第23話 休むために働く

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 頭痛がひどいけど、朝起きてから腕の中で寝ている千愛を見て、とりあえず抱き締めた。ちゃんと覚えている。そして覚えておこうと思う。

 生理中の千愛のあそこには顔を突っ込んではならない。

 何を気にしているのかわからないし、俺は気にならないけど……嫌がられるのに無理することないもんな。

 うむ! 肝に銘じておこう。


 朝飯もろくに食べれず身動きも取れない千愛を連れて旅に出られるわけもなく、女将さんも察しておさまるまでいていいって言ってくれた。


「ただし外で稼いできな」


 とケツを叩かれて向かったのは近隣の大きなお宿。

 あのお姉さんや酒宴に来てた人たちが働いているところだった。


「雑用っていってもね、うちの女将が許さないから。板場にいっておくれ」


 ばたばたと忙しなく動いているお姉さんにまでケツを叩かれていくと、いぶし銀の角刈りオッサンは迷惑そうに一瞥してくるだけ。

 女将さんが「何人も孕ませた」とか言っていた若いお兄さんが「坊主、坊主」と手招きしてくる。

 角刈りのオッサンに対して金髪でピアスじゃらじゃらだ。対比がやばい。

 恐る恐る歩み寄ると、大きなカゴを渡された。


「外にな、清水出る水場があるからそこで洗ってこい。出来るか?」

「……まあ」


 ゴボウにキャベツ、ニンジン、立派な椎茸やあれやこれや。

 どれも泥まみれで、土のいい匂いがする。


「タワシは?」

「ほれ」


 ほうり投げられたタワシをカゴで受け止めると、またしてもケツを叩かれる。


「いったいった。こっから忙しくなるんだからよ、急いでやってこい」


 横暴な、なんて言うだけしょうもない。

 カゴを持って廊下に出ようとしたら首根っこを掴まれた。


「ばっかお前、客前に具材抱えて出るんじゃねえ。裏口から出るんだよ。出てすぐ右な」


 ジト目の威圧感がやばい。

 逆らわずに示された金属扉を開けると、山の冷気と緑がすぐそばに。

 右手を見れば蛇口が設置されている。

 そばの台にカゴを置いて、一つずつ片付けるつもりで蛇口を捻った。


「ひえっ」


 冷たいどころの騒ぎじゃないぞ。

 水が痛い。ほぼほぼ氷じゃね?

