第20話 恋する心は――

 20...




 薬を飲んで横になってもだめだ。

 まともに動けないくらい痛い。

 そんなだからコウが心配して世話してくれようとするけど、ピークが過ぎるのを耐えて待つことしか思いつかないから断った。

 宿のおじさんのお手伝いしてあげて、と追い出して寝ていたら女将さんが部屋に来て湯たんぽを腰にあててくれた。

 白湯を入れてくれたから、湯飲みでゆっくり時間をかけて飲み干す。


「すみませ……ありがとうございます」

「いいよ。何か用向きがあったらいいな」


 頭を下げたら「そんなのいいから」って言われちゃった。

 それから痛みにきくツボを押してもらう。


「何から何まで、すみません」

「いいよ。昔は……よくこうしていたからね」


 まともに起き上がれなくてされるがままのあたしはせめて、女将さんに質問した。他にすることも出来ることもなかったから。


「昔って?」

「お水で働いててね。亭主に会うまでは、みんなの顔役もやってた。世話も見ていたし……酷い目にも随分あったよ」


 膝上内側、ぐいぐい押されて少しずつマシになっている気がする。

 ……考えてみればお母さんにしてもらうことと殆ど同じだ。

 実家みたいな安心感。

 それをくれる人の顔は、ただの女子高生に読み取れるほど簡単じゃなかった。


「いい坊主を見つけたじゃないか。まだまだだが、見込みがある」


 布団を手にとってあたしにかけると、白湯のおかわりを入れに立ってしまった。

 女将さんは笑っていたけど……目はあたしを通して遠くを見ていた。


「旦那さんの若い頃にそっくり、とか?」

「ナマ言うんじゃないよ、言っただろう? まだまだだ」


 その目が戻ってきた。

 あたしを見ておかしそうに笑ってくれる。

 それは身近であたしの理解できる、楽しげなものだった。


「人生をなげうって相手に寄り添える人間なんざ、そうはいない。そういう関係を結べる絆なんてのは、そうそう見つかるもんじゃない」


 よいせ、と目の前に上品に足を折りたたんで座ると、女将さんは湯飲みを手の届くところに置いてくれた。


「砂漠から真珠の一粒を取り出すくらい難しいんだ。大事にしなけりゃ真珠だって砂粒になるし……大変なことばかりだよ」


 深呼吸しながら語る女将さんの目は再び、どこか遠くへいってしまう。

 それが無性に許せなくて、感情の理由もしらずにあたしは女将さんの手を握った。


「なんだい?」

「……あ、甘えてみた、とか」

「変な子だね」


 困ったように笑ったけど、女将さんは握り返してくれた。

 気づかず眠るまでずっとそばにいてくれたんだ。


 ◆


 目覚めた時、あたしの手を握ってくれていたのは女将さんじゃなくコウだった。

 そばに布団を寄せて寝転がって、すうすうと寝息を立てている。


 コウは……あたしにとっての真珠。

 すぐそばにあった、大事な輝きだ。

 愛おしいし、離す気なんて……ない。


 今日ルナさまがきちゃわなくても、心のどこかでいいと思っていたのかもしれない。

 お父さんもお母さんも物凄く怒るだろうし、コウはもちろんあたしも人生どうにかなるくらい驚いちゃっただろうけど。


 実は……感じたのはきてくれたという安心より、そう簡単にはいかないんだな、という現実で。

 そう感じちゃうあたしはきっと、まだまだ、まだまだ足りないところばかりなんだろうと思う。


 そうだよ。働いてもないのに、迷惑かけるばかりじゃないか。

 働くのがどれだけ大変かはこの宿で実感している。


 でもちょっと……夢見ていたのかもしれない。

 ここにおいてもらって、働いて。

 お給料をもらって、コウと赤ちゃんとみんなで。


「……ほんと、夢見てる」


 想像なんてどれだけしたって足りないくらい大変に違いない。


 実は、親戚のおねえさんが赤ちゃんを産んだの。

 本当に可愛くて可愛くてしょうがなくて、だから会いに行きたいって言ったらお母さんにだめって言われた。


『こんなこと外で言ったらなぁにぃ? って顔されちゃうけどね。赤ちゃんっていうのは化け物なの。何を言っているのかもわからない、なのに騒ぎ続けるばかりで、気をつけないと簡単に死んじゃう弱くて大事な存在』


 あたしのことを見ているようで、見ていない顔をして。


『余裕なんてずっとないし、まともに眠れもしない。周りに助けてもらえなきゃ、よっぽどママ業はブラックなの。気を遣わせちゃだめよ』


 そんなお母さんの許可が出てお姉ちゃんに会いに行って……実感した。

 やつれてた。クマはひどいし、欠伸を何度もしてた。

 大丈夫って聞いた時だった。


『ぎりぎりかな。実家が面倒みてくれるから、あたしはマシな方。千愛(ちあ)ちゃん、旦那さんにするならようく手伝ってくれる人にした方がいいよ? ……毎日が戦争なんだから』


 マジな顔で妙な実感をもって言われた。

 あたしからすれば夢の結晶みたいな赤ちゃんは気持ちよさそうにお姉ちゃんの腕で寝るばかりで、大声で泣いたりしなかった。

 それでも……お姉ちゃんが真面目に言うくらい、大変なんだと思うと。


「夢なんだなあ……」


 そう思ってしまう。

 コウの手にもう片手を添えて包んだ。


 あたしの痛みをコウは気遣ってくれるけど……でも知らない。

 普通、男の子はわからない。

 あたしにも……正直、実感はない。


 ひょっとしたら、産んでも育ててもまだ実感なんて湧かないのかもしれない。


 ナマでえっちをしても。

 生理がきても。


 それが新しい命に繋がっているなんて、お姉ちゃんくらいに実感出来るようになるまでどれだけかかるんだろう。


 コウはわかってくれるだろうか。

 コウと一緒に考えていけるだろうか。


 ……コウと、やがて来るその日を笑顔で迎えられるかな。


 繋いでいる手と考える未来はどこまでも限りなくて、果てしない。


 この手でしかあり得ない。

 けど、だからこそ……この手が離れたら?

