第36話 彼女の夜事

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 心地よさに何かが欠けて……ふと寒さを感じて目を開けた。

 意識を失う前には確かにいてくれたコウがいない。

 身じろぎして身体を起こす。

 布団が落ちて……あたしは裸で。


 カーテンは入ってきた時と同じ、開いたまま。

 だから今はまだ夜中だってわかる。


「……から、わかんねえって……」


 コウの声がする。

 身体は素直に寝たがっていたけど、鞭を打つように起き上がった。

 空調の音に紛れて聞こえてくるのは、


「いや、これからやるって言われても」


 コウが誰かと話している声だった。

 部屋にはいない。

 ……本当に?


 のそのそと歩いて、声のする方へ――扉を開けたら、いた。


「こま、る――」


 下着姿のコウの目があたしを見て、次に口があんぐり開いた。

 視線の先を辿ると、それは間違いなくあたしの裸に向けられている。


 ……裸に。


「あ」

「ちょ、わり、まって」


 あわてたコウが立ち上がった。トイレの便座に座って、スマホで誰かと話してたの。

 だけどバスタオルを取って、渡してくれた。

 進んで見せたことないのに、寝ぼけて。あたしは。あたしというやつは。


 ……だめだ。思考がみだれてる。

 バスタオルを受け取って身体に巻いて。


「だれ?」


 聞いたら、小さい声で「テイが大事な瞬間を迎えようとしている」なんて真顔で言うの。

 なんだろう。


「わりい。とにかく……言うて俺もへたくそだから。言えるのはさ」


 コウがユニットバスの縁に腰掛けるから、なんとなくその上に腰掛ける。

 文句をいうどころか、自然に抱き締めてくれた。


「何していいのか、聞くんじゃなく。ユウちゃんを大事にしつつ、確かめていくしかないんじゃねえかなってことだ。お前の彼女になったんだろ?」

『――……ああ』

「夜は二人で出歩いて、キスもして。家に泊まりにも来た。両親は気を利かせて外泊。お膳立ては整ってる。そうだよな?」

『どうしよう! 進みが早すぎて俺ついていけてないよ! ここまでくるといっそ童貞でもいいのかなって』

「あほ。やりたいの、やりたくないの」

『や、やりたいっす』

「親友、旅立ちの時は今だ。じゃあ切るぞ」

『コウ~~!』

「健闘を祈る」


 タップして、コウは電話を切っちゃった。

 だんだん覚めてくる意識でなんとなく察しちゃう。


「初夜なんだって」

「……そっか」


 背中をとんとんと叩かれて、だから立ち上がる。

 あたしの手を取って、コウはベッドに戻っていく。

 一瞬だけふり返ってみた、鏡の中のあたしは赤い顔。

 でもそれ以上は確かめられず、二人で寝転がる。


「おぼえてる?」

「……すごくいたかった」


 苦い笑顔のコウは、小さく「わるい」と言った。


「あんまし……濡れなかったよな」

「丁寧じゃなかった」

「どうすりゃいいかわかんなかったんだって」

「あんなにえっちなのたくさん見てるくせに」

「……本当かどうかもわかんねえんだもん」


 そう言いながら腰を抱き寄せてくる。

 シーツに擦れてタオルがほどけて……裸同士。


「下、触ろうとしたら嫌がるし」

「恥ずかしいじゃない」

「……舐めるとか?」

「言語道断」

「最近それを許してくれるってことは?」

「言語道断」

「えええ」


 なんだよそれ、そう言って笑うコウの肩に頭をのせる。

 こういう接近はずっと好きで、だから初めてなんかじゃないのに。

 ……初めてずっと近くにいる気がする。


「ねえ……コウの思い出は?」

「ゴム、つけるのすげえ難しかった」

「てこずってたよね」

「……そのせいで小さくなるし、気を遣ってお前が手でしてくれて」

「おっきくなったからって入れたらすごく痛かった」

「そうなんだよなあ。結局そこに戻るんだ」


 苦い顔だ。


「……最近、は、そう、でもない、のかな、と。思っているのですが」


 言いにくそうに言われると、逆に困る。


「きもちいいよ」

「……ほんと?」

「自信をあげる」


 甘えるように首筋に顔を埋めた。


「……だいすき。旅に出てからは……そんな感じ」


 姿勢を強いているから諦めて欲しいのに、なんとか身体を動かして顔を覗き込もうとしてくる。

 でも、させない。ぎゅっと抱きついて離れない。


「くそ……信じるからな」


 悔し紛れに言っちゃって、なんだかなあ。


「じゃあもういっかい」

「え」

「朝まで……時間あるよ?」

「今ので信じた」


 俺の彼女がえろい、とか言ってる。

 これ以上放置したらもっと恥ずかしそうなことを言いそうなので、口を塞いでしまおう。


 夢中に浸るような――……時間の中で。

 コウが少し変わった気がしたけれど。


 あたしは溺れるのに夢中で、だからよくわからなかった。


 ◆


 わかったのは、朝になってからだ。


 目覚めた時、コウは既に着替えていて。

 スマホを操作しながら、あたしに寄り添ってくれていた。


「……コウ?」

「おはよ」


 さっぱりした顔で笑う。

 いつもは寝起きなら寝癖ついてたり、どこかだらしないコウが……なんだか輝いて見える。

 朝日のせいか。それとも……あたしが深く落ちているからなのか。

 恋愛の……彼女目線だからなのか。


「バスの予約しといたから、準備できたらバイキング行って飯すませて。広島行こう」


 ……確かに、あたしの彼氏は変わったと。

 なんとなく、感じずにはいられなかった。




 つづく。

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