 おばあさんちもまあまあきつかったけど、ここはそれ以上にきつい。


「一つ洗って千愛のため。二つ洗ってお金のため」


 ばかみたいに何か言ってないと、とてもじゃないけど洗いきれない。

 タワシがなかったらと思うとぞっとするし、おばあさんに教わっといてよかったとも思う。


 真っ赤になった手を何度も振って叫びたい衝動を我慢。

 洗いきった野菜を、泥を洗い流したカゴに戻して中へ持っていくと、


「魚」

「へい」


 角刈りと金髪という相反する二人が一切の無駄なく動き回っていた。


「坊主、野菜あがったか」

「へ、へい」

「そこ置いたら、ねーさんところに顔を出せ」

「え、ここはいいの?」

「素人に調理させるかよ。心配しなくても洗い物んときに戻ってきてもらうから、ほれ、いけ」


 げしげしと蹴ってくる金髪マジで容赦ない。

 けど板場にいても邪魔にしかならなそうだ。千愛みたいに料理が出来るならまだしも。


 言われた通りにカゴを置いて板場を出る。

 きょろきょろ見渡しながら歩いていたら、入り口に出てきたお姉さんとばったり。


「ああ、あんた探してたよ! ついてきな、団体さんが来る前にさっさと布団片付けるよ」


 首根っこを掴まれてぐいぐい引っ張られる。

 昼過ぎどころか三時過ぎて、洗い物を終えたり買い出しに付き合って荷物持ちを終えるまではマジで息つく暇も無いくらい働かされましたよ……。


 ◆


 従業員室で金髪のお兄さんに出されたまかないがマジで美味かった。

 昨日の飯もすごく美味しかったんだけど、これはなんていえばいいのか……


「品のいい味?」

「お、坊主。わかるか?」


 頭に手を置いて無茶苦茶に撫でてくる金髪に「まだまだだ」とだめ出しをはじめる角刈りさん。

 それを見ていたお姉さんを初めとする仲居さんたちが笑い声をあげる。


 ばつが悪そうに肩を竦めるお兄さん、苦労してるんだな。


「そんな目でみんな」

「いいよいいよ、みてやんな。客前に出ないからって身だしなみが雑なろくでなしなんだから」


 お姉さん、マジで容赦なし。


「んだよ。嫁のもらい手がねえくせに」

「誰の心も射止められないあんたに言われたくありません」


 べえ、と舌を出すお姉さんにお兄さんが言い返す。

 傍から見ている限りすげえ仲良さそうだ。いわゆるケンカするほどってやつ。

 それに昨日は確か、お兄さんは酔いつぶれていたお姉さんをウチワで扇いでいたよな。


「いやよいやよもってヤツだ、放っときな。あと、どうせ食うならこれも食え」


 角刈りのおじさんが分厚い貝の切り身を何かにまぶして焼いたようなのを差し出してきた。

 皿を受け取って、一口食べてみる。


「うお……」


 思わず変な声が出た。

 なんていやあいいんだろう。

 複雑な苦みとうま味が混ざり合っている。

 噛めば噛むほど海の味が一緒に広がって、これは――


「すげえうまい」

「だろ?」


 おじさんの自慢げな顔に頷く。


「板さん、新作かい?」

「ああ。女将さんに試してもらおうと思ってな。坊主にやったのはその余りだ」


 どや顔の角刈りを見て、お兄さんがぼそっと唸った。


「俺のは通らねえのに、なにがちげえんだよ」

「おめえのは見てくれや上っ面しか整えてねえんだ」


 おじさんの指摘は痛いところを突き刺したのか。お兄さんは不機嫌な顔で黙ってしまった。その瞬間を見計らったように、お姉さんが手を叩く。


「さあさ。休憩はこのへんにして、みんな働こうじゃないか。坊主はそこのろくでなしとちょっと散歩しといで」

「は? 俺にだって仕込みがあるぞ」

「ここんとこ冴えないあんたにはリフレッシュが必要なんだとさ。女将さんの厳命だよ。夜まで戻ってくるんじゃないってさ。そら、いってきな」


 つれないお姉さんに舌打ちをすると、お兄さんは「坊主、いくぞ」ぶすっとした顔で俺に声を掛けてくる。

 急いでまかないをかきこんで、あわてて後を追った。


 ◆


 駐車場に停めてある大型バイクに行くなり、お兄さんはシートをあげて中から二つのヘルメットを出して、一つを俺にほうり投げた。


「乗れ」

「……うす」


 ヘルメットをかぶって、大人しく言う通りに従う。

 バイクの尻の部分を掴んで身体を支えるなり、お兄さんはバイクを走らせた。


 結構な加速と重低音。

 身体を刺激するのは山の新鮮な空気。

 マジでちょっと気持ちいいな。


「海に行くぞ」

「うす!」


 そもそも働きに来ている時点で拒否権はない。

 お兄さんの向かうままについていくしかないのだ。


 ◆


 魚屋に顔を出したり、漁師さんの家に出向いたり。

 挨拶をしては笑い合うお兄さんは、ろくでなしにも冴えないようにも見えない。


「お裾分けだ、お前も食え」

「うっす」


 魚屋さんで刺身をもらったお兄さんに言われるまま、食べる。

 弾力とみずみずしさ。


「酒が欲しいな」

「バイクだろ、やめときな」

「わかってるよ」


 お店の人と笑い合って、お礼を告げるお兄さんと再びバイクに。


「とりあえずついてきてますけど……なにしてるんです?」

「仕入れ先を回って土地の味を覚えてんだ。次は畑を回るぞ」


 ◆


 そうして走り回っている内に夕方を過ぎてしまった。

 農家さんに挨拶して出てきたお兄さんに饅頭をもらう。

 誰と話していても笑顔だし、迎え入れてもらえるお兄さんはしっかりしているんだろうと思う。


 妙に好かれているのか、それともこの辺の人がみんなそうなのか?

