき終わりにさせる。あんな事、続けさせない」

 彼女がそう言い切ると、僕の頭にとまっていた赤とんぼはいっせいに飛び立っていった。

 それから何日か過ぎて、キャンプもあと数日という夜、美蘭は消灯の後にベッドを抜け出し、パジャマからサマードレスに着替えると部屋を出ていった。どこへ行くのかきいても、どうせ何も言わないに決まっているので、僕はベッドにもぐりこんだまま、物置小屋の軒下で寝ている白黒に意識を飛ばすと、起き上がるように命令した。

 八月とはいえ、山あいの夜は一足先に秋を迎えたようにひんやりしている。僕と白黒が虫たちの鳴き騒ぐ草むらを抜けて中庭へ回り込むと、仁科さんのコテージの戸口に美蘭が立っているのが見えた。ドアは開いていて、仁科さんの大きな影も目に入る。彼らは何か少し話をした後で、一緒にドアの向こうに消えた。

 僕と白黒は急いでコテージへと駆けていった。ドアはもう閉まっているから、明かりのついている窓の下へ行き、エアコンの室外機に飛び乗って中の様子を伺う。残念ながらカーテンが閉まっていて何も見えないけれど、美蘭がくすくす笑う声は聞こえたし、仁科さんが機嫌よさそうに何か喋っているのも聞こえた。二人はその後しばらく笑ったり、立ち上がったり、座ったり、何か飲んだりして過ごしていたけれど、そのうち何も聞こえなくなった。いや、何も、ってわけじゃない。奇妙に荒い仁科さんの息だとか、言葉のようで言葉でない美蘭の声だとか、そんなものがしばらく聞こえて、静かになったのだ。

 僕は美蘭がコテージから出てくるまでずっと待っているつもりだったけれど、白黒は飽きっぽい上に、まとわりつく藪蚊にもうんざりしていたらしくて、大きく伸びをすると僕を振り払って駆け出していってしまった。

 僕がベッドに戻ってからすぐだったのか、ずいぶんしてからなのか憶えていないけれど、美蘭は音もたてずに戻ってくると、明かりもつけないでシャワーを浴び、上がってくると脱いだ服を丸めてごみ箱に放り込んだ。そして濡れた髪のままでベッドに入ったけれど、寒いらしくて、震えているのが薄闇の中でも見てとれた。

「ドライヤー使えば?」と声をかけてみたけれど、「うるさい」としか言われなかった。そして僕がうとうとし始めた頃、けたたましい火災報知器のベルが鳴り響いて、子供たちは全員中庭に避難させられた。そこで目にしたのは、暗い夜空に向かって炎を上げている仁科さんのコテージだった。

 予定表に載っていなかったキャンプファイアを、みんな声も出せずに見つめていて、その中にはサホコの姿もあった。僕のそばに立っていた美蘭は彼女を見つけると嬉しそうに笑いかけたけれど、サホコはまるで幽霊でも見たような顔つきになって、いきなり背を向けると闇の中へ紛れこんでしまった。


 キャンプはそこで中止になり、子供たちは早朝から迎えに来た家族に連れられて次々と去って行った。最後に取り残されたのは僕と美蘭で、僕らは焼けたコテージから漂ってくるいがらっぽい匂いを嗅ぎながら、乳白色の朝靄に包まれた中庭のベンチに座っていた。

玄蘭げんらんさん、迎えに来てくれるかな」

「来なくていいよ。別に私たちだけで帰れるし」

「じゃあどうしてここで待ってるの?」

「手続き上そうはいかないんだって。子供ってさ、荷物と一緒なんだよね。ちゃんと受け取りましたって、サインもらわないと動かせないんだから」

 美蘭の説明を聞いて、僕はどうしていつも母親に「お荷物」呼ばわりされているのか、理解できた気がした。辺りを満たしている靄は一向に晴れる気配がなく、僕の髪も服も湿り気を帯び、半袖では寒いほどだった。

「ホットチョコレート飲みたいな」

 僕が思わず口にすると、美蘭は「桜丸さくらまるのとこで飲んだやつ」と言った。

「桜丸、いまどこにいると思う?」

「知らない」

「桜丸のこと、考えたりしない?」

「全然」

 ぶっきらぼうに言うと、美蘭は湿った髪をかきあげた。建物の中で待つよう言われたのに、彼女は頑なに外にいることを選んで、半分ほどが焼け落ちて無残な姿を晒している仁科さんのコテージをじっと眺めている。その周囲には立ち入り禁止のテープが張られ、消防車が一台だけひっそりと停まっている。僕は何となく昨夜のことが聞けなくて、ベンチの上で膝を抱えると、猫の白黒が近くにいないかと捜し始めた。


「全くもう、どこまで世話かけたら気が済むんだい」

 その心底面倒くさそうな悪態に、僕は我に返って目を開いた。相変わらず漂い続ける靄の中に、全身黒づくめの案山子みたいな玄蘭さんが立っていて、その向こうに黒塗りのハイヤーが止まっているのが見えた。玄蘭さんは勿体ぶった足取りで近づいてくると、「あんたら、何の権利があって私を夜中の二時に叩き起こすなんて真似ができるんだい」と言った。

「電話したの、私じゃないもの」

 美蘭は上目使いにちらりと睨んで、そう反論した。

「ガキが何かすりゃ、大人に連絡がくるに決まってるだろう。おまけにこんな派手なことやらかして」

「私は何もしてない」

「お黙り。確かに寝煙草が原因って話にはなってるけど、どうせ薬でも飲ませたんだろう。あんた達の母親のところには、いかれた仲間の持ち込んだ奴が山ほどあるからね。あの男が死んで、司法解剖なんて話になったらちょっと面倒だよ」

「そんなに危ないの?」と、美蘭は少し硬い声で尋ねた。玄蘭さんはポケットから煙草を出して咥え、「死にやしないさ」と言って火を点けた。

「少しばかり火傷をしたのと、たんまり煙を吸ったせいで頭のネジが緩んでるのと。元通りになるかどうかは運次第かね」

「ずっと治らなければいい」と美蘭が言うと、玄蘭さんは長く煙を吐いてから「そもそも、あんたには関係ない話だ」と言った。

「金を積まれたわけでもないのに、つまらない話に首を突っ込むもんじゃない。誰がどうなろうと、気にかけるだけ無駄ってもんだよ。それで自分がすっきりしようって考えかもしれないけれど、どうだい、お友達には有難がっていただけたのかい?」

 玄蘭さんの問いかけに美蘭は何も答えず、僕はぼんやりと、炎に照らされて浮かび上がった、サホコの怯えた顔つきを思いしていた。


鴉はどこかへ飛び去り、空へと上っていた煙はすっかり白くなって、徐々に輪郭を失ってゆく。その向こうにいつの間にか、消え残った煙のような色の月が浮かんでいた。

 集まっていた消防車の大半が引き上げると、美蘭はブランコから立ち上がった。公園から出て行こうとする、その足元を縫うように、ウツボがいそいそと追いかける。僕は慌てて引き留め、美蘭との間に距離をとった。彼女はそれに見向きもせずに公園を出ると、まだ名残惜しそうにうろついている野次馬の中に紛れ込んでしまった。

 

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