 あたしはどうすればいいんだろう。


「ん、ぅ……んん」


 身じろぎしたコウが目を開けて、もう片手で目を擦ってからあたしの手を両手で握ってくれた。


「……ちあ」


 名前を呼んでくれる声はいつだって愛しげで。


「だいじょぶか?」


 ストレートに心配だってしてくれる。


「ごめんな、昨日……あんま、大事に出来なかった」


 そんな言葉だって自然に言えちゃう。


「初めて、ナマで、だから……昂ぶっちゃったけど。寝てるのにつらそうな千愛みてたら、俺調子に乗ってたなって……思ってさ」


 離れてしまう手。近づいてきた身体……抱き締めてくれる、腕。


「そもそも今日、千愛に生理がこなかったらって考えた」

「あ……」


 身体の中が一気に冷えたような……錯覚。


「女将さんがくれたの……多分優しさこみでの一万円だった。この宿に泊まることが出来たのだって働いたからで。なのに、もう一人の人生背負えるかって話で。そうなったら出来ることなんでもやるけど、みんなで幸せに過ごせるのにはすげえ時間がかかる気がする」


 顔をあげると、大好きな人があたしを見つめてくれている。


「だって、俺は自分一人でそれが出来なくて、だから千愛が言い出して……旅に出てんだもん。まず自分の面倒みれなきゃいけないよな」


 笑っているんでも、つらそうでもない。


「ナマでするのは、すげえ気持ちよかった。けど、でも、だから……もっと大事にしたいっていうか。俺にはたくさん乗り越えなきゃいけない壁があって、千愛と乗り越えたいのだってたくさんあるっていうか」


 言葉に困ってる。

 どう言えばいいのかすごく悩んでる。

 慎重に、なっている。


「そりゃあたくさんしたいけど。気持ちよくなりたいからしたいっていうより、千愛と愛し合うってのが大事で。ああもう、なんていやいいんだ」


 歯がゆい顔で眉間に皺を寄せている。

 慣れないことして……まったくもう。


「すごくくさいこと言ってる」

「うっせ」

「大事にしてくれようと、してる?」

「……まあ、そういうこと、かな」


 うん、と頷くコウの背中に手を回す。

 しがみついて、離さないように力をこめる。


「……そうだね。大事にしなきゃ、ね」


 身体中が、頭の中も胸の中も……お腹の中もぜんぶ。

 この人に向いている。

 ……コウだ。ここに真珠はある。


「千愛が好きだ」

「……うん」

「進み方が下手で、だからいっつもばたばただけど」

「そうだね」

「……それでも俺たちの進み方で。ゆっくり恋愛してこうよ」


 背中を撫でてくれるだけじゃない。

 首筋に顔を埋めてきて……くすぐったい。

 ……はあ、もう。


「いい雰囲気だからって、その流れはないからね」

「わ、わかってるって」

「……手がお尻にのびてきてるんですけど?」

「で、出来心で」

「いいこと言ったんだから我慢して」

「お、おう。当然その気ですよ。まだしばらく痛いもんな。わかっているともさ」

「……じゃあなに、これ」


 なにとは言わないけど、片手をおろしてつつく。

 主張してる。


「で、出来心で」

「都合のいい返事だよ」

「で、出来心で」


 まったくもう……。


「……したくなっちゃった?」

「がっ、我慢するし! ただ千愛とこうしているとつい、つい」

「はいはい、出来心ね。まったく……お尻さわろうとした人の言う台詞かな」


 ため息を吐いて……でも湯たんぽがきいたのか。

 それとも、コウが安心させてくれたからなのか。

 痛いけど気分はいつもに比べると少しはマシだったから。


「ち、千愛?」

「待って……ね?」


 手のひらをあてがってなでなでする。


「うあ……こんなサービス、久々ですね」

「昨日からサービスし通しですけど。やめる?」


 手を動かすと喜ぶくせに、止めてしょんぼりするなら下手なこと言わなきゃいいのに。

 痛いしだんだん目が覚めてきたから吐きそう。

 こっちはいつやめてもいいんですよ。


「お、おねがいします」

「……ん」


 無理ならいいとか、つらいなら湯たんぽのお湯を、とか。

 本気で気にしているくせに流されちゃうんだから、なるほど。


 確かにまだまだだね。

 あたしも甘やかしすぎなのかもしれない。


 ……実は甘えているし、コウの負い目をたくさん作りたくもある。

 ずるいしめんどくさいよね、あたし。


 ストレートに言い過ぎなのも、ひねくれすぎなのも……どっちも問題だ。


 野々花の言葉を思い出すなあ。

 コウがそうであるように、あたしもまた……恋愛下手なんだ。




 つづく。

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