 笑顔で食い物くれるしなあ。

 行った端からものをもらうから、正直腹が減る暇がない。


「もらいもんだ、ありがたく食え」

「うっす」


 田舎道で虫の鳴き声を聞きながらぼんやりと饅頭を食っていた時だった。


「お前、彼女いんの」

「……まあ」


 急な質問に戸惑いつつ、頷く。


「高校生くらいだろ? なら、覚えたてのやりたい盛りか」

「言い方ひどいな! ……まあそうっすけど」


 否定出来る要素はない。

 お兄さんだけじゃなく、昨夜の酒宴にいた人みんなそういう印象もっておかしくないことを言ったのは他でもないこの俺だ。


「羨ましいけど、戻りたくもねえな」


 言い終えるなり饅頭を食って飲み干す。

 そしたら今度は細長い缶ジュースを二本出して、俺にほうり投げてきた。

 やっぱりもらいものなんだろうか。


「……ゴムつけろよ」

「わ、わかってますよ!」


 あわてて返事をしてから、めちゃめちゃ困る。

 年上のにーさんと二人で俺は一体なにやってるんだろうね。


「つけなきゃガキが出来る。俺が言うんだから間違いない」


 しみじみ言って缶ジュースを口に運ぶ。

 なんとなくやられっぱなしなのが気に入らなくて。

 なにより、気になっていたから聞く。


「なんで、子供つくるんすかね」


 何か言いたそうな顔で俺を睨むと、缶ジュースを握る手を下ろした。


「なあ坊主。運命感じた相手と結ばれる可能性って、どれだけあると思うよ」

「……そんなの、わかんないっすよ」


 わかっていたらどれだけいいかと思う。


「わかんないから、今の関係が運命になるように頑張るんじゃないの」


 知らないけど。

 俺が千愛とこの旅で目指す道はきっとそこにあると思っている。


「結果が出りゃあそれでいいさ。俺は……惚れた女が子供こさえるたびに、片っ端から離れていった。俺より稼ぎがよくて、人の出来た男んところに行っちまった」


 お、おう……。

 俺の人生経験じゃどうにもできない言葉きたな。


「結婚するまで、そういうのはとっといた方がいいぞ。じゃないとどうにもならなくなる」

「……なんつうか」


 なんて言えばいいのか。

 女将さんの言葉は本当だったのか。


『何人孕ましたんだかわからなくて、逃げて逃げて独り身を貫いて……恋に臆病になったバカもいる』


 だっけ……。


「好きな人とか、結婚したい人とかいないんすか」

「あほ。もう女はこりごりだ」

「あの綺麗なお姉さんとか、いい感じに見えたけど」

「お前、案外言うのな。でも――……大人は臆病なんだ。その辺にしてくれよ」


 言葉と真逆の強さで半目で睨まれても構いやしない。

 好奇心もそりゃあもちろんあるけど、それ以上に聞いてみたい。


「俺は……彼女に逃げられたくないし。お兄さんだって、それは同じじゃなかったのかなって」

「言い過ぎだ」

「じゃああのお姉さんのこと、なんとも思ってないのにウチワで扇いで世話みてたんすか」

「うるせえ黙れ。そう単純じゃねえの、素直になれたら苦労するか。いい加減にしねえと置いてくぞ」

「ひでえ」


 缶ジュースの中身を飲み干したお兄さんが手を伸ばしてきた。

 あわてて缶ジュースを飲みきってから渡すと、農家さんに挨拶しにいってしまった。


「そろそろ戻るぞ」


 そう言ったお兄さんに掛ける言葉なんて、結局俺には思いつかなかった。


 ◆


 宿につく頃には夜になっていた。

 板場で角刈りおじさんと一緒に働いていたのは女将さんで、久々に勉強させていただきましたと頭を下げて出てきたところとちょうど入れ替わりになった。


 戻ってきたお兄さんを呼びつけておじさんが込み入った話を始めたから、女将さんに連れられて退散。「今日はあがりだって聞いてあるから、戻るよ」

 そのまま出て行こうとしたら、


「ちょっと、あんた」

「え」


 玄関で動き回るお姉さんに呼び止められる。

 今日の手当てだと懐から出した封筒を渡された時だった。


「あ、あのろくでなし、なにか言っていなかったかい?」


 そばにいる女将さんに聞こえないように小声で聞いてくるあたり、なんだかなあ。

 綺麗だけど可愛い人だよな。


「自分は臆病で素直になれないって言ってました」


 嘘は言ってない。


「そ、そう……」


 思うところがあるのだろう。

 お姉さんはどうしよう、と眉間に皺を寄せる。

 それだけで事情を察したようだ。


「まったく。二人で酒でも呑んで押し倒しちまいなよ」

「ちょ、やめてよ」


 女将さんのアドバイスにお姉さんがあわてて声を落とすように手のひらをさげるいようなジェスチャーをした。


「……そ、それでいける?」

「アンタが逃げなきゃね」

「…………」

「変に煽るより、素直にアプローチしてみな。あんた綺麗なナリなくせして中身は可愛いんだから」

「……う」


 ほんと? と小声で呟いて、涙目の上目遣い。

 うわあ……ガチで不安がっていらっしゃる。

 年上のお姉さんの素直な顔とか……破壊力! 破壊力な!

 千愛がいなかったらやばかったぜ……!


「坊主、言ってやんな」

「めっちゃ可愛いんで大丈夫だと思うっす。間違いないっす」


 こんなお姉さんに思われてて逃げるような間違いなくろくでなしだし。

 逃げられてばっかのお兄さんに、このお姉さんが追いかけるなら……とも思う。


「応援するっす」


 あのお兄さんは悪い人じゃないと思うし。

 このお姉さんもいい人だと思うから。


「と、いうわけだ。がんばんな」


 それにしても。

 あ、う、とてんぱるお姉さんに「仕事はいいのかい?」とお尻を叩く女将さんはマジで何者なんだ……。


 ◆


「得るものはあったかい?」


 女将さんの宿に戻る道すがらの質問に、俺は少し考える。


「昨日の話……ちゃんとできなきゃ、逃しちゃうんだなあって思いました」

「あんたの彼女は、あんたから逃げるようなタマじゃないと思うけどね」

「それでも……」


 ちゃんと繋がってないと、離れちゃう何かがあるのかな、って。


 不安から小さくなる声に返事をするよりも、ケツを叩かれる。

 なんだか今日はそればっかりだ。


「好きは大事さ。でも一緒に生きていくからには、現実の問題もどうにかこうにかやっていかなくちゃならない。どっちも大事なだけさ。それを忘れないことだよ」


 満天の星空の中を軽快に歩いて行く女将さんの視線の先に、オッサンが宿の玄関口で待ってくれている姿が見えた。

 そばには千愛がいて、俺を見て手を振ってくれている。


 旅に出て、きちんと問題を乗り越えたい。

 それは――……千愛が好きだから。ちゃんとしたいと思ったからだ。


 でも思いだけじゃ、旅はうまくいかない。

 道を間違えたり、体調が悪くなったりする。


 なら……千愛と共に乗り越えていけばいい、と改めて思う。

 そんな一日に違いなかった。




 つづく